パパ・タラフマラ「パレード」

 パパ・タラフマラは息の長い活動を続けています。Webサイトをみると、1982年の公演がトップに載っているので、20年余りの長い歩みを続けてきたことになります。  今秋、稽古場としても使っているスタジオサイで開かれた「島 … “パパ・タラフマラ「パレード」” の続きを読む

 パパ・タラフマラは息の長い活動を続けています。Webサイトをみると、1982年の公演がトップに載っているので、20年余りの長い歩みを続けてきたことになります。
 今秋、稽古場としても使っているスタジオサイで開かれた「島~ISLAND」公演をみました。ぼくがパパ…のステージを何度かみたのはもう10年あまり前ですから比べるといっても期限切れかもしれませんが、やはり年月の重みを感じさせるパフォーマンスでした。詳しくは別の機会に譲りますが、渋い、熟成した雰囲気が漂っていると思います。
 以下、参考までに、90年末の「パレード」公演について書いた感想を掲載します。

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H・アール・カオス公演「白夜」

 舞台批評家の志賀信夫さんが「Tokyo Dance Square」サイトに「白夜を見つめて」というタイトルで、H・アール・カオスダンス公演「白夜」(10月14日-15日、世田谷パブリックシアター)のレビューを書いていま … “H・アール・カオス公演「白夜」” の続きを読む

 舞台批評家の志賀信夫さんが「Tokyo Dance Square」サイトに「白夜を見つめて」というタイトルで、H・アール・カオスダンス公演「白夜」(10月14日-15日、世田谷パブリックシアター)のレビューを書いています。
 H・アール・カオスは1989年、演出・振付家の大島早紀子とダンサー白河直子により設立されたダンスカンパニー。独特な美意識と哲学に支えられた創作活動は国内外で高い評価を受けている。今回の白夜公演に関して次のように述べています。

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三条会 『女の平和』

 古のアテナイの地に戦争の雨が降る。どうにも止まぬに業を煮やした女たちが緊急に会議を開く。リーダーたるリュシストラテは各地から同志を招集、議題は「如何に戦争をやめさせるか」。アリストパネスの『女の平和』とは、男たちのつづ … “三条会 『女の平和』” の続きを読む

 古のアテナイの地に戦争の雨が降る。どうにも止まぬに業を煮やした女たちが緊急に会議を開く。リーダーたるリュシストラテは各地から同志を招集、議題は「如何に戦争をやめさせるか」。アリストパネスの『女の平和』とは、男たちのつづける戦争に女たちが性のストライキによって終止符を打たんとするギリシア喜劇である。戯曲、演出、俳優という三条の光柱が舞台に会す。演劇にとって当り前と云えば当り前の、しかしその圧倒的な力強さと魅力で他の追随を許さない三条会が挑んだ最古典劇は、関美能留の演出が炸裂し、本当に「演劇を観た」という手応えを実感できる刺激的な一夜だった。

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チェーホフ記念モスクワ芸術座 『リア王』(演出:鈴木忠志)

 1984年、「利賀山房」における劇団SCOTの初演以来、世界中で絶賛されてきた鈴木忠志の代表作『リア王』を、ロシアリアリズム演劇の総本山であるモスクワ芸術座が上演する。今10月末のモスクワ芸術座公演に先駆けての静岡初演 … “チェーホフ記念モスクワ芸術座 『リア王』(演出:鈴木忠志)” の続きを読む

 1984年、「利賀山房」における劇団SCOTの初演以来、世界中で絶賛されてきた鈴木忠志の代表作『リア王』を、ロシアリアリズム演劇の総本山であるモスクワ芸術座が上演する。今10月末のモスクワ芸術座公演に先駆けての静岡初演である。鈴木忠志と芸術座は水と油ではないか、などと素人考えに杞憂してしまったが、起用された劇団の若手俳優たちは馴染みのない演技と身体表現の要求にもかかわらず、流石の力量を見せつけた。日本語字幕はあるものの、ロシア語で語られる台詞に言葉自体の意味伝達性は弱かったけれど、そこは台詞回しで聴かせ、また物語を十分に届け得る身体演技の美しさは刮目に価する。

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俳優座「きょうの雨 あしたの風」

 「福岡演劇の今」サイトが俳優座「きょうの雨 あしたの風」公演(9日、ももちパレス)を取り上げ、「この舞台が俳優座作品?という違和感」の題で「劇団の伝統」を問いただしています。  「きょうの雨 あしたの風」は原作が藤沢周 … “俳優座「きょうの雨 あしたの風」” の続きを読む

 「福岡演劇の今」サイトが俳優座「きょうの雨 あしたの風」公演(9日、ももちパレス)を取り上げ、「この舞台が俳優座作品?という違和感」の題で「劇団の伝統」を問いただしています。
 「きょうの雨 あしたの風」は原作が藤沢周平の短編。吉永仁郎脚本、安川修一演出。02年に俳優座で初演。今年は東北と九州の地方公演が行われたようです。
 「この舞台が俳優座以外の劇団によるものだったら、何のわだかまりもなく褒めることができる。描かれた世界では、人情の機微をていねいにとらえて庶民の生活のなかの哀歓をたっぷりと見せて楽しめるし、そのことは評価もできる。だが、徹底的に知的な舞台をめざした俳優座が、このような人情の世界に安住の場所を見つけたとすれば、かっての伝統はどうなってしまうのか。それなりにおもしろくて、それを俳優たちが楽しそうに演じていればいるほど、心の底からわびしさがこみあげてきた」と述べています。
 

PLAYMATE 「SWAP 2004」

 「休むに似たり。」サイトがPLAYMATE 「SWAP 2004」公演(10月5日-17日、新宿THEATER/TOPS)を取り上げ、珍しく長文を掲載しています。今回はメンバーの「近江谷と川上が出会うきっかけになった作 … “PLAYMATE 「SWAP 2004」” の続きを読む

 「休むに似たり。」サイトがPLAYMATE 「SWAP 2004」公演(10月5日-17日、新宿THEATER/TOPS)を取り上げ、珍しく長文を掲載しています。今回はメンバーの「近江谷と川上が出会うきっかけになった作品でもある『SWAP』(96年初演、97年再演)を完全リメイク」(PLAYMATEサイト)したバージョン。長くなったのは「『休むに似たり』(自転車キンクリート)をみるまで、あたしの中の芝居のベストはこれだった」というせいでしょうか。
 「濃密だが、どこかあか抜けなかった印象の会話劇だった初演に比べると、役者も演出もよりスタイリッシュで見やすくなっているしパワーも感じるのだけど、さらりとしすぎている感も。もしかしたら変わったのは、見ているこちら側や社会かもしれませんが。オススメ」とまとめています。

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銀幕遊學◎レプリカント、Riverbed theater

 アリスフェスティバル2004で、「Hedless」を共通タイトルにした2劇団の連続公演が10月9-10日の2日間、新宿タイニイアリスで開かれました。米国シカゴで創立されたRiverbed Theater(河床劇団)と、 … “銀幕遊學◎レプリカント、Riverbed theater” の続きを読む

 アリスフェスティバル2004で、「Hedless」を共通タイトルにした2劇団の連続公演が10月9-10日の2日間、新宿タイニイアリスで開かれました。米国シカゴで創立されたRiverbed Theater(河床劇団)と、大阪の「銀幕遊學◎レプリカント」です。「銀幕」は1988年に結成。「楽曲を視覚化するための演劇的コラボレーション集団」(Webサイト)で、音楽、ダンス、ことば、衣装(ファッション)などが一体となったパフォーマンスを長年手掛けてきました。
 このwonderlandサイトでも先にレビューを掲載しましたが、「うたうた」も目を付けています。特に「銀幕」のステージについて「人形のような動き。繰り返される動作。動かされずにいられない動き。流されずにいられない流れ。開けては閉ざされるドアから解放されず。人形に操られ、束縛されるモノたち。そんな閉塞的な状況もやがて変化していく」と印象的なフレーズで描写しています。

松平健 錦秋公演

※以下の文章は、公演内容にすごく言及しています。  新鮮な気持ちで公演をご覧になりたい方、これから劇場に行かれる方はご注意くださいますよう、お願い申し上げます。河内山より  新宿コマ劇場にはやはり、顔の大きな座長がふさわ … “松平健 錦秋公演” の続きを読む

※以下の文章は、公演内容にすごく言及しています。
 新鮮な気持ちで公演をご覧になりたい方、これから劇場に行かれる方はご注意くださいますよう、お願い申し上げます。河内山より

 新宿コマ劇場にはやはり、顔の大きな座長がふさわしい。
 三重の回り盆を従え丸く張り出したコマの舞台にあうのは、幅の広い顔だ。特に舞台前方で正面を向いて立った時、ワイドTV的(横に引き伸ばしたよう)に広がる舞台空間に負けない顔幅は、座長を座長たらしめる重要なファクターだといえよう。
 逆に顔が小さいと、コマ興行である必然性が希薄になってくる。そのことを確信したのが、昨年の氷川きよし座長公演であった。何かしっくりこないと思っていたら、顔が小さいのだ。もっとも客席へ視線を送る時、高齢の観客を確実に捉えゆっくりと微笑みを与える氷川の正確なアクト、また司会者を置き、氷川への賛辞とMCの段取りは任せる演出など、観るべきものはたくさんあった。

 さてブームになって久しい「マツケン」。梅田コマ劇場と博多座に続く今回の新宿コマ興行は、一部を芝居、二部を歌謡ショウに分けた近年の彼のスタイルは取られず、『暴れん坊将軍スペシャル 唄って踊って八百八町~フィナーレ・マツケンサンバ』という一つの作品を上演するかたちで行われた。

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維新派 「キートン」

 「n.p.d. blog」が維新派 「キートン」公演(10月8日-25日、大阪・ふれあい港館臨時第三駐車場野外特設劇場)を取り上げています。モノクロで統一した風景、走りに走る演技は「キートンと維新派の共通点」としたうえ … “維新派 「キートン」” の続きを読む

 「n.p.d. blog」が維新派 「キートン」公演(10月8日-25日、大阪・ふれあい港館臨時第三駐車場野外特設劇場)を取り上げています。モノクロで統一した風景、走りに走る演技は「キートンと維新派の共通点」としたうえで、「高さのある橋の上で、本物の夜空をバックに汽車に追いかけられるシーンには鳥肌がたった。話の筋も前回よりかは見えやすい。…海外に招聘されても、喝采を受けること間違いなしな傑作だった」と締めています。屋台村の写真も雰囲気が出ています。

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演劇集団円 『トラップ・ストリート』

 別役実は難しい。何がといって、戯曲の魅力に拮抗する舞台に出会うことが難しいのだ。職業的劇作家としての地位を確立し、多くの集団に作品を提供している別役だが、上演が戯曲を読んだときのおもしろさを超えることは滅多にない。「作 … “演劇集団円 『トラップ・ストリート』” の続きを読む

 別役実は難しい。何がといって、戯曲の魅力に拮抗する舞台に出会うことが難しいのだ。職業的劇作家としての地位を確立し、多くの集団に作品を提供している別役だが、上演が戯曲を読んだときのおもしろさを超えることは滅多にない。「作:別役実」という文字をチラシの上に見つけたわたしたちは、そっとほくそ笑みながら、誰にも気づかれぬように肩をすくめざるを得ない。ひとつの理由として、俳優の不在がある。別役文法は俳優を選ぶ。それも技術などではなく彼(彼女)の生理をだ。「その人である」ことが、必要絶対条件であるにもかかわらず、「その人」は決して多くないという悲しさ。

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