◎悲しみに溺れる、という救い
小川志津子

カムカムミニキーナが、何かを脱ぎ去った。防ぎようもなく押し寄せる哀しみの大波を、忘却でも逃避でもなく受け止めることが果たしてできるか。生き残った者はいかに生き、去る者は何を遺すか。昨年の『かざかみパンチ』にはその渾身の問いがチラシやメインビジュアルにあふれていたし(万物を引っつかんだ拳が地面から突き上げられている)、今年4月、ウエストエンドスタジオで上演された『えびすしげなり』も、他者からもたらされるものにただ乗っかって進むことの危うさを描いた。
そして、『ひーるべる』。古事記の逸話が随所に織り込まれた、人類の根源を問う物語だ。しかし出典とか時代考証とかそういったことは振り捨てるような激流がそこにあった。織り込まれる物語は挿話ではなく、『ひーるべる』という大河の支流として、河口へと結集していく。時空だって超える、生死だって超える。超えるというか、巻き添えにしてうねり、流れていく。観客がすべてを咀嚼し終えるまで待ったりはしない。これは、轟音を立てて、流れ去る物語なのだ。轟音は轟音のままに、観客はその身を浸し、委ねる。そこからが、この物語を堪能することの始まりと言えよう。
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