France_pan「貝を棒で」

◎男と女の距離と作品と作品の距離、そして観察者
高木龍尋(大阪芸術大学大学院助手)

「貝を棒で」公演チラシFrance_panの公演は観ようと思っていた。というのも、前回公演「前向きな死に方」(2007年3月、精華小劇場)が私にとって衝撃的な作品だったからである。関西、というよりも大阪の小劇場には珍しく、何もしない、作品だった。何もしない、というのは勿論、芝居をしない、ということではない。舞台の上から観客の反応、つまりはウケを無闇に狙わないということだ。ひとりのダメ男が自殺するまでを淡々と舞台の上に載せてゆき、後方に張られた男の生命線となっている赤い糸を自ら切る瞬間へと集中してゆく作品には、観客に媚びたような箇所は全くなかった。ただ、作品の中の時間を進めてゆく…… それがダメ男の感覚の虚無と異常を客席にまでしのばせてきていた。

さて、チケットの手配をしてからしばらくし、もうすぐ公演だなぁ、という頃にふとチラシを見て、「あッ」と思った。ふたりの子ども、ひとりは大きな巻貝をかぶった女の子、ひとりはアンテナのようなものが立っている帽子をかぶった男の子、タイトルは「貝を棒で」…… エロだろうか?…… 気づくのが遅かった。まして、会場の應典院は現代的なコンクリートの建物だが、お寺の本堂ホールを劇場として開放している場所である。お寺でエロ……? 気づいていささか不安になって劇場に向かった。

今回の公演は3人の男優による「追憶の棒」(永田キヤ作、伊藤拓演出)と、6人の女優による「貝のお汁」(伊藤拓作・演出)の2本立てとなっていた。エロ、というよりも、男と女の特質、特性をそれぞれに描き出そうとした作品であった。

「追憶の棒」はどこかの古い雑居ビルのトイレが舞台である。街灯が差し込んでくるだけで、入口のそばにある手洗い場のあたりだけがほの明るい。個室がふたつ、壁式の小便器があって、壁や個室の仕切りにはいたるところに卑猥な落書きがあるようなのだが、暗くてぼんやりとしか見えない。役者の顔もほとんどわからないような状態で展開してゆく。

「貝を棒で」公演
【写真は「追憶の棒」から。撮影者:イトウユウヤ 提供:Pan_offIce 禁無断転載】

奥の個室には人の気配があり、その壁を爪でカリカリと引っ掻く音がする。カリカリの主は鈴木という、モテない、デキない、クラい、と三拍子揃ってしまった男で、精神的に不安定になるとトイレの個室に籠もってカリカリをしてしまう。そこへ女にも仕事にも苦労していない松岡が入ってくる。松岡はカリカリに苛つきながらも慰めようとするが、いじけたままの鈴木の物言いに苛々は強まる。おそらくはもう何度も繰り返されているであろう鈴木と松岡の会話、「おまえはいいよな」「そうでもないさ」という中で、新しい話題が出てくる。松岡の彼女が妊娠したというのだ。松岡には今の彼女と結婚する気などなく、二十代の間は遊ぶつもりでいた。勿論、妊娠した彼女も遊びの相手であり、これから結婚して家庭を築くとは考えられない。そう打ち明けた松岡を鈴木は「ひどいよ」と非難する。非難するうちに、女とまともに付き合えたこともないが女を傷つけたこともない鈴木は、松岡よりはマシなのではないかと思い始め、気分が少しずつ晴れてゆきそうになる。しかし、松岡は慰めようとして言ったことを非難されて不機嫌になる。気の小さい鈴木はすぐに謝るが、またカリカリが始まる。

ジュースを買いに行く松岡がトイレを出たところに、鈴木と松岡の友人である滝川が入ってくる。滝川は鈴木や松岡のように就職もせず、「俺はビッグになる! 何かで」と胸を張って言う、まともに物事を考えてはいない男である。ビッグになったら鈴木のことも何とかしてやるよ、と滝川は持ってきたギターで歌を歌い始めるが、それもまた聞けたものではない。さすがの鈴木も、少しは将来のことを考えたら、と言うが、近所の公園のホームレスに褒められて10円もらったと、滝川は自慢気に応える。

と、遠くにサイレンの音が聞こえ、少しして松岡が戻ってくる。松岡は近所の公園でホームレスが殺されたという。それは滝川に10円をくれたホームレスのようだった。滝川が公園で拾ったというホームレスの赤い帽子を出すと、とうとうやったか、と松岡はホームレス殺しの疑いをかけ、滝川を嘲笑する。怒った滝川は帽子をかぶってトイレを出る。

滝川がいなくなっても嘲笑を続ける松岡を鈴木はまた非難する。笑いながらも松岡には自分の卑しさが見えている。静まった松岡に鈴木は絵を描いて欲しいと頼む。それに応えて松岡がチョークのようなもので白い大きな棒のようなものを描く。その間、鈴木は個室の壁に指が入るくらいの穴があることに気づく。棒を描き終えて松岡は鈴木に声を掛けるが、気配がなくなっている。松岡が個室の扉を開けると、鈴木が消えている。そこへ誰かがトイレに向かってくる足音がして、とっさに松岡は隣の個室に隠れてしまう。すると、その個室からカリカリが聞こえてくる。

観て気分の良くなる作品ではない。しかし、静かに納得した。男は社会的な動物である、という考え方は少々古い、建前的なもののように思えるが、どこかで自分よりも社会的な序列が下位の者を探して、下位の者の存在を確認して安心する心理があるように思える。決して自らの成長を促しはしない、褒められたものではないのだが、その安直さゆえに陥ってしまう落とし穴がある。作品中、鈴木、松岡、滝川の序列は入れ替わる。どん底から神様になったような気分まで、たった3人の社会で関係と心理は変化する。それが如何に不安定なものであるか。3人に絶対というものはない。評価に差がいくらあったとしても、一皮剥けば似たような心根を持った脆弱で幼稚な動物がいる。何とも愚かしく滑稽でしかない。だが、この愚かしさと滑稽さが縷々と繋がって男優位の歴史をつくってきたのも事実かも知れない。歴史のどこで切ったとしても、時代によってしたことが違うだけで、同じような男が出てくるような気がした。

トイレの舞台が回転すると散らかった女の部屋が現れた。ピンクの壁に白い扉、フローリングに可愛らしいカバーのベッド、そして壁や床には脱ぎ捨てられたか洗濯して取り込んだままの衣服が散乱している。その一室が「貝のお汁」の舞台である。

「貝を棒で」公演
【写真は「貝のお汁」から。撮影者:イトウユウヤ 提供:Pan_offIce 禁無断転載】

散らかっているのは真衣の部屋である。その部屋に真衣の友人の彩香がいる。真衣と彩香は共通の友人である艶子のお祝いをするために集まっているのだが、約束の時間になってもルーズな艶子が現れる気配はない。彩香はあまり乗り気ではない。そこへ真衣の妹の真理が入ってくる。真理は手っ取り早く楽に稼げるのでフーゾクで働きながら自堕落に生活している。いつも寝起きをしている実家に帰れないわけではないのだが、面倒臭いと姉の家に上がり込んできたのだ。真理は部屋に入るなり彩香との再会を喜びはしゃぐが、言うことだけ言うと彩香が話を続けているのに寝転んで携帯電話をいじくり回し、イヤホンをして音楽を聞き始める。妹とは違ってわりと真面目な真衣は真理の性格と仕事が気に入らず小言を言っているが、真理は聞いていない。それどころか、真衣が以前、テレクラでアルバイトをしていたことを言い、どこが違うのかと開き直っている。真衣は、それはいいの、と話を終わらせるのが精々である。

そこへ、自分のことをリンダというどこから見ても日本人の子どもっぽい女の子が入ってきて、彩香を見つけてじゃれつく。リンダは家出をしてきた17歳の女子高生で、街にいたところを彩香が拾ったのだという。メルヘン趣味にどっぷりと浸かっているリンダ言動には理解しがたいものがあるが、お祝いの会に置いて行かれてしまったので、淋しくなって探してきたというのだ。彩香はリンダを帰そうとするが、駄々をこねて言うことを聞かない。

一旦、外に出ていた真衣が今度は肩から拡声器を提げた山下を連れてくる。山下は近所の主婦で連れ子のある男と結婚したのだが、夫婦関係に欲求不満があるらしく、公園で絶叫していたらしい。真衣の狭い部屋の中でも拡声器で、フェミニズム運動家のようなことを絶叫するが、どうにも当を得ていない。一頻りして拡声器を置いた山下の息子が真理の彼氏であるということがわかると真理は馬鹿丁寧な行儀になる。しかし、すべて山下に知られているとわかって、真理は気まずくなる。山下が帰り、真理が帰り、彩香がリンダを帰したところで、ようやく艶子が来る。

艶子が妊娠したことを真衣は祝おうという会であった。艶子は街でいろんな男と寝ていることで有名な女だった。妊娠したことでそれが収まると思った真衣だったが、艶子の遅れた理由が男と寝ていたからだということに怒っている。だが、艶子に悪びれた様子はない。ベッドに座った艶子が煙草を吸い始めたので、机に置いた灰皿のところで吸うように促す。しばらくして机のそばに艶子が座ったところで、お祝いのために真衣が用意したケーキに彩香が艶子の顔を押しつける。真衣はびっくりして泣き出すが、彩香は平手打ちで泣き止ませる。彩香は艶子のお腹の子どもの父親が誰かわからないのを見越していて、妊娠も喜べず、祝う気にもなれなかったのだ。まして、レズビアンの彩香はパートナーのリンダとの子どもを持つことができないので、その気持ちは一入だった。彩香は艶子に生まれた子どもを引き取ると言う。艶子は返事をしない。3人は泣いていたが、ケーキのクリームでぐちゃぐちゃになった顔や叩かれて赤くなった顔を見て、そのうちに笑いがこみ上げてくる。

「貝のお汁」では素晴らしいと思った場面がふたつあった。ひとつは艶子について女たちが話しているとき、妊娠してお腹が膨れたイメージの艶子が現れる場面である。「こんにちは赤ちゃん」の歌に乗って暗くなった舞台にスポットを浴びて艶子が、曲の歌詞の「その幸せがパパの願いよ」という箇所になると急に不安気になり、「パパの願いよ」が何度も繰り返されると狂乱し、膨らんだお腹(服の下の風船)を割ってしまう。この場面がお腹の子どもの父親が誰かわからないという作品の現実に繋がるのだが、妊娠、出産の喜びを歌った歌として誰もが知っている「こんにちは赤ちゃん」が場合によっては残酷なものに聞こえてしまうというのは発見であった。この曲は夫婦が揃っていて関係が円満で、生まれた子どもが健康な場合にのみ、十全に安心して聞くことができる歌なのだ。そのような「こんにちは赤ちゃん」の夫婦像を逆手にとったこの場面にはびっくりした。

もうひとつは真衣、彩香、艶子の3人が静かに涙を落としてから笑い始め、暗転して作品が終わるまで、時間にして5分以上あったのかも知れないが、台詞が全くなかった点である。小劇場の演劇で、BGMもなく役者が舞台の上で長く黙っているという場面には初めて出くわしたように思う。しかし、静かに泣き始めた人が言葉を発することは確かにほとんどない。口を開こうとしても思うように開かなかったり、開けたとしても言葉が出てこなかったりする。そこから状況のおかしさに笑いが出てくるまで、また言葉はない。台詞がないことでこの場面はこの上なくリアルであった。そして、泣いていながらも周りの状況を見、自分自身の姿を想像できる女の性質を感じさせているようにも思えた。

しかし、疑義もある。私が観た当日、アフタートークとして「貝のお汁」の作・演出であった伊藤拓が、作品の制作意図を語っていた。「貝のお汁」は〈貝をつくる〉という古語を辞書で見つけたことが発端という。〈貝をつくる〉とは泣くことを指す言葉で、泣くときにへの字口になったところがハマグリのように見えたことから出てきたようである。そして、女性は泣いて涙を流すような事柄があったとしても笑い飛ばして次へ向かえる力があるというところをやりたかった、というのだが、果たしてそうだろうか。確かに泣いていてもどうにもならない、生活がある、やらなければならないことがある、と思い切ることができるのは女性の特性のように思う。だが、それは個々のレベルで違うのではないだろうか。笑いの種類も違うのではないだろうか。自分の状態がおかしくなって出てくる笑いと、追い詰められて開き直ったときの笑いは違う。その笑いは個々の登場人物が持っているキャラクターと抱える問題とその深刻さに拠るのではないか。行為を笑いと括ることができても、その笑いが同質のものだということはないのではないだろうか。このことが気にかかった。台詞のない時間がある意味では膨大な心理を観客に想像させ、その点を解決していたのかも知れない。そこで他の方法をとるとしたら何があるだろうか。女と涙と笑いという古典世界からあるような構図ではなく、それをどこか変質させるようなものがあってもよいのではないか、と思った。

アフタートークでは実現できず断念した演出プランがあったと伊藤拓が語っていた。「追憶の棒」の最後、鈴木は一度も姿を現さずに消えるのではなく棒になり、しかもその棒は光り輝く棒で、松岡がそれを見つけて食べてしまう、というものであったそうだ。その棒の代わりが松岡の描いた壁の棒になったそうだが、最初のプランをぜひ観てみたかった。光り輝く棒状の食物はないので無理なのかも知れないが、その方が作品の言わんとしているところをより明確にするのではないかと思う。

これまでにいわゆるオムニバス形式の公演に何本か遭遇している。あまり意識して観る作品を取捨選択していないので、劇場でリーフレットなどをもらって初めてオムニバスだったのかと気づくことも多いのだが、大抵は落胆する。一本ずつの出来にバラつきがあると、何本目かを思い出せなくなる。出来の良い方を憶えていればよいが、出来の悪い方がひどいと、良い方を忘れてしまう。だが、「貝を棒で」はよかった。男と女の違いはあるものの、作品の目的はひとつであること、そして、ふたつの作品が相互に依存するのでもなく乖離するのでもなく、緊張感を持った距離にあったからである。この距離を維持して作品をつくることは難しい作業だと思う。そのために、人と人の距離のつくり方をみるために、誰かおそろしく離れたところから望遠鏡でじっと観察していた人がいるのではないかと思う。
(2007年8月23日 シアトリカル應典院)
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第61号、2007年9月26日発行。購読は登録ページから)

【著者略歴】
高木龍尋(たかぎ・たつひろ)
1977年岐阜県生まれ。大阪芸術大学大学院芸術文化研究科博士課程修了。現在、同大学院芸術研究科芸術文化学専攻嘱託助手。文芸学専攻。

【上演記録】
France_pan 11th session「貝を棒で」(space×drama2006優秀劇団「協働プロデュース公演」)
シアトリカル應典院(2007年8月23日-26日)

「追憶の棒」
作 永田キヤ
演出 伊藤拓
出演 加藤智之・永見陽幸・濱本直樹

「貝のお汁」
作・演出 伊藤拓
出演 本條マキ・服部まひろ(客演)・高依ナヲミ(客演)・日指貴子(客演)・真塩優(客演)・速水佳苗(客演)

スタッフ:
美術=西本卓也(Giant Grammy)
照明=根来直義(Top.gear)
舞監=hige(BS-Ⅱ)/
音響=桂悠介(O:MISO Label)
音操=高木浩介
映像=鎌谷聡次郎
美粧=福田桃子/
原画=池田哲夫
デザイン=イトウユウヤ
主催=France_pan
共催=シアトリカル應典院
企画・製作=Pan_offIce

【料金】
前売2000円、当日2500円、同伴(前売)3000円、学生(前売・当日)1500円(要学生証)
(中・高校生を各回20名まで招待)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください