劇団☆新感線「港町純情オセロ」

◎古典を「わかりやすく」改編するということ。
 宮武葉子

「港町純情オセロ」 公演チラシ チラシに「今どきのシェイクスピアは、ようわかりまへんとお嘆きの貴兄に」とある。劇団☆新感線プロデュース『港町純情オセロ』は、タイトル通り、シェイクスピア四大悲劇の一つ『オセロ』の翻案劇である。物語はほとんど原作のまま、設定は大幅に置き換えて、戦前の関西を舞台としたヤクザ物の芝居にしている。
 舞台は1930年代、神戸によく似た「かんべ」と呼ばれる港町。ムーア人の将軍オセロは、日本人とブラジル人のハーフの藺牟田(いむた)組組長・藺牟田オセロになっている。彼の愛妻デズデモーナは倉方医師の一人娘モナに、オセロを裏切る旗手イアーゴーは組長の右腕・伊東に、デズデモーナの浮気相手に仕立て上げられる副官キャシオーは帝大出のインテリヤクザ・汐見に、イアーゴーに金をむしり取られるロダリーゴは藺牟田組にみかじめ料を納めているクラブのオーナー・三ノ宮に、オセロの前任者モンターノは足を洗ったヤクザの紋太に、それぞれ置き換えられる。イアーゴーの妻エミリアは、伊東の妻絵美とその弟で同性愛者の准の二人に分けられているが、大きな変更点はそのぐらいで、主要登場人物はシェイクスピアの戯曲とほぼ同じである。
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震災と演劇

水牛健太郎

 その時、私は京都にいました。全く気づきませんでした。後で考えてみると、わたしはその時、駅前にある専門学校の面接が終わり、京都駅で「どこに行こうかな」と大きな観光マップを眺めていたころだと思います。そして仁和寺に行くことにし、路線バスに乗り込み、京都に住んだことのある友達に「どこに住んだらいいと思いますか?住みよくってそんなに高くないとこ」という呑気なメールを送りましたが、相手がその時、地震直後の大混乱のさなかだとは夢にも思わなかったのです。
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ミナモザ「エモーショナルレイバー」

◎ベランダから見える景色
  水牛健太郎

「エモーショナルレイバー」 公演チラシ そう言えばマンションのリビングにはなぜ、必ずと言っていいほどベランダがあるのだろうか。そのマンションにもベランダがある。ベランダの向こうは隣のビルの壁だ。空は見えない。幹線道路からのざわめきだけが聞こえる。都内。何となく渋谷とか六本木あたりに思える。
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相模友士郎「DRAMATHOLOGY/ドラマソロジー」

◎天使としてのお年寄り
 水牛健太郎

「DRAMATHOLOGY/ドラマソロジー」公演チラシ 昨年のフェスティバル/トーキョーで注目の作品「ドラマソロジー」が「七十歳以上のお年寄りの自分語りで構成された作品」であると初めて聞いた時、自分がどのように反応したかよく覚えている。私は「それはずるい」と言ったのだ。これには説明が必要だろう。
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声を出すと気持ちいいの会「覗絡繰-ノゾキカラクリ-」

◎粗削りと老練と
 宮本起代子

「覗絡繰-ノゾキカラクリ-」公演チラシ 演劇集団「声を出すと気持ちいいの会」、通称「コエキモ」は2008年5月明治大学の学生を中心に旗揚げし、これまで5回の公演を行っている。当日リーフレット掲載の挨拶文によれば、主宰で作・演出の山本タカいわく「心の琴線に触れる芝居というものを、がむしゃらに追い続け、打ち続けて」きたが、公演を重ねるにつれて現状に疑問をもち、「全てをゼロに戻す決意をし」、「もっと素直に芝居を作ろう」との思いから、番外を打つに至ったそうである。自分にとってはじめてのコエキモ体験で、しかもいつもとは違う特別な一本に出会えるらしいが、劇団に対する予備知識はまったくのゼロであり、山本タカについて「まだまだ粗削りな部分もあるが、寺山修司のような、野田秀樹のような空気のある芝居」という情報を得たのみであった。
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MU×ミナモザ×鵺的「視点 vol.1 Re:TRANS」

◎見ごたえあった短編コンペ
 水牛健太郎

「視点 vol.1 Re:TRANS」公演チラシ
「視点 vol.1 Re:TRANS」公演チラシ

 短編をいくつかの劇団が持ちより、コンペ形式で上演するという、MU主宰のハセガワアユムによる企画の第一回目。今回参加した三劇団(MUのほかに、高木登主宰の鵺的、瀬戸山美咲主宰のミナモザ)は、カトリヒデトシ氏の三分類に言うところの「を」派(完成したテキストを元に上演する、ほぼ戯曲=作家中心主義と言ってよい形態)に属する劇団で、主宰が作・演出を兼ね、出演はしないという共通点がある。だから、主宰がまずは戯曲の完成度を高め、しかるのちに演出で自分の中にある像を実現しようと努める…という作業工程が見えやすく、また各俳優の仕事も、「役」というものを基準にそれをいかに表現したかという形で捕らえやすい。
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シアター・リフレクション「箱とジョージさん」

◎ 人形たちの映し出すもの
 柾木博行

「箱とジョージさん」公演から
撮影=神崎千尋

 演劇関係者が集まると必ず出る言葉が「最近面白い舞台ありましたか?」。今回この原稿を書くきっかけも、ある芝居の帰りに(ワンダーランドの)北嶋氏から言われたこの言葉がきっかけだ。いつもは、「いやー、これっていうのはないですねぇ」という枕詞を挟んで、2、3記憶に引っかかった芝居の名前をあげるが、その時は違った。
 「この前、座・高円寺でやったシアター・リフレクション、あれはすごかったです。子どものための人形劇だけど、内容は大人向けというか、もうシュールで不条理、カフカを観ているような感じで、なかには怖がってる子どももいたくらいで。最後はタルコフスキーの『惑星ソラリス』を思い出したりして…」
 まさに今年見た舞台ではダントツに刺激的な作品であった。今思い起こせば7月は芝居関係で会う人すべてにシアター・リフレクションを勧めていたようにも思う。このカンパニーが面白いのは昨年観て分かっていたからだ。しかし今回の『箱とジョージさん』は、こちらの予想をさらに裏切るような刺激的な作品だった。今回はこのデンマークの人形劇団シアター・リフレクションの魅力について解き明かしてみたい。

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「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」

◎不都合な視覚、豊かな非視覚
門田美和

私は翻訳をする。誰かの意図を別の言葉に置き換えて伝えている。そのとき私の頭の中には誰かの意図が入り込み、時にさらりと、またはそうではなく私から出て行く。私を通過したら言語だけが変わる。そういうコミュニケーションの形式を私は生業としているのだと思っていたけれど、本当はどうなんだろう。

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趣向「皇帝」

◎演劇的な魅力と批評性を兼備
水牛健太郎

趣向「皇帝」公演チラシ舞台の中央に、直径2-3メートル、高さ30-50センチほどの赤い円形の台が据えられている。それは色々な使われ方をするが、基本的に主人公である二人の皇女の御座所を示している。人々はその周辺に集まり、言葉を交わし、時に踊り、ぐるぐると周囲を歩き回ったりもする。皇女を巡る様々な人々-廷臣、SP、家庭教師、有識者、権力者、皇室にあまり関心のない一般人まで、それぞれの人がそれぞれの立場から発する言葉が交差し、まるで渦のように二人の皇女を巻き込んでいく。

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ピチェ・クランチェン「I am a Demon」

◎「古き良きもの」の脱構築  武藤大祐  おそらく「古典」などという概念は、日本で現代的なダンスを見ている/作っている限り、縁遠いものといっていいように思える。クラシック・バレエであれ、能や歌舞伎であれ、知識としてはそこ … “ピチェ・クランチェン「I am a Demon」” の続きを読む

◎「古き良きもの」の脱構築
 武藤大祐

 おそらく「古典」などという概念は、日本で現代的なダンスを見ている/作っている限り、縁遠いものといっていいように思える。クラシック・バレエであれ、能や歌舞伎であれ、知識としてはそこそこに、しかし実質的には何か「古き良きもの」として敬しつつ遠ざけておく、というのがごく一般的ではないだろうか。他方、古典の側でもかたくなに高尚な古典であり続けようとするから、溝は広がるばかりではあるが、そもそもこれが何か重要な問題なのかどうか、と考えてみることにすら大多数の日本人は興味をもてないのではないか。しかし、「問題」であるかどうかはさておき、少なくともこれがどういう事態なのかを客観的に認識しておくことは、どうでも良いことではない。過去を参照するという身振りをわれわれはなぜ軽視するのか、を知ることは、われわれの「現在」の定義に直接関わってくるからだ。われわれの「現在」は何を否定することによって成り立っているのか。大阪から神戸・新長田に移転したばかりの Dance Box で上演されたピチェ・クランチェンのソロ作品 『 I am a Demon 』(2005年初演)は、日本の観客の前に例えばこういう大きな問いを差し出したように思える。

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