toi presents 「あゆみ」

◎演劇の「交換可能性」と「単独性」
松井周(サンプル主宰、劇作家・演出家・俳優)

「あゆみ」公演チラシ「私はどこにでもいる他の誰かと変わらないありふれた存在だ」という感覚は、誰でも感じられることのように思える。これを仮に「交換可能性」と呼ぶ。また、「私はただ一人であり、他人もそれぞれ唯一の存在だ」という感覚も誰でも感じるであろう。これを「単独性」と呼ぶ。この二つは相反する概念のようでありながら、演劇においては実はあまり矛盾しないかもしれない。

元々戯曲というものは「交換可能性」を前提に書かれている。誰がどの役を演じても構わないわけだ。それで何千年も何百年も生き残って来ているわけで。また、「演じる」という行為そのものが「私」という垣根を取り払い、「他者」になろうとする行為なのだから、「交換可能性」とは演劇の代名詞のようでもある。

しかし、例えば舞台上の俳優たちがさしたる理由もなく次々と役柄を代えていったらストレスを感じる観客がいるかもしれない。「誰がどの役なのかわからない」という理屈がそこにあるだろう。つまり、この観客が俳優に要求するのは、俳優自身と役柄を同一に見ようとする「装われた単独性」だ。それが確保されていないと、感情移入できないという感覚。そして、俳優側の欲望としてもそれはある。役柄を自分に引き寄せるなり、自分が役柄に近づくなり、どちらにしても「単独性」を獲得したいと願う。しかし、これも元々「演じる」という行為の「交換可能性」を前提にしての欲望であることを忘れているのだと思う。その前提を元に考えれば、これも「装われた単独性」を求めることになる。ここで言う純粋な「単独性」とは「みんなと同じようにやっていたつもりだったけど、俺だけ違うんだ。わからなかった。」と言ったりする時の、本人にはよく意識できないその人固有の身体性のことを指している。この「交換可能性」と「単独性」をめぐってしきりに考えさせられた舞台がtoiの『あゆみ』である。

ほとんど素舞台に近い舞台で、奥に白く大きいスクリーンのような布が一枚かかっているだけ。物語上の主要人物は一人の女性。彼女が初めて歩いた時から物語が始まる。父と母がそれを見守る。彼女は右から左へ歩いていく。父と母もそれを追う。そして白い布の裏側に去っていく。彼らの動作とクロスするように、また一人の俳優が他の俳優に手を引かれながら、右から左へと歩いてくる。スクリーンの前で立ち止まると、手を引いてる者におもちゃをねだる。手を引く者はそれを聞かずに手を引っ張って左へ歩いていく。すると、今度はまた二人の俳優が現れて、一人が別のおもちゃをねだる。先ほどのおもちゃより若干年齢層が高そうなおもちゃを。そしてまた二人は左へ去っていく。すると、また・・・

このループが続くうちに、これは親子二人の会話を異なる十人の女優達がバトンタッチしながらリレーをしていることがわかってくる。連続した時間である場合も何年かの時間が経過している場合もある。親子だけでなく、時には友達、犬なども含めて全ての役が歩き去ることによって、歩み寄ってくる後続の女優達にバトンタッチされていく。

「あゆみ」1
「あゆみ」2
「あゆみ」3

「あゆみ」4
【写真は「あゆみ」公演から。撮影=ドラゴン・ヤー 提供=toi】

会話の内容はとてもベタなものである。幼い頃、犬がついてきたから家に入れてしまったけど父に「飼ってもいいか」と聞く場面であったり、仲のいい友達を裏切ってしまったり。そのことを一瞬悔やんで立ち止まる主人公の背中を押す友達は「数ⅡB」(?確かではありません)の話題を振るところから、もう高校生になっていることがわかり、あっという間に時間が経過している。そこから今度は、憧れの先輩への告白→言えずじまい、上京、OL時代、結婚、出産、育児、親の死などの場面がループしていく。先にベタと書いてしまったが、改めて言い直すと、突出して平凡と言える。それは誰もがどこかで経験したかもしれないと思わせる、つまり経験してなくてもそう思わせてしまうような純度の高い会話であり、その切り取り方、貼り合わせ方が舌を巻くほどうまい。どことなくスタジオジブリの映画を思わせる。

チェルフィッチュの岡田利規氏が桜美林大学の学生と創ったOPAPの『ゴーストユース』も形式は『あゆみ』と似ていた。主には、多くの学生が一人の三十五歳の主婦の時間を生きようとする試みであったように思う。どちらも一つの役についての「交換可能性」を探る実験ということで似ている。
しかし、『あゆみ』のように次から次へと俳優が入れ替わるわけではなく、ある程度の時間が俳優に与えられていた。その時間の中で俳優は役柄との距離を埋めようと試みる。徐々に現れてくる俳優自身の身体性が役柄のディテールを作りあげようとする。しかし、他の俳優も同じ試みをすることにより、観客は一人の主婦像をイメージすることを切断される。俳優それぞれの身体性のズレがノイズとなるからである。ただ、そもそも「単独性」とは俳優固有の身体を指す言葉であり、役柄という概念は観客が俳優を観るときに幻視するものという観点からすれば、複数の「単独性」と「交換可能性」は矛盾しなくなる。一人の人間が別の場所では違う顔を見せるということは私たちの中でそんなに違和感なく想像できる。

では、『あゆみ』の場合はどうか?
早いときには二言、三言で俳優が交代していくことを考えてか、歩くことと会話のシンプルさに非常に神経を使っていたように思う。歩くスピードや歩き方を前後の者で合わせることでリズムを作りだす演出により、観客はアニメーションのコマのように残像をつなげていくことが出来る。また、会話自体のシンプルさも人物の関係性を観客にわかりやすく想像させる。つまり、俳優固有の身体が出現することを最小限に食い止めること(「単独性」の抑圧)で、「交換可能性」を引き出していた。様々な俳優が一人の役柄を演じながらも、その役柄は統合されたわかりやすい主体として、はっきりと観客に伝わる。
ただ、いくつかのシーンで俳優達は止まる。そこでは俳優も切り替わらずに会話をする。俳優の固有の身体が出現してくる。ここに違和感があるかというと、そうでもない。何故なら役柄の移動をずっと追いかけてきた観客の想像力を少し休めてくれる場面でもあるからだ。しかし、俳優の固有の身体とベタな台詞のバランスは多少危うくなる。それでも俳優が歩き出せば消え去るのだが。

後半になって、主人公の女性は山登りをすることになり、今までとは逆に左から右へと俳優を交代しながら歩き始める。鼻歌を歌いながら歩いていくと、他の俳優達が右から左へ、今までの様々なシーンを演じながら、歩いてくる。言わばフラッシュバックするシーンの中で、今まで提示されなかったシーンが挟まっていることに観客は気付かされる。裏切った友達と和解したこと、憧れの先輩が女であったことなどが明かされる。キャストが全員女性であることを逆手に取ってのアイディアであり、主人公の役柄が少しだけ修正される。と、観ることも可能だがもう一つの可能世界を示したSF的な、あるいは妄想的なものと想像することも可能だ。この辺は「交換可能性」の面白さが現れていた。もしかしたらここから全てが「交換可能性」の海というか、メチャクチャな発想の飛び方をするかもという予想もあった。しかし、主人公はきちんと家族の待つ家に帰っていく。その辺の抑制にも作家の余裕を感じた。

最後は看護師(?)に付き添われた主人公が覚束ない足取りで、右から左へ歩いていく。そこにリズム音が重なる。彼女を追い越したり、すれ違う者たちや回想の自分などが様々な歩き方、別のリズムで重なる。ダンスシーンのようでもある。そのポリリズムが終わると、彼女は一人で最後の一歩を踏み出して、暗転する。

選りすぐられた平凡なエピソードの積み重ねにより浮かび上がる最大公約数的な女性の一代記を、複数の俳優が厳格なシステムにのっとって作りあげたということの非凡さが『あゆみ』の特徴であった。

「装われた単独性」が、俳優と役柄は一対一の関係であるという認識を指すとすると、ここに挙げた二つの作品はそこを疑い、「交換可能性」という前提にもう一度戻ってみることから始めたと見ることが出来る。そこで初めて「装われた単独性」と「単独性」の区別もつく。「演じる」という前提から全ては始まっていますよというルールの確認のようなものだ。だから、「単独性」とは「交換可能性」という視点からの演出手法を取りいれたときのみに発見されるものだと思う。「装われた単独性」を追求して作品を創ることを非難したいわけではない。僕自身も作品を創るときにそれを手放そうとは思わない。しかし、「交換可能性」にさらされて、その限界で受け身として見出される「単独性」に惹かれてしまうのは確かだ。

『あゆみ』という作品では「単独性」が抑圧されていると先に書いたが、それでもこぼれおちる俳優の身体性はあって、歩き方や喋り方は俳優によってかなり違う。しかし、それも「交換可能性」の強固なシステムによって縛っているからこそ改めて見出されるものであったように思う。演出家がそのこぼれ落ちたものを積極的に捉えているのか消極的に捉えているのかの判断は難しい。どちらの面白さも現れていたように思うから。もしかしたら迷っていたのかもしれない。それでもこれだけ刺激的な作品に出会えたことは、大きな喜びであった。

【筆者略歴】
松井周(まつい・しゅう)
1972年東京生まれ。明治学院大学社会学部卒。1996年俳優として劇団青年団に入団。その後、劇作と演出も手がける。青年団所属。「サンプル」主宰。次回サンプル公演「家族の肖像」8月22日(金)~31日(日)、五反田アトリエヘリコプターで。

【上演記録】
toi presents 3rd「あゆみ」
こまばアゴラ劇場(6月18日-24日)

作・演出:柴幸男[青年団演出部]
出演:
黒川深雪[InnocentSphere]
宇田川千珠子[青年団]
内山ちひろ[インパラプレパラート]
小澤恵[劇がく杜の会]
斎藤淳子
桜井美弥乃[プロダクション・タンク]
高橋ゆうこ
立蔵葉子[青年団]
端田新菜[青年団]
廣野未樹[Unit woi]

スタッフ:
舞台監督=金安凌平
音響=星野大輔
照明=森友樹
照明操作=古川睦子
身体アドバイザー=野上絹代 [快快]
宣伝美術=セキコウ
制作=ZuQnZ
プロデュース=宮永琢生

アフタートーク詳細:
6月18日(水)19:30 GUEST/岸井大輔氏 [POTALIVE]
6月19日(木)19:30 GUEST/杉原邦生氏 [KUNIO/木ノ下歌舞伎/’g/こまばアゴラ劇場 次期サミットディレクター]
6月20日(金)19:30 あゆみキャストオールメンバー

チケット料金:
前売・当日   2,000円
ペアチケット  3,000円 [日時指定 2枚]
平日マチネ割引 1,500円 [6/20(金)14:00 & 6/24(火)14:00]
「あゆみちゃん」&「あゆむくん」招待
※名前が「あゆみ」、もしくは「あゆむ」の方は特別招待。

企画制作 toi/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
主催 (有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
協力 青年団/InnocentSphere/インパラプレパラート/劇がく杜の会/プロダクション・タンク/Unit woi/Mrs.fictions/快快/RIDEOUT/and more…


「toi presents 「あゆみ」」への3件のフィードバック

  1. ピンバック: 薙野信喜
  2. ピンバック: Maki
  3. ピンバック: かるり

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