今年25回目を迎えた小劇場の祭典アリスフェスティバル2007が9月7日から開幕しました。生きのいい国内の10劇団のほか、中国・南京から2劇団が初来日、南北コリアン系の4劇団がそろって競演するなど、長年果たしてきた新人劇団の登竜門と、アジア演劇の交流を兼ねた催しが来年1月まで続きます。
MU「きみは死んでいる/その他短編」
◎風通しの良さと揺るぎない自信 反転する演劇における「死」
松井周(サンプル主宰)
演劇で「死」を扱うのは難しい。死体であることを観客に了解させるためにどのように舞台上の世界を作るかは、演出家にとってとても頭を悩まされる課題であるように思う。今回観たMUの『きみは死んでいる/その他短編』は、その課題をアクロバティックな形で表現していた。
サラ・ケイン作「フェイドラの恋」(シアターΧプロデュース公演)
◎君は“空飛ぶチンポコ”を見たか?
佐々木眞(ライター)
連日連夜の熱帯夜の眠れない夜の明け方に、私は眼裏に右から左に飛翔する面妖なものを見たような気がした。寝ぼけ眼で今度は左から右へと飛び去るそいつをよーく見ると、それはかなりの重量感にあふれた陰茎であった。
小指値「Mrs Mr Japanese」
◎表層のあまりの軽さと、背後の闇の深さ
小林重幸
高校を卒業して数年、当時の仲間と久々に会うのは、楽しみでもあり、不安でもあり。特にフリーターの身では、そいつらが今何をやっているのか、気になって気になって。で、待ち合わせ場所での最初の会話。「今、何やってんの?」仲間曰く「ん?ライター」。「全然スゴく無いよぉ」と言いつつも、当然勝ち誇っているわけで。
川口隆夫×山川冬樹「D.D.D. -私の心臓はあと何回鼓動して止まるのか-」
◎ダンスは死に抗う生のわめきである
伊藤亜紗(ダンス批評)
ダムタイプのダンサー川口隆夫とホーメイ歌手山川冬樹が2004年の初演以来国内外で再演を重ねてきた作品「D.D.D.」の日本ファナル公演。パフォーマー二人の実力に対する絶対的な信頼とカリスマ性、そして「封印宣言」というべきか「解散ライブ」というべきか、いずれにせよ伝説化を匂わせる事前の触れ込みが相まって、観客席は開演前から異様な興奮に包まれていた。
さいたまゴールド・シアター 「船上のピクニック」
◎物語のすき間から新たなイマジネーションを紡ぐ
木俣冬(フリーライター)
劇場を縦に貫く巨大な豪華客船の甲板。それを客席が三方に取り巻いている。開演前から汽笛の音などが微かに聞こえ、やがて俳優たちが数人、甲板に現れる。
物語は、勤務していたホテルをリストラされてしまったベテラン社員たちが、とある島に建設予定のリゾートホテルに再就職を斡旋され、その地へと向かう船旅の途中を描く。
サシャ・ヴァルツ&ゲスツ「Koerper ケルパー(身体)」
◎器官としての身体から私である身体へ
村井華代(西洋演劇理論研究)
サシャ・ヴァルツについては、どうしても思い出話から始めてしまう。
初めて見たのは2001年のベルリン。ヴァルツがトーマス・オスターマイヤー(2005年世田谷パブリックシアター『ノラ』『火の顔』で来日)と共に芸術監督を務める劇場「レーニン広場のシャウビューネ」での『17-25/4 [Dialoge 2001]』だった。現れては消えるダンサーらに導かれて観客が劇場周辺を一周するパフォーマンスである。劇場の中庭、屋上、空、隣接する公園、通りをまたいだプジョー代理店の半地下ガレージ、車、劇場前の並木、バス停-ダンサーの身体によって無限の不思議世界と化した日常風景は、360度とても幸福に見えた。以来、ベルリンという都市の記憶は、私には彼女の作品と分かちがたい。
ブラジル「天国」
◎「社会」を喪失した社会人の悲喜劇
高木登(脚本家)
舞台上には地方都市の居酒屋のセットがリアリズムで設えられている。美人のマヤ(山田佑美)という若女将が営むこの店に訪れるのは、近くの自動車工場で働く期間工たちである。彼らは実に他愛ない話で盛り上がり、子どものようにはしゃぎあう。だが労働の実態は過酷で、彼らがそれぞれに抱えた事情もなにかと複雑のようだ。期間工のサトウ(西山聡)は、マヤがかつての自分の知り合いの女・カズミが整形した姿ではないかと疑っており、物語が進展するにつれて、それはどうやら事実であることがあきらかになる。サトウはかつておなじ期間工のトモノ(辰巳智秋)と共謀し、カズミの亭主殺害の隠蔽に手を貸したことがあるようなのだ。そして偶然の出来事であるかのようにされていたその殺人は、実は保険金目当ての計画的なもので、サトウもトモノもカズミにいっぱい食わされたのであるらしい。
東京オレンジ「天国と地獄」
◎一寸先は闇か光か インプロプレイヤーたちの挑戦 葛西李奈(フリーライター) うらやましいと思った。役者たちが本当にキラキラしていたからだ。彼らは頭と体と心を駆使し、五感…いや第六感までをも研ぎすませて舞台に立つ。こ … “東京オレンジ「天国と地獄」” の続きを読む
◎一寸先は闇か光か インプロプレイヤーたちの挑戦
葛西李奈(フリーライター)
うらやましいと思った。役者たちが本当にキラキラしていたからだ。彼らは頭と体と心を駆使し、五感…いや第六感までをも研ぎすませて舞台に立つ。この公演には、最低限の構成以外、あらかじめ決められた台本が用意されていない。それは、毎回どのように物語が展開するのか誰もわからないということだ。役者は仲間、自分自身、そして必ず物語がエンディングを迎えることを信じて観客の前に飛び出していく。どの瞬間も気を抜けないだろうし、相当な集中力が必要だと思う。それでいて精一杯、楽しそうに舞台を駆けめぐる姿に思わず胸を打たれた。わたしは一瞬をどれだけ真剣に生きているのかと思わされた。
hmp「Rio.」
◎独自の作品形式で「問い」を産出 アヴァンギャルドの保守化を超えて
高橋宏幸(演劇批評)
芸術の表現における「実験」や「アヴァンギャルド」など、作品や傾向に付けられる言葉は、何をもっていえるのか。また、それぞれの時代の様式や形式に対して付けられた名称の基底にあるものとは何か。