らくだ工務店「幸せのタネ」(中)

2. 転換点となった『幸せのタネ』
堤広志(演劇・舞踊ジャーナリスト)

「幸せのタネ」公演チラシ●岐路に立った劇団
ナチュラルな演技に基づいた絶妙なアンサンブルにより、インティメート(親密)な空気感を醸し出す。らくだ工務店が、そうした「アンティミスト(親密派)」な傾向を持つ劇団であるということを前章で書いた。そして、その表現は石曽根有也の「日常」を優しく活写しようとする戯曲と、緻密にして厳格な演出、それに応える劇団員たちの不断の努力があって、初めて成立するものであると思われた。

しかし、今回の公演『幸せのタネ』では、この劇団の宝ともいえる俳優のアンサンブルに変化が見られた。一法師(いっぽうし)豊、志村健一、兼島宏典、山内三知ら、これまで印象的な演技を見せていた劇団員たちの顔が見当たらず、他の劇団から多くの客演を招いての公演となっていたからだ。その理由について、石曽根は当パン(公演リーフレット)で次のように書いている。

「あるものは東京から遠く離れた地で介護職員となり、障害者の姪を傍で見守れる環境へ移りました。あるものは自ら役者生命に危機を感じ、脚本家として子供たちの為の人形劇団と共に全国を駆け回っています。また、あるものは育児に専念するためにサポートにまわり、今回の公演を支えてくれています。」

歳月を重ねるにつれ、劇団員たちそれぞれが、個人の人生の上で岐路に立たされる年代に入ってきているようだ。他劇団から客演を多く招いたのも、こうした劇団の内部事情によるものらしい。それゆえ『幸せのタネ』は、らくだ工務店にとって今後の活動に向けた大きな転換点になったと言えるだろう。また、その変化は石曽根のドラマツルギー(作劇術)の面にも表れていたように思われる。

本章では、この『幸せのタネ』のストーリーを振り返りながら、作品の主題を究明しつつ、実際の公演の成果を確認してみたいと思う。ストーリーの詳細な解説は、完全な「ネタバレ」となってしまうが、次章ではそれを超えて、舞台上では直接描かれていなかった事柄にもフォーカスし、作品の解釈をめぐって深く踏み込んで行くつもりである。それゆえ、論考の上から不可欠な記述であることを前もってご理解いただくとともに、注意して読み進んでいっていただきたい。

●『幸せのタネ』のストーリー
舞台は、地方に暮らす高柳夫婦の家の一階リビングルーム。妻のタカコ(吉田麻起子)が隣接している老人介護福祉施設「幸楽園」で働いていることもあって、この家には家族以外にもさまざまな人たちが始終出入りしている。施設で編み物を教えている40歳過ぎのゲイ=波多野大作(ますだいっこう)や、介護職員の米倉圭一(岡本孝史)らだ。また、夫の牧夫(濱田龍司)もやはり近所にある学習塾で講師をしており、塾に娘を通わせている母親の伊藤知子(瓜田尚美)もたびたびここを訪れる。

「幸せのタネ」公演から
【写真は「幸せのタネ」公演から。提供=らくだ工務店】

この家には、牧夫の妹でろう者の久恵(江幡朋子)も同居している。だが、最近彼女は二階の自室に引きこもりがちで、勤めている設計事務所にも出勤しない日々が続いている。久恵のことを心配して、同じ会社の同僚である野口武(岩松高史)もたびたび訪ねてくるが、どこかそわそわしていて様子が変である。

そこへ、福祉施設のアトラクションのために呼ばれたマジシャンの下田賢(野本光一郎)がやってくる。下田はタカコの実兄で、牧夫とも面識はあるものの、長らく親戚付き合いはしていなかった模様。下田はマジックの助手として弟子の富平卓哉(今村裕次郎)を同行している。威勢はいいが間の抜けた富平は、いつも下田の手を煩わしている。

こうした人物たちが登退場を繰り返しながら、会話を積み重ねていくことによって、次第にそれぞれの人生模様と過去の辛い経歴が明かされていく。牧夫は元高校教師で、教え子だったタカコが在学中の頃から交際をはじめた。しかし、いろいろと噂になったために退職。タカコの卒業を待って結婚したが、やはり地元には居づらくなり、この地方で暮らすことになった。

タカコの兄の下田は、ここへ来る前にテレビに出演して東京タワーを消してみせた。しかし、実際はカメラの前でポーズをとらされただけで、テレビ局からはマジックのタネさえ教えてもらえなかったほど、マジシャンとしては三流。実際は仕事もほとんどなく、久々の「営業」で福祉施設にやってきたのだ。生活が困窮していて、妹夫婦の家に居候させてもらうことになる。

下田の助手の富平は、マジックで使う鳩が弱っていたため、ドリンク剤を飲ませる。その結果、本番ではフンをまき散らかしながら飛んでいって、逃がしてしまう。下田は鳩を捕まえてくるように命じたが、自分も串刺しショーでは舞台に引っ張り出した波多野の身体を刺して、さんざんな目に遭わせてしまう。そして後日、富平はほかの大物マジシャンから助手の仕事の声がかかっているので、下田のもとを離れたいと申し出る。そして、下田のマジックに対する中途半端な姿勢を批判するのだった。

失敗だらけの上に弟子の富平にも去られる下田だったが、その夜、階下に下りてきた久恵を元気づけようと簡単なマジックをしてみせる。最初は無視して相手にしない久恵だったが、下田がスポンジの大きな耳で(マギー伸司のように)おどけてみせると、笑顔をこぼして打ち解ける。

翌日、出社しない久恵を訪ねて、会社の野口がまたやってくる。パソコン操作の得意な久恵にメールを送ったが返事がないという。そして野口は久恵と二人きりになった時に、メールで送った内容「子供は堕ろしてくれ」という言葉の返事をきこうとする。しかし、何も答えない久恵。野口は金の入った封筒を一方的に置いて帰る。

夜、タカコと下田が飲みに出かけているところへ、伊藤知子が訪問してくる。知子は、結婚して1年10ケ月で離婚し、今はスーパーマーケットでレジ打ちの仕事しながら一人で娘を育てている。その夜は娘を母親に預けてきた。そして牧夫の背中にもたれかかるのだった。帰ってきたタカコと下田にその場を見られ、知子は言い繕ってごまかし、帰っていく。牧夫はタカコに謝るが、タカコは特別に責めたりはしない。

中絶を迫られた久恵は独りで悩み、二階で首を吊る。その様子はアルミサッシのカーテン越しにシルエットで映し出して表現される。その後、下田の回想シーンが入る。高校時代の親友だった渡邊博史(石曽根有也)のモノローグで、下田の妹であるタカコに恋心を抱いていた渡邊が、その思いをはしゃいだように明るく喋る。これもアルミサッシの窓ガラス越しに演じられ、暗転する。

舞台が明転すると、すでに久恵の葬儀の後らしく、みな喪服で行き来している。下田は心を入れ替え、仕事への意欲を語る。そして一人、部屋に佇んで、真剣な眼差しでマジックの小道具を手にして見つめ続けるのだった。

●「幸せのタネ」という主題
「人生には『タネも仕掛けも、ない』」というのが、このドラマの世界観である。どんなに不幸な境遇にあろうとも、人はその現実を引き受けながら生きていくほかはない。そこにはマジックのように都合良く、一瞬のうちに辛い現実を幸福な人生へと一変させてくれるタネや仕掛けなどは存在しない。だが、たとえ辛い現実そのものは変えられなくとも、個人の人生において少しでも幸せを追求していくことはできるのではないか、それがこの作品で石曽根の導き出そうとした答えなのだろう。

このドラマでは、どの登場人物もみな、多かれ少なかれ不幸な境遇にある。だが、どんなに不幸だとしても、人には幸せになる権利がある。そして、自分の人生を少しでも幸せな方向へと転換させるためにはどうすれば良いのか、それは自分にとっての「幸せのタネ」を見つけ、育んでいくことなのだ、と石曽根は語っているように思える。つまり、「人生には『タネも仕掛けも、ない』」かもしれないが、幸せになるためには「タネも仕掛けも、ある。」のである。

この言葉遣いの微妙な相違は、劇団側が公式に発表している複数の文書にそれぞれ見られるものである。劇団ホームページには、「人生には『タネも仕掛けも、ない』」という言葉が掲げられている。しかし、公演チラシの表面には「タネも仕掛けも、ある。」のコピーが、赤いハートの図案の中心に白ヌキ文字で置かれている。この劇団では、宣伝美術をいつも石曽根自身が手掛けていることから、このハートのデザインにも深い意味が込められているように思えてならない。

よく見ると、このチラシのハートの輪郭は、血が滴り滲んだようなタッチで縁取られている。色調も、鮮血が今まさに零れ落ちたかのようにほんのりと温かな朱に近い赤色で、リアルな感触がある、いわば血染めのハートなのである。舞台を鑑賞後、あらためてこのチラシを眺めてみると、この作品のテーマである「幸せのタネ」とは、人の生命や死が強くからんでいるものであることを強く暗示させる意匠とも言える。

実際のドラマ設定に置き換えて考えてみよう。このドラマの主人公であるマジシャンの下田が見つけることのできた「幸せのタネ」とは何か。それは久恵の見せた笑顔であろうと私は思う。相手がどんなに不幸な境遇にあっても、自分の芸がどんなに拙くても、マジックを媒介として人に笑顔をもたらすことができるかもしれない。その喜びを、下田は久恵を前にして一瞬でも確信することができたのだ。「幸せのタネ」を悟らせてくれた久恵の死を無駄にしないためにも、これを心の拠り処にして生きていく決心をしたのだろう。

ラストシーンで、下田が真剣な眼差しでマジックの道具を手にしながら、しかしどこか晴れ晴れとした表情をしているのも、こうした心理によるものと思われる。ドラマ前半で下田本人の口にした「(マジックの)タネがわかっていても、最後は芸人の腕だ」という自嘲的なセリフが、ラストではその意味が反転し、自らにとっての「幸せのタネ」を育てながら自信を持って生きていく意欲の大切さを訴えかけてくる。余韻の残る印象的な幕切れであった。

下田はこれ以降、おそらく久恵の笑顔を偲びながら、心機一転してマジックへの意欲を燃やすことになるだろう。そして、観衆の意表を突き、笑いを巻き起こすショーを展開していくことになるだろう。東京タワーを消してみせるといった、一見派手だが視覚的なトリックで視聴者を煙に巻くマジックではなく、目の前にいる観客の気持ちをほぐし、楽しませ、いつまでも愛されるマジック芸で人気者となっていくことだろう。

彼の芸は、辛い現実を生きる人々がそのマジックを見る瞬間には心の憂さを晴らし、気障りを慰撫してもらえる、甘美で愉快な「幸せ」を実感させる場を創り出すはずである。芸人(芸能者)とは、本来そうした非日常的な「ハレ(晴れ)」の精神を観衆にもたらす存在である。そのことを思えば、この作品の結末は芸能史論の観点からも理にかなった「幸せ」を予兆させるものであったといえるだろう。

●俳優たちの好演と演出家の才能と
本章の冒頭で、『幸せのタネ』はこの劇団にとっての大きな転換点となったのではないかと書いた。客演を多く招いたことで、この劇団の宝とも言える絶妙なアンサンブルが崩れるかもしれないとの心配があった。しかし、実際の舞台に接した限り、その思いは杞憂に終わった。逆に、俳優たちの資質を見極めながらにこれまでにない役柄へ起用し効果を上げた、石曽根の演出家としてのセンスを証明することになったように思う。

主役・下田を演じた野本光一郎は、どこかイラストレーターの安斎肇氏(ex.『タモリ倶楽部』空耳アワー)に似た風貌を持つ、柔和で人の好さそうな憎めないキャラクターで、これまでにも所属劇団ONEOR8の多くのドラマを支えてきた。しかし、ONEOR8では主人公をサポートする準主役的なポジションが多く、感情の振幅の少ない、ドラマの状況を甘んじて受け止めていくような役柄が多かった。ところが『幸せのタネ』では、役柄の解釈が一色(ひといろ)ではなく、シーンによって感情や心理に複雑な起伏があり、心の襞を丹念に追って、ハマリ役となった。頼りなげで腑甲斐無い下田が、やがて人生を肯定的に捉え直していくさまを過不足なく演じていた。この作品は彼あっての舞台だったと言っても良いのではないだろうか。

下田の妹・タカコ役を演じた吉田麻起子も、その健闘ぶりが最近とみに目に付いてきている。椿組『GS近松商店』(06年@花園神社境内特設ステージ)での、ストーカーのような危ない若妻役も強く印象に残っている。逆切れをして自殺を試みるが果たせず、悲鳴を上げながらジタバタと病院へ担ぎこまれる情けなさを演じて、コミカルな一面を見せた。役柄を正確に理解し、演技としても効果的に実践してみせる瞬発力を持った女優である。だが、『幸せのタネ』では一転して終始一貫、物静かな大人の佇まいで臨んでいて、多面性のある女優であることをアピールした。所属している双数姉妹でも、若い元気な女子や身勝手な若者といった押しの強い役柄が多かったように思う。この舞台では新境地を開拓したと言えるかもしれない。

タカコの夫・牧夫役の濱田龍司は、ペテカンの主宰者でもある。ボケやツッコミ、ギャグや笑いの要素の多いペテカンにあっては、濱田のおおらかなツッコミのスタンスが舞台全体をまとめる重しとして働いており、それゆえ個性的で多士済々な劇団員たちもはじけることができる。そうした彼の落ち着きが、この舞台では見事に活かされていた。演技のしどころと同時に「しないどころ」を心得ていて、業を背負った作中人物としての居住まいを保っており、その役柄の捉え方にも破綻がない。やはりそれは笑いのボケに対してツッコミを入れるタイミングの状況判断が冷静にできる才能を裏付けるものだろう。一流のコメディアンがシリアスな演技をする時に圧倒的な説得力を持つのと同等の資質を、この俳優は持っているかもしれない。俳優の人となりを的確に理解した上での配役の妙とも言えるだろう。

こうした客演陣を得たことで、劇団員たちの好演も際立って見えた。下田の助手・富平役を演じた今村裕次郎は、いささか横柄で凡庸な「今風」の若者の役が似合っている。その意味では、中山祐一朗や伊達暁(ともに阿佐ヶ谷スパイダース)のように、現在を象徴する俳優と言えるかもしれない。しかし、ドラマ的な時間を一瞬一瞬手抜かりなく演じのけられる安定感があり、さまざまな演出家の舞台でも応用の利くような舞台俳優らしい風格もある。今後の活躍が期待できる俳優である。

また、今回はほとんど脇役だが、シングルマザー・伊藤知子役の瓜田尚美の演技に磨きがかかってきているように思えてならない。特別なことをせずとも空間を占めることのできる、佇まいの美しい女優である。そして登場人物の意識や気性を自分のこととして、胸の裡で追っていくことができている。それは長年、劇団員として石曽根の演出を受けてきた賜物だろう。燠火(おきび)の焔(ほむら)が何かの拍子にボッと燃え上がるようなドラマ的な瞬間を、この女優(ひと)は確実に捉えて体現することができ、役柄と同一化して魂を宿らせることができる。下世話な言い方をすれば「染まっていく」タイプの女優なのだろう。自己主張が激しくないと生き残っていけないと(錯覚)される「芸能界」的な感覚からすると、かなり心許なく存在感の薄い女優のようにしか写らないかもしれない。また、あらゆる舞台に対応できるかといえばそうでもなく、演技の技術的な強度(声量や身体能力)が不足しているかもしれない。しかし、「その場・その時」と誠実に向かい合い、確実に存在することができている。そんな心の芯を強く内包した彼女のような資質の女優は、実は探そうと思っても見つけることは困難であり、とても得難い才能なのだということを私たちは決して忘れてはならない。

このように、石曽根は作品に見合ったベストなキャスティングを施し、個々の俳優の魅力を引き出すことに成功した。それは、演出家として自身の方法論を有効に実証してみせたとも言えるだろう。また、手堅い客演陣を得たことにより、演劇的な「嘘」のない「日常」を描こうとする石曽根の劇作世界が、よりクリアに見えてきたようにも思う。次章では、石曽根がこの作品で挑んだ劇作家としての試みに迫ってみたいと考えている。なぜなら、「静かな演劇」的と目された劇団が「ポスト静かな演劇」的な可能性へ向けて、果敢な冒険をしているように私には思われるからだ。
(2006.12.3.下北沢「劇」小劇場)
(続く)
(初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第27号、2007年1月31日発行。購読は登録ページから)

1. 「静かな演劇」とらくだ工務店(第26号)
2. 転換点となった『幸せのタネ』(本号)
3. 「ポスト静かな演劇」の表現的冒険(第28号)

【筆者紹介】
堤広志(つつみ・ひろし)
1966年川崎市生まれ。文化学院文学科演劇コース卒。編集者/演劇・舞踊ジャーナリスト。美術誌「art vision」、「演劇ぶっく」「せりふの時代」編集を経て、現在パフォーミングアーツマガジン「Bacchus」編集発行人。編書は「空飛ぶ雲の上団五郎一座『アチャラカ再誕生』」(論創社)、「現代ドイツのパフォーミングアーツ」(三元社)。

【上演記録】
らくだ工務店第12回公演 「幸せのタネ
下北沢「劇」小劇場(2006年11月28日-12月3日)

■作・演出 石曽根有也
■出演
野本 光一郎[ONEOR8]
吉田 麻起子[双数姉妹]
濱田 龍司[ペテカン]
岡本 考史[東京タンバリン]
ますだ いっこう
江幡 朋子
岩松 高史
今村 裕次郎
瓜田 尚美
石曽根 有也

■スタッフ
舞台美術:福田暢秀(F.A.T STUDIO)
音響:高橋秀雄(SoundCube)
照明:山口久隆(S-B-S)
宣伝美術:石曽根有也
制作:山内三知/伊藤理絵
企画製作:らくだ工務店


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