青年団「ソウル市民」三部作

◎重層的な時間と空間を埋め込む代表作
今井克佳(東洋学園大助教授)

公演プログラムの表紙2005年12月にシアタートラムで、フレデリック・フィスバック演出の「ソウル市民」を観た。そこではすでに今回の「青年団」による「ソウル市民」三部作予告の仮チラシが配布されていたが、そこに「本物は一年待ってください」というような意味のキャッチコピーが使われていて、「なんと傲慢なことよ」と記憶に残っていた。が、なるほど、今回の三部作を並べて観ることができたのは貴重な体験であり、あながちあのキャッチはおおげさというわけではなかった気がし始めた。

近現代日本における約20年という歳月の流れ。三部作を観ることによって私たちは二重の意味でそれを俯瞰することができる。一つはもちろん、舞台の物語内容である、1909年から1929年までの〈ソウル〉から見えてくる当時の日本、朝鮮、そして世界情勢である。そしてもうひとつは、厳密には17年間であるけれど、「ソウル市民」が初演された1989年から2006年に至るまでの昭和の終わりから平成への20年間である。それは作者平田オリザと「青年団」の20年間でもあり、〈ソウル市民〉の描写の背後に透けて見える現代〈日本市民〉の20年でもある。

20年間、〈静かな演劇〉の手法と、一定の作風を維持して来たこと自体、驚嘆に値するし、それはすでに古典としての様式と化している、といったら言い過ぎであろうか。三部作を見るうちにその共通のディテール、例えば、ある屋敷の応接間に家族が出入りするという空間設定、舞台に役者が背を向けて座ること、客入り前からの役者の登場、なにげない演技が続くまま暗転する終幕、必ず現れ、謎のまま消える招待客、などの演出作法や物語構造が、能か狂言の形式美のように思えて来てしまった。それほどまでに安定感を感じさせる。そしてそれは当初、当時の小劇場演劇への半措定として、かなり作為的に作られた形式だったものが、むしろいまやその枠の中でどれだけ自由に遊べるか、という態度になってきたように思われる。

最初に観た05年のフィスバック演出が、風変わりなものだったことも影響しているだろうけれど、どうも第一作の「ソウル市民」については、今回の上演でも違和感がついてまわった。人工感、とでもいうのだろうか。作中にちりばめられる漱石や啄木といった文学者の作品の引用が、いかにも教科書的で、どうです、当時はちょうどこういう人たちのいた時代だったんですよ、と衒学趣味を披瀝されている気がしてしまうのだ。こうした同時代文化の引用による時代背景の暗示は、後の二作になるとそれほど不自然な感じがしなくなるのはなぜだろう。

おそらく、その引用法が、より専門性を(もう少しやわらかくいうとオタク度を)増しているということなのかもしれない。「昭和望郷編」における「国柱会」を標榜する謎の芸術家団体と詩人宮澤賢治、関東軍参謀石原莞爾との関係などは、事実を種に、かなり綿密にフィクション化しているように思えた。あれだけエキセントリックな造型の登場人物たちであっても、なるほどよく調べたのだろうな、と感心できた。やはりこれは作者平田氏の力量のアップということと考えたい。

ただ、こうした背景にある歴史的事件の読み込みの緻密さは、観客側の予備知識に依拠している訳であるから、むしろそうした歴史的知識が欠落する傾向になる現代の観客層(若年層)にそれが有効といえるのか、かなり危惧するところではある。

また「ソウル市民」では、登場人物たちが話す日本語が、現代日本語(たとえば「信じらんない!」などの言い回しなどを含む)になっていることも違和感の一つだった。これについては、当時の口語が完全には復元不可能であることと、先に述べたように、1909年の〈ソウル市民〉を描きつつも同時代を撃つ、という態度が既に説明されているので、納得はするのだが、やはり上演を観ている段階では不自然さを覚えざるを得なかった。

この態度は後の二作にも引き継がれているはずなのだが、これも後の作ではあまり気にならなくなってくる。私の印象では多少そうした現代語的な言い回しは控えめになっているように思えた。やはり作者26歳で書かれた「ソウル市民」には、汗ほとばしる肉体主義であった当時の小劇場演劇の主流に対し、そしてその背後にあるバブル期経済と軽薄短小文化に対して、アンチテーゼを示そうとした若い作家の気負いと過激さが感じられるのである。「ソウル市民」にあるのは、当初評された「自然主義」、あるいは「リアリズム」などとはほど遠い、人工的に虚構化された「リアル」であり、ある意味かなりいびつさを持ったものであったことがよくわかる。

「ソウル市民 昭和望郷編」公演から
【写真は「ソウル市民 昭和望郷編」公演から。撮影=青木司、提供=青年団】

そうした第一作に対して今回初演された「ソウル市民昭和望郷編」は、違和感なく受け入れられた。その原因は、端的に言ってしまうと書いた通り作者の円熟が大きいと思うが、もう少し考えてみると、現在の〈小劇場〉的な感性、題材への〈接近〉とみられるのではないかと思いついた。前述した国柱会をかたる集団の一人などはダンサーだと問いつめられて訳の分からない前衛舞踏を踊りだすし、いかにもうさんくさい連中で笑い(あるいは失笑)を誘う。精神病院から退院して来た長男に付き添って来る二人の看護婦はどちらが病人でどちらが看護人かわからなくなる、というこれもコントじみた挿話である。

観ている側がこうしたものに慣れているが故に受け入れやすくなっているという面もあるだろうが、これらの登場人物や挿話のエキセントリックさもまた、現代日本の〈狂気〉が映されているとも考えられる。様々な価値が転倒し、権威とされたものの〈ニセモノ〉性があらわになっているにもかかわらず、それがまかりとおっている現代が1929年に映されている。そうであるならばこれは〈小劇場〉への〈接近〉というよりは、むしろ〈批評〉を含んでいるのではないだろうか。関連していえば、最終部、〈南島〉への旅を計画する長男が口にする南の島の名前の数々、それは15年後には悲惨な戦場となる島々であることを想起させるとともに、現代人の旅行先でもあるため、気楽な長男の態度は現代日本人の態度と重ねあわされるという二重、三重の意味付けにもうならされた。

この「昭和望郷編」出演者は、若手の劇団員中心に構成されていた。そのことも、印象の変わった原因の一つといえるかもしれないのだが、これについては分析が至らないためここでは指摘しておくにとどめたい。また三一運動の日を描いた「ソウル市民1919」は、韓国語で歌われるアイルランド民謡「霧の滴」や「東京節」の替え歌「ソウル節」?などが劇中に配置され、〈静かな演劇〉の作法の中にも華やかさ、美しさを添えていた。本来ならば他二作と均等に扱うべき佳品であり自分の中ではむしろ三作の中で最も好みかもしれないのだが、一作目と三作目の対比に力点を置いてしまったため今回は詳述を避けたい。

それにしても歴史は繰り返しだ。大きな波、小さな波が繰り返す。「天が下には新しきもの、何一つなし」とは旧約聖書の言だったか。「ソウル市民」シリーズの演劇空間の中で、近代史、現代史、そして現在が様々に乱反射する。「東京ノート」「S高原から」などの近未来物よりも、この「ソウル市民」シリーズこそ、重層的な時間と空間を埋め込むことのできる作品であり、平田氏の代表作としてふさわしいと考える。第四作、1939年の「ソウル市民」を平田氏が書く時、その時代は何をその作品に映すのであろうか。

▽観劇日
「ソウル市民」2006年12月6日(水)19:30-
「ソウル市民1919」2006年12月7日(木)19:30-
「ソウル市民 昭和望郷編」2006年12月15日(金)19:30-

※前二作については上演後の「ポストトーク」での平田氏(7日はゲスト角田光代氏との対談)のお話を聞いており参考にしています。「昭和望郷編」については別日にポストトークが行われたと思いますが聞いておりませんので、筆者の作品に対する誤解などがあるかもしれませんがご容赦ください。
(初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第24号「ソウル市民」三部作特集。購読は登録ページから)

【筆者紹介】
今井克佳(いまい・かつよし)
1961年生まれ、埼玉県出身、東京都在住。東洋学園大学助教授。専攻は日本近代文学。演劇レビューブログ「Something So Right」主宰
・wonderland 寄稿したこれまでの劇評一覧

【公演記録】
青年団第52回公演「ソウル市民」三部作連続上演
『ソウル市民』(1989年初演)
『ソウル市民1919』(2000年初演)
『ソウル市民 昭和望郷編』(新作)
http://www.seinendan.org/jpn/seoultrilogy/
作・演出 平田オリザ
吉祥寺シアター(2006年12月6日-17日)

スタッフ
舞台美術・・・杉山 至
照明・・・岩城 保
音響・・・薮公美子
衣装・・・有賀千鶴
演出助手・・・井上こころ 深田晃司
宣伝美術・・・工藤規雄+村上和子 京 太田裕子
宣伝写真・・・佐藤孝仁
宣伝美術スタイリスト・・・山口友里
制作・・・西山葉子 林有布子 松尾洋一郎
Web制作・・・佐藤 誠
協力・・・(有)あるく (株)文祥堂印刷 (有)レトル

[企画制作]
青年団/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
[主催]
(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
(財)武蔵野文化事業団
平成18年度文化庁芸術拠点形成事業

『ソウル市民 昭和望郷編』(新作)
●出演者
長女 篠崎寿美子・・・井上三奈子
次女 篠崎清子・・・ 福士史麻
長男 篠崎真一・・・ 松井 周
三女 篠崎嘉子・・・ 荻野友里
叔父 篠崎幸平・・・ 山本雅幸
叔母 西宮愛子・・・ 高橋智子
愛子の夫 西宮太郎・・・ 小林 智
叔父 篠崎吉二郎・・・永井秀樹
吉二郎の妻 篠崎佐江子・・・森内美由紀
寿美子の婚約者 袴田宗五郎・・・古舘寛治
書生 芦田虎之助・・・河村竜也
書生 植田哲夫・・・ 古屋隆太
書生 李 齊源・・・ キム・ミンソ
女中 須田・・・ 工藤倫子
横山・・・ 鈴木智香子
朝鮮人女中 孫美麗・・・ 長野 海
趙 文子・・・ 渡辺香奈
印刷屋 堀田由美子・・・山口ゆかり
その夫 堀田時次郎・・・大竹 直
満蒙文化交流青年会
呉竹菊之丞・・・山本裕子
人見木綿子・・・村田牧子
石井パク・・・ 二反田幸平
楼蘭真理・・・ 端田新菜
看護婦 平岩康子・・・ 後藤麻美
看護婦 相馬すずえ・・・堀 夏子

▽富士見公演:
富士見市民文化会館キラリ☆ふじみマルチホール キラリ☆ふじみ演劇祭参加作品
(2007年2月17日-2月18日)
17日(土)19:00の回終演後、平田オリザによるアフタートーク
ゲスト:生田萬氏(演出家・キラリ☆ふじみ新芸術監督)

▽大津公演:
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 中ホール(2007年3月11日)
終演後、平田オリザによるアフタートーク。

作・演出 平田オリザ
出演
永井秀樹 渡辺香奈 小林 智 松井 周 端田新菜 福士史麻 古屋隆太 工藤倫子 鈴木智香子 古舘寛治 井上三奈子 大竹 直 高橋智子 山本雅幸 荻野友里 河村竜也 後藤麻美 長野 海 二反田幸平 堀 夏子 村田牧子 山口ゆかり 山本裕子 キム・ミンソ 森内美由紀

スタッフ
舞台美術 杉山至
照明 岩城保
音響 薮公美子
衣裳 有賀千鶴
演出助手 井上こころ
宣伝美術 工藤規雄+村上和子 京 太田裕子
宣伝写真 佐藤孝仁
宣伝美術スタイリスト 山口友里
制作 松尾洋一郎 西山葉子 林有布子
協力 (有)あるく 文祥堂印刷(株)

【関連情報】
平田オリザ著作一覧(amazon.co.jpから)


「青年団「ソウル市民」三部作」への4件のフィードバック

  1. ピンバック: 木元太郎
  2. ピンバック: shimejitachi
  3. ピンバック: 木元太郎
  4. ピンバック: 中西理

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