忘れられない1冊、伝えたい1冊 第19回

◎「pink」(岡崎京子、マガジンハウス 1989年)
  鈴木アツト

「pink」表紙
「pink」表紙

 2012年に沢尻エリカ主演で「ヘルタースケルター」が話題になったのに、僕より下の世代には、岡崎京子を知らない人が多くて、ちょっぴり悲しい。若者の皆さ~ん、岡崎京子は、あの映画の原作者で、伝説の漫画家ですよ~。「ヘルタースケルター」の連載終了後に、交通事故に遭って、漫画家として再起不能になってしまった天才作家なんですよ~。もちろん、僕もリアルタイムで読んでいたわけではなく、演劇を本格的に始める2004年頃から、読み始めた後追い組ですが。というわけで、僕の「忘れられない一冊、伝えたい一冊」は、岡崎京子の「pink」です。

たいくつな東京コンクリート・ジャングルにワニと暮らすユミちゃんは、ガマンが大嫌い。大好きなものたちのためにOLのかたわらホテトルもやっちゃって、いつもしあわせ。そんなユミちゃんの、こうふくでざんこくな愛の物語。

 これは、「pink」の帯に書かれているあらすじです。岡崎京子の作品って、「退屈」が一つ大きなキーワードでして、人生なんてそもそも退屈でつまらないものだよね、っていうところから、スタートしている。別の言い方をすれば、最初から終わってる。終わってる人生を、どう楽しくサバイブしていくか。それには、ショッピングとセックスだよねっていう、明るい絶望が必ず背景にあります。絶望すると、人間の精神って重くなるって思われがちなんだけど、絶望しているからこそ、どんどん軽くなっていく、そういう描き方をしていて、当時の僕はとても共感しました。1989年に書かれた「pink」は中でも特に明るく軽い作品ですね。

 技法的なことを言うと、「pink」は、リアル(日常)なものと、ファンタジー(非日常)の組み合わせ方がすごくうまいんです。どこそこの店のパフェが美味しいみたいな、女の子たちのおしゃべりがたくさんあって、その中にポーンとワニが入ってくる。退屈な毎日の中に、異物が紛れ込んでくる。そういう物語の飛躍のさせ方に、僕はとても影響を受けました。とてもブレヒト的だと思うし。読者に感情移入させるんじゃなくて、ユーモア(例えば、ワニはなぜか眼鏡をかけてることとか、あけすけなピロートークとか)によって、距離を取って登場人物たちの行動を追えるように描いています。

 岡崎京子の世界観は、1990年に入って、変化していきます。どう変化していくのかというと、僕らを絶望させているものの正体を、暴きにいってるという感じがします。たとえば、「pink」の頃と、代表作の「リバーズ・エッジ」の頃とでは、東京の風景の描き方が全然違うんですね。前者では可愛く丸く街の景色が描かれていたんですが、後者では、真っ黒く塗りつぶされた工場と煙突から空へドーッと広がる白い煙のカットが見開きで挿入されていたり、鉄骨の無表情な橋が大きく描かれていたり、いつもニコニコしていた東京が、急に暗く青ざめた表情に変わっていくわけです。もちろん、「pink」でも、そういう東京の本性を描いていないわけじゃないんですが、すごく巧妙に隠している。その隠し方がお洒落なんですね。


 先に挙げた技法的なところも好きなんですが、岡崎京子に魅力を感じる一番は、やっぱりその東京の捉え方です。「pink」にしろ、「リバーズ・エッジ」にしろ、故郷としての東京の何も無さをちゃんと捉えている気がするんです。そりゃあ、物質的には何でも揃ってますけどね、東京は。でも、物質的な欲望を満たしてくれる以外の東京の魅力って何?僕には、東京生まれ東京育ちコンプレックスがあるんです。こういう原稿で、「○○年に上京してきた時に」って書けないっていう。年末に両親の田舎に帰省できる劇作家って、なんだかんだ故郷っていうのを背負って、物が書けると思うんですよ。それをどれくらい表に出すかは人によると思うんだけど。で、僕の背中は軽くて楽ちんなんだけど、何も乗っかってないなあってたまに思うんですね。だけど、岡崎京子を読むと、東京のそのからっぽさを描けよって言われてる気がするんです。お前の背中のその何も乗っかってない感じを描けよってね。からっぽさこそ、魅力だろうよって。

 そして、岡崎京子からの影響の受け方って、さっき説明したように、「pink」的なものと、「リバーズ・エッジ」的なものと、二方向あると思うんだけど、僕は「pink」的なほうをやっていこうと思っています。軽く、軽く、浮き上がりながら、東京の本性を笑って告発するほうが、僕はおもしろいし、お洒落だと思うんです。それで、執筆で行き詰まると、「pink」を読み直して、こういうことなんだよなあって言っちゃうんですよね。

【筆者略歴】
鈴木アツト(すずき・あつと)

鈴木アツトさん

 1980年東京生まれ。劇作家/演出家。2003年、劇団印象-indian elephant-を旗揚げ。「遊びは国境を越える」という信念の元、“遊び”から生まれるイマジネーションによって、言葉や文化の壁を越えて楽しめる作品を創作している。
 2012年夏、「匂衣」が演戯団コリペの李潤澤氏の目に留まり、密陽夏公演芸術祝祭、居昌国際演劇祭に招聘される。9月には、「青鬼」がD.Festa(大学路小劇場祝祭)に招聘され、ソウルで上演。また、「グローバル・ベイビー・ファクトリー」が第18回劇作家協会新人戯曲賞最終候補にノミネート。blog 「ゾウの猿芝居

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