ミナモザ「エモーショナルレイバー」

◎ベランダから見える景色
  水牛健太郎

「エモーショナルレイバー」 公演チラシ そう言えばマンションのリビングにはなぜ、必ずと言っていいほどベランダがあるのだろうか。そのマンションにもベランダがある。ベランダの向こうは隣のビルの壁だ。空は見えない。幹線道路からのざわめきだけが聞こえる。都内。何となく渋谷とか六本木あたりに思える。

 新しげなフローリングでぴかぴかのマンションの一室だが、ベランダのバルコニーの内壁には、コンクリートのひび割れの修繕痕が幾筋も走っている。築十五年以上か。場所の割に家賃は安いはずだ。部屋の主は、誰もが知る都内のぴかぴかの場所で働いているという張りを切実に欲しており、そして表面を流れる金は一見潤沢だが、実情は厳しい。

 そこは振り込め詐欺グループの事務所であり、食い詰めたり司法試験に受からなかったりしてこの場所に吹き寄せられた男どもが電話をかけ、老人を騙し、金を引き出しに出撃していく。していることは犯罪だが、その勤労倫理や上下関係、緊張感などは、意外や普通の会社とそれほど異なるものではない。ただ時々日常に走る亀裂、その間から顔をのぞかせる深淵の深さだけが、犯罪グループの刹那性を浮かび上がらせる。この男性集団にはなぜか二人の女性が加わっている。そこがこの劇の焦点となる。

 既視感があった。自分もかつてこんな場所にいた。七年ほど前のことだ。四年間のアメリカ留学を金銭的な問題で中断し、しかしまだ博士号に未練はあって、何とか戻れないかと考えていたころ。アルバイト雑誌で見つけて行った表参道のマンションの一室。そこは、箱根駅伝で知られる私立大学の法学部の教授が主宰する薬事コンサルタントの事務所だった。教授の肩書に、いいコネにならないかといった気持ちがなかったと言えば嘘になる。「先生」以外は二十代から三十代前半までの若い人ばかり、十何人も忙しげに働いていた。すぐに採用が決まり、私はそこに八カ月ほど通うことになる。

 簡単に言えばそこは、主に健康食品の業界をターゲットにした「先生」の怪しげなサイドビジネスの場だった。法学部教授の肩書で集めた「会員」が三十社余り。有名な食品会社や化粧品会社の名もあった。毎月五万の会費を徴収して、「会報」を送りつける。私はこの「会報」の編集を任された。新聞記事を検索してでっちあげた「最新情報」や、そこに付けたもっともらしいコメントで構成される薄い中身。「先生」は半年に一度ほど「特別セミナー」と称して会員企業から十万円の会費を取り、二時間ほど「薬事行政の動き」についてしゃべった。多くの企業は、会員になって一年ほど経つと騙されたことに気づいて退会するのだが、新しい会員もまた次々と加わった。

 過去に何かあったのか、もともとそういう人だったのか。「先生」は犯罪性の人物だった。まともに稼ぐより、人をだましたり法の網をかいくぐるようなやり方を好んだ。できるはずのない治験を健康食品会社から請け負って数千万円の金を手にし、途中で費用が足りなくなったと言っては追加を求めた。呼ばれてもいない九州の会員企業に愛人との観光旅行のついでに押し掛け、一時間ほど担当者と話をし、後日「出張コンサルティング」と称して三十万円の請求書を送りつけた。「アガリクスでガンが消えた」といった本を監修し、「どうしたら薬事法に引っかからないか」のアドバイスをした。優良企業との縁はすぐ切れたが、暴力団がらみなど悪質な会社とは深い関係になった。「先生」は陰気で、目が決して笑わなかった。

 やっていることは犯罪すれすれだったが、ここで働くのは楽しかった。その事務所には、ふとした運命のいたずらで行き場を失った人たちが集まっていた。新卒で就職した会社が数カ月でつぶれた若者。オーストラリアでボクシングに打ち込み、気づいたら三十代半ばになっていた男。税務署を何かの事情で辞めた人。歌手としてのキャリアが行き詰まり、今後を模索していた人。よくみんなで飲みに行った。いいヤツばかりだった。長く勤めることなどあり得ないからこそ、気楽だった。連れだって外に出ればそこは表参道。表通りには自分たちには到底手の出ない高級品が並び、裏通りには若いデザイナーの洋服やバッグの店がちらほらとあった。金もなければ先の見通しもないのに、気分は不思議と明るかった。

「エモーショナルレイバー」公演から
【写真は、「エモーショナルレイバー」公演から。撮影=服部貴康 提供=ミナモザ 禁無断転載】

 「エモーショナルレイバー」を見て、その頃の気分を強烈に思いだした。あんなベランダが、確かにその事務所にもあった。劇の登場人物たちと同じく、私たちもよくベランダに出たものだった。煙草をふかしたり、空気を吸ったり。窓を開ければ、色々な音が聞こえてくる。車の走行音、近くの店のBGM、道行く人の話し声。都会のざわめきに包まれると、それだけで何だか明日も生きられるような気がしてきた。この場所での時間が長続きしないことを知っていて、終わりの近さを感じながら、それでも淡々と毎日は流れていき、その中にはそれなりのきらめきもあって、それはやはり二度と戻らない貴重な一瞬だ。その切なさをうたいあげることにおいて、この作品は紛れもなく青春群像劇だし、そういうものとして一定の水準に達していると思う。

 ただ、この作品には問題もある。女性の扱いだ。作・演出の瀬戸山美咲は女性であり、この作品の最大のモチーフは振り込め詐欺グループという男性集団に加わった女性のあり方なのだが、その扱いは少し意図不明というか、とても誤解を招きやすいものだ。

 二人の女性は、化粧っけのない地味な女性ケイと、派手な化粧をしたいわゆるギャルであるエンジェル。ケイはどんな仕事もこなせそうな優秀な女性であり、このグループでの成績もいい。一定の敬意をもってメンバーから扱われる一方、どうしてここにいるのかといぶかしがられてもいる。エンジェルは対照的に(このいかにもな対照性がまた問題なのだが)仕事は何もできそうにない。事務所の男性全員と関係を持ち、はっきり言えば慰安婦として存在を許されている。

 ケイはどうしてこのグループにいるのか。この作品が「答え」として用意しているのは、ケイが自分でもどうにもできないほどの「母性」を持ち合わせた女性であり、その当座の振り向け先としてこのグループを選んでいるということである。かつて岩崎宏美の「聖母(マドンナ)たちのララバイ」というヒット曲があったが、だいたいあんな感じだと思えばいい。「聖母たちのララバイ」は男を「傷を負った戦士」に見立て、自分はその傷をいやす安らぎの母になろうとする気持ちを歌ったものだ。

 全くタイプの異なるケイとエンジェルは距離のある付き合いだったが、ラスト近くになってエンジェルが事務所を辞めることをケイにだけ打ち明ける。エンジェルは父親の分からない子を妊娠したといい、その子どもをケイにあげる、ケイはこの子に愛情を注いで生きていけばいい、と提案し、ある種の和解に達する。

 よく、男の作家は女性のキャラクターを「聖母」と「娼婦」のどちらかに分類してしまう、といったことが問題として指摘される。女性から批判されるこの「男性の月並みな女性観」をなぞったかのような「エモ―ショナルレイバー」の筋書きは意図的なものなのか。何か悪意が込められているのか。よくわからないが、どうもあまり戦略的な意図はなさそうである。

 瀬戸山という人は、自分の女性性の出し方で誤解を招きやすい人であるらしい。今回の公演のアフタートークの時に着ていたワンピースのスカート丈が短すぎて目のやり場に困ったと、男性からではなく女性から聞いた。「椅子に座るのわかってて何であんな短いスカートなの?」というわけだ。こんなどうでもいい話を紹介するのも、そこに、「エモーショナルレイバー」のプロットの意図せざる(?)挑発性と似たものを感じるからだ。

 スカート丈の件でも、その場の結論は「挑発してやろうとかいう意図は本人にはないらしい」といったところに落ち着いていたが、そんなもの分かりのいい人ばかりではない。スカート丈ぐらいならまだいいけれども、「男性の女性への偏見」をそのままなぞる女だと思われるのは今後の作家としての生命にかかわってくる。瀬戸山の意図が、「女性は男性と同じ土俵で戦わなくてもいいはずだ」という確信に基づいて女性なりの生き方を模索することにあるというのはわかる。それはそれで真っ当な問題意識である。ただ、そこで「聖母と娼婦」という古めかしい構図が出てくるのがよくわからない。意識して戦略的に挑発しているのなら勝手だけれども、単に気づかないで人の神経を逆なでしているのだとしたら、ちょっと考えた方がいいかもしれない。作るつもりのない敵を作っている余裕はないはずである。

 私がその事務所を辞めて三年後、「先生」は詐欺容疑で逮捕された。ニュースを肴に、かつての事務所の仲間が久しぶりに集まって、楽しく飲んだ。「まあ、いつか捕まると思ってたよ」「悪いことはできないもんだな」。事務所を辞めた後の境遇は様々だった。「薬事コンサルティングの経験」を売り物に、誰もがうらやむ一流企業にもぐりこんだ人もいたし、職種は変われど「先生」の事務所と似たような会社に勤めている人もいた。

 多かれ少なかれ、みんなが逮捕された「先生」の共犯者だった。その後ろめたさがちょっとした隠し味になって、場は一層盛り上がった。何かがこれで終わった。みんなそう思っていた。あんな楽しい飲み会は二度とないだろう。その後、彼らとは一度も連絡を取っていない。
(初出:マガジン・ワンダーランド第226号、2011年2月9日発行。無料購読は登録ページから)

【筆者略歴】
 水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
 ワンダーランド編集長。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。大学卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro/

【上演記録】
ミナモザ「エモーショナルレイバー」(シアタートラム ネクスト・ジェネレーション vol.3)
シアタートラム(2011年1月20日-23日)

作・演出:瀬戸山美咲
出演:宮川珈琲 井上カオリ 中田顕史郎 印宮伸二 ハマカワフミエ
林 剛央 坂本健一 小西耕一 柳沼大地 斉藤淳

STAFF
舞台監督/伊藤智史
照明/上川真由美・小泉和子
音響/前田規寛・田上篤志
舞台美術/泉 真
劇中映像/松田修
演出助手/中尾知代(蜂寅企画)
宣伝イラスト/藤沢とおる
制作/佐藤希(Andem)
制作協力/一ツ橋美和(少年社中)
料金:一般 2,500円 高校生以下 1,250円 U24 1,250円

ポストパフォーマンストークゲスト/
ハセガワアユム(MU)・谷岡健彦(東京工業大学外国語研究教育センター准教授)・菅原そうた(映像作家)

協賛/トヨタ自動車株式会社
協力/ 東京急行電鉄/東急ホテルズ/渋谷エクセルホテル東急
主催/財団法人せたがや文化財団
後援/世田谷区
企画・制作/世田谷パブリックシアター
平成22年度文化庁優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業


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