◎物語のすき間から新たなイマジネーションを紡ぐ
木俣冬(フリーライター)
劇場を縦に貫く巨大な豪華客船の甲板。それを客席が三方に取り巻いている。開演前から汽笛の音などが微かに聞こえ、やがて俳優たちが数人、甲板に現れる。
物語は、勤務していたホテルをリストラされてしまったベテラン社員たちが、とある島に建設予定のリゾートホテルに再就職を斡旋され、その地へと向かう船旅の途中を描く。
リストラ社員のひとり、伏見(上村正子)は、ひとりでたたずむ石田(益田ひろ子)に話しかける。ふたりは明らかに「お友達」ではない雰囲気なのに、伏見は一方的に石田を「お友達」呼ばわり。「いるいる、こういう人」という感じが滲み出る。
伏見は前の職場で皆に煙たがられていたらしい。でも彼女はそれを自分の性格のせいだとは思っていない。ちょっと艶っぽい石田からもなんとなくワケありの雰囲気が漂っている。
噛み合わないふたりの会話から、旅の前途は不安定なものだと想像できる。実際、船上では、せっせと働く乗務員も同じホテルチェーンの従業員だったことが判明し、気まずい雰囲気に。どこか不透明な状況に、再就職先が本当に存在するのか? 実は隣接する病院に収容されるのではないか?などという疑惑が次第に渦巻いていく。
甲板前方にある地下客室に続く階段と、甲板奥のドアから、続々と甲板に現れは消える人達。彼らはそれぞれに主張をもっている。一匹狼の人、グループ行動をとる人、指示をする人、歯車となって働く人、マイペースな人、疑問を抱く人、すぐ泣く人、頑固な人、恋する人、困る人、観察する人、船酔いする人……等々、まさに集団の縮図だ。お互いなんとなく気を使い合いながら、時々分裂したりもする。
皆、先行きに不安を抱きながらもそれをあまりおおっぴらにはしない。それが大人のマナーってやつか。大人のプライドとも言えるか。それがかえって、彼らを奇妙な言動に走らせ、彼らの旅路に嵐を呼ぶ。
彼らの様子を「情景」と言いながら淡々と写真を撮り続ける左(小林博)の存在が、この物語は、44人の登場人物の言い分のどれにも傾かないものだとあらかじめ断っているようにも思えておもしろい。
岩松了は、混沌とした集団の中に、フラッと現れては消える意味ありげな女性・桑江(高階菖子)を投入する。黒いドレスを着て、つばの広い帽子をかぶり異彩を放っている彼女は、基本的には心中をあけすけに語ることのない人達の中で、ちょっとだけ核心めいたことを言い放ったり、逆に、他の登場人物たちが彼女の言動につられてつい本音を言ってしまうような誘い水的存在だ。
桑江は、登場人物だけでなく、見る者の思いまで引きずり出す。個人的には、思いというか妄想みたいなものを膨らませてもらった。たとえば、〈あなたたちは事情に踊らされているだけ〉と、リストラ社員たちを桑江が挑発する。リストラされた社員たちは、ホテルの跡継ぎの真(宅嶋渓)の温情によって再就職先を斡旋された。解雇も再雇用もすべて誰かの意志であり、自分たちの意志はそこにはない。そのように、世の中の人は、自分の意志で動かないで世論という事情に左右されているだけだと言っているのだと感じた。
さらに私はその部分に、この戯曲を演出した蜷川幸雄が、同じく演出したシェイクスピア『コリオレイナス』での、民衆たちの姿と重ねてしまった。
『コリオレイナス』では、共和制という国民の意思が政治に反映されるシステム下に生きている人々を描いている。この国民の意思というのが曲者で、彼らは個人だとそれなりに思慮があるが、集団になると雰囲気に呑まれて、時に暴徒と化す。蜷川演出は、あくまで個人の意志を貫く男が、集団の勝手さの餌食になる悲劇を強調していた。
『船上のピクニック』でも、人間って勝手で弱い生き物だよなあ……と嘆息しているようにも感じたのだ。それが、作家と演出家の共通点なのかなと。あくまで勝手にだが。
物語の中盤で乗員たちは9人の難民を救出する。後半は、乗員と難民、集団の対立を中心に描かれる。
言語の違う難民たちに対して乗員たちは、勝手な憶測をし、勝手に疑惑を募らせる。難民たちも難民で、少ない仲間だから結束し、常に全員が固まっているので、乗員たちに妙な圧力を与えてしまう。揚げ句、難民たちがよかれと思って「手をつなぎあおう」と言う意味らしく手をとりあって輪になって乗員たちを囲んで回ることで、乗員たちを恐怖に陥れてしまう。乗員と難民との関係は悪化、殺傷事件にまで及んでしまう。
ラストは血まみれの悲劇だ。余興のダンスのために白塗りでチュチュを着た青木(葛西弘)と藤田(倉澤誠一)が血にまみれながら無心に踊り続ける。その姿がフェイドアウトし、舞台は暗闇に包まれる。
こういう物語の流れを見ていて、何度も言うが勝手に、集団生活を営む人間達のどうしようもない勝手さとか弱さとかに対する、諦念なのか憎悪なのか怒りなのか、なんだかよくわからない感情の震えを覚えた。〈これが社会の縮図か!〉と、若い世代(といっても5、60代)に対して憤る老人・崎坂(中野富吉)に、思いを代弁させているのかとも思ったが、個人的な感情を勝手に動かされただけかもしれない。
何かと思わせぶりな描写だらけの戯曲。出演者達も、自分の役の歴史や内面が書かれていないので自分なりにサブテキストを作っていったと聞いた。
ちょっとしたことですぐ泣いてしまう山崎を演じた俳優(大串三和子)は、海の上を走るというそれこそ妄想を語る佐々木(遠山陽一)に対して、かつて、海の上を走って溺れてしまった子供の記憶が蘇って激しく拒否反応を起こしたと考えたそうだ。自分たちの子供の頃に、水上を渡る術を操る忍者映画が流行、子供達はそういう忍術に夢中になったという記憶から作りだした設定なのだとか。
そんな話も聞き、自分のどうしようもない思いの増長も含め、『船上のピクニック』は強力な妄想増幅装置だと考えたい。物語のすき間からこんなにも新たなイマジネーションを紡がれることが驚きだ。比べてはいけないが、泣いた、笑った、死んだ、生きた、恋した、別れた みたいなシンプルな物語ではなく、関わった人の分だけ果てしなく物語が増幅していく。
劇中「スタビライザー」という船の横揺れを防ぐ装置が出てきたり、デッキの上には万国旗が風に揺れていたり、女性達の衣裳にフレアースカートが多く、裾がユラユラと揺れていたり、「花が揺れる」という科白が出てきたりする。何もかもが揺れている…と思い始めると、そういえば岩松の戯曲『シブヤから遠く離れて』にはススキが登場する。本番では蜷川演出により枯れたひまわりになったが、ススキが揺れる代わりなのか蜷川は廃墟の屋敷のカーテンを揺らしていた。岩松が演出も手がけた『マテリアル・ママ』では鳥かごが揺れていた。『スターマン』ではワイングラスが震動していた。岩松の描く世界はいつも揺れている……、それは既出の解釈だった気もする。
しかし揺れを描く作家本人は揺れていない。見る者の妄想を膨らませるすき間は、揺れていないと折れてしまうのであえて揺れを作り出す歩道橋のように設計され尽くされている。お茶の間とかひと部屋の中で蠢く人間の姿を緻密に描くことが多い岩松だが、空間が船上のように大きくなって、登場人物が44人と増えても(岩松の代表作・群像劇『アイスクリームマン』は20人強だった)、彼が導き出したすき間効果は絶大だった。
しかしこの舞台はこれで終わりではない。
岩松が周到に用意した人間のすき間をみごとに埋めていた存在-44人の俳優の存在で、この舞台は完成した。演者は56歳から81歳までの実際に年輪を経てきた俳優たちだ。蜷川幸雄が昨春に発足した55歳以上の男女を集めた劇団の第一回公演だった。演劇経験のある人もない人も含め1000人以上のオーディションで選ばれた彼らは、一年間プロとして活動するためにレッスンをしてきた。
いるだけで、ベテラン社員という設定にリアリティーが出るし、戦争体験や事業を営んでいる体験、介護、病、老いなど、様々な人生経験が滲み出る。多少科白がたとたどしくとも保ってしまう。難民役の人達には、英語でビジネスをしている俳優がキャスティングされていたりして、外国語の使い方もはまっていた。
リアルに大人のマナーやプライドを抱えて舞台に立っている。演出家のねらいがみごとにはまったと言えるだろう。
彼らが、背筋を伸ばして船上パーティーでダンスを踊った時、その生命力の強さは、すき間や揺らぎなどをギュウギュウに埋め尽くしていた。
たとえば、この戯曲を若い俳優が高齢者を演じて行うことは果たしてできるだろうか。
演じる者の人生経験の深さを問われてしまう厳しい戯曲。様々な55歳以上の人達の人生確認テキストとして日本だけでなく世界にまで浸透させたらいいかもしれない。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第56号、2007年8月22日発行。購読は登録ページから)
【筆者略歴】
木俣冬(きまた・ふゆ)
フリーライター。映画、演劇の二毛作で、パンフレットや関連書籍の企画、編集、取材などを行う。キネマ旬報社「アクチュール」にて、俳優ルポルタージュ「挑戦者たち」連載中。蜷川幸雄と演劇を作るスタッフ、キャストの様子をドキュメンタリーするサイトNinagawa Studio(ニナガワ・スタジオ)を運営中。個人ブログ「紙と波」
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kimata-fuyu/
【上演記録】
さいたまゴールド・シアター 第1回公演『船上のピクニック』
彩の国さいたま芸術劇場 小ホール(2007年6月22日-7月1日)
●作: 岩松 了
●演出: 蜷川幸雄
●出演: さいたまゴールド・シアター
石川佳代、宇畑稔、大神信、大串三和子、小川喬也、小渕光世、葛西弘、加藤素子、神尾冨美子、上村正子、北澤正昭、倉澤誠一、小林允子、小林博、佐藤禮子、重本恵津子、柴田紘子、関根敏博、田内一子、高階菖子、高田誠治郎、高橋清、滝澤多江、宅嶋渓、竹居正武、谷川美枝、田村律子、茅野弘子、寺村陽子、遠山陽一、徳納敬子、杜澤充英、中島栄一、中野富吉、永橋敏子、中村絹江、西尾嘉十、林田惠子、百元夏繪、美坂公子、宮田道代、森下隆一、森安恵、吉久智恵子、渡部純二、渡邉杏奴(五十音順)
●料金: 全席指定 2,500円(税込)
第1回中間公演「Pro・cess ~途上~」より
第2回中間公演「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」より