カムカムミニキーナ「ひーるべる」

◎悲しみに溺れる、という救い
 小川志津子

「ひーるべる」 公演チラシ
「ひーるべる」 公演チラシ

 カムカムミニキーナが、何かを脱ぎ去った。防ぎようもなく押し寄せる哀しみの大波を、忘却でも逃避でもなく受け止めることが果たしてできるか。生き残った者はいかに生き、去る者は何を遺すか。昨年の『かざかみパンチ』にはその渾身の問いがチラシやメインビジュアルにあふれていたし(万物を引っつかんだ拳が地面から突き上げられている)、今年4月、ウエストエンドスタジオで上演された『えびすしげなり』も、他者からもたらされるものにただ乗っかって進むことの危うさを描いた。

 そして、『ひーるべる』。古事記の逸話が随所に織り込まれた、人類の根源を問う物語だ。しかし出典とか時代考証とかそういったことは振り捨てるような激流がそこにあった。織り込まれる物語は挿話ではなく、『ひーるべる』という大河の支流として、河口へと結集していく。時空だって超える、生死だって超える。超えるというか、巻き添えにしてうねり、流れていく。観客がすべてを咀嚼し終えるまで待ったりはしない。これは、轟音を立てて、流れ去る物語なのだ。轟音は轟音のままに、観客はその身を浸し、委ねる。そこからが、この物語を堪能することの始まりと言えよう。
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青年団+大阪大学ロボット演劇プロジェクト「アンドロイド版『三人姉妹』」

◎私たちを交代できるもの、私の芯の擦り切れる音
 綾門優季

「アンドロイド版『三人姉妹』」公演チラシ
アンドロイド版「三人姉妹」公演チラシ

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わかりあえないことから始めることに、私たちは疲れ果ててしまった。

一瞬でわかりあいたい、という私の中で燻る欲望が、生涯叶えられないことは知っている。
しかし、何故、膨大な時間を対話にも会話にも尽くしたにも関わらず、わかりあえるどころか、さらに遠ざかってしまったような錯覚に、私たちは時折、囚われてしまうのだろう。
この溝を埋める術はないのか?
この隔たりを狭める策はないのか?
そう問うことに、私は疲れ果ててしまった。
私のことを一瞬でわかってくれるのは私だけだ。
だから、私たちが「わかりあうこと」を交代するものがあるなら、それに面倒なことをすべて押し付けてしまおう。
そう、たとえば、アンドロイドに。
私自身が口を開かなければ、「わかりあえないこと」に直面する回数は、それだけ減少するのだから。
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佐藤佐吉演劇祭2012

◎劇場の意欲と志が見える 佐藤佐吉演劇祭2012を振り返る(座談会)

 小林重幸(放送エンジニア)+齋藤理一郎(会社員)+都留由子(ワンダーランド)+大泉尚子(ワンダーランド)(発言順)

 王子小劇場が隔年で開催する佐藤佐吉演劇祭は9月で全10公演を終了しました。6月末からほぼ3ヵ月の長丁場。ワンダーランドは演劇祭の全公演をクロスレビューで取り上げました。劇評を書くセミナーで劇場提供の主な公演を取り上げたことはありますが、演劇祭の全演目を取り上げるのは初めての試みでした。その10公演をすべて見て、クロスレビューにも毎回欠かさず参加した4人に、今回の演劇祭の特徴や目立った公演、クロスレビューに参加した感想や意見などを話し合ってもらいました。進行役は、ワンダーランドの北嶋孝です。(編集部)

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TRASHMASTERS「背水の孤島」

◎言葉もたない命よりも
 岡野宏文

「背水の孤島」公演チラシ
「背水の孤島」公演チラシ

 まず最初に、「背水の陣」という言葉の意味を確認しようではないか。
 この言葉は中国の史記による故事をもとにした成語で、絶体絶命の状況においてあえて川を背にした陣を敷き、決死の覚悟で全力を出し切って戦に臨むやり方で勝利を目指す戦略をいう。
 つまり「背水の陣」とは、十中一の望みもない立ち位置で、絶望に溺れるでもなく希望をかきたてるでもなく、もはや希望以外のなにものも持てぬがんじがらめの前のめりの姿をさすのである。
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SENTIVAL! 2012 報告 2

◎祭りの後で―演劇フェスSENTIVAL! 2012 レビュー
 梅田 径

 atelier SENTIO、SUBTERRANEAN、巣鴨教会を舞台に繰り広げられた地域演劇フェスティバル「SENTIVAL! 2012」がOrt-d.d「夜と耳」の終演をもって終わりを告げた。4月から7月までの長期間、17団体によるパフォーマンスと、ポストトーク、クラシック音楽とダンスの競演、フェルデンクライスWSと充実した内容であった。
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コンプリシテ「巨匠とマルガリータ」

◎アヴィニョンでコンプリシテを見る。
 今井克佳

 まずはじめに断っておくが、これから紹介するコンプリシテの「巨匠とマルガリータ」は2012年12月から13年1月まで、ロンドンのバービカンセンターでの再演が決まっている。その後、来日上演があるかはさだかではないが絶対にないとは言い切れない。そのため、今後の公演を見る可能性がある方には、これから書くことはいわゆる「ネタバレ」となる。決定的なことを書くつもりはないが、かなり具体的な内容を紹介することになるだろう。気になる方は注意してほしい。
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第22回こどもの館劇団演劇発表会「タロウくんのユメ」

◎タロウくんのユメ、こどもたちの夏
 伊藤寧美

 今年もまたこどもの館劇団の公演がやってきた。姫路駅から車で20分あまりの山奥に建つ兵庫県立の大型児童館、こどもの館へと足を運ぶ。初めてこの劇団に関わった10年前から、出演者として、観客として、夏には毎年のように姫路を訪れている。

 こどもの館劇団は、1991年に当時の兵庫県知事貝原俊民氏と、こどもの館の設計者である建築家安藤忠雄氏の提案により、劇団NOISEの如月小春氏の指導のもと開催された、夏休み期間中の中学生を対象とした演劇ワークショップから始まった。当初は一回きりの企画の予定が評判を呼んで毎年の開催となり、リピーターの参加者が中心となって継続的に運営されるよう「劇団」を名乗るようになる。また5年目からはOB、OGや近隣の小中学校の教員を初めとした大人たちも加わり、翌年には彼らを対象とした演劇指導者養成講座もワークショップと並行して開催されるようになった。2000年の如月氏逝去までは彼女が指導者の中心として、2001年以降は柏木陽氏とNPO法人演劇百貨店が指導を引き継ぎ、現在もこのワークショップは行われている。
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muro式「グラフ~その式を、グラフで表しなさい、~」

◎器用な客演役者と不器用な主演・演出・脚本家による3つのコント
  大和田龍夫

「グラフ」公演チラシ
「グラフ」公演チラシ

 着々と大きな劇場に移っていくmuro式。第1回は見ることができなかったが(チケットは買っていた)、第2回以降、欠かさず見に行くようにしている。今回で初回から4年が過ぎているとのことで、それなりの回をこなしているようだ。ムロツヨシなる役者の存在を知ったのは映画「サマータイムマシン・ブルース」だった。しばらくの間「ヨーロッパ企画」出身の役者だと勘違いしていた(それほど、当時は違和感がなかったというか、個性が薄かったというか)、次第にムロツヨシの存在は、濃いのか、薄いのかよくわからない謎というか、異様な役者という実感を持つようになっていた。
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甘もの会「はだしのこどもはにわとりだ」

◎完璧な劇空間の果たす役割
 落雅季子

「はだしのこどもはにわとりだ」公演チラシ
「はだしのこどもはにわとりだ」公演チラシ

 甘もの会は、京都在住の劇作家、肥田知浩と、演出の深見七菜子からなる二人のユニットだ。数年に一度だけ咲く花のように密やかに公演を行い、また数年の熟成期間に入ってしまう。そんな彼らの二年ぶりの新作、『はだしのこどもはにわとりだ』を観た。旗揚げは2008年。2010年に上演された『どどめジャム』では劇作家協会新人戯曲賞にノミネートされたと記憶しているが、今回はそれに続く第三回目の公演である。
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die pratze 「授業」フェスティバル

◎イヨネスコの不条理劇はどう料理されたか?(下)
 芦沢みどり

「授業」フェスティバルのチラシ
「授業」フェスティバルのチラシ

 さて。マガジン294号に掲載された()の続きである。
 前回の文章を読み返してみたところ、実験演劇集団「風蝕異人街」の舞台の記述が言葉足らずだったことに気づいた。このグループはフェスティバルで唯一、テキストのハーケンクロイツのくだりを復活させていた。それについて「どうせなら大日本帝国軍人でやってくれたらよかった」と書いた。そのあとに、「そうすれば日本の加害の歴史が見えてきたはずだ」と補足しておきたい。
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