<クロスレビュー 第3回> ニブロール(nibroll)「ロミオ OR ジュリエット」
ニブロールはダンスを中心に映像、音楽、照明、衣装、美術など各分野で活躍する人たちが集まったカンパニーです。今回は10周年とあって久しぶりの新作公演となりました。
主宰の矢内原美邦さんは高校からダンスを始め、全国高校ダンスコンクールでNHK賞、特別賞などを受賞。1997年にニブロールを設立。ニューヨークやパリ、アムステルダムなどのほか、ニューデリーやバンコク、台湾などアジア地域で開かれるフェスティバルに招聘され、2004年には「the Kitchen」(N.Y)単独公演も。日常の身ぶりをベースにした動きによって時代の空気感を提示する独自の振付で高い評価を得ています。
Off Nibroll名義で、映像作家・高橋啓祐さんとインスタレーションを中心とした作品を発表したり、MIKUNI YANAIHARA PROJECTで演劇分野に踏み込んだりしてきた矢内原さんの新しい舞台に注目しました。(掲載は到着順)
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▽水牛健太郎(評論家)
★★★★
シェークスピアのあの劇、主役はロミオ、それともジュリエット?
爆音のビートが細胞膜を崩して、何かが浸透してくる。体内に潜んでいた仲間に働きかけて、人を痙攣させ、身体を回転させ、笑わせ、泣かせ、人と人を、思うがままにくっつけたり引き裂いたりする。凶暴で無慈悲なそれにとって、人間もアメーバと変わらない。個体の生死になど一顧だにせず、無から有を無限に生成し、未知の目的に従って突き進む。そう、主役はロミオでも、ジュリエットでもなくて、その力。若い二人を操り、滅ぼし、大人たちを自らの下にひざまずかせた。自然そのもの、生命そのものの力だ。
ステージいっぱいに響く、そいつの哄笑を聞いた。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro/
▽山田寛(会社員)
★★★★
ダンスは精緻ではなく乱雑であり、ダンサーは感情の決壊を過激に執拗に体現し続ける。その徹底が圧倒的なうねりとなる。
タイトルは、「ロミオかジュリエットか」という二択ではない。「ロミオでもジュリエットでもいいからなりたくて、しかしどちらにもなれない私達」という意味じゃないか。美しく整合された感情などもはや持てない。感情を抑えて日常を生き、やがて感情は蓄積して制御不能のマグマとなり逆に私に迫り来て、私はメルトダウンする。
これは、感情の壊れた私たちの肖像。
ラスト、無我夢中に求め突き放し苦悩し求めるダンサーたちが全身で語っていた。私は愛が何かわからないのに、それでも愛を求めずにはいられないのだと。
▽因幡屋きよ子(因幡屋通信発行人)
★★★
本作は「線」を意識したものだという。国境やセクシュアリティなど、自分と相手のあいだには無数の「線」がある。しかしその関係は一定ではなく、いつのまにか消えたり越えていたりする。激しく動き続けるダンサーに茫然と見入るばかりだったが、アフタートークを聞いて不意に思った。これは例えば、ある戯曲を理解できずに煮詰まっていたら、ひとつの台詞が生き物のように自分に迫ってきた瞬間の興奮にも通じるのではないか? 自分はこの舞台を充分に感じ取る「線」にまだ達していないが、ニブロールとの交わりのスタートラインが今日引かれたことの喜びと、この「線」が自分の思いを越えて変化し、より豊かな演劇体験になることを願って★3つ。(1月19日観劇)。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/inabaya-kiyoko/
▽舩元雄一郎(編集者)
★★★
ニブロールのパーティーチューン。矢内原美邦が「初めてダンス作品を作ろうと思う」と語っていた通り、ユニゾンを取り入れたダンスは音楽にのせて跳ねまくり。いつもは突進するように見えるダンサーの動きもキラキラ瞬き、グルーヴを誘発するような楽しさがある。
しかし、その代償なのか破綻やカタルシスが減った。過去の作品にある胸が空くような痛々しさが影を潜め、テンポを落とした断章は、ごく普通のペースダウンのような真っ当さ。
恐らくこの変化は、良くも悪くも個人的な反骨心にインスピレーションを得ることを超え、世界や周囲に向かう高度な旅を選ぼうとするラディカルな意志。あくまで同時代に挑む姿勢は誠実すぎて、ちょっと泣ける。
▽木俣冬(文筆自由労働者)
★★★
溶ける。解ける。融ける。
今までも私たちのまわりにある境界をニブロールは見せてくれた。わりと普通な肉体のダンサーがもどかしく、でも切実に、すれ違い、触れあい、離れていく。
その中で今回私が最も印象に残ったのは、たったひとりの有様だった。舞台の床面には3つの長方形の穴が有り、そこは透明の硝子張りになっていて、下方から光が当たる。その上にダンサーが乗る。光がまるで境界のように外界から彼女を遮断する。小さな小さな自分だけの世界。
彼女はその光から外に出る。難なく、という印象で。
わりと普通な肉体たちに終始覆い被さる映像の大洪水。時に肉体より目立つかもしれないコスチューム。その何もかもと共存する肉体。蜷川幸雄は水槽の中にうずくまり自閉する人間をよく描くが、ニブロールは、境界は溶けあうと言っているように、私には思えた。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kimata-fuyu/
▽山関英人(演劇ジャーナリスト)
★★★
過剰、過多、過大…。開演から、孤立する矢内原美邦の身体は、過剰な感情をもてあまし、制禦(せいぎょ)不能に陥っていた。自傷行為にも似ていた。その情況と「ロミオORジュリエット」の単語を重ね合わせると、「身体OR感情」「感情OR身体」であり、それらは決して一致しない、ことを認識させた。
さらに、その対立は舞台を取り巻く環境にまで拡大し、「ダンサーOR大音量の音響」「―OR多量に流れる映像」「―ORダンサーたち(人間そのものの障壁)」という構図を示したかの情景だった。
対立も過剰を生む。その相乗効果は、私の体内にまで浸透し、途中で何度か息苦しさを覚えた。解放を求めるには、あの、ダンサーたちの奇声や狂喜でしかなったのだろうと、朧気(おぼろげ)ながらに意識した。
身体が拒絶反応を起こしそうになるほど、ありあまる現在(いま)を痛感し、幾度(いくど)となく、行く先を見失ったが、その見失った先に、ほのかに輝く何かがあったのだろうか。〈敬称略〉
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ya/yamazeki-hideto/
▽今井克佳(東洋学園大学准教授)
★★★
映像、音楽、ダンス、演技のクロスオーバーぐあいは面白いのだと思うし、雑多なシーンの集積のなかに統一したテイストもある独自の世界だ。ただ、そこに表現される「身体」は私の見たい「身体」ではなかっ た。ポストトークで矢内原は「身体へのあこがれ」という言葉を強調していた。映像や大音響の音楽にも優越し、屹立する「身体」の存在を彼 女は信じているようだった。しかし実際作品に現れる身体は、電子メ ディアに圧されて衰退していく「身体」のように思えた。それこそが現代の「身体」であるというなら、ニブロールの表現はまさに当を得てい るといえよう。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/imai-katsuyoshi/
▽伊藤亜紗(ダンス批評・レビューハウス)
★★★
見応えという点では、ここ最近のニブロールの作品のなかでは一番だった。ただ、自分から見た自分の輪郭線と、自然(宇宙)から見た自分の輪郭線が、スペクタクルの様相のもとに同一視されてしまうことに強い違和感を覚えた。無数の昆虫や文字が増殖してはスクロール=破棄されていく映像は、生々流転の別名である「個の死」を暗示しながら、同時に「快感」を与える。音響によって倍加されたこの映像特有の麻痺機能によって、ヒステリックな叫び声もキレのあるユニゾンも同じ舞台上に並置させてしまう。それがニブロールのスタイルとして完成の域にあることには感服するが、快感を与えることが目的なのだろうか、という疑問が常につきまとう。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ito-asa/
▽木村覚(美学/ダンス批評)
★★★
透き通った混沌。垂直のスクリーンばかりか水平の床にも投影された、冒頭に現れラストに再帰する印象的な水の映像など、過剰な量の情報で構築された舞台。それに囲まれるダンサーが2階席から見ると牧羊の群れのよう。暴れている、小さく。音や映像が止めば、空っぽな空間に身体は生々しく曝される。珍しく率直な性愛表現。絶叫に嗅ぐヒステリー。その他諸々の痙攣する身体は、ただし、明晰で緻密な振り付けがスタイリッシュに統合している。ニブロール的ダンスの最高到達点。見事、と思った。と同時にダンスなるものの限界点を意識させた。例えば、仮に、ジョン・ライドンの痙攣が振付として結晶化し再生可能になったとして、ぼくのダンスに対する本質的な欲望とはあまり重ならない、と。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kimura-satoru/
▽北嶋孝(本誌編集長)
★★★
「パイプ」というパソコンのスクリーンセーバーがある。パイプが画面に現れ、伸びて曲がってまた伸びる。画面の端にぶつかると進路を変える。そんな黒のパイプが公演後半、白いフロアに投射された。もっと細く、ひしゃげたようにパイプが入り組んで動く。しかも投射された画面がぐるりと回転する。舞台ではダンサーが歩いたり小走りだったり、寝ころんだり転がったり。これも入り乱れて動き回る。ダンサーとおぼしき人たちの内省や体験を語るテキスト+声が、叫びとなって引きちぎられたように響いている。映像と音楽と衣装とダンサーの動きが舞台に一緒に投げ出され、もつれたりばらけたりする一瞬、その混沌と不安が共振する。その残像がいまでも焼き付いている。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kitajima-takashi/
【上演記録】
ニブロール10周年記念新作公演『ロミオORジュリエット』
世田谷パブリックシアター(2008年1月18日-20日)
○出演(あいうえお順)
木村美那子 黒田杏菜 たかぎまゆ 高橋幸平 竹田 靖 原田 悠 福島彩子
藤原 治 ミウミウ 陽 茂弥 矢内原美邦
○ニブロール
振付:矢内原美邦
映像:高橋啓祐
衣装:矢内原充志
音楽:スカンク
照明デザイン:滝之入海
プロデューサー:伊藤 剛
○スタッフ
舞台監督:横尾友広
舞台美術:久野啓太郎
音響:joysound
照明:森 規幸(balance,Inc.DESIGN)
制作:中村 茜 戸田史子(プリコグ)
主催:ニブロール
提携:世田谷パブリックシアター
助成:芸術文化振興基金、東京都芸術文化発信事業
協賛:株式会社ヤエザワ 株式会社タナカアンドカンパニー
協力:有限会社スタジオニブロール、急な坂スタジオ
企画・制作:プリコグ
ポストパフォーマンストーク:
【18日】
小浜正寛(俳優・パフォーマー「ボクデス」)
手塚夏子(振付家・ダンサー)
たかぎまゆ(振付家・ダンサー)
桜井圭介(作曲家・吾妻橋ダンスクロッシング オーガナイザイザー)
矢内原美邦(ニブロール・振付)
【19日】
ニブロールメンバー(振付、映像、音楽、衣装、プロデューサー)
【20日】
紫牟田伸子(日本デザインセンター・プロデューサー)
高橋啓祐(ニブロール・映像)
矢内原充志(ニブロール・衣装)
矢内原美邦(ニブロール・振付)
(初出: 週刊マガジン・ワンダーランド クロスレビュー特集号。2008年1月24日発行。購読は登録ページから)