岡田利規 × 中野成樹「チェルフィッチュ、世界的超感染力のゆくえ」

◎自分が使ってる言葉と、生活している動きを肯定的に提示したい
高野しのぶ(「しのぶの演劇レビュー」主宰)

アートカフェvol.7チラシ2007年5月に代表作『三月の5日間』の海外ツアーを行った、チェルフィッチュの岡田利規さんを迎えた「ポスト海外ツアートーク」に伺いました。聞き手は中野成樹さん(中野成樹+フランケンズ)。仲良しのお2人の歯に衣着せぬトークに笑いながら、岡田さんがパリとブリュッセルの舞台芸術業界に触れて、「いま思うところ」を聞かせていただきました。
岡田さんと中野さんが話された言葉を、なるべくそのままにご紹介することを心がけたレポートです。

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ニットキャップシアター「お彼岸の魚」

◎私は誰?私は私。そして叩き壊し 「誠心誠意の毒」の証
高木龍尋(大阪芸術大大学院助手)

「お彼岸の魚」公演チラシ私の記憶の中に私の姿がないのは、言われてみれば至極当然のことである。鏡を見ている時間の記憶は別にしても、写真やビデオでも撮っていなければ、自分自身がいつどこでどのようなことをして、その様子がどんなだったかを見ることができない。たとえ撮っていたとしても、事後的に確認する、私の記憶にとっては傍証のようものでしかない。そして、忘れてしまえばその時間が消滅する。無論、過去にあった時間が消えてなくなるわけではないが、その時間がどのようなものであったか辿れなくなる。初めから見ることができない自分の姿はおろか、自分の耳で聞き取っていたはずの会話もである。そして、忘れたことも忘れてしまえば、それは二度と引き出されることはない。
さて、ニットキャップシアターの「お彼岸の魚」は人の記憶と、そこに基づく自分自身が最大の主題となった作品である。

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MODE「変身」(カフカ原作)

◎多層的深みを孕むふり幅
高橋宏幸(近畿大学国際人文科学研究所研究員)

「変身」公演チラシ作品がそれのみによって完結されないこととして、たとえばプロセスの重視は、美術ならばプロセスアートやコンセプチュアルアートの一端を占める作品などで知られている。その方法を演劇にあてはめるならば、たとえばリーディングやワーク・イン・プログレスなどを経て、それが公演されるまでの軌跡を公開した作品を指すことになるのだろうか。

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ク・ナウカ「奥州安達原」

◎ &ltシニフィアン=音&gt としての言葉で表す物語の根源
田中綾乃(東京女子大非常勤講師)

「奥州安達原」公演チラシク・ナウカはやはり面白い!! 2007年2月27日、『奥州安達原』の千秋楽。ク・ナウカ俳優たちの漲る身体を前に、私は喝采の拍手を送りながら、そう確信していた。千秋楽ということもあって、4回のカーテンコール。舞台も客席も一体となって祝福の拍手に包まれた。
では一体、ク・ナウカのどこが面白いのか・・・? それは、月並みだが、ク・ナウカという集団が最後まで<演劇なるもの>の可能性を極限まで追求した、ということに尽きるだろう。

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らくだ工務店「幸せのタネ」(下)

3.「ポスト静かな演劇」の表現的冒険
堤広志(演劇・舞踊ジャーナリスト)

「幸せのタネ」公演チラシ●「上演」への評価
公演に参加できなくなった劇団員たちに替えて、他劇団から多くの客演を頼んだ『幸せのタネ』。長年培ってきたアンサンブルの妙味が崩れるのではないかといった傍目の心配をよそに、舞台は成功裡に終わった。また、劇団としてのこの大きな転換点は、結果的に俳優の資質を活かす石曽根の演出家としてのセンスを証明するに充分な機会ともなった。

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らくだ工務店「幸せのタネ」(中)

2. 転換点となった『幸せのタネ』
堤広志(演劇・舞踊ジャーナリスト)

「幸せのタネ」公演チラシ●岐路に立った劇団
ナチュラルな演技に基づいた絶妙なアンサンブルにより、インティメート(親密)な空気感を醸し出す。らくだ工務店が、そうした「アンティミスト(親密派)」な傾向を持つ劇団であるということを前章で書いた。そして、その表現は石曽根有也の「日常」を優しく活写しようとする戯曲と、緻密にして厳格な演出、それに応える劇団員たちの不断の努力があって、初めて成立するものであると思われた。

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燐光群「チェックポイント黒点島」

◎この一言を言うために-「世界はこの場所で、お互いに繋がる」
高木龍尋(大阪芸術大大学院助手)

「チェックポイント黒点島」公演チラシかつて私は大学の文芸創作の授業で、今は退職されてお会いする機会もなくなってしまったけれども、今なお健筆を揮っておられる小説家の先生にこう伺ったことがある。
「この一言、この一行を書きたいがためにながなが書くことがあります。これも悪いことではありません」

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らくだ工務店「幸せのタネ」(上)

1.「静かな演劇」とらくだ工務店
堤広志(演劇・舞踊ジャーナリスト)

「幸せのタネ」公演チラシ●変節の年だった2006年
昨年(2006年)は、小劇場界にとって変節の年だったのではないかと私は考えている。それは奇しくも若手劇団の登竜門である二つのフェスティバル-パルテノン多摩小劇場フェスティバルとガーディアン・ガーデン演劇フェスティバル(GGフェス)-が、ともに休止となったことに象徴されるだろう。一般的には無名に近い若手の小劇団が知名度や評価を獲得していく上で、こうしたフェスティバルはとても重要な機会である。しかし、そのステップアップのための檜舞台も、経済不況からくる劇場施設の移譲や方針転換から、近年は減少傾向にある。こどもの城「青山演劇フェスティバル」、グローブ座「春のフェスティバル」、新宿シアターサンモール「コマーシャル・サーカス」等が次々と開催を取り止め、最後まで残っていたこの二つのフェスティバルも、今また休止に至ってしまった。

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青年団「ソウル市民 昭和望郷編」

◎「器用な指先」が生んだ演劇性 劇作の王道を踏み、意外なまでにクラシカル
谷賢一(演劇ユニットDULL-COLORED POP主宰)

青年団第52回公演チラシ 1990年代初頭、現代日本演劇の静かな破壊者として現れ、シーンを大きく揺さぶった平田オリザだが、1982年生まれの自分は深夜のNHK-BS2で初めて彼の芝居を観たとき、「何だか地味なことやってるなぁ」とひどく冷淡だったことを覚えている。これは演劇である必要があるんだろうか、とも。

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マシンガンデニーロ「クロスプレイ」

◎生の重みという同時代へのメッセージ
栂井理依(舞台芸術ライター)

「クロスプレイ」公演のチラシ。クリックすると拡大表示私たちは、生きるために生まれてくる。その前提があるから、懸命に生きようと思うことができる。では、死ぬために生まれさせられるのだとしたら? いや、そうでなくとも、ある目的のために<生>を強いられるとしたら? それでも、私たちは同じように懸命に生きることができるだろうか。

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