◎「劇作」と「文体」と、創作に必要な在り得べき「姿勢」の在り方の問題について
矢野靖人
3月1日(土)、座・高円寺劇場創造アカデミー4期生修了上演、エドワード・ボンド作「戦争戯曲・三部作」通し上演を観劇。
私たちshelfの前回公演「nora(s)」(2013年10月初演、第20回 BeSeTo演劇祭 BeSeTo+参加作品、日韓共同制作)の制作助手(兼通訳・翻訳)の任を担ってくれたアマンダ・ワデルが演出部としてこのプロダクションに参加していたのがこの上演を観に行ったいちばんの理由だった。そしてshelfが過去に京都アトリエ劇研で公演やワークショップを行った際にたびたび世話になった俳優・森衣里や、フリーぺーパー「とまる。」の元編集長の高田斉君もこの上演にそれぞれ俳優、演出部として参加していて、彼/彼女らの仕事を見届けたかったのと、あとはぜんぜん別な関心事として座・高円寺の「芸術創造アカデミー」というところがどのような事業を行っているのか。それにも興味があって、マチネ・ソアレの通し上演を観劇した。
この公演、タイトルは「戦争戯曲集・三部作」とあるけれど、マチネAプロが一部として『赤と黒と無知』、『缶詰族』の二作を上演し、第二部をBプロとして同日に『大いなる平和』を連続上演するという、まことにまあ野心的というか、とても無謀な企画であった。途中休憩はあるものの、上演時間7時間超という大作を観るのは、歌舞伎の通し狂言でもなければ今日日まったく稀れな体験であって、非常に得るものが多くあった。そのような意味で観に行って本当に好かった。クロニクルというか、年代記とでもいうのか。7時間超という長い時間を通してしか得られない体験が、舞台芸術には確かに在る。それが身体で分かっただけでも実に僥倖であった。



![[撮影=片山幹生]](http://www.wonderlands.jp/wp-content/uploads/GudebookRadio03-200x189.jpg)
