パパ・タラフマラは息の長い活動を続けています。Webサイトをみると、1982年の公演がトップに載っているので、20年余りの長い歩みを続けてきたことになります。
今秋、稽古場としても使っているスタジオサイで開かれた「島~ISLAND」公演をみました。ぼくがパパ…のステージを何度かみたのはもう10年あまり前ですから比べるといっても期限切れかもしれませんが、やはり年月の重みを感じさせるパフォーマンスでした。詳しくは別の機会に譲りますが、渋い、熟成した雰囲気が漂っていると思います。
以下、参考までに、90年末の「パレード」公演について書いた感想を掲載します。
◎PAPA TARAHUMARA /PARADE
1990年12月26日、青山スパイラルホール。
冷たくてあったかい。モダンで懐かしい。さり気ないのに緻密…。そんなふしぎな撞着に出会うことはないだろうか。パパ・タラフマラの「パレード」公演をみて、相反する二重三重の感情のもつれを体験した。
パパ・タラフマラを初めてみたのは一昨年の秋、東京・恵比寿のファクトリーで行われた「パレード」公演だった。今回は東京・青山のスパイラル・ホールでの年末公演。何度か上演している代表的作品だけに、骨格は変わっていなかった。
白が基調のステージに、先の丸い白の円筒が何本か立っている。やはり白っぽい運動着ふうの衣服を身に着けた男女が、素早く、あるいはゆっくり、時には疾走して舞台を横切っていく-。そんなオープニングに、モダンなステージの特質がよく出ているように思えた。
言葉はほとんど出てこない。鳥の交信のような短い叫び、意味不明の言葉の散布が時折、ミニマル風ありアフリカのリズムありの音楽に乗ってみられるだけ。とりたててストーリーがあるわけでもない。時折ふしぎな形態のオブジェが現れ、出演者が戯れたりする-。
基本のコンセプトをむりに振り付けたりしないから、こちらの身体にも余計な力が入らないし、自然なまなざしでいられた。 だから「意味」を汲み取ろうという試みは、肩すかしを食わされる。ぼくらはただ、そこに拡がるひとの動き、光と影(照明)、空間を演出する音楽に身を浸し、同調するだけである。
そんな「充実した空白」とでも表現するしかないステージから、何が浮かび上がってくるのだろうか。
都市でなければ発想できないモダンなオブジェや音楽。汗も臭いも感じさせない白っぽい清潔感。「意味」を消去する洗練されたスタイル。どこにでもあって、どこにもない、宇宙の異星に現れる無国籍の風景-。海外にも通じる普遍的な内実であろうか。
しかし何かが足りない。隙のない動き、統率された空間に欠けているのは何だろうか。しばらくぼんやりしていると、あるイメージが浮かんできた。それは笑いだった。身体に宿る哄笑、爆笑、失笑、微笑…。場を和らげ、空気を解き放つ笑い-。
アランはたしか「幸福だから笑うのではない。笑いが私たちを幸福にするのだ」と語っていた。そのたった一つの欠如が、パパ・タラフマラの国境と国籍を、それこそさり気なく表しているように思えた。当然のことながらそれは、ぼく(ら)と通底しているという痛みの感覚を伴っている。
パパ・タラフマラは新作「ストーン・エイジ」の東京公演を3月にした後、京都、大阪、名古屋でも公演する予定という。また秋にはロンドンで開催される「ジャパン・フェスティバル91」に参加が決まっている。
それが待ち切れない人は、TEL0425(74)3270(サイ)でイベントやCDの問い合わせを-。
( 初出:医療総合誌 「ばんぶー」 1991年2月号)
パレードの感想読ませていただきました。
島公演にご来場いただいたとのこと。
私はそこでスタッフをやっていたので、
もしかしたらお会いしているかもしれません。
パパ・タラフマラは2005年12月に、
劇団創設以来の念願でもあったガルシア・マルケスの「百年の孤独」をモチーフにした「HEART of GOLDー百年の孤独」を上演することになりました。
「パレード」や「島」とは全く違うアプローチで、
泥臭さと気品という相反するものが同居する舞台になっていく気がします。
もしお時間あれば、是非、そちらも御覧ください。
詳細はこちらで→http://www.gold_100.com
お問い合わせは、eprojectjp@yahoo.co.jp
にお気軽にどうぞ。
拙い感想に過分のお言葉をいただき恐縮です。今年は「三人姉妹」もみて、パパ・タラフマラの広がりを実感しています。担当の方にお世話になりながら、結果を出せずに申し訳ない次第です。
次回の「百年の孤独」公演もぜひみようと思っています。
みなさまによろしくお伝えください。