Port B「東京/オリンピック」

◎「東京」の向かう先はどこ? 「東京」と「オリンピック」を「走る」
松井周(サンプル主宰)

「東京/オリンピック」チラシPort Bツアー・パフォーマンス第2弾『東京/オリンピック』を観た。というより、体験した。はとバスに乗って東京を廻るわけだから、観劇というよりは観光である。街頭劇と呼ばれるものともやや趣が違うように思った。街頭劇というものを観たことがないので自信はないが、街頭劇が街中にパフォーマーがいたり仕掛けがあるものだとしたら、今回の場合はそれとは異なり観客である私たちがパフォーマーであることを意識させられる催しだったように思う。「ツアー・パフォーマンス」という名前は、だからとてもしっくり来た。

観客はまず巣鴨の商店街の入口に受付でMP3プレイヤーとストップウォッチを渡され、首から提げるように指示を受ける。そして、「おばあちゃんの原宿」巣鴨通り商店街をぶらぶら散歩し、とげ抜き地蔵のある高岩寺に集合する。時間になると、首からぶら下げたストップウォッチがそこかしこで鳴り出し集合時間を告げる。手に小旗を持ち黄色いユニフォームをまとったバスガイドが現れ、私たちをはとバスに案内し、ツアーがスタートした。5時間30分の『東京/オリンピック』ツアー。

バスガイドは三人いた。私たちを案内した黄色いユニフォームの人がPortBの俳優であるニセバスガイド、他の二人はベテランの元バスガイド、現役新人のバスガイドであることがバスの中で説明される。まず向かう先は原宿竹下通り。巣鴨とは「原宿」つながりだ。そこから代々木競技場、国立競技場、武道館、東京ドームシティ(元後楽園アイスパレス)、上野、秋葉原、お台場(首都高速)をめぐり、西巣鴨までという行程である。一見、東京オリンピックとは関係ないような上野や秋葉原も含まれているが、現在の東京を体感するという意味があったのかもしれない。その他にはとバスとは別行動のカメラマンの男の人と戸田競艇場(東京オリンピックのボート競技会場)から電話をかけてくる女の人がいることがわかる。カメラマンの人は別の交通機関を駆使して、はとバスを、あるいはバスを降りた私たちメンバーを追いかけ、写真に納める。都電に乗りながら並行するはとバスを撮るためにタイミングを計るのは相当困難だったに違いない。また、競艇場にいる女の人は車内に電話をかけてきて、ツアーメンバーに今日のレースを予想するように求める。当たればその分私たちにキャッシュバックがあると言う。そのレースの実況は後にバスの中で流れた。「頑張れ頑張れ」と小声で実況する声も空しく、大ハズレであった。

竹下通りや秋葉原のゲームセンターでは、私たちはMP3プレーヤーを聴きながら歩いた。流れてくるのはその場所に集う人たちのインタビューである。スカウトマンであったり、ゲーマーであったり。インスタレーションとして空間を捉えることで、その景色に対する焦点の当て方が今までと違ってくる。

「東京/オリンピック」1

「東京/オリンピック」2
【写真は「東京/オリンピック」から。撮影=bobu 提供=Port B 禁無断転載】

また、代々木競技場で記念撮影をしたり、武道館(その日は外国のロックコンサートのためバスは止められなかった。矢沢永吉のコンサートの日もあったらしい。その観客たちがエントランスに近づくはとバスに奇異の目を向けていたのがおかしかった)や国立競技場(神宮)を廻ったりすると、東京オリンピックの開催された1964年と現在がいかに隔てられているかを感じた。そうは言っても歴史的な価値があると言えるほど遠くなく、しかし斬新とは言えない、ほどほどに老朽化しているそれらの建物は中途半端という言葉が似合う、つまり忘れられた存在だった。途中で車内に東京オリンピックのマラソンのゴール間近、円谷幸吉が後ろから来たイギリスの選手に抜かれるところの実況中継が流れたり、元バスガイドが円谷幸吉の有名な遺書を読み上げたりする場面もあり、1964年にはまだ生まれていない私でも感傷的な気分に襲われた。何故かと考えると、やはり元バスガイドの存在が大きいように思う。彼女は私の親世代であり、多分私は親の青春時代を想像しているのであろう。彼女のガイドにはベテランとしての余裕と誇りが感じられた。そのことがかえってこちらを感傷的にさせているのである。この辺で自分がこのツアーの作為に乗せられていることを意識し始めた。つまり、私たちは、元バスガイドも私も親もみんな、とにかく「走って」いるということ、そのことを意識させられるのである。

ベテランの元バスガイドからバトンタッチされた現役新人バスガイドも、元バスガイドから横でチェックをされていて明らかに緊張しているのだが、きちんとガイドをやり遂げていた。ツアーが終わりに近づくと、ニセバスガイドが彼女たち二人と車内のモニターで首都高バトル(はとバスが首都高速を走っているとき)をプレイした途中参加のゲーマーに、インタビューする時間があった。話題は2016年の「東京(?)オリンピック」。これがまたそれぞれギャップがあって面白かった。見事に三者三様なのだ。私たちは「東京」の向かう先はどこなのか?と考えざるを得ない。

そのように思考し始めると、途中何度か流れる「素晴らしい。素晴らしい。はとバスが走っていきます。はとバス頑張れ」というようなナレーション(正確ではない)が重みを増してくる。最初は何でもなかったのだが、何度か繰り返される度に、東京オリンピックのマラソンの実況中継とリンクしてきて、ただ前を向いてじっと座っているのが息苦しく感じられてくる。つまり、「東京」がどこに向かうかではなく、「私たち」がどこに向かうかということなのだ。パフォーマーは「私たち」だということに気づく。そして、「東京」を舞台に走らされている「私たち」自身を省みる。あるいは、「私たち」は「東京」を観光していたつもりが、実は「東京」が「私たち」を観察しているような感覚に陥るのだ。記念写真で笑っていた自分を思い出して恥ずかしくもなる。やられた。しかもこの「私たち」は何もツアー参加者のみを意味するのではなく、都民、国民までも含むだろう。しかし、だからと言ってこのツアーが警鐘をならす的な、一方的なものとは言えない。あのナレーションはアイロニーなのだ。例えば、サンシャイン60の横をバスが通るとき、最後にまたこのナレーションが巣鴨プリズンの跡地に建てられたという解説とともに流れる。しかし今度は、そうやって歴史を作るしかない、「走る」しかないという気持ちも湧いてくる。もちろんすぐ後に「幸吉はもう疲れ切ってしまって走れません」という円谷幸吉の言葉が覆い被さりもするわけだが。

そんなクライマックスの高揚感を抱えながら終点にたどり着き、幕は下りる。本日の公演は終了。興奮冷めやらないパフォーマー(=ツアー参加者)たちは打ち上げ会場であるにしすがも創造舎に向かう。そんな段取りであった。

Port Bのいわゆる舞台作品をまだ観たことがないのだが、とても期待度があがった。心地よく演出されたという気分である。窮屈な演出ではない。むしろ逆だ。今回ここにも書ききれなかったイベントはまだ数多く存在し、こちらはのんびりとあらゆる方向に想像を膨らませていたように思う。本稿も私個人の想像の筋道に過ぎない。でも、だからこそ高山明氏の演出力が優れていると言いたいのである。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第74号、2007年12月26日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
松井周(まつい・しゅう)
1972年東京生まれ。明治学院大学社会学部卒。1996年俳優として劇団青年団に入団。その後、劇作と演出も手がける。「通過」、「ワールドプレミア」が日本劇作家協会新人戯曲賞入賞。青年団所属。「サンプル」主宰。
・wonderland寄稿一覧: http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/matsui-shu/

【上演記録】
Port B ツアー・パフォーマンス 第2弾「東京/オリンピック」
2007年 11月22日(木) 28日(水) 12月2日(日) 3日(月) 8日(土) 9日(日) 13日(木) 16日(日) 19日(水) 23日(日)

構成・演出:高山明
リサーチ・ツアーサポート:
暁子猫、井上達夫、宇賀神雅裕、内部美玲、郷田真理子、高山明、林立騎、三行英登
技術:井上達夫、宇賀神雅裕、三行英登
ドラマトゥルク:林立騎
制作:高山暁子
制作協力:恵志美奈子、藤井慎太郎 (早稲田大学)
宣伝美術:三行英登

ツアーガイド:
元はとバスガイド・及川光代さん
現役のはとバスガイドさん
Port B

主催:Port B
助成:芸術文化振興基金
協力:
株式会社はとバス
早稲田大学グローバルCOE「演劇・映像の国際的教育研究拠点」
巣鴨地蔵通り商店街振興組合
にしすがも創造舎(豊島区文化芸術創造支援事業)


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