プリセタ「モナコ」

◎おじさんは、さまよい、さすらう 若くないことを受け入れて立つ肉体
徳永京子(演劇ライター)

プリセタ「モナコ」公演チラシ大好きだったバンドへの興味が急に冷めた瞬間を覚えている。そのバンドが、実年齢よりもずっと若いボキャブラリーで曲をつくり、永遠の青臭さを定位置にするつもりだと気が付いた時、はっきりと「もう新譜を買うことはないだろう」と予感した。年を重ねれば考え方や感じ方が変わるのが当たり前で、その変化をどう受け止め、どう作品に採り込むか。そこに生まれる表現に、私はその人が表現者として正直かつ誠実であると感じ、興味を持つ人間なので、残念ながら熱心なリスナーを辞退したのだった。

仮にそのバンドが、と言うか世の中の大半が、価値あるものだと長きに渡って主張している「若さ=迷いと反抗、刺激と輝き」という図式が間違っていないとしても、それは「若くない=迷いも反抗も刺激も輝きもない」という図式の証明にはならない。若くないことは、若さとは別次元の迷いや反抗を含み、だからこそ奇妙な刺激や輝きを放つ。

ただしその“別次元”がクセ者で、若くない彼らの迷いや反抗は、若い時よりも頑固になっている。その分、さらに複雑に屈折し、結果的には幼稚にしか見えないという、出来れば近くで係わりたくない面倒くささが付きまとう。つまり言い換えるなら、実に演劇的な人間の状態がそこにある。

プリセタ第9回公演『モナコ』は、戸田昌宏と谷川昭一朗という、抜群に上手いふたりの役者が、人生に迷い、反抗する中年男性の宙ぶらりんな彷徨(さまよ)いを、淡々と切実に演じて、思わぬ収穫だった。

物語の舞台は、どこかよくわからない国の簡易ホテル。バックパッカーが集まり、旅の途中でその国に住み着いてしまった人間がたむろする三流ホテルに、日本からモナコへ行く途中で足止めを食った日本人男性4人がやってくる。一行は4人姉妹の夫達で、義理の兄弟関係にある。旅先のモナコで事故死した三女の一周忌に、ひと足先にモナコ入りしている義父母や妻達と合流するはずが、トランジットの時間を間違え、さらに空港が閉鎖になったため、急遽、そこで数日間を過ごすことになったのだ。

「モナコ」公演
【写真は「モナコ」公演から。 提供=プリセタ 禁無断転載】

すべり出しは決して順調ではない。作家になるために会社を辞め、コンビニでバイトしながら未完の小説を書き続ける長女の夫・ユウゴ(戸田昌宏)は、その身分を婿養子の気楽さとうらやましがられている。次女の夫・ダイスケは神経質で目端が利き、現実的だ。三女の夫・ミノル(谷川昭一朗)は、亡き妻・ナオミを忘れられず元気がない。四女の夫・アキラは、常識はないが適応力に優れ、そのホテルでも完全にリラックスモード。そこに他の宿泊客や従業員、何をしているのかわからない日本人などが出入りし、「売春している日本人の女性従業員がいるらしい」という噂も聞こえてきて男性達の心を乱す。テロかと思われた空港閉鎖の理由は、どうやら盛大な祭りによるものらしい。そして足止めの期間ははっきりしない-といった登場人物のキャラクターや関係性、場所や状況が、オープニングの20~30分であわただしく、せりふで語られていく。これはうるさい。次々と撒き散らされる説明は、生まれかけたグルーヴをいちいちリセットしてしまうし、話の行き先をいたずらに混乱させる。役に扮した役者がそこに立っているだけで、観客は自主的にそこから情報を読み取ろうとするものだ。そんなに焦らなくていい。何より、よくわからない祭りで盛り上がる異文化の地、サービスもままならないホテル、壁の穴など、ペンギンプルペイルパイルズの『不満足な旅』と重なるアイテムが多過ぎる。

しかし、ナオミそっくりな従業員・サトミ(加藤直美)が現れ、ミノルのテンションが上がる頃から、話はしっかりしたリズムを刻み始める。サトミがユウゴを気に入り、勤務後に誘い出したことがわかってからは、観客が身を任せるしかないスリリングなイニシアチブを舞台側が握っていく。まじめで自己主張をすることもなかったミノルは、あからさまにユウゴに嫉妬し、サトミが売春をしていると知ってからは、お金にものを言わせて彼女にナオミを演じさせるのだが、その様子はまるで性質の悪いダダッ子でしかない。やがて、ミノルの理不尽にも見える行動の裏に、生前の妻の不倫相手がユウゴだったのではないかという疑いがあることが明らかになる。実は妻から離婚を迫られ、その話を先延ばしにしたくてわざとトランジットの時間を間違えたユウゴは、かつて本当に義妹と不倫しており、ミノルのご乱心を見ぬ振りが出来ない。やがてユウゴはごく自然にミノルと同調し、彼らは共に、心も体もさすらうことを選択する。

この作品が深く複雑な余韻を残すのは、ふたりを決して正論の人として見せないことだ。中年男の面倒くさい言動、そのおおもとにある愛への幻想、と言えばまだ格好はつくが、それが甘えであることをサトミは見抜いて糾弾する。だからその後の彼らの選択は、決して美しい覚悟の上でなく、とりあえずひねくれた方を選んでみました的な、追い詰められた者の悪あがきだ。でもその中途半端な意地の張り方こそが、「これまでも生きてきて、これからも生きていく」ことが体に染み込んだ人間の精一杯の選択に見えた。やり直しの時間が充分にはない人間が、宙ぶらりんな自由を選ぶ。それは若者の自由よりも、かなり刺激的で、むしろ輝いてはいないだろうか。

脚本の菅井菅と浅野晋康は若いと聞くので、粒だったせりふなどかなりの健闘だと想像されるが、やはり戸田と谷川の、若くないことを受け入れてそこに立つ肉体が、この作品の成功の最大の理由だと思う。プリセタは不定期に活動するユニットだが、10年以上の活動を重ねて、若い役者を交えながらこうした作品を生み出すレベルに達したことは、大きな意味がある。この作品の再演も含めて、今後の活動に期待したい。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第73号、2007年12月19日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
徳永京子(とくなが・きょうこ)
1962年8月、東京都生まれ。演劇ライター。小劇場から大劇場まで幅広く足を運び、『せりふの時代』『シアターガイド』『weeklyぴあ』などの雑誌、公演パンフレットを中心に原稿を執筆。

【上演記録】
プリセタ第9回公演『モナコ
下北沢・駅前劇場(2007年11月29日-12月4日)
作:菅井菅/演出:世田谷ジェッツ

出演:
戸田昌宏、谷川昭一朗、加藤直美、鈴木リョウジ、なんきん、富士たくや、関係長、宮本敏和、山本陽子、塚本さなえ、稲川香織

スタッフ
舞台監督:松下清永+鴉屋
舞台美術:近藤麗子
照明:日高舞台照明
音響:高塩顕
選曲:ハヤシムネマサ
衣装:小磯和代
衣装助手:小林由香
宣伝写真:神ノ川智早
Webデザイン:相馬称
宣伝美術:Nankin Studio
演出助手:浅野晋康/HIGE
制作:プリセタ事務局

協力
ノックアウト クォーター・トーン ハイレグタワー ABeBe 舞台美術研究工房 六尺堂 Shisha

チケット
料金:前売り 3,000円/当日 3,300円


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