◎足の裏とリアリティの複数性
伊藤亜紗(ダンス批評)
神村恵カンパニーの作品について何度か書く機会をいただいているが、今回の『どん底』については、神村自身の体について書きたいと思う。というのも、5人の女性ダンサーによって踊られた今回の作品は、並んだ時にひとり神村だけ頭一つ分背が高いという見た目の際だち以上に、カンパニーで活動を始めて以降の神村が、抑制してきた、ないし挿入的な役割しか与えてこなかった、地面を蹴るような激しい動きに、積極的な役割が与えられていたからである。つまり、神村の体がどうしようもなく抱え込んでいたある種の動きが、素直かつ忠実な仕方で解放されており、5人のダンサーが、それぞれの体なりの仕方で、その動きの論理を遂行しているように見えたからである。
これは「才能を傍でみているもの」の物語だ。
2005年の再演となったこの芝居には、普通の芝居に慣れた者には意表をつく3つの仕掛けが待ち受けていたのである。
なんまいだ~♪なんまいだ~♪両手を合わせ、天高く突き上げるキャスト総勢に胸打たれた。くり返し祈りをささげる彼らの表情に、希望の色は見えない。すべてを投げ捨て、懸命に許しを乞うている感じもしない。あきらめの極地にたどり着き、開き直ってしまった様子なのだ。夢を与えるテーマパークの裏側で、現実を受け止められず歪んでしまった彼ら。生きていることのどうしようもなさが伝わってきて、心身ともに力を吸い取られた。
劇団フライングステージの舞台を初めてみたのは、2005年夏の『Four seasons~四季~』であった。大家はじめゲイばかりが暮らすアパートの住人たちの悲喜こもごもを描いたもので、温かさと安定感のある楽しい舞台だった。以来ほぼ毎回足を運んでいるが、では自分はこのカンパニーのファン、あるいは支援者になったのかというと、実はそこまできっぱり言い切れない。
西日本福井県の、原発事故を一応下敷きにしている。一応、だ。だって鹿殺しだから。
他者と話している時、なにげない瞬間にふと漏らした一言こそが大事だったりする。ハセガワアユム氏が意識的なのかたまたまなのかはわからないが、2本の短編で、気になるセリフが一言ずつあった。
ニブロールはダンスを中心に映像、音楽、照明、衣装、美術など各分野で活躍する人たちが集まったカンパニーです。今回は10周年とあって久しぶりの新作公演となりました。