◎不都合な視覚、豊かな非視覚
門田美和
私は翻訳をする。誰かの意図を別の言葉に置き換えて伝えている。そのとき私の頭の中には誰かの意図が入り込み、時にさらりと、またはそうではなく私から出て行く。私を通過したら言語だけが変わる。そういうコミュニケーションの形式を私は生業としているのだと思っていたけれど、本当はどうなんだろう。
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」はあまりにも有名なエンターテイメント形式のワークショップなので、体験した方も多いことと思う。1989年にドイツのアンドレアス・ハイネッケ博士が発案し、世界各地で開催され、日本でもこれまでおよそ5万人が参加しているそうだ。これから参加しようと考えている人は、詳細を知らない方が五感をフルで驚かせ、楽しめるかもしれない。私が参加した東京では、参加者は8人のグループを組み、白杖を手に、光を遮断した環境で、視覚障がい者のスタッフのリードにしたがってさまざまな体験をした。目を閉じても開けても闇、全く何も見えず、方向さえもわからない状態で、私たちはブランコに乗り、ボールを投げ、ドリンクをオーダーしてくつろいだ。ブラインド ウォークもしたことのない私には、その体験のほとんどは想像を超えた刺激を五感にもたらした。動物的な恐怖と危機感を蘇らせ、常識をぐるりと覆された体験だったが、パフォーマンス自体はたったの1時間程度だった。
WYSIWYGというか、Seeing is believing的な世界にあなたも私もいるのだと思うけれど、実際ヒトは情報の約8割を視覚から取り入れるそうだ。8割がどれほどのものかは失ってみるとわかる。誰がいるのかいないのか、どこにいるのかいないのか、上下左右に何があるのか、またはないのか、今まで頼ってきた視覚から無情報な状況に晒されると、感じたことのない恐怖にとらわれて容易には動けない。杖があろうが関係ない。にわかに敏感になった足の裏の感覚は段差や障害物に過剰に反応するし、誰かが側にいて、しかも触れられる距離にいないと不安で仕方がない。またはその声を聞き、距離と存在を絶えず確認したくなる。視力が乏しい状態というのは、たとえば生まれたての赤ちゃんや my飼い猫もこれに近い感覚を味わっているのだろうか。まったく、約8割とは難儀なことだ。
視覚のない私たちがそれではどうやってその失われた約8割を補ったかというと単純で、皆で声を出したのだった。すぐに全員が悟ったのだけれど、他人に力を借りずには自分のしたいことができないし、自分のしたいことはまわりの人に理解してもらうことが必要だった。たとえばブランコに乗るときは、順番を決めるために「門田はここです」と存在をアピールし、背後やまわりには「段差があります」「手すりはここです」と伝え合う。「手を貸してください」と声に出してお願いし「ありがとう。座れました」と声に出して報告し、せーの!でブランコを漕ぐ。オーラとか、かまって光線とか、目ヂカラもさることながら、視覚的な技などは一切使えないので、ひたすら直接的なコミュニケーションを繰り返す。先ほどまで見知らぬ他人だった私たちのパーソナルスペースは瞬時に狭まり、他人に触れることも触れられることも「え、ちょっと」的な戸惑いから、必要不可欠な行為にすぐさま変わる。他人があれほど必要になり、信頼を寄せ、自分もまた他人の信頼に応えるという環境が、あっという間に築かれる。日常的にはそれが何かとても難しいことのように感じられてしまうのは、視覚情報があるせいなのだろうか。なんだか自分だけで何でもできているかのような錯覚に陥って、自分と他人が同じ場所に同等に存在していることを忘れてしまうような。いや違うな。ごちゃごちゃと思索する私。価値観が変化中の暗闇の私。
皆で手を繋いで円も作った。といっても、隣人は気配でしかわからないので自己紹介しながら手を探して繋ぎ、円になっているかどうかは、1人ずつ伝言ゲームのように隣の人に信号を送り、最後の人が最初の人に信号を届けたところで円ができたことを確認する。私たちは作りたての円の中でボールを投げ、キャッチしてみた。ブラインドサッカーで使用する、中に鈴の入ったボールだ。投げる側は、受け取る相手に声を出してもらい、位置を想像する。これはほとんどの者ができたので、ヒトは暗闇でも声を頼りに位置や距離がほぼ正確にわかるのだろう。
その後、キッチンのあるカフェ的なエリアへ移動して、菓子をいただき、ドリンクでしばしまったりする。まず菓子があることを教えてもらい、皿の位置を確かめたら触覚でファーストゲス、味覚でセカンドゲス、菓子はクッキーとかっぱえびせんだった。ドリンクは、量が見えないし、グラスの形も触覚で想像をめぐらすだけなので、おそるおそる口を寄せては静かにジュースを飲む。こぼさないようにビビりながら飲んでいると「目が見えなくても何でもできるんですよ」とカッコいい発言が視覚障がい者の方から飛び出す。「例えば料理教室だってできるんですよ。ただ、許可が降りないだけで」なるほど。できるという考えを阻むのは常に、できないと決めつけている誰かの常識や誰かの経験なのだな。本当にできるかどうかわかりもしないのに、なんだかすいません、という気持ちになる。
別にスピノザ的なことを言うつもりはないけれど、私が視覚に障がいがない状態であることには何の必然性もなく、たまたまそうなだけなのだと思う。何かを得ることは、何かを手放しているだけかもしれないし。そして実際視覚に障がいがないために、嗅覚や聴覚は、そうでない方のそれほどには機能しないんだろう。まさに光のない状態では私の運動能力はがくんと落ちたし、イスに座ることもままならなかった。触覚もあいまいで、例えば目の前のテーブルがどんな形か、触覚から想像力へとうまく広げることができない。それが限られた空間と時間だったとはいえ、あの時、ブラインドサッカーが一番上手なのも、一番勇敢なのも、視覚に障がいのある方だった。何かが可能なことが、自分が関わる場所では価値があったとしても、全くそうでない場所というのも存在するわけだ。考えたら言葉だってそうなのだった。私は偶然英語が使えるけれども、訪ねた異国によっては、相手に伝わる言葉が使えない、言うなれば、言盲というか、言葉に障がいのある人となってしまう場合もある。そんな場面では、人間同士のコミュニケーションを成立させる手段の1つが翻訳や通訳で、本来私が果たすべき役割なのかもしれない。何か違うもの同士であるかのように見える二者をリンクさせ、腑に落ちる瞬間をもたらす作業。
終わって明るい空間に出ると、失われた約8割の感覚が戻り、羞恥心や社交ルールを飛び越えたコミュニケーションは直ぐに排除されてしまった。わからない。子供や動物は方法を変えないのかもしれないけれど、私たちは良識ありげな大人に戻った。視覚があれば安堵が得られると思った1時間前の私に軽いツッコミを入れる。実社会とワークショップでは比較すべき土台は異なるけれど、視覚がない世界は必ずしも足りない世界とは限らず、かなり豊かな世界であるかもしれない。
(初出:マガジン・ワンダーランド第195号、2010年6月16日発行。購読は登録ページから)
【筆者略歴】
門田美和(もんでん・みわ)翻訳者。海外留学、会社員を経て、2009年よりフリー。
ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/monden-miwa/
【上演記録】
『ダイアログ・イン・ザ・ダーク TOKYO』
主催:特定非営利活動法人 ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン
会期:第5期 2010年3月20日(土)~開催中
第4期 2010年1月4日(月)~3月14日(日)
第3期 2009年10月1日(木)~12月27日(日)
第2期 2009年7月4日(土)~9月23日(水)
第1期 2009年3月20日(金)~6月22日(月)
会場:東京都渋谷区神宮前2-8-2 レーサムビルB1F
定員:各8名(所要時間約90分)