天狗のことを考えていた。天狗というと赤い顔、長い突き出た鼻で山伏の格好をしている、そんなユーモラスなイメージ。ところが『太平記』をひも解くと、崇徳院を初めとする、恨みを抱いて死んだ人たちが、山の中で天下を乱す悪だくみの相談をしている場面があり、彼らが「天狗」という言葉で表現されている。もちろん崇徳院の霊が赤い顔、長い鼻をしているということではない。天狗という言葉にはもともとそういう、悪霊とか怨霊という意味が含まれていた、ということなのだ。ユーモアなどかけらもなく、かなりおどろおどろしい。
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カテゴリー: ま行
studio salt「八OO中心」
◎演劇的一期一会-今夜からの隣り人
宮本起代子(因幡屋通信発行人)

タイトルは「はちまるまるちゅうしん」と読む。
椎名泉水を座付作家・演出家とし、横浜を拠点に活動するstudio salt(以下ソルト)が最新作の会場に選んだのは、ずばり八OO中心という名のビル最上階だ。中華街の延平門から歩いて数分のところにある。「横浜中華街より世界へ向けて、表現でのコミュニケーションをはかるべく始動したシェアオフィス」(公式サイトより)として、昨年2月にオープンした。この風変わりな名は無限の数を表す「八百万」「∞」に由来し、さまざまなものが集まって円を描くようにつながり、世界に向かって発信したいという願いがこめられている。
観光客がいっぱいのにぎやかな中華街の一角で、ソルトは週末3日間の上演を4週間行った。
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ワンツーワークス「ジレンマジレンマ」
◎3.11後の「正義」
宮武葉子

状況の説明なしに、三つの取り調べを同時進行で見せられる。時間の経過とともに、この三件がいずれも3.11に関わるものであるということが分かってくる。ワンツーワークス「ジレンマジレンマ」は、「正義」とは何かを問いかける意欲作である。タイトルはゲーム理論「囚人のジレンマ」に由来する。ただし、劇中で囚人のジレンマが直接描かれるわけではなく、わずかに第三の取り調べにその痕跡を残す程度である。
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サンプル「女王の器」「自慢の息子」評に応えて
◎生きる「物語」人間
松井周
4月11日掲載の山崎健太さんと前田愛美さんの「女王の器」評及び5月2日掲載の西川泰功さんの「自慢の息子」評に対して、サンプル主宰で作・演出の松井周さんが論考を書いてくださいました。上演された作品の劇評、その劇評への作り手からのさらなる言葉という往復運動によって、新たな演劇的磁場が立ち上がりを見せるのではと考えます。(編集部)
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バナナ学園純情乙女組「翔べ翔べ翔べ!!!!!バナ学シェイクスピア輪姦学校(仮仮仮)」
◎いわゆるバナナ事件について
水牛健太郎

バナナ学園純情乙女組(以下「バナナ学園」)の公演『翔べ翔べ翔べ!!!!!バナ学シェイクスピア輪姦学校(仮仮仮)』において、5月27日(日)にトラブルがあった。ツイッターに友人を通して公表された被害者のメールによると「舞台上にいきなりあげられて、知らない男に胸をわしづかみにされて、下半身すり付けられてガンガンされて、それを他のお客様に見せつけて笑われてパフォーマンスにされたことは本当に辛かったです。相手も段ボール被ってて誰かわからないし、土下座してもらいたい」ということである。要するに、バナナ学園のパフォーマンスに巻き込まれた女性観客が、深刻な不快感と怒りの念を抱き、間接的ながら、抗議の意向を表明したということだ。
バナナ学園のサイトは6月2日付で「不快な想いをさせてしまったお客様ご本人と5月31日時点でお会いし、事の真相をご説明した上でご不快な想いをさせてしまった事に対してお詫び致しました」としている。このように当事者間では一応の決着を見たものの、注目を集める公演で起きた今回の事件(以下「バナナ事件」とする)は、大きな波紋を広げ、ツイッターやブログなどで様々な意見が交わされた。本稿ではバナナ事件について、創造的行為と社会規範の緊張関係という観点から論じてみたい。
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忘れられない1冊、伝えたい1冊 第5回
◎「マッチ売りの少女/象-別役実戯曲集」(三一書房、絶版)
松田正隆
戯曲というものを知ったのはこの本があったからだろうし、今でも、私にとってきわめて重要な戯曲である。「マッチ売りの少女」の場合、舞台に老夫婦が現れて、そのあと、姉弟が入ってきたときに、内にいる人と外から来る人の違いが出るのだということが、ものすごいことに思えてならなかった。ひとまず、そのことがこの戯曲の最大の奇妙さである、と思った。舞台で戯曲を上演するということはこれほどまでの虚構を成立させることができる。そこにそれまで住んでいた人とそこにやって来る人の「差」がたちどころに出現し、なにかがなに食わぬ顔で始まるのである。そのことになによりも驚いたのだった。「家の中の人」も「外からの人」も同じように「舞台のそで」から現れているにもかかわらず、である。
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Pカンパニー「どこまでも続く空のむこうに」
◎開かれなかったテクスト
間瀬幸江

静かな破壊力で阿藤智恵が新境地を開いた前作『曼珠沙華』から5カ月、待望の新作上演であった。『どこまでも続く空のむこうに』(小笠原響演出、Pカンパニー)の主人公は、『曼珠沙華』の登場人物と同じ「J」(ジェイ)。それを同じ役者(長谷川敦央)が演じる。二つの作品が響きあい、ポスト震災の阿藤ワールドの全貌が見えるであろうとの期待を抱かせるに十分なお膳立てである。しかしながら、前作にはあった破壊力はなかった。ところどころで違和感を覚え、テクストと上演作品との相関関係を考えさせられた。
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サンプル「女王の器」
◎女王の国を駆けぬける男児の悪乗り
前田愛実
サンプルはごく初期から見続けている劇団だが、登場人物の造形や戯曲の構造に感心はしても、とうてい理解したり、まして共感などできるものではないと思っていた。
松井周の処女作にあたる『通過』では、性器を事故で失った男性とその家族が、怪しい宗教に家をのっとられていく蟻地獄的な顛末にぞっとし、『カロリーの消費』では痴呆症の老人に介護士が性器マッサージするエピソードに、叫びだしそうな嫌悪感を覚えた。よくもこんなに悪趣味なことを思いつけるなとむしろ感心したし、それら鬼畜な内容は、青年団所属俳優たちによる清潔な演技とのギャップで、壮絶な後味の悪さをかもしたものだ。
ところが、ところがといっていい、今回の『女王の器』では、初めてサンプルの上演に共感してしまった。
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忘れられない一冊、伝えたい一冊 第1回
◎『誰か故郷を想はざる』(寺山修司著、角川文庫)
水牛健太郎

寺山修司のことは何も知らない。
ワンダーランドに書評欄というか読書欄を作ることになり、編集長という名の切り込み隊長、一番槍を仰せつかった。はて何を取り上げようと愚考するに、戯曲でも演劇雑誌でもいいのだそうだ、しかし折角だから高名な、しかし読んだこともなければ芝居を見たこともない、かの「テラヤマ」にしようと思ったわけです。
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カムヰヤッセン「バックギャモン・プレイヤード」
◎身の回りの「世界」
水牛健太郎

「村」を舞台にした芝居には二種類ある。リアルな劇と寓話劇だ。
とまあ大上段に構えたが、それだけ「村」というのは寓話劇の舞台になりやすい。人が少なく、それぞれの人が都会よりも明確な役割を持って生活している。それに、村の生活のことは、演劇の公演が行われる都会では、はっきり言って誰もよく知らない。突っ込んでいけば色々ディープな現実がありそうだが、それも含めて多少ファンタジーを乗っけても許されるのでは。
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