サラ・ケイン作「フェイドラの恋」(シアターΧプロデュース公演)

◎君は“空飛ぶチンポコ”を見たか?
佐々木眞(ライター)

「フェイドラの恋」公演チラシ連日連夜の熱帯夜の眠れない夜の明け方に、私は眼裏に右から左に飛翔する面妖なものを見たような気がした。寝ぼけ眼で今度は左から右へと飛び去るそいつをよーく見ると、それはかなりの重量感にあふれた陰茎であった。

切断されたチンポコが、人々から人々へと、まるでサッカーボールのようにパスされている。もしやおいらの陽物ではなかろうか?と疑った私が、あわてて下半身をまさぐってみると、それはちゃんとあるべきところに寂しくぶら下がっていたので、私はやっと安心して眠りからさめたのだった。

それにしても私の貧弱な奴とは比べ物にならない立派なものであったが、あのペニスは果たして誰のものだろう? まことに奇怪な真夏の夜の夢であったなあ、と、夢の名残を気色悪く振り返っていると、

思い出した! 思い出した!
これこそはサラ・ケイン作「フェイドラの恋」の舞台で、天空高く前後左右に飛び交った王子ヒッポリトスの巨大な男根なのであった。

フェイドラについてはもう皆さんよくご存知であろう。
古くはエウリピデスやセネカやラシーヌによって、新しくはジュールズ・ダッシン監督、メリナ・メルクリ&アンソニー・パーキンス主演の映画「死んでもいい」(1962年)などによって、何度も何度も語られた悲恋のテーマが、今回夭折の英国劇作家サラ・ケインによってふたたび語りなおされたのである。

ハンケチ王子ならぬ、“いつもオナニー王子”のヒッポリトスは、義理の母である王妃フェイドラの求愛を無残に退ける。されど、邪恋といえども愛は愛。至純の恋は炎と燃えさかり、熟女の身と心をらんらんと焦がすのである。
存在そのものが恋と化したフェイドラは、その恋が残酷に断ち切られた瞬間、「ヒッポリトスに犯された私は自死する」との遺書を残して首を吊る。

ところが当のオナニー王子ときたら、日ごろからやたら女どもに手を出し、フェイドラの娘であるストローフィーまでもさんざんもてあそんだくせに、女ざかりの熟女フェイドラだけには手も触れなかった。きっと年増女はメじゃなかったのだ。

♪愛する人には愛されず、愛さぬ人には愛される
とかく浮世はままならぬ

という、私がいま即興でくちずさんだ小唄があるが、この古今東西を貫く人世の不変の真実こそが、描きなおされた“フェイドラ神話”の本質である。
実際この愛の不条理によって古来世の善男善女は、いかばかりお互いを傷つけ、責め苛んだことだろう。このお芝居を鑑賞しながらも、私はかつて若き日の己が犯した忌まわしき所業を思い出し、内心忸怩たる思いにとらわれてしまったのだった。

さて、人が人として生きて行く以上、好むと好まざるとにかかわらずおかしてしまいがちなこの種のあやまりについて、詩人中原中也は見事なアドバイスを行っている。

♪愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、それより他に、方法がない。(『春日狂想』)

そう。その通りだ。
だから真実の愛を求めながら、かつてそれを知らず、つかの間のアヴァンチュールと1日100回のオナニーに韜晦していた王子は、あえてフェイドラの虚言を肯うことによって「理想の愛」に殉じ、自らの醜い肉体をば、愛妻を奪われて復讐を誓う父王テセウスの前に投げ出し、兵士たちによってちょん切られた陰部を、自死したフェイドラへの犠牲として捧げたのである。

おお、それにしてもなんと哀れで、おぞましくも滑稽な空飛ぶ陽根よ!

そして言語劇として徹すれば歌舞伎風のピカレスクな演出など無用であったかもしれないこの舞台の掉尾に、天井裏からかすかに鳴り響くのは、

♪ああ我ら、よく死ぬことによって、よく生きようぜ!
ああ、てんでかっこよく死にたいな!

という、昔どこか遠いところで聴いたような陽明学的なラプソディであった。

1999年2月20日、この作品の原作者サラ・ケインは、うつ病の治療で入院していた病院で首を吊って死んだという。たった28歳で、まるで若きフェイドラのように……。
けれども私たち凡人は、フェイドラやヒッポリトスやサラ・ケインのように潔く人生に決着をつけることなど、到底できやしない。
ではどうしたら良いのだろう? 再び中原中也が答えてくれる。

♪けれどもそれでも、業が深くて、
なほもながらふことともなったら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから……(『春日狂想』より部分引用)

(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第57号、2007年8月29日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
佐々木眞(ささき・まこと)
1944年京都府生まれ。早稲田大学文学部卒。ライター、文化服装学院非常勤講師。
wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/sa/sasaki-makoto/

【上演記録】
サラ・ケインの『フェイドラの恋』(シアターΧプロデュース公演)
シアターΧ(2007年5月21日-29日)

原作 : サラ・ケイン
翻訳 : 芦沢みどり
演出 : 高瀬一樹
美術 : 伊藤雅子
衣裳 : 前田文子
照明 : 小笠原純
舞台監督 : 清水義幸
演出助手 : 森新太郎

キャスト:
立川三貴
立石凉子
朴ロ美(ロは王偏に路)
金内喜久夫

宮崎敏行 宮内洋
村上隆文 大野耕治
富永研司 蒲ゆかり
秋定史枝 織田あいか

チケット:一般:5,000円(全席指定)


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