川口隆夫「逃げ惑う沈黙」「『病める舞姫』をテキストに-2つのソロ」

◎言葉とゲームを横断する男
 堀切克洋

 今更ながら、川口隆夫の「身軽さ」には驚きを禁じ得ない。細身で長身の身体が、ダンサーとしての身軽さを保証しているだけではない。川口はあらゆる局面において身軽なのであり、その一例として彼の活動は国境をたえず横断しつづけているし、また、テキストとパフォーマンスを横断しつづけている。逆から見れば、彼の公演は、さまざまなアーティストが通過していくひとつの「場」となっていると言っても過言ではない(石井達朗によるインタビューを参照のこと)。
“川口隆夫「逃げ惑う沈黙」「『病める舞姫』をテキストに-2つのソロ」” の続きを読む

アジア舞台芸術祭「Waiting for Something」

◎人を異邦の者にする言葉
 馬塲言葉

 もし、大人に「きれいな赤いレンガの家を見たよ、窓にはゼラニウムがあって、屋根には、ハトがいて…」こんな話をしてもそんな家を想像することすらできないでしょう。あなたは、大人に次のように言わなければいけません。「10万フランの家を見たよ。」って。すると大人たちは、「それはすばらしい!」と叫ぶでしょう。(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ「星の王子さま」より)

“アジア舞台芸術祭「Waiting for Something」” の続きを読む

COLLOL「消費と暴力、そのあと」

◎主題と手法の凛々しく心地よい融合
 萬野展

COLLOL公演チラシ
COLLOL公演チラシ

COLLOL『消費と暴力、そのあと』。早稲田LIFT。初見である。
ドアを押して一歩入るとそこはすでに演技エリアのようで、役者らしき人々が、役者らしきオーラを出している。
入った瞬間に全貌が見渡せる小振りなスペース。足元には吹き抜けというよりは奈落のような大きな穴。そこから地階が覗け、そこにもオーラの人たちが垣間見える。一階と地階の二重舞台。そして両方を同時に見ることは不可能な作りのようだ。
“COLLOL「消費と暴力、そのあと」” の続きを読む

第14帝國「元帥がやってくる Yar!Yar!Yar!」

◎帝國は若者の郷里たりうるか
 馬塲言葉

第14帝國公演チラシ
第14帝國 公演チラシ

 ラフォーレ原宿といえば、個性的な若者の集まる原宿のシンボル的存在でもあり、ビル内にある決して大きくないミュージアムは、展示場、ライヴハウス、そして舞台へと頻繁にかたちをかえる。そんな場所で、毎月演目をかえながらの七ヶ月連続公演まっただ中にある劇団第14帝國を観劇した。台風にみまわれ交通機関の運行もままならない九月最終日、満席ではない、ささやかでどこか密やかな空間でも、オープニングのシンプルな演出、その迫力に衰えは感じられなかった。オンブラッタ。スピード感のある曲名からそう名付けられた、リズムにあわせた力強い旗振りだ。男性のみで構成された劇団ならではの無骨さと、複雑な繊細さを最大限に生かしたものである。
“第14帝國「元帥がやってくる Yar!Yar!Yar!」” の続きを読む

杉原邦生/KUNIO 「更地」

◎KUNIO10「更地」を見て感じたこと。
 林 伸弥

太田省吾さんを僕は知らない。
知らないけど、太田省吾という人が生きていた、という事実が堪らなく愛おしい。
いつもそうなんだけれど、作品を見て作品を好きになることより、作者を好きになってしまうことが多い。
駄作だろうとその人の生き様が作品から見えれば、それで良い、というかそれが良い。
エレファントカシマシの宮本浩次のようなあの感じ。あの人はトータルアルバムを作れない人で必ず駄曲がいくつか入っていて、でもその凸凹感含めて愛おしく。
ってそりゃあタダのファンか。
太田さんもかつては駄作を作ったのだろうか。
だったら嬉しいし、なおさら好きだ。
“杉原邦生/KUNIO 「更地」” の続きを読む

劇団オルケーニ「ショックヘッド・ピーター」

◎一流の観客、三流の観客
 林あまり

「ショックヘッド・ピーター」公演チラシ
公演チラシ

 芝居は半分、いやもしかしたら半分以上、観客がつくるものかもしれない。劇団オルケーニ「ショックヘッド・ピーター」を観て、ハッとした。眠っていた頭を殴られたみたいな気分だ。

 子どもの指がハサミで切られ、ぴょんぴょんとハネては床に落ちる。―恐ろしいシーンのたび、私はそっと隣の席の男の子(小学一年くらい?)の様子をうかがっていた。こんなコワイの見て、大丈夫かな…と。思わずにいられなかったから。
“劇団オルケーニ「ショックヘッド・ピーター」” の続きを読む

ピンク地底人「明日を落としても」

◎その一瞬一瞬に前例がない瞬間へ向かうために、ピンク地底人の大いなる遠回り
 羊屋白玉

「明日を落としても」公演チラシ
「明日を落としても」公演チラシ

 京都地下に住むピンク地底人3号さんから電話がきた。かつて一度だけワンダーランドに寄稿した劇評を見つけられての指名を賜ったのである。わたし劇評家じゃないから。と言うと、そういう距離感がむしろ良いんで、と。
 まもなく過去作品の資料なども到着し、上演前のぴりっとしたふわっとした現場に立ち会わせてもらい、本編を拝見し、終演後、3号さんを劇場近くの居酒屋さんでインタビュー。3号さんはコロッケをつつきながら、公演中はあまり食欲がないの。と、地上人っぽいことを言っていた。
“ピンク地底人「明日を落としても」” の続きを読む

チェルフィッチュ「現在地」

◎見下ろせば透明
 林カヲル

「現在地」公演チラシ チェルフィッチュが四月に神奈川芸術劇場で新作『現在地』を上演した。作・演出は岡田利規。チェルフィッチュとはセルフィッシュを幼児語化した造語だが、本作はそのような意味ではまったくチェルフィッチュではない。岡田が若者言葉の多用をやめて久しいが、今回は口語ですらないともいえる。人物も話題もセルフィッシュではない。一種、巨匠と呼びたいような風格を備えた作品となった。
“チェルフィッチュ「現在地」” の続きを読む

FUKAIPRODUCE羽衣「耳のトンネル」

◎耳の不思議に目覚めて
 林あまり

「耳のトンネル」公演チラシ
「耳のトンネル」公演チラシ

 耳の魅力に、改めて気づかされた。
 耳って、不思議。そして素敵。聴覚はもちろん、そこにある、モノとしての耳もまた、捨てがたい。そんなことを思いながら、ディープな時間を堪能した。

 FUKAIPRODUCE羽衣「耳のトンネル」には、まさに耳そのもののようなカーブを描いた入口が、上手にドーンと据えられている。
 いっぽう下手には、ベッドがひとつ。
 アゴラ劇場上手の上のほう、照明機材などのある細い通路に、パッとスポットが当たると、ロングヘアをわざとらしくなびかせたドレス姿の女(西田夏奈子)がいる。セレブなディーバ、歌姫路線を狙ったものの残念な感じ、というような。もうこの時点で、客席の私はワクワクしてくる。
“FUKAIPRODUCE羽衣「耳のトンネル」” の続きを読む

北九州演劇フェスティバル2012「ちょっと舞台《まち》まで」

◎舞台は京町銀天街
 福岡佐知子

 小倉京町銀天街はJR小倉駅から横に広がるアーケード商店街であり、江戸時代、九州の各街道の基点となった常盤橋のたもとへと延びる。古くは小倉城下や交通の要所として、小倉駅の移転前(現在の西小倉駅の場所に小倉駅はあった)は町の中心部として、栄えた歴史を持つ。近年は小倉駅から離れるにつれ空き店舗のシャッターやビジネスホテルの印象が目立つ地域だが、点々と懐かしい雰囲気の店構えが昔そのままに残っている。北九州芸術劇場もテナントとして入る大型商業施設「リバーウォーク北九州」へと向かう格好の通り道であり、休日には若者がまた雨の日には自然と往来が増す。
“北九州演劇フェスティバル2012「ちょっと舞台《まち》まで」” の続きを読む