OM-2「ハムレットマシーン」

◎ぎりぎりのところで成立している<極限の演劇>
 芦沢みどり(戯曲翻訳者)

 1月の中旬に帯状疱疹になってしまった。特に疲れがたまっていたわけでもないから、たぶん加齢とストレスが原因だろう。帯状疱疹というのは、ほぼ24時間、とても痛い。筆者はひと月間、デスクワークはあきらめてワープロから自分を解放し、「ことばと身体」がせめぎ合う舞台芸術を求めて、劇場通いの日々を過ごした。幸いにもこのテーマに絞って演劇、ダンス、パフォーマンスを観ようと思えば、選択肢はいくらでもあった。この傾向は、3月に入ってますます勢いづいているように思う。劇場入り口で配布されるチラシの分厚い束―最近は座席に置かれていることが多いが―それを開演前に眺めていると、「国際」とか「アジア」が付いた芸術祭や演劇祭が目白押しで、領域横断的な演目も数多い。これでは病気が癒えてもなかなかデスクワークに戻れないわけだ。

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ヤン・ファーブル「私は血」

◎「血」が「身体」から自由になる時
今井克佳(東洋学園大学助教授)

「私は血」公演チラシ舞台にあふれるオリーブオイルの中を、全裸の女性ダンサーがヘリコプターの轟音とともにばたばたと暴れ狂う、『主役の男が女である時』。昨年、同じさいたま芸術劇場でそれをみたときは、過激さやエロティシズムということよりも、何か突き抜けた潔さというか、清々しさを感じたヤン・ファーブルの舞台。今度はどんなものをみせてくれるのか。期待と不安を抱き、会場に向かった。

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青年団リンク サンプル「シフト」

◎ナチュラリズムとナショナリズムの狭間で、ナラティヴは。
小澤英実(舞台批評)

サンプル「シフト」公演チラシ久しぶりにワクワクする作品に出逢った。青年団の松井周が、自身のユニット「サンプル」を立ち上げた、その旗揚げ公演「シフト」。そこで私が目の当たりにしたのは、「静かな演劇」のヴァリエーションのなかに留まっていたように思えた前作『地下室』から異なるステージに移行して、松井が自身の演出手法を見つけつつあること、そしてここに日本の小劇場演劇にとっての新しい声が生まれつつあるところだった。

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神村恵カンパニー「山脈」

◎「動かされる」身体から生まれる不気味さ  伊藤亜紗(ダンス批評)  神村恵の作品で面白いのは空間性だと思って以前から注目していた。空間性といっても「体を大きく使いなさい」とかそういうことではない。ひとことで言うと、ダン … “神村恵カンパニー「山脈」” の続きを読む

◎「動かされる」身体から生まれる不気味さ
 伊藤亜紗(ダンス批評)

 神村恵の作品で面白いのは空間性だと思って以前から注目していた。空間性といっても「体を大きく使いなさい」とかそういうことではない。ひとことで言うと、ダンサーがちゃんとリアルな空間のなかにいるという意味だ。ダンサーが、三次元的に広がっている空間の中に自分がいるということに対して自覚的なのである。

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shelf「構成・イプセン-Composition / Ibsen」

◎<母>と<子>が戯れるほかないポスト・ヒストリカルなユートピア/ディストピア
大岡淳(演出家・演劇批評家)

「構成・イプセン-Composition/Ibsen」公演から
写真提供=shelf &copy

矢野靖人の演出作品をきちんと鑑賞するのは、これが初めてである。ただ以前、演劇千年計画のワークショップ成果発表会で彼の演出に触れ、その静謐な美学には並々ならぬものを感じ、注目していた。短時間の発表会から感じられたのは、どうやら彼の演出には、身体・空間・光・音といった諸要素をどう結合させ調和させるかという課題に関して、明確なビジョンが存在しているということであった。言ってみれば、演劇というよりもパフォーマンスとしての完成度の高さを感じ、ではここに物語という時間軸を導入したらどうなるのか、という点に興味を持った。その矢野が、名古屋の七ツ寺共同スタジオでイプセンを上演すると聞き、さっそく名古屋に赴いて鑑賞に及んだ。

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野田地図「ロープ」

◎内輪的エンターテインメントへの欧米か!的ツッコミ
鈴木厚人(劇団印象-indian elephant-主宰/脚本家/演出家)

「ロープ」公演チラシ表たとえば、「野田版鼠小僧」の歌舞伎座に建て込まれた江戸八百八町の巨大な町並みが、突然動き回り出す興奮。たとえば、「透明人間の蒸気」の十数人の役者が、奥行き50メートルの新国立劇場の舞台を、全速力で客席に向かって走り込んでくる興奮。でっかいものを、ただ回すだけで面白い。だだっ広いところを全力疾走するだけで面白い。いつだって「彼」がつくるのは、メッセージがあふれた舞台。それもメッセージが言葉だけじゃなく、動く空間、動く役者によって観客に届けられる芝居。でも、2006年12月14日に僕が見た、「彼」の新作舞台「ロープ」は、ただ面白いものを見たいと思う、無知な観客の無邪気な期待を裏切る、言葉という名のメッセージにあふれた舞台だった。

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青年団「ソウル市民」三部作

◎重層的な時間と空間を埋め込む代表作
今井克佳(東洋学園大助教授)

公演プログラムの表紙2005年12月にシアタートラムで、フレデリック・フィスバック演出の「ソウル市民」を観た。そこではすでに今回の「青年団」による「ソウル市民」三部作予告の仮チラシが配布されていたが、そこに「本物は一年待ってください」というような意味のキャッチコピーが使われていて、「なんと傲慢なことよ」と記憶に残っていた。が、なるほど、今回の三部作を並べて観ることができたのは貴重な体験であり、あながちあのキャッチはおおげさというわけではなかった気がし始めた。

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清水邦夫作、蜷川幸雄演出「タンゴ・冬の終わりに」

◎晩冬に咲く桜
今井克佳(東洋学園大助教授)

なんと贅沢な芝居だろうか。開幕と終幕の場面だけ登場する80人の群集のシーン。知名度も実力も高い俳優陣。有名俳優をおしげもなく出番の少ない傍役に配置する。見た目は決して派手ではないが、現在の蜷川幸雄だからこそ、これだけの芝居がシアターコクーンで打てるのだ。まずは蜷川が上り詰めたその地位に驚嘆せざるをえない。

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黒沢美香&ダンサーズ「ダンス☆ショー きみの踊りはダンスにしては重すぎる」

◎「不揃いの美」によるクールな知性の発露
伊藤亜紗(ダンス批評)

綱島ラジウム温泉「東京園」大広間本日の「ショー」会場は何と温泉施設内の大広間。障子戸を開けると意外にもなかは温室のようでガラス張りから冬の陽光が差込み、とはいっても中庭越しに否応無く目に飛び込んでくるのは酔っぱらったじいさんばあさんのまったりとした雑魚寝風景である。ダンスをアートとしてしつらえるなら排除するであろう、あらゆる猥雑さに満ちた寛大な空間。「携帯電話、アラーム付き時計など、その他音の出る機械はどうぞご自由にお使いください」とのアナウンスに始まり、横に長い舞台はもちろんカラオケ仕様、袖と舞台を区切るのはビロードの布などではもちろんなく、歌磨か何かがプリントされたひょろ長い暖簾である。

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劇団犯罪友の会「かしげ傘」

◎諧謔に満ち哀切な心情を喚起する重層的な物語
大岡淳(演出家、演劇批評家)

「かしげ傘」公演チラシ関西野外劇の雄として知られる劇団犯罪友の会は、今年で創立30周年だそうだ。私はこの集団を、アングラ演劇の最良の部分を継承し発展させている劇団だと考え、演劇批評家として一貫して評価し、支持し、応援してきた。今年10月に上演された『かしげ傘』は、「30周年超大作野外劇」と銘打たれているだけあって期待に違わぬ力作であったが、これを見ながら私は、もはや「アングラ」云々という文脈でこの集団の魅力を語る必要はなくなったのだな、とふと思った。「犯友」の芝居は、「犯友」の芝居以外のなにものでもなく、殊更に他の芝居との共通性を指摘したり、あるいは相違点を強調したり、といった、私自身がこれまでやってきた批評的な作業は、なんだかさかしらな営為に過ぎなかったような気がしてしまった。それほどに、この集団は、他の追随を許さぬ独自の魅力を備えた劇団として成熟しつつあることを、確認した次第である。

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