パルコ劇場「ビューティークイーン・オブ・リナーン」

◎暗い話でありながらも暖かみ 母娘相克の構図転換の先に
今井克佳(東洋学園大学准教授)

「ビューティークイーン・オブ・リナーン」公演チラシ救いようのないストーリーなのに、なぜか見終わった後、しんみりと切なく、登場した二人の女性がどこかいとおしかった。
「ウィー・トーマス」にしろ「ピローマン」にしろ、マーティン・マクドナーの作品にはどこかそういうところがあるように思える。あるいはそれは、マクドナー作品を連続して演出してきた長塚圭史の手腕なのだろうか。

1971年生まれのマクドナーが23歳で最初に発表したこの作品は、日本では2004年に演劇集団「円」が初演を行っている。その時は評判を聞きつつ足を運ぶことができなかった。今回はマクドナーと同世代で、思い入れも深く持っているという長塚圭史の演出、そして出演が白石加代子と大竹しのぶという大御所と来ては、見に行かないわけにはいかないだろう。

これはリナーンというアイルランドの片田舎の話である。その一軒家は荒れた丘の上に建っており、年老いた病身の母(白石)と40歳で未婚の長女(大竹)が住んでいる。父親はおらず、どうやら妹たちは結婚しこの家を離れて行ったらしい。病身とはいえ、意地悪く眼光鋭い母は、「尿路感染症」という病気を言い訳にあらゆる家事を娘にさせ、自分は揺り椅子から立とうともしない。娘は娘で、母を口汚くののしり、手荒く扱い、その死を願う言葉さえ口に出す。このバトルは白石と大竹という芸達者が演じることもあり、その口争いのどぎつさもデフォルメされた一種の滑稽さを帯びて、観客はある程度余裕を持って楽しむことができる。

しかし女性の多い客席では身につまされる者がいなかったわけではないだろう。年老いた母を「介護」、あるいは「虐待」する中年独身の娘。これはまさに日本の抱える未婚化、少子化、高齢化の問題ではないか。他人ごとでないのだ。客席の我々も、喧嘩の内容は別として、これに似た家庭環境を身辺に見聞きすることも珍しくないだろう。そう考えるとさらに作品世界に集中させられる。「円」の立石涼子が日本での上演を強く推進したと言われているが、このあたりの家族問題の捉え方に着目したのではないかと推測する。

この作品の広がりはそれだけではない。多少若書きとも思えるような、直接的な語り口で、アイルランドの抱える社会構造の矛盾を描き出している点も特徴的である。娘モーリーンは、こうした家庭状況は「アイルランドには職がなくみんなイングランドに働きにいかなければならない」ことが原因だという。作品後半で次第に明らかになっていくが、モーリーンは、若い頃ロンドンに掃除夫として働きに出、差別にあい苦しみ、精神を病んで帰ってきたのだった。モーリーンがパーティーで出会い、家に一晩引っ張り込む青年、パートー(田中哲)も、普段はロンドンで肉体労働をしている男だ。パートーは先のないロンドンの暮らしを捨てて、夢があると信じるアメリカ(ボストン)に旅立っていく。

抑圧されるアイルランドと抑圧するイングランド。そして遠い自由の国アメリカ。テレビドラマにちらりと現れる無関係のオーストラリア。そうしたアイルランドの片田舎からみた英語圏の国際関係の見取り図を、この作品はくっきりとあらわにしている。しかし奇妙なことに気づくのだ。近くて憎しみあうアイルランドとイングランドの関係は、この作品の母と娘の関係と相似形ではないのか? 自由を求めアメリカ娘と婚約するパートーはアメリカ、作中には現れない妹たちはオーストラリアか? そうなると狂気の故に母を死に至らしめた後の娘が、パートーとのアメリカ行きを自分の幻想だったと知る結末についても俄然、深読みがしたくなってくる。

しかしそんなポストコロニアル的お遊びはする必要もないだろう。因業な母親の手の火傷跡も、結婚してアメリカに行きたいが故の母親殺しも、実は娘の病んだ精神が引き起こしたことが明らかになるにつれ、母親=悪vs.自由を求める娘、といった構図が完全に転換していく。この価値転換がこの作品の醍醐味となるところだろう。そうなると母親もまた娘を思いながら悲しくつらい人生を生き、娘もまた夢を求めたが故にすべてを失い絶望したということになる。

終幕近くでパートーの弟であるレイ(長塚圭史)がモーリーンに「あんた、母親とそっくりだよ、そうやって椅子に座って指図ばかりして」という。母娘は因縁ともいうべき深い絆で結ばれているのだ。大竹の表情が、白石の母親そっくりになるところはちょっと上手すぎる嫌いはあったが。

こうした登場人物に対する愛情というか、深い描き込みが、どうしようもなく暗い話でありながらどこか暖かみを感じさせる原因ではないかと思う。また長塚演出としてはほとんどギミックのないリアルな舞台美術は、アイルランドの片田舎の雰囲気を醸し出して秀逸だった。(終)
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド 第75-76合併号、2008年1月9日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
今井克佳(いまい・かつよし)
1961年生まれ、埼玉県出身、東京都在住。東洋学園大学准教授。専攻は日本近代文学。演劇レビューブログ「Something So Right」主宰。
・wonderland 寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/imai-katsuyoshi/

【上演記録】
マーティン・マクドナー作「ビューティ・クイーン・オブ・リナーン」
PARCO劇場(2007/12/7-12/30)
上演時間 約2時間20分(休憩15分含む)

CAST:
モーリーン・フォラン…大竹しのぶ
マッグ・フォラン(その母親)…白石加代子
パートー・ドゥーリー(ハンサムな近所の男)…田中哲司
レイ・ドゥーリー(その弟)…長塚圭史
(出演者変更:当公演にレイ・ドゥーリー役を予定した黒田勇樹は体調不良のため降板、代わりに、演出の長塚圭史が出演)

STAFF:
作:マーティン・マクドナー
訳:目黒 条
演出:長塚圭史
美術:二村周作
衣裳:前田文子
照明:佐藤啓
音響:加藤温
演出助手:坂本聖子
ヘアメイク:高橋功亘
舞台監督:菅野将機
製作:山崎浩一
企画:佐藤玄・田中希世子
プロデューサー:毛利美咲
企画製作:株式会社パルコ

料金 8,400円(全席指定・税込) 学生券(当日指定席引換)=4,500円

大阪公演:
シアター・ドラマシティ(2008年1月4日-6日)
主催: 関西テレビ放送/梅田芸術劇場/キョードー大阪
料金:S席8,400円 A席6,300円(全席指定・税込)

【関連情報】
・マーティン・マクドナー×長塚圭史(これまでのPARCO劇場上演作品)
◆ウィートーマス (’03) (’06)
ピローマン (’04)

・演劇集団 円「ビューティークイーン・オブ・リーナン」公演評
(佐々木眞、2004/11/21、”wonderland” )

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