デス電所「残魂エンド摂氏零度」

◎舞台と客席に体温を持つ人間が なりかわられることへの反措定
高木龍尋(大阪芸術大学大学院助手)

「残魂エンド摂氏零度」公演チラシ小劇場演劇に限ったことではないかも知れないが、演劇の、または劇作の大きな出発点となるのは「人間探し」「自分探し」と、「今」という時間・時代の認識なのだと思う。けれども、このところ劇場でよくよく感じるのは、現実の人間や世界には触れあわないものが増えてきているのではないか、というひとつの傾向である。

“デス電所「残魂エンド摂氏零度」” の続きを読む

プリセタ「モナコ」

◎おじさんは、さまよい、さすらう 若くないことを受け入れて立つ肉体
徳永京子(演劇ライター)

プリセタ「モナコ」公演チラシ大好きだったバンドへの興味が急に冷めた瞬間を覚えている。そのバンドが、実年齢よりもずっと若いボキャブラリーで曲をつくり、永遠の青臭さを定位置にするつもりだと気が付いた時、はっきりと「もう新譜を買うことはないだろう」と予感した。年を重ねれば考え方や感じ方が変わるのが当たり前で、その変化をどう受け止め、どう作品に採り込むか。そこに生まれる表現に、私はその人が表現者として正直かつ誠実であると感じ、興味を持つ人間なので、残念ながら熱心なリスナーを辞退したのだった。

“プリセタ「モナコ」” の続きを読む

パラドックス定数「東京裁判」

◎物語へのアンビバレンツを超克 成熟と未来を示唆する重要公演
高木登(脚本家)

「東京裁判」公演チラシ先般、NHK-BS2の「深夜劇場へようこそ」に出演したチェルフィッチュの岡田利規はこう言った。
「坂手(洋二)さんみたいに(社会的な問題に)コミットするのは自分にとって嘘になっちゃうんで」
林あまりから坂手洋二や鐘下辰男などの先行世代にくらべ、岡田の社会問題のとらえ方、表現の仕方が相当異なっているという話を振られてのことである。

“パラドックス定数「東京裁判」” の続きを読む

柿喰う客「傷は浅いぞ」

◎巧みにして知的、速射砲的台詞の愉楽
谷賢一(劇団DULL-COLORED POP 主宰)

「傷は浅いぞ」公演チラシとにかく勢いのある、勢いのある劇団である。今年の夏はモリエール、年末はお台場、正月にはトラムと、とんとん拍子ですごろくを進めている若手劇団、「柿喰う客」。主宰はまだ確か二十三歳、劇団員の平均年齢も恐らく二十代前半だろう。

“柿喰う客「傷は浅いぞ」” の続きを読む

時間堂「月並みなはなし」

◎やわらかな手つきで世界を変える
徳永京子(演劇ライター)

「月並みなはなし」公演チラシ結局、演劇をはじめとするあらゆる表現活動は、世界を変える方法のアイデア提示だとは言えないか。つくり手が認識する、あるいは目指す「世界」の広さ、「変化」の規模はさまざまだが、自分(達)の作品に接した前と後で観客の意識が変わることを目指さない表現者はいない。つくり手が自覚的か無自覚かに関わらず、演劇は世界の定義を広げていく運動に他ならない。脚本や演出のスタイルの差異とは「だから自分は変えたい」という動機、「自分だったらこう変える」という具体策の差異なのだ。

“時間堂「月並みなはなし」” の続きを読む

THE SHAMPOO HAT「その夜の侍」

◎現代の不幸に敏感な作家が描く不幸と成長
高木 登(脚本家)

「その夜の侍」公演チラシ初見は第十一回公演『蠅男』(2001年10月)である。チラシが素敵だったのと、遊園地再生事業団の制作者だった永井有子が同ユニット活動休止中に制作をしていると聞いた劇団だったので、これはまちがいなかろうとスズナリに足を運んだのだ。結果は当たりで、正気と紙一重の狂気、現実と紙一重の虚無をシニックな笑いで包んだ傑作だった。虚無の深淵を垣間見せることのできる才能は少ない。それはたとえば作家でいうと深沢七郎とか色川武大らのことであり、才能というよりはむしろその実存に拠るところが大きい。赤堀雅秋はその種のひとなのだった。

“THE SHAMPOO HAT「その夜の侍」” の続きを読む

France_pan「貝を棒で」

◎男と女の距離と作品と作品の距離、そして観察者
高木龍尋(大阪芸術大学大学院助手)

「貝を棒で」公演チラシFrance_panの公演は観ようと思っていた。というのも、前回公演「前向きな死に方」(2007年3月、精華小劇場)が私にとって衝撃的な作品だったからである。関西、というよりも大阪の小劇場には珍しく、何もしない、作品だった。何もしない、というのは勿論、芝居をしない、ということではない。舞台の上から観客の反応、つまりはウケを無闇に狙わないということだ。ひとりのダメ男が自殺するまでを淡々と舞台の上に載せてゆき、後方に張られた男の生命線となっている赤い糸を自ら切る瞬間へと集中してゆく作品には、観客に媚びたような箇所は全くなかった。ただ、作品の中の時間を進めてゆく…… それがダメ男の感覚の虚無と異常を客席にまでしのばせてきていた。

“France_pan「貝を棒で」” の続きを読む

ブラジル「天国」

◎「社会」を喪失した社会人の悲喜劇
高木登(脚本家)

ブラジル「天国」チラシ舞台上には地方都市の居酒屋のセットがリアリズムで設えられている。美人のマヤ(山田佑美)という若女将が営むこの店に訪れるのは、近くの自動車工場で働く期間工たちである。彼らは実に他愛ない話で盛り上がり、子どものようにはしゃぎあう。だが労働の実態は過酷で、彼らがそれぞれに抱えた事情もなにかと複雑のようだ。期間工のサトウ(西山聡)は、マヤがかつての自分の知り合いの女・カズミが整形した姿ではないかと疑っており、物語が進展するにつれて、それはどうやら事実であることがあきらかになる。サトウはかつておなじ期間工のトモノ(辰巳智秋)と共謀し、カズミの亭主殺害の隠蔽に手を貸したことがあるようなのだ。そして偶然の出来事であるかのようにされていたその殺人は、実は保険金目当ての計画的なもので、サトウもトモノもカズミにいっぱい食わされたのであるらしい。

“ブラジル「天国」” の続きを読む

hmp「Rio.」

◎独自の作品形式で「問い」を産出 アヴァンギャルドの保守化を超えて
高橋宏幸(演劇批評)

hmp「Rio.」公演チラシ芸術の表現における「実験」や「アヴァンギャルド」など、作品や傾向に付けられる言葉は、何をもっていえるのか。また、それぞれの時代の様式や形式に対して付けられた名称の基底にあるものとは何か。

“hmp「Rio.」” の続きを読む