◎私たちはどんな言葉を話しているのか……?
高木龍尋(大阪芸術大学大学院嘱託助手)
遠景に青い空と見事な入道雲、群青の海に緑の島がぽつんとある。その島には、白地に一輪の彼岸花が染め抜かれた巨大な旗が、島とはアンバランスに掲げられている―というチラシである。「彼岸島の不思議な夏」というタイトルとこのチラシから予想できた世界、「彼岸島」という地名には何かオカルトホラー的なものを感じるし、「不思議な夏」からはメルヘンチックなものも感じる。探せばライトノベルと呼ばれる類の小説に見つかりそうな気もする。だが、完全にそうではないと言い切れないものの、この予想は見事に裏切られた。
彼岸島はおそらく南西諸島のどこか外れにある絶海の孤島。島はその名にある通り此岸と彼岸の境にあって、願いを強く持った人が訪れると、会いたい彼岸の人と会うことができるという。尼崎国際大学のライフセービング部は、この島に住む先輩の野島を頼って訪れ、合宿をしていた。野島と部の塚本・三田・広野・猪名寺と女子マネージャーの武田尾は彼岸島で練習をしていたが、その彼岸島の人びとはかなり異様な面々で、困惑していた。
彼岸島の古い住人の苗字は平田、平木など、「平」の一字から始まり、実はみな平家の落人の末裔であるという。そして、その島を束ねるシゲは天叢雲剣を持ち、安徳天皇の二十七代であるという。シゲの傍らには半年ほど前に空から落ちてきたすべての言葉を逆さに話す金星人がいつもいる。そんな彼岸島の人びとは昭和と島の伝説を頑なに守っていた。
その島の浜にある夜、七三分けの身なりのきっちりした、自分の言葉を持たない男が打ち上げられる。その男はシゲが引き取っていった。
一方、ライフセービング部の面々は思うように活動ができないことで半ば自棄になっていて、浜の近くの高台で酒盛りをしていた。と、一年生の広野と猪名寺は洞窟を見つけ、その中に眠る女を見つけた。その女は平家滅亡の折に安徳天皇を救い出し、彼岸島まで連れてきた後に「疲れちゃったわ」と言い残し800年以上眠り続ける乳母のおふきだった。広野と猪名寺は白雪姫の話を思い出し、猪名寺は広野をけしかけ、広野は酒の勢いにまかせてキスをするとおふきは見事に目覚め、広野に恋してしまう。
おふきはシゲに80年代アイドルのDVDを借りて現代の様子と言葉を勉強するが、言動はアイドルの言動を真似して広野に気に入られるよう奮闘するが失敗する。島で唯一のバーのステージでおふきはデビューし、DVDで見た柏原芳恵の曲を歌う。そこにはあの男も来ていて柏原芳恵のパンフレットを持っている。ステージのあと、男はゆっくりと自分について話し始める。千代田区千代田に生まれ、結婚してからは赤坂に住み、イギリス留学中に柏原芳恵のファンになり、自分の言葉を持たず、名乗る苗字もない……そう、この男は皇太子殿下である。皇太子は偶然打ち上げられたのではなく、遠い親戚のシゲに呼び寄せられたのだ。
そして、シゲの計画が実行される日が来た。ライフセービング部の三田は平家の末裔の娘の色仕掛けにそそのかされてついて行き、その場を見つかって捕らえられる。三田がいないことに気づいた野島とライフセービング部はそれぞれ三田を探し始める。広野はその途中で入水自殺をしようとする女性を見つけ、自分も溺れそうになる。その頃、シゲたちは高台に集まり、日本をつくり直すために一度壊滅させる、と三田を縛りつけたロケットを準備していた。皇太子はその後の日本をつくる際に共に手をとろうと呼んでいたのだ。しかし、皇太子はそれをやめさせようと「この国やこの国の人がいとおしい」と説得し、シゲも心打たれる。その場で騒ぎ始めた金星人をシゲが蹴ると、正気になった金星人が怒りだし、シゲから天叢雲剣を奪い取って振ってしまう。すると、剣の
威力でロケットが発射、日本壊滅かと思いきや、ロケットは空に“Love & Peace”の文字を描き、世界から賞賛された。野島と部が島を離れると、彼岸島の人びとは島が海底とわずかに繋がっていた部分を切り離して、罪滅ぼしの旅に出のであった。
というところがこの作品のストーリーだが、複雑な構成であることは否めないし、ありえないこと、言い換えればファンタジックなことが平然と起こっている。しかし、この作品を観てそれは少しも苦にはならない。そのことを感じさせない強烈なキャラクターがいくつも存在し、その衝突と絡み合いがストーリーを押し出してゆくからである。従って、この作品の主人公が誰だったのか、今でもわからない。登場人物がそれぞれに際立っていて、おそらく観客によって作品の捉え方は大きく異なるのではないだろうか。それを許容し、それぞれに楽しませるだけの要素をこの作品は持っているように思われる。
この中で特に秀逸なのではないかと思われるのは人物造形の対比である。自分の言葉を持たない皇太子、現代の言葉と感覚がわからずDVD で観た言葉を受け売りにするおふき、言葉を逆さにしか話せない金星人、とこの3人は口が利けないわけではないが、自ら考え感じたことをそのまま言葉にできない。それぞれに立場や時代や身体的な制約を持っている。それらの言葉が開放されることは、同時に制約からも解放されることである。シゲの言う「こいつが自分の言葉を喋ったらすごいことになる」と皇太子について言うのは正しくその通りで、かの雅子妃擁護発言があったとき物議を醸したことが思い起こされるだろう。これは皇太子に限ったわけではなく、たとえば密かに思い合っている塚本と武田尾にもいえることだし、金星人のロケット発射はその「すごいこと」の譬喩とみることもできる。そして、作品の冒頭近く、打ち上げられた皇太子が、波の精霊(?)たちの朗読する町田康の詩「こぶうどん」を聞いて、「素晴らしい」という場面も、対比を引き出すために役立っている。
この作品はいかに私たちが言葉に制約を受けながら生活しているかということを改めて考えさせるものであった。この大きな問題をファンタジーとギャグの連鎖の中から投げかけてくる手腕は素晴らしいという他ないのではなかろうか。
ところで、この作品には細かなギャグも多く織り込まれていた。関西の方なら気づかれるかも知れないが、ライフセービング部員の名前はみなJR福知山線の駅名である。このようなくすぐりをしながら、最大のギャグだったのは演出でもある隈本さんが大学1回生の猪名寺を演じ、競泳パンツひとつでダルダルの体をかなりの長時間さらしていたことであった。この芝居でただひとつの苦
といえばそれである。
(8月3日 AI・HALL)
(初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第4号、8月23日発行。購読は登録ページから)
【筆者紹介】
高木龍尋(たかぎ・たつひろ)
1977年岐阜県生まれ。大阪芸術大学大学院芸術文化研究科博士後期課程修了。同大学院芸術研究科嘱託助手。文芸学専攻。
【上演記録】
トリプルクラウンプロデュース「彼岸島の不思議な夏」
(Wonder Summer in Wonder Island)
兵庫伊丹・AI・HALL(8月3日-6日)
作 関秀人
演出 隈本晃俊(未来探偵社)
企画 関秀人・隈本晃俊・土居武晴
[出演]
原尚子(バッカストーリ)/信平エステベス(遊気舎)/今仲ひろし(ピッコロ劇団)/わかいのぶこ(未来探偵社)/山本英輝(未来探偵社)/手塚裕美/湯浅崇(未来探偵社)/太田浩司(未来探偵社)/上野眞紀夫(未来探偵社)/村井千恵/おかだまるひ/菊丸/上畑圭市(JYRO)/安坂英治(カシラ007☆STARS)/山本雅恵/平宅亮(本若)/大宮将司(未来探偵社)/隈本晃俊(未来探偵社)