パルコ劇場「ビューティークイーン・オブ・リナーン」

◎暗い話でありながらも暖かみ 母娘相克の構図転換の先に
今井克佳(東洋学園大学准教授)

「ビューティークイーン・オブ・リナーン」公演チラシ救いようのないストーリーなのに、なぜか見終わった後、しんみりと切なく、登場した二人の女性がどこかいとおしかった。
「ウィー・トーマス」にしろ「ピローマン」にしろ、マーティン・マクドナーの作品にはどこかそういうところがあるように思える。あるいはそれは、マクドナー作品を連続して演出してきた長塚圭史の手腕なのだろうか。

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新国立劇場「たとえば野に咲く花のように」

◎精妙に書き込まれた戦後日本の物語を堪能
今井克佳(東洋学園大准教授)

「たとえば野に咲く花のように」公演チラシ新国立劇場はどこへ行くのか。演劇部門の芸術監督が栗山民也氏から、鵜山仁氏に変わった最初の企画、「三つの悲劇 ギリシャから」はどうも迷走しているようにしか思えない。前号で葛西李奈氏が好意的にとりあげているが、私としては、第一弾の「アルゴス坂の白い家」は鵜山氏自身の演出作にもかかわらず、あまり感心しなかった。

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さいたま芸術劇場「エレンディラ」

◎真夏の演劇異種格闘技戦から生まれた「異空間」物語
今井克佳(東洋学園大准教授)

「エレンディラ」公演チラシ広々と何もない舞台奥の暗闇から現れる行列。まるで地平線のかなたから歩み出たかのようだ。照明で作られた大きな円に沿って、輿に乗った怪物のような巨体の祖母(瑳川哲朗)に、極端に長い柄のこうもり傘をさしかけた貧弱な徒歩のエレンディラ(美波)、そして使用人たちが家財道具を運んでいく。作品の舞台となる南米コロンビアの広大な砂漠のイメージだろう。登場人物たちが現れ、消える地平線の遠さが実感できるスケールの大きさだ。舞台の両サイドには物語の語り手たちを配置させる。縦横に広がる舞台空間を堪能するには舞台正面、そしてむしろ後方の座席のほうがよい。

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ヨン・フォッセ作「死のバリエーション」

◎夢幻能の世界観も感じさせる戯曲 時間、空間の交錯を具象化する演出
今井克佳(東洋学園大学准教授)

「死のバリエーション」公演チラシ現代ノルウェーの劇作家、ヨン・フォッセの戯曲は、抽象度の高い詩的言語でつづられており、難解であるという。果たしてそうであろうか。5月にシアタートラムで上演されたフォッセ作の「死のバリエーション」を観て、私は全く難解だとは思わなかった。むしろ、凡庸なくらい、わかりやすい芝居ではないか、と拍子抜けがしたくらいである。

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ファミリア・プロダクション「囚われの身体たち」

◎囚われぬ身体の美しさ
今井克佳(東洋学園大学准教授)

「囚われの身体たち」公演チラシ2007年3月、チュニジアのファミリア・プロダクションが、「東京国際芸術祭」に再登場した。演出家ファーデル・ジャイビと、脚本家で女優のジャリラ・バッカールを核とする、この演劇集団は、メンバーを固定した劇団ではないようだが、前回、2005年に「ジュヌン-狂気」で公演したときと同じ出演者を今回も認めることができた。

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ヤン・ファーブル「私は血」

◎「血」が「身体」から自由になる時
今井克佳(東洋学園大学助教授)

「私は血」公演チラシ舞台にあふれるオリーブオイルの中を、全裸の女性ダンサーがヘリコプターの轟音とともにばたばたと暴れ狂う、『主役の男が女である時』。昨年、同じさいたま芸術劇場でそれをみたときは、過激さやエロティシズムということよりも、何か突き抜けた潔さというか、清々しさを感じたヤン・ファーブルの舞台。今度はどんなものをみせてくれるのか。期待と不安を抱き、会場に向かった。

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野田地図「ロープ」

◎内輪的エンターテインメントへの欧米か!的ツッコミ
鈴木厚人(劇団印象-indian elephant-主宰/脚本家/演出家)

「ロープ」公演チラシ表たとえば、「野田版鼠小僧」の歌舞伎座に建て込まれた江戸八百八町の巨大な町並みが、突然動き回り出す興奮。たとえば、「透明人間の蒸気」の十数人の役者が、奥行き50メートルの新国立劇場の舞台を、全速力で客席に向かって走り込んでくる興奮。でっかいものを、ただ回すだけで面白い。だだっ広いところを全力疾走するだけで面白い。いつだって「彼」がつくるのは、メッセージがあふれた舞台。それもメッセージが言葉だけじゃなく、動く空間、動く役者によって観客に届けられる芝居。でも、2006年12月14日に僕が見た、「彼」の新作舞台「ロープ」は、ただ面白いものを見たいと思う、無知な観客の無邪気な期待を裏切る、言葉という名のメッセージにあふれた舞台だった。

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青年団「ソウル市民」三部作

◎重層的な時間と空間を埋め込む代表作
今井克佳(東洋学園大助教授)

公演プログラムの表紙2005年12月にシアタートラムで、フレデリック・フィスバック演出の「ソウル市民」を観た。そこではすでに今回の「青年団」による「ソウル市民」三部作予告の仮チラシが配布されていたが、そこに「本物は一年待ってください」というような意味のキャッチコピーが使われていて、「なんと傲慢なことよ」と記憶に残っていた。が、なるほど、今回の三部作を並べて観ることができたのは貴重な体験であり、あながちあのキャッチはおおげさというわけではなかった気がし始めた。

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清水邦夫作、蜷川幸雄演出「タンゴ・冬の終わりに」

◎晩冬に咲く桜
今井克佳(東洋学園大助教授)

なんと贅沢な芝居だろうか。開幕と終幕の場面だけ登場する80人の群集のシーン。知名度も実力も高い俳優陣。有名俳優をおしげもなく出番の少ない傍役に配置する。見た目は決して派手ではないが、現在の蜷川幸雄だからこそ、これだけの芝居がシアターコクーンで打てるのだ。まずは蜷川が上り詰めたその地位に驚嘆せざるをえない。

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長塚圭史作・演出「アジアの女」(新国立劇場)

◎ふかふかの絨毯は生きた心地がしない
今井克佳

「アジアの女」公演チラシ開演前の舞台を見つめていて、ふと香月泰男という画家の絵を思い出した。過酷なシベリア抑留体験から生まれたいわゆる「シベリアシリーズ」の作品の一つに、暗い色調の骸骨のような人間の顔が壁のように並んでいる絵があった。あれは死者の顔ではなかったか。

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