らくだ工務店「幸せのタネ」(上)

1.「静かな演劇」とらくだ工務店
堤広志(演劇・舞踊ジャーナリスト)

「幸せのタネ」公演チラシ●変節の年だった2006年
昨年(2006年)は、小劇場界にとって変節の年だったのではないかと私は考えている。それは奇しくも若手劇団の登竜門である二つのフェスティバル-パルテノン多摩小劇場フェスティバルとガーディアン・ガーデン演劇フェスティバル(GGフェス)-が、ともに休止となったことに象徴されるだろう。一般的には無名に近い若手の小劇団が知名度や評価を獲得していく上で、こうしたフェスティバルはとても重要な機会である。しかし、そのステップアップのための檜舞台も、経済不況からくる劇場施設の移譲や方針転換から、近年は減少傾向にある。こどもの城「青山演劇フェスティバル」、グローブ座「春のフェスティバル」、新宿シアターサンモール「コマーシャル・サーカス」等が次々と開催を取り止め、最後まで残っていたこの二つのフェスティバルも、今また休止に至ってしまった。

このことは新進劇団にとって、戦略上の目標が喪失しただけではなく、広く舞台芸術の業界全体にとっても深刻な事態といわざるをえないだろう。少子高齢化に伴って保険制度が崩壊するのではないかと叫ばれているのと同じように、次代を支える若い才能の出現が期待できなければ、そして彼/彼女らの活躍できる場が用意されなければ、稼働率の落ちた劇場は公共・民間を問わず統廃合が進むかもしれないし、日本の興行界の先行き自体も危ぶまれると考えるからだ(なお、GGフェスについては年明けより次回募集を開始し、来年2008年のGWに会場を吉祥寺シアターに移して復活する予定である)。

こうした深刻な状況には、その前年における各種メディアの功罪も影を落としている。2005年は「ぴあシアターワンダーランド」「現代詩手帖」「ユリイカ」「BT/美術手帖」「スタジオボイス」等、小劇場演劇やコンテンポラリーダンスといった先端的舞台表現を特集するメディアが目立った。その背景には、本来であれば若い先進的な表現を率先して取り上げるべきはずの舞台専門誌が、長らくその使命を果たしてこなかったことが大きな要因としてある。

そのため、専門外であるメディアがあたかも「ガス抜き」をするかのように、エキセントリックでキワモノ的な事例を中心に大々的に取り上げる傾向が目立った。実際、各メディアの編集者の不勉強により、企画を一部の批評家や研究者などに丸投げしてしまうような杜撰な仕事も見受けられ、記事内容にも偏りが出たり、バイアスのかかった見方や紹介の仕方をするものも少なくなかった。これらのメディアの特集は、現在の小劇場界の全容を理解するのには不十分であったばかりでなく、「演劇」や「ダンス」に対して確かな矜持を持って実直に取り組んできた多くの舞台関係者を落胆させもした。

さらに悪いことに、読者においてはメディア・リテラシーの意識がほとんどないがゆえに、それらの情報が「いま見るべき表現である」といったようなニュアンスで鵜呑みにされ、「旬」で「流行り」の舞台表現として蒙昧に消費されるに止まってしまった感がある。ちなみに、ここでいう「読者」とは一般の観客だけを指しているのではない。実際の舞台公演には接していないものの、他誌に掲載された情報の受け売りをして、誌面を構成する専門誌(紙)や一般誌(紙)の編集者も「読者」である。あるいは公共助成事業に携わっている批評家や研究者もこうしたメディアの「読者」であり、もっともらしい意見を述べなければならないような場では、そこに取り上げられた記事内容を反復するようなコメントでお茶を濁し、面目を保とうとする者も出てくる。

つまりは、偏向的な情報がそのまま公的な「評価」として流通してしまうのである。その反面では、そうしたメディアでは紹介されなかった劇団やアーティストが「見るべき価値のないもの」であるかのような錯覚とともに切り捨てられ、葬り去られていってしまう。このような状況を生んだメディアの責任は、非常に重いものと自戒するべきであろう。本稿では字数の関係もあって、この2005年のメディア問題については割愛せざるをえないが、いずれ場をあらためて具体的な傍証とともに再検討してみたいと思っている。

ともあれ、メディアにも批評にもフェスティバルにも、あまり期待のできなくなった2006年の小劇場演劇では、個々の劇団レベルでの奮闘が目に付いたように思う。具体的にそれは、ドラマツルギー(作風)のマイナーチェンジ、客演などを多く招いてのアンサンブルの再編、劇団員の映像分野への意欲的な出演、公演地域の開拓、地域拠点の形成などの形となって現れていた。

たとえば、それまで「静かな演劇」的と思われていた東京タンバリンの高井浩子や明日図鑑の牧田明宏らの作品には、変化が生じてきている。グリングの青木豪、劇団桟敷童子の東憲司らの戯曲もようやく注目を集め、外部へ新作を書き下ろすようになった。新国立劇場では、長塚圭史(阿佐ヶ谷スパイダース)と岡田利規(チェルフィッチュ)が新作・演出上演された。岡田望の青島レコードは東京ナイスと改称し、再スタートを切った。猫のホテルの劇団員たちは、近年テレビドラマでの活躍に目覚ましいものがある。また、宅間孝行の東京セレソンデラックスも過去の好評作をブローアップしながら、活発にメディアへアプローチしている。

そして、在東京の6劇団-ユニークポイント、風琴工房、劇団桃唄309、ポかリン記憶舎、reset-N、bird’s-eye view-が、「TOKYO SCAPE」と称して京都公演を敢行した。その一方で、大阪のin→dependent theatreがプロデュースする一人芝居シリーズ『INDEPENDENT』が、東京に初お目見えした。

地方では、畑澤聖悟が弘前劇場から独立し、地元・青森で渡辺源四郎商店を結成して、活動を本格的にスタートした。ジンジャントロプスボイセイの中島諒人は、出身地の鳥取に戻り、「鳥の劇場」としての再始動した。北九州のペーター・ゲスナーも、自分がこれまでうずめ劇場でしてきた活動を見つめ直し、旧東ドイツに戻ってグローバルな視点から日本のアングラ演劇を捉えようと計画中である。

メディアではなかなか取り上げられないものの、小劇場ではそれぞれの劇団の抱える問題への打開策が、さまざまな形で執り行われてきているものと思われる。

●「静かな演劇」とらくだ工務店
平田オリザと青年団にとっても、2006年は記念すべき節目の年であったのではないかと私は思っている。「ソウル市民」三部作が、劇団員の総出演によって一挙に上演されたばかりではない。やはりこの『ソウル市民』が、フレデリック・フィスバック演出による日本語版として7月のアヴィニヨン演劇祭に正式招待され、またアルノー・ムニエ演出によるフランス語版がパリ・シャイヨー国立劇場で10月に上演された。さらに、2007年5月にはマルセイユ国立演劇センターでフランク・ディメック演出により『ソウル市民1919』の上演も予定されている。ヨーロッパ演劇界では、平田の作品がレパートリーとして評価されつつあるかもしれない。

「静かな演劇」と呼ばれる現代口語演劇の登場からすでに17年が経ち、今その成果を落ち着いて再考する良い時機に来ているのではないかと思われるのである。もちろん「静かな演劇」を再考することは、ひとり平田オリザのドラマツルギーや青年団の活動への確定した評価を冗長になぞるだけには留まらない。それが日本の現代演劇の「現在」を捉え直すことになるばかりでなく、90年代以降に出現した「オリザ・チルドレン」とも「ポスト静かな演劇」とも呼びうるかもしれない若手劇作家たちや次世代の劇団についても、正当な評価の座標軸を与えることになるのではないかと私は期待している。

実際、一部では高い評価を受けながらも、単に表面的な舞台の印象から「静かな演劇」の亜流や傍流と目され、見向きもされずにいる多くの表現がある。もちろん、明らかに平田オリザの劇作術を踏襲しただけのフォロワーのような表現もあるかもしれない。しかし、「静かな演劇」の延長線上に方法論を突き詰め進化させていったような先鋭的な表現も確実にあり、あるいは「静かな演劇」と目されることを嫌って脱皮をはかるようにドラマツルギーに変化が見られる劇団もある。またそれらとはまったく無関係に立ち上がり、独自の表現を真摯に追求していった結果が、偶然「静かな演劇」と同様の成果として現れているものもある。

しかしながら、批評やアカデミズムやメディアの場では、そのような個々の劇団の作劇術や演技スタイルを精査することなく、ただ一方的に「静かな演劇」というレッテルを貼って大雑把に高をくくってしまっているような問題意識の低さと思考の脆弱さがあるように思う。平田オリザと青年団が、90年代以降の多くの若手劇団へ及ぼした影響や共鳴といった因果関係、あるいはシンクロニシティ(共時性)についての社会学的な意義が考察されることもほとんどない。

本来「静かな演劇」であるかどうかといった「ジャンル分け」とは関係なく、独自性のある表現として真っ当に評価されてしかるべき若手劇団の多くが、リアルタイムな評価を獲得できず、存在も認知されず、批評の俎上に上ることさえない状況を思う時、やはりこの国の先端的舞台表現に対する評価の在り方が、いかに刹那的で無責任なものであるかがはかり知れよう。

らくだ工務店も、そうした不遇な劇団の一つに数えられるかもしれない。この劇団は作・演出を担当する石曽根有也を中心に1999年に結成され、2001年より活動を本格化した。第6回公演以降は、リアルな等身大のセットを仕込んだワン・シチュエーションによるドラマを主として展開し、「そこ」に生きる人間たちの姿を、時に可笑しく、時に哀切にストレートな目線で描いてきた。日常の風景を切り取ったようなリアルな会話劇は、確かに「静かな演劇」のカテゴリーに入れられるのかもしれない。しかし、石曽根は系統だった演劇教育はほとんど受けておらず、その経歴に青年団や平田オリザとの接点も無い。

この劇団が一般的に注目されることとなったのは、おそらくチェルフィッチュやAPEとともに参加劇団に選ばれた第13回GGフェス(2003年度)がきっかけだろう。その公開二次審査会での質疑応答や稽古場レポートで、石曽根は自身の来歴についても触れている(※えんげきのぺーじ内「第13回GGフェス」ホームページ http://dx.sakura.ne.jp/~nnn/play/gg03/official/rakuda.html 参照)。そこではわずかに無名の俳優養成所にいた経験はあるものの、特別に劇作術や演技メソッド、演出法等を学んだことはないと明かしている。

ドラマツルギーについて考えてみても、青年団の平田オリザの描くのは群集劇であり、特定の主人公を設けていない。どの登場人物からもニュートラルな透徹した視点から世界を俯瞰し、理性的に人物関係が構築され、提示される。場所の設定がセミパブリックな空間であるのも、「他人」が頻繁に行き来して会話もできる状況を作り出すためのもので、それ以上の特別な感傷はない。

それに対して、石曽根の描くドラマはよりウェットかつナイーブであり、舞台設定もどちらかといえば家庭的あるいはプライベートな空間である。ドラマに核となる主要人物(主役)が存在する点でも、「静かな演劇」よりはさらに感情移入しやすいものとなっている。心に傷を負っていたり、切ない悩みを抱えた主人公とそれを取り囲む人物たちが、ゆっくりと穏やかに日常会話を織り成していく。ちょっとしたセリフや動作、視線の一つひとつにも繊細で微温的な感情心理が反映されており、そうした演技のディテールの積み重ねが温もりや情感を伴いながら柔らかな親和力となって観客にも浸透し、心情的な共感を誘うのだ。

こうした舞台の肌触りは、一見「静かな演劇的」と思われがちな他の劇作家たち-赤堀雅秋(THE SHAMPOO HAT)、牧田明宏(明日図鑑)、本田誠人(ペテカン)、田村孝裕(ONEOR8)、青木豪(グリング)、前田司郎(五反田団)、三浦大輔(ポツドール)ら-の世界にも通じるものがある。「その場・その時」のインティメート(intimate=親密な)な気分や雰囲気、生活感情や身体的な生理感覚をヴィヴィッドに反映させながら、より人物の立場や心理に寄り添ったシーンが展開されていく。演技の間や表情、台詞の言い回し、アンサンブルがほど良くまとまっていて、決して演り過ぎることがない。かといって、それを物足りなく感じることもない。抑えた演技をしているようで、その実、心の底では微妙に気持ちの揺れ動いているさまが、手に取るように鮮やかに感得できるのだ。本稿では便宜上から、こうしたインティメートな傾向を持つ劇作家・演出家・劇団を、仮に「アンティミスト(親密派)」と呼ぶことにする(その由来は後述する)。

一方、平田オリザの直系ともいえる劇作家たちの場合はどうだろうか。高井浩子(東京タンバリン)、高山さなえ(高山植物園)、吉田小夏(青☆組)、松井周(07年より「サンプル」として活動)、島林愛(蜻蛉玉)らにも、そうした感触がないわけではない。しかし、彼/彼女らはインティメートな居心地の良さやフィジカルなスペクタクルよりも、社会的なテーマやモチーフを設定し、そこに劇作家としての世界観や価値観を反映させて、作品の構築や意志の表明を行っていくタイプのように思える。テキスト(戯曲)をベースとした意味内容に訴える要素の強い表現であって、俳優の感性やイマジネーション、身体性、設定された場所の雰囲気等からシーンを立ち上げていく作風とは一線を画している。

このように劇作家が自作を意味論的に世に問うていくスタンスは、私が「ポスト静かな演劇」と仮定しているもう一つ上の世代の劇作家たち-夏井孝裕(reset-N)、明神慈(ポかリン記憶舎)、山田裕幸(ユニークポイント)、詩森ろば(風琴工房)ら-において、より顕著だろう。つまり、フィジカルなアクチュアリティ(=俳優の存在性)よりも、メタフィジカルな摂理(=劇作家の世界観)の表出を優先させた創作と考えられるのである。端的に説明すれば、その創作方法はテキスト(戯曲)と身体(俳優)が主従関係にあるといえるかもしれない。一方、このテキストと身体性の両方向のベクトルをともに先鋭化させながら、同時に奇跡的なバランスを保って強固なオリジナリティを獲得しているのが、岡田利規(チェルフィッチュ)であり、演出家の三浦基(地点)であると私は考えている。

●アンティミストの「優しい視線」
石曽根は、前述したGGフェスのサイトで自身の演出についても語っている。劇団の旗揚げ当初はコントをやったり、叫んだり踊ったりして、感情をダイレクトに発散するような舞台も展開していた。しかし、そのうちに「笑って」「悲しんで」などと感情的な演技を俳優に強制することはしなくなったという。その理由は、感情とは人それぞれ違うもので、演出家が押し付けるものではないというものだった。

その上で、稽古場では「役者としての自意識」を否定する作業を地道に続ける。石曽根は、エンターテインメントな舞台のように観客へ笑顔を振りまいてサービスするような演技の在り方は、自分の感覚には合わないと断言し、「見せたい」とか「見られている」といった観客へ向かう「俳優の自意識」のベクトルを、日常ではあり得ない、リアリティのない「嘘」として徹底的に排除していく。その結果、押し付けがましさのないナチュラルな演技が獲得され、絶妙な「日常」的空気感を醸し出すアンサンブルが形成される。GGフェスで審査員を務めた坂口真人氏と私とが、ともに高く評価したのもまさにこの点だった。劇団のホームページには、彼らの姿勢を簡潔に説明した次のような文章も掲げられている。

日常には様々なドラマが眠っています。
私たちは「そこ」に流れる空気や温度を大切にした作品を創っています。

パン屋がパンを売るように、魚屋が魚を売るように、
私たちは人間の「感情」を扱っています。

日常に沸き起こる感情心理を慈しみながら、俳優の身体を媒介としてそのままに提示する。石曽根らインティメートな傾向を持つ才能を「アンティミスト」と呼ぶことにした所以も、この「日常」を愛しながら優しく活写しようとする彼らのスタンスを尊重してのことである。

通常「アンティミスト(親密派)」とは、近代西洋美術史において使用される言葉である。ポスト印象派とモダンアートの中間に位置する一傾向で、実際的にはナビ派のエドゥワール・ヴュイヤール(Edouard Vuillard,1868-1940)やピエール・ボナール(Pierre Bonnard,1867-1947)らを指す。それ以前のロマン主義に対して写実的リアリズムを求めたのが印象派だが、さらに印象派のクールな客観視点をも否定しながら作家の主観を追求し、画題の人物の複雑な内面性や作家の内奥の感情を織り込もうとしたのが後期印象派である。そして、その後期印象派の画家であるゴーギャンに強い影響を受けたのがナビ派で、特にヴュイヤールやボナールは日常生活で慣れ親しんだ室内空間に風俗や情景を描いた。なお、ヴュイヤールは自らを「アンティミスト」とも称していた。

すでに賢明なる読者であればお気付きだろうが、このロマン主義からモダンアートへと辿る近代絵画の道筋は、奇しくも「静かな演劇」以降の日本の舞台実践の諸相と似通ったところがある。「静かな演劇」を美術史における印象派の位置にポジショニングすることで、他の多くの若手劇団の表現も検討可能な座標が獲得できるように思える。ちなみにク・ナウカの宮城聰氏は、岡田利規の戯曲構造をピカソのキュビスムに例えたこともある(チェルフィッチュ『目的地』2005.8.6.びわ湖ホール公演アフタートーク)。

また、主題と技法(戯曲と演技・演出)を分けて考えていくことで、近年コンテンポラリーダンスの世界で目立ってきているインティメートな表現(白井剛、岡本真理子、手塚夏子、山田うん、山下残ら)をも、同時代のアートとして照覧し、比較考察できるものと考えている。ミニマムな身体性やインティメートな時間や場を創出し、オーディエンスと共有していく表現では、演劇、ダンス、アートなどのジャンルを問わず、顕著な成果を上げてきているからだ。それはまた、チェルフィッチュやポツドール、地点などへの理解をさらに押し進めることになると思う。(2006.12.3.下北沢「劇」小劇場)
(続く)
(初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第26号、2007年1月24日発行。購読は登録ページから)

掲載予定:
1. 「静かな演劇」とらくだ工務店(本号)
2. 転換点となった『幸せのタネ』(第27号)
3. 「ポスト静かな演劇」の表現的冒険(第28号)

【筆者紹介】
堤広志(つつみ・ひろし)
1966年川崎市生まれ。文化学院文学科演劇コース卒。編集者/演劇・舞踊ジャーナリスト。美術誌「art vision」、「演劇ぶっく」「せりふの時代」編集を経て、現在パフォーミングアーツマガジン「Bacchus」編集発行人。編書は「空飛ぶ雲の上団五郎一座『アチャラカ再誕生』」(論創社)、「現代ドイツのパフォーミングアーツ」(三元社)。

【上演記録】
第12回公演 「幸せのタネ
下北沢「劇」小劇場(2006年11月28日-12月3日)

■作・演出 石曽根有也
■出演
野本 光一郎[ONEOR8]
吉田 麻起子[双数姉妹]
濱田 龍司[ペテカン]
岡本 考史[東京タンバリン]
ますだ いっこう
江幡 朋子
岩松 高史
今村 裕次郎
瓜田 尚美
石曽根 有也

■スタッフ
舞台美術:福田暢秀(F.A.T STUDIO)
音響:高橋秀雄(SoundCube)
照明:山口久隆(S-B-S)
宣伝美術:石曽根有也
制作:山内三知/伊藤理絵
企画製作:らくだ工務店

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