サンプル「女王の器」「自慢の息子」評に応えて

◎生きる「物語」人間
 松井周

 4月11日掲載の山崎健太さんと前田愛美さんの「女王の器」評及び5月2日掲載の西川泰功さんの「自慢の息子」評に対して、サンプル主宰で作・演出の松井周さんが論考を書いてくださいました。上演された作品の劇評、その劇評への作り手からのさらなる言葉という往復運動によって、新たな演劇的磁場が立ち上がりを見せるのではと考えます。(編集部)
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toi presents 「あゆみ」

◎演劇の「交換可能性」と「単独性」
松井周(サンプル主宰、劇作家・演出家・俳優)

「あゆみ」公演チラシ「私はどこにでもいる他の誰かと変わらないありふれた存在だ」という感覚は、誰でも感じられることのように思える。これを仮に「交換可能性」と呼ぶ。また、「私はただ一人であり、他人もそれぞれ唯一の存在だ」という感覚も誰でも感じるであろう。これを「単独性」と呼ぶ。この二つは相反する概念のようでありながら、演劇においては実はあまり矛盾しないかもしれない。

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Port B「東京/オリンピック」

◎「東京」の向かう先はどこ? 「東京」と「オリンピック」を「走る」
松井周(サンプル主宰)

「東京/オリンピック」チラシPort Bツアー・パフォーマンス第2弾『東京/オリンピック』を観た。というより、体験した。はとバスに乗って東京を廻るわけだから、観劇というよりは観光である。街頭劇と呼ばれるものともやや趣が違うように思った。街頭劇というものを観たことがないので自信はないが、街頭劇が街中にパフォーマーがいたり仕掛けがあるものだとしたら、今回の場合はそれとは異なり観客である私たちがパフォーマーであることを意識させられる催しだったように思う。「ツアー・パフォーマンス」という名前は、だからとてもしっくり来た。

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マレビトの会「Cryptograph」(クリプトグラフ)

◎まとめようとすると落ちこぼれる 「報告する演劇」の生成現場
松井周(サンプル主宰)

公演のポストカードから京都のアトリエ劇研でマレビトの会『Cryptograph(クリプトグラフ)』を観た。
どうもうまくまとまらない気がするが、まとめようとすることでこぼれおちるものがあると考えれば、その言い訳で乗り切れるだろうか。この作品の終演後に作者の松田正隆氏とポスト・パフォーマンストークをしたのだが、その時はもちろんのこと、まだ落ち着かない。とにかく今でも作品のイメージが乱反射していて、とても手に負えない気がする。それほどインパクトの強いものであったのだ。

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MU「きみは死んでいる/その他短編」

◎風通しの良さと揺るぎない自信 反転する演劇における「死」
松井周(サンプル主宰)

「きみは死んでいる/その他短編」公演チラシ演劇で「死」を扱うのは難しい。死体であることを観客に了解させるためにどのように舞台上の世界を作るかは、演出家にとってとても頭を悩まされる課題であるように思う。今回観たMUの『きみは死んでいる/その他短編』は、その課題をアクロバティックな形で表現していた。

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ポかリン記憶舎「息・秘そめて」

◎方法論と内容が一致した幸福な舞台 おおらかな「笑い」に開放感
松井周(サンプル主宰)

「息・秘そめて」公演チラシポかリン記憶舎の「息・秘そめて」(作・演出:明神慈)を観た。
ポかリン記憶舎の作品は元々独自の世界を形成していて、「地上3cmに浮かぶ楽園」と名付けられたその世界は、日常と非日常の間のぼんやりした「あわい」の世界である。日常の喧噪がシャットアウトされた中で、着物美女がたゆたう様は、男性の視点で言えば(その視点は意識されているように思うので)、新しいリラクゼーションスポットのような「癒しの空間」を創り出していた。しかし、今回の作品にはそれだけでなく、おおらかな「笑い」が組み込まれていたように思う。このような変化がいつ頃から起こったのか、近作を観ていない私には判断できないのだが、少なくとも今作品においては、それが成功しているように思えた。

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青年団「別れの唄」(日仏合同公演)

◎揺らぐ「主体性」を取り込み楽しむ 演技の「質」を高めた舞台
松井周(青年団、「サンプル」主宰)

青年団「別れの唄」(日仏合同公演)チラシ平田オリザの作品をフランス人のロアン・グットマンが演出した『別れの唄』を観て、「現代口語演劇」について考えてみたいと思った。

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キラリ☆ふじみで創る芝居「耽餌(たぬび)」(作・演出:下西啓正=乞局)

◎全てが自己完結した者の「自我」 屹立する「乞局」の世界
松井周(青年団リンク「サンプル」主宰)

「耽餌」公演チラシ今回の公演は純粋な乞局の公演ではないが、乞局で上演した作品『耽餌』の再演でもあるので、やはり、世界は乞局であった。「キラリ☆ふじみで創る芝居」と冠されたこの舞台は、13人の登場人物の内、10人近いメンバーをオーディションにより選出したらしい。その甲斐あってかどうかは私にはわからないが、乞局の世界を、その世界が持つポテンシャルを目の当たりにすることが出来たと思う。俳優の演技の質は高く、癖のある下西氏の文体を見事に消化していて、乞局の世界に流れる独特のトーンを途切れることなく体現していた。つまり、面白かった。しかし、これはその世界に入っていきたくなったとか、登場人物に感情移入できたとかいうことを意味しない。あくまで乞局の世界は乞局の世界で屹立していた。その屹立ぶりを改めて確認することが出来たのが、今回の収穫だった。

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ポツドール「恋の渦」

◎舞台の上に充満する「空気」 内在化された想像上の他者の視線
松井周(青年団リンク「サンプル」主宰)

「恋の渦」公演のチラシポツドール的なるものを挙げるとすると、以前なら例えば暴力やエロといった言葉が浮かぶこともあっただろうが、今となってはそういったことを切り口にポツドールを捉えようとしてもどこか本質を取り逃がしてしまう気がする。本質というと何か実体がありそうだが、そういうものでもなく、あえて言うなら「空気」と呼ぶような目に見えないものである。舞台の上に充満する「空気」を感じるために私たちはポツドールを観ているのだろう。観客だけでなく、俳優、スタッフ、演出も含めて全ての者がその「空気」に奉仕しているような感覚を受ける。

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