キラリ☆ふじみで創る芝居「耽餌(たぬび)」(作・演出:下西啓正=乞局)

◎全てが自己完結した者の「自我」 屹立する「乞局」の世界
松井周(青年団リンク「サンプル」主宰)

「耽餌」公演チラシ今回の公演は純粋な乞局の公演ではないが、乞局で上演した作品『耽餌』の再演でもあるので、やはり、世界は乞局であった。「キラリ☆ふじみで創る芝居」と冠されたこの舞台は、13人の登場人物の内、10人近いメンバーをオーディションにより選出したらしい。その甲斐あってかどうかは私にはわからないが、乞局の世界を、その世界が持つポテンシャルを目の当たりにすることが出来たと思う。俳優の演技の質は高く、癖のある下西氏の文体を見事に消化していて、乞局の世界に流れる独特のトーンを途切れることなく体現していた。つまり、面白かった。しかし、これはその世界に入っていきたくなったとか、登場人物に感情移入できたとかいうことを意味しない。あくまで乞局の世界は乞局の世界で屹立していた。その屹立ぶりを改めて確認することが出来たのが、今回の収穫だった。

今回の舞台装置は「路地」である。
アパートと蕎麦屋の裏口と工場のような建物がぐるりと囲んだその場所には、ベンチが置かれている。アパートの横には、原形をとどめていない首塚がある。全ての建物が古びていて、どこかノスタルジックな風景である。そこに、新生児の首の骨を折って殺した罪で服役していたヌエという女が、付き人(再犯防止と警護を目的に元犯罪人に付きそう公務員)の男と共に、出所後初の住居として、アパートにやってくる。そのアパートには、離婚しながらもセックス目的で付き合うタクシー運転手同士のカップルや自分をナイフで刺した後、不登校になった教え子に個人的に勉強を教える中学校の女教師や、隣の蕎麦屋で働く男が住んでいる。

この風景と明らかに低所得層に属する人々から連想するのは、人によっては、映画『男はつらいよ』かもしれないが、人によっては、根本敬の漫画だろう。乞局は明らかに後者の方向に向かう。

蕎麦屋で働く男はヌエに興味本位の視線を浴びせることを隠さないどころか、自分の借金苦のために脅迫まがいの要求も辞さない。女教師は教え子にデタラメばかりを教える。それが彼女の復讐なのだ。またヌエに子供を殺された夫婦は、付き人のいない隙を狙ってヌエに近づき、ヌエの様子をビデオに撮りながらねちねちと責め立てる。こちらは復讐というよりもどこか快楽的ですらある。タクシー運転手のカップルはセックスに明け暮れて夜な夜な声を張り上げる。そんな光景が繰り広げられる中で、時折、首塚が奇妙な音をたてる。

「耽餌」公演1
「耽餌」公演2

「耽餌」公演3
【写真は「耽餌」公演から。撮影=青木司 提供=富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ】

この作品に現代の病理を読み取るという視点で解釈をすることは、可能だろう。彼らを現代日本の迷惑で哀れな隣人として捉えるならば。しかし、そのように解釈してしまうと、この作品を私たちから遠ざけてしまうし、こぼれ落ちるものが多すぎる。何より、つまらない。テーマパークにいるネズミのぬいぐるみたちに私たちが夢を託すのと同様に、この作品の登場人物たちに私たちのひそかな欲望を代弁させてもいいと思う。

『耽餌』の登場人物たちは、付き人を除いて、皆どこか人格的に歪んでいるし、彼らの行動にはためらいや葛藤がない。自分の欲望に忠実に行動する。その欲望が正しいのか正しくないのか、瞬間的か継続的かの判断に迷うこともない。反省もない。そして、常に誰かに関心を抱いている。それが下心であったり、あからさまな差別心であったり復讐心であったりと、ほとんど負の方向の関心ではあるが、それらを他人に直截にぶつけてやまない。ためらいや葛藤もなく、清々しいほどである。こう言い換えてもいい。彼らにはリミッターがないのだ。リミッターがないために、どこまでも自分の欲望を、その純度を下げずに、行動につなげる。

では、彼らの欲望はどのような倫理観に基づいているのか。
一見、「善意」をふりまく人物もこの舞台に登場する。不登校の女子中学生に心を寄せる男子中学生は学校で配布されたプリントを届けようとする(唯一の美しいエピソード)。しかしながら男子中学生は、どうやら女子中学生の足やパンツなどのパーツに興味を持っているらしく、女子中学生もそのことをわかっているようで、足蹴にする(ただ、この女子中学生は他の者に彼が馬鹿にされると怒りを露わにする。自分だけが彼を罵る資格があると言い張る。まるで恋の告白のように。このすれ違いながらも相手を認める関係は、秀逸であった)。

つまり、ここが乞局の芝居の乞局らしさであると思うのだが、彼らは「悪意」や「善意」と呼べるほどの強い信念は持ち合わせていないように見える。何故なら、「悪意」や「善意」を形成するためには嫉妬したり、憎んだり、あるいは、尊重し、思いやる「他者」が必要なわけだが、彼らは、「他者」を参照しない。欲望が自己完結している。

「他者」を参照するということは、参照する対象からフィードバックされる情報を元に「自我」を形成し、場合によっては修正していくことと言い換えてもいいかもしれない。倫理観というものも「自我」と同じ起源を持つと考えられる。しかし、彼らにはそういう意味での「自我」は存在しない。例えば、ヌエという人物は子供の首を折る音が聞きたいという欲望とそれを押しとどめようとする理性が対立するように見えて、実は、その理性は欲望を高めるための「言い訳」のようなものでしかない。つまり、常識や社会のルールや彼女を取り囲む人間関係などの大枠の「他者」は彼女の欲望と拮抗することはない。あくまで味付けにすぎない。
この全てが自己完結した者の「自我」を何と呼べばいいのだろうか。

例えば、以前ポツドールの劇評(注)に書いたように、その場所にいる集団の関係により「空気」の流れが決まるということがある。この場合は「他者」を参照し過ぎて、「空気」読みゲームに陥り、いつまで経っても「自我」を形成できないことになるが、暫定的な「自我」というか、その場その場での立ち位置を変えることで何とか「自我」を保つことが出来る。

しかし、乞局の世界の住人たちはそのケースに当てはまらない。彼らは「空気」読みゲームには参加しない。その結果として、排除されようが、異物のように扱われようが気にすることもないだろう。彼らにとって「他者」の存在位置はそんなに高くないのだ。従って、彼らの「自我」のようなものは、無傷のまま、純粋さを守る。そのような形をしているとしか言いようがないのだが。

物語というものが、例えば、ある背景や状況の中での「自我」の葛藤やその崩壊を描くものと考える視点から見れば、乞局の世界は少し弱いのではないかと思う。しかし、それは大きなお世話かもしれない。何しろ、そのような「自我」を持たない人間の世界を描いているわけだから。「自我」にほとほと嫌気がさし、持て余している人にとっては、一種の癒しと感じられるだろうし、もしかしたら人間はそっちの方向に進むかもしれないと感じている人にとっては予言のように受け止めるかもしれない。私はその両方だ。

終幕に殺人が起こる。殺されたのは付き人である。付き人だけは葛藤していた。個人として、または、付き人としてヌエとどのように接するかで。しかし、その、ある意味まともな「自我」を持っているが故に、リミッターのない人間の餌食とされる。旧来の人間が新しい人間のための生け贄となって、首塚に捧げられると首塚がいっそう大きな音を立てる。

この物語に「これは実際にあったお話です。」という注釈が付いていたら、どう解釈するだろうか。この物語は私たちから遠ざかるのか、あるいは、近くなるのか。乞局の世界に漂う猟奇事件実録モノのにおいは、ある種のいかがわしさを含んでいるので、フィクションの世界に回収されてしまう危険もある。しかし、それを凌駕する現実のいかがわしさに唯一拮抗できる世界とみなすこともできる。
そして、それはとてもスリリングで、羨ましいことだと思う。

(注)松井周「ポツドール「恋の渦」:舞台の上に充満する『空気』 内在化された想像上の他者の視線」(wonderland

(初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第32号、2007年3月7日発行。購読は登録ページから)

【筆者紹介】
松井周(まつい・しゅう)
1972年東京生まれ。明治学院大学社会学部卒。1996年俳優として劇団青年団に入団。その後、劇作と演出も手がける。第1作「通過」(2004年)と2作目「ワールドプレミア」 (2005年)が日本劇作家協会新人戯曲賞入賞。2006年に文学座+青年団自主企画交流シリーズとして「地下室」(作・演出)を上演。同年末の青年団公演「ソウル市民」と「ソウル市民 昭和望郷 編」に長男役で出演。2007年、青年団リンク「サンプル」旗揚げ公演「シフト」を上演。雑誌「ユリイカ」や「流行通信」に寄稿するなど期待の若手劇作家、演出家の一人。ベケット・ラジオ『カスカンド』演出:岡田利規(3月29日-30日)に出演。

【上演記録】
キラリ☆ふじみで創る芝居『耽餌(たぬび)』(作・演出下西啓正=乞局)キラリ☆ふじみ演劇祭
埼玉県・富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(2月9日-12日)

出演:
青木宏幸
岩本えり
柏木俊彦
境宏子(リュカ、)
佐野陽一
鈴木享
墨井鯨子
坪内アリス
NIWA
野津あおい
増田理(パズ・ノーツ)
宮崎圭史(だるま企画)
村島智之

スタッフ:
脚本/演出 下西啓正(乞局)
舞台美術 福田暢秀(F.A.T.STUDIO)
照 明  谷垣敦子
音響効果 平井隆史(末広寿司)
舞台監督 谷澤拓巳+至福団
衣 装  中西端美
小道具  田村雄介
宣伝美術 佐々井美都
題 字  瀧ロ泉

関連企画:
1 演劇ワークショップ 11月10日(金曜)~12日(日曜)
2 「キラリ☆ふじみで創る芝居」展 1月24日(水曜)~2月12日(月曜・休日)
終演後は市民ボランティアスタッフによる稽古風景写真展
3 プレトーク&公開稽古 1月28日(日曜)
4 アフタートーク
2月10日(土曜) 下西啓正×生田萬(キラリ☆ふじみ新芸術監督)
2月11日(日曜) 下西啓正×松井周(青年団・演出家)×増田理
5 製作日誌(ホームページ上でのブログ)
・キラリ☆ふじみで創る芝居「耽餌」のつくりかた。http://tanubi.exblog.jp

企画・製作:富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ
助成:(財)地域創造

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