◎見ごたえあった短編コンペ
水牛健太郎
短編をいくつかの劇団が持ちより、コンペ形式で上演するという、MU主宰のハセガワアユムによる企画の第一回目。今回参加した三劇団(MUのほかに、高木登主宰の鵺的、瀬戸山美咲主宰のミナモザ)は、カトリヒデトシ氏の三分類に言うところの「を」派(完成したテキストを元に上演する、ほぼ戯曲=作家中心主義と言ってよい形態)に属する劇団で、主宰が作・演出を兼ね、出演はしないという共通点がある。だから、主宰がまずは戯曲の完成度を高め、しかるのちに演出で自分の中にある像を実現しようと努める…という作業工程が見えやすく、また各俳優の仕事も、「役」というものを基準にそれをいかに表現したかという形で捕らえやすい。
もともとコンペが成立しやすい性質を持つ三劇団だが、今回はそこに更に「三人芝居もしくは四人芝居のスタンダードを作る」という目標が設定された。上演時間もそれぞれ三、四十分にそろえられていた。会場となった渋谷のギャラリー・ルデコ4Fは平土間のごく小さなスペースで、少人数で使いやすく、また小屋代も安い。このように、今回の企画はフォーマットがかなりしっかりしている。
観客には投票用紙が配られ、各作品のよかった点、よかった俳優(男女各二人ずつ)を選ぶよう求められた。後日この投票用紙の集計を元に、三人の審査委員の話し合いにより各賞が決められることになっている。
実は私はこの審査委員に名前を連ねており、審査は今週末に予定されている。立場上、こういう形で評論を先に公表するのは差し障りがあるかもしれないのだが、当方の事情(今週の掲載原稿がこれ一本であることからご推測ください)もあり、ワンダーランドに評を出すことをハセガワ氏に了承してもらった。これは個人的なスタンスの表明になるが、審査結果は他の委員の方々との合議なので、ここに書いた評価とは全く別のものになりうることは言うまでもない。
さて、最初の作品はミナモザの「スプリー」。深夜の病院でベッドに横たわっている男性(宮川珈琲)に看護婦(木村キリコ)がのしかかり、骨を折ろうとしている。個人的な関係は何もないはずなのに…。というところからスタートする作品。中盤まで、かなりコント調なのだが、そこが逆に難しかった。コントはテンポやタイミングがかなりうまく決まらないと笑えない。会場ではそこそこ笑いも起きていたけれど、いつもうまくヒットしていたとは言えない。コントはストレートプレイとは本来別のジャンルで、うまい俳優がコントで笑いを取るかというとそれは違う。もちろんどちらもうまい俳優さんもいるが。そしてより重要なのは、いい芝居といいコントは両立しないかもしれないということだ。
コントは「笑い」を明確な目的にするが、ストレートプレイには特定の目的はない。仮に目的が「感動」だとしても、方程式のようなものがあるわけではない。コントには明確な目的があるから、登場人物はどうしても記号になる。ベタな記号の方が笑いやすいというような意味だけではなくて、特定の目的のために成立する人格というのはないからだ。登場人物が舞台上で人格として扱われるということと、笑いのための「道具」になることとは両立しない。
この作品は後半がシリアスな展開になるが、前半には明らかに「笑い」を目的として書かれ、演出されている部分が多い。そこにそごがあるように感じた。そして最後に、ベッドに横たわった状態で男性に長い独白があるが、これは全く演劇的ではなかった。おそらくテレビだったら男性と看護婦の顔が交互に映ったり、男性の回想シーンが挿入されたりする場面だが、あいにく演劇。私の位置からは舞台上の二人の顔もほとんど見えず、動きもなかった。
鵺的の「クィアK」はゲイの世界の話。男娼の近藤(平山寛人)が常連客の木谷(今里真)のもとを訪ねると、女性(宮嶋美子)がいる。木谷は自分を慕う女性を奴隷として飼い始めたと言って、虐待してみせるのだが…。という話。不快で緊迫した状況から一気に展開していく物語。セリフに力があり、例えば近藤が男娼の仕事を「割り切るだけじゃ続かない仕事だからさ」と言ったりする。社会経験と想像力がなければ書けないセリフだ。どんな仕事だって実際は「割り切るだけじゃ続かない」のだが、売春という極めて特殊な職業を目の前にすると、私たちはつい「割り切っているのだろう」と考えがちだ。だけどそうではなく、性という重要な部分を売る仕事だからこそ、かえって「割り切るだけでは続かない」。
俳優は三人とも素晴らしかった。それだけに、最後の場面はセリフが多すぎると感じた。セリフはいらないから、今里と宮嶋の姿だけを見たかった。平山も含めた三人は、ラストシーンまでにそれだけのものを作りあげていた。
最後はMUの「無い光」。イラストレーターの理英(秋澤弥里)が自らの臨死体験を元クラスメートのライター後藤(杉木隆幸)に話している。雑誌の記事の取材だ。そこには後藤のアシスタントの朝子(金沢涼恵)、元級友で理英に思いを寄せる修造(武田諭)も同席している。そこから若干スラップスティック調に話が展開していく。
深刻な話を笑いにまぎらすセリフのセンスには好感が持てる。俳優も悪くなかった。特に客演の二人(武田、金沢)はさすがに力がある。物語は面白いと思うが、細かいところが現実感に欠けている気がして、気になった。
もちろんお芝居は嘘でいいのだが、上手な嘘でだましてほしいわけで、そこが成立していないと気持ちよくならない。具体的に言うと、登場人物たちが「臨死体験」というものに対して持っている思い入れのようなものがよくわからなかった。例えばこの劇の中ではその時「光」が見えるかどうかが、とても大きな問題として扱われているのだが、それが実感として伝わってこなかったことや、後藤と朝子が臨死体験の記事を書くことに対して持っている使命感のようなものがぴんとこなかったことなどだ。
お芝居では色々と突飛な設定が登場するが、それでも脚本家はそれを自分と地続きにあるものとして考え抜いていく心理的な工程が必要だと思う。そこに隙間があるかどうかを見極め、そのレベルで嘘をつかないことが、作品の質と大きくかかわってくる。全てを自分と地続きに考えることと、自由に想像の翼を広げることは決して矛盾する作業ではない。
いずれにせよ、今回の企画は三本ともそれなりに見ごたえがあり、見ていると、二時間の作品を一本見るのとは違った集中力が自分の中で動くのがわかって面白かった。来年も企画されているので、大いに期待したい。
(初出:マガジン・ワンダーランド第210号、2010年10月6日発行。購読は登録ページから)
【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
ワンダーランド編集長。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。大学卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro/
【上演記録】
視点(MU × ミナモザ × 鵺的)vol.1『Re:TRANS』
渋谷ギャラリールデコ4F(2010年9月21日- 26日)
▽鵺的『クィアK』
脚本・演出 高木登
木谷 鑑:今里真
菅野紗代 :宮嶋美子
近藤史直 :平山寛人
▽ミナモザ『スプリー』
脚本・演出 瀬戸山美咲
男:宮川珈琲
女:木村キリコ
カサイ:実近順次
▽MU『無い光』
脚本・演出 ハセガワアユム
後藤:杉木隆幸
理英:秋澤弥里
修造:武田 諭
朝子:金沢涼恵
審査委員
カトリヒデトシ(劇評家・エムマッティーナ主宰)
手塚宏二(こりっち(株)所属・演劇コラムニスト)
水牛健太郎(ワンダーランド編集長)
スタッフ
宣伝美術=イシイマコト (united.)
照明デザイン=元吉庸泰(エムキチビート)
演出助手=古屋敷悠
衣装(鵺的)=中西瑞美
小道具協力(ミナモザ)=じんのひろあき
DJ=福原冠(国道五十八号戦線)
制作協力・当日運営=林みく(karte) 伊藤静香(karte)
企画・主催 “視点”制作部