震災と演劇

水牛健太郎

 その時、私は京都にいました。全く気づきませんでした。後で考えてみると、わたしはその時、駅前にある専門学校の面接が終わり、京都駅で「どこに行こうかな」と大きな観光マップを眺めていたころだと思います。そして仁和寺に行くことにし、路線バスに乗り込み、京都に住んだことのある友達に「どこに住んだらいいと思いますか?住みよくってそんなに高くないとこ」という呑気なメールを送りましたが、相手がその時、地震直後の大混乱のさなかだとは夢にも思わなかったのです。

 仁和寺から戻って市内の食堂に入った私が見たものは大型テレビに映った津波の映像でした。それから約二時間、私はテレビの前の座席に座ったまま、画面を睨み続けることになります。私が感じたのは恐怖と悲しさと、そして、自分が東京にいなかった後ろめたさでした。その夜、大阪・なんばのカプセルホテルの公衆電話から北嶋孝代表に電話をし、231号を震災特集にする提案をしました。翌日からメールなどでコメント提供の呼びかけを開始し、日曜日には北嶋代表の提案でウエブサイトに情報ページが設けられました。多くの方々から震災の体験と情報を寄せられています。改めて御礼申し上げます。

 反省もあります。当初期待した東北からの発信は必ずしも多くありませんでした。被災地の多くの地区で停電が続き、関係者は対応に追われています。そんな時に、東北の皆さんには、東京の見知らぬミニメディアからの呼びかけに答える義理も余裕もないのは当然のことです。ワンダーランドの活動がこれまで東京に偏ったものであったことの結果でもあります。

 また、PCに頼るメールやサイトに比べ、携帯向きのツイッターの災害時における優位性には目を見張る思いをしました。私はこれまでツイッターをしてこなかったのですが、不明を痛感しました。

 亡くなった一万人を超える方々、壊滅した海辺の町々、日々重大さを増す福島原発の緊急事態。それには比ぶべくもありませんが、首都圏でも、交通の途絶、計画停電などで人々の生活は大きな影響を受けています。時代の空気は確実に変わりました。人々の脳裏からあの恐ろしい津波の光景が消えることはないでしょう。それは、平穏な生活はうたかたに他ならず、巨大な力によって一瞬で押し流されてしまうことの、残酷なまでに正確な表現でした。

 いま始まりつつある時代には、日々の生活のかけがえのなさ、身近な人々との間の絆・共同性に注目が集まるでしょう。こうした傾向は、震災以前からあったのですが、いっそう拍車がかかることになります。共同性の芸術である演劇は、当然のことながら変化の波を正面から受けることになるはずです。

 具体的には、「意味」を求める風潮が強まるでしょう。これまでも最良の表現は「何を」と「いかに」が分かちがたく結びついたものでしたが、その中でも「何を」の内容が厳しく問われていくことになるはずです。何らかの意味で現実に拮抗できない表現は存在意義がないことが、誰の目にも明らかになったからです。甘い表現、閉じた表現はこれまで以上に厳しく淘汰されていきます。そうした変化そのものに良いも悪いもありません。芸術は常にその時代の産物であり、現実との格闘の中から生み出されてきました。一見現実と何の関係もないようなものでさえ、いやそうした表現こそがまさに時代との全身全霊を賭けた戦いの産物でした。一例として太平洋戦争中に大阪の商家の四姉妹の平穏な日常生活を描いた谷崎潤一郎の「細雪」を挙げることができるでしょう。そうして、生み出されたものの中で真に優れたものだけが普遍性を獲得していく、その繰り返しです。今、現実は確かに変わりました。常に根底にはあった、世界の根本的な残酷性がより露わになりました。それと対峙しない芸術には意味がありません。そんなふやけた表現にはもともと意味なんてなかったのですが、そのことがよりはっきりしたのです。ただ、どのように対峙していくかは個々の芸術家の手にゆだねられています。正面から戦って敗れるもよし、必死に高台に逃げるもよし、波乗りのように上に乗っていくのもよしです。

 私事ですが、近く東京を去り、京都に行くことになりました。冒頭登場した専門学校の講師として雇われることになったのです。福井の実家の母親が昨年末脳梗塞で倒れ、現在も入院中です。今後どうなるかわかりませんが、もし在宅介護ということになれば、相当過酷なものになることが予想されます。一種の危機管理として、実家に少しでも近いところにいた方が、状況をコントロールする上でよいと判断しました。

 北嶋代表のご好意で、これからもワンダーランドの活動に編集長としてかかわり続けることになっています。詳細はまた改めてお知らせいたしますが、せっかくですから関西の演劇をじっくり見てみようと思っています。とは言うものの、具体的にどのような生活になるかはわかりません。四十過ぎて見知らぬ土地で働くのですから、甘くはありません。新職場では多くの成果を要求されています。芝居をどれぐらい見られる時間があるかも全くわかりません。

 とは言え、先がわからぬことは誰しも同じだと思います。大津波とどのように対峙していくのか。人生も芸術も、結局はそれだけなのです。

 この機会に、これまでの読者の皆さんのご厚情に御礼を申し上げ、今後も変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。
(初出:マガジン・ワンダーランド第232号、2011年3月17日発行。無料購読は登録ページから)

【著者略歴】
 水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
 ワンダーランド編集長。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。大学卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/category/ma/mizuushi-kentaro/

「震災と演劇」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: betty (.^_^.) 蓓蒂

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