コンプリシテ「巨匠とマルガリータ」

◎アヴィニョンでコンプリシテを見る。
 今井克佳

 まずはじめに断っておくが、これから紹介するコンプリシテの「巨匠とマルガリータ」は2012年12月から13年1月まで、ロンドンのバービカンセンターでの再演が決まっている。その後、来日上演があるかはさだかではないが絶対にないとは言い切れない。そのため、今後の公演を見る可能性がある方には、これから書くことはいわゆる「ネタバレ」となる。決定的なことを書くつもりはないが、かなり具体的な内容を紹介することになるだろう。気になる方は注意してほしい。

 「アヴィニョンでコンプリシテを見る」。いい響きだ。しかしちょっとミスマッチでもある。コンプリシテCompliciteと言えば日本でも「エレファント・バニッシュ」「春琴」などの世田谷パブリックシアター共同製作作品で知られるサイモン・マクバーニーSimon McBurneyの率いる演劇集団でロンドンを拠点として活動している。パントマイムの学校であるパリのルコックを出た俳優たちを中心に作られ、フィジカルシアターとしての傾向が強かったが、ここ10年ほどはフィジカルな側面が抑えられ、映像効果を舞台に多用するようになった。
 筆者は最初の来日公演「ルーシー・キャブロルの三つの人生」(1995年来日公演)以来、コンプリシテのファンであり、出来る限り上演を追いかけて来た。とはいえ、来日公演のない作品もロンドンで見るようになったのは最近のことである。

 一方、アヴィニョン演劇祭は南仏アヴィニョンで毎年7月に開催されている演劇祭で、ヨーロッパではスコットランドのエジンバラ演劇祭と肩を並べる大規模な演劇祭であることはよく知られているだろう。中世から残る城壁に囲まれた市街区域が全て演劇祭一色となるその雰囲気はエジンバラ同様他では味わうことのできない独特のものである。そこでのメインになる上演は、フランスやドイツなど大陸系の前衛アーティストによって行われて来た傾向がある。
 しかし今年はそうした中で、サイモン・マクバーニーが、演劇祭のAssociate Artistとなり、他にもロンドンNational TheatreのAssociate Directorでもあるケイティ・ミッチェルKatie Mitchelや、演劇集団Forced Entertainmentなど、イギリスの演劇人が例年より多く参加しているのが一つの特徴であったと思う。イギリスのコンプリシテ(言葉としてはフランス語ではあるが)がフランスの演劇祭のメイン会場で上演する、というのはやはり少しミスマッチの香りがする。

 さて、筆者は2012年3月にバービカンで「巨匠とマルガリータ」The Master and Margaritaの初演を見たが、大変面白かった。その時ツアーにアヴィニョンでの上演が入っていることに気がつき、ぜひあのアヴィニョンの法王庁中庭のメインステージで、この作品を見てみたいと思ったのである。実際行けるかは仕事の日程の問題などで不確定だったが、計画を少しずつ始めて、なんとか運良く学事日程の合間を縫って、渡仏、観劇することができた(私のような、フランス語もたいして出来ない日本人が、現地事情もわからず、単独でアヴィニョン演劇祭に滞在し楽しむのはなかなか難しい。できれば事情通の人間と一緒に行くか、事前に十分相談することをお勧めする。私は今回二回目なので前回の経験を生かしてなんとかうまく行った)。

 「巨匠とマルガリータ」は、スターリン時代のソ連で弾圧され、不遇のままに亡くなった小説家、ミハイル・ブルガーコフが1930年代を中心に執筆した長編小説の舞台化である。原作はブルガーコフの死後、26年経った1966年になりやっと公刊され、現在ではかなり人気の高い名作として読み継がれているようである。既に日本語の翻訳も複数出版され、国内外での舞台化や、アンジェイ・ワイダによる映画化(1972年)、ロシア本国でのテレビドラマシリーズ(2005年)なども存在するようであり、知る人ぞ知るマニアックな長編小説との印象がある。

「巨匠とマルガリータ」公演写真1
【写真は、「巨匠とマルガリータ」公演から。撮影=Bohumil Kostohryz 提供=Complicite 禁無断転載】

 あらすじはとても複雑だが、かいつまんで紹介すれば次のようになる。スターリン時代のモスクワにヴォラントという名の悪魔が現れる。学者を装って、公園でキリストの実在を否定する会話をしていた当時の評論家と詩人に近づいたヴォラントは、自分はイエス・キリストがローマ総督ピラトのもとで裁判を受けたその場にいたと主張し、その時見たことを語りだす。
 こうして、一方では、2000年前のエルサレムにおける、ピラトによるイエスの裁判から死刑に至るストーリーが語られ、他方ではモスクワに現れた悪魔ヴォラントが、スターリンの指導下にある芸術家や劇場などを次々と混乱に陥れるストーリーが現れ、交互に語られる。モスクワでのストーリーはやがて、悪魔によって精神錯乱に陥った詩人が、精神病院で出会った「巨匠」なる人物が話すマルガリータという女性との愛の物語に繋がる。誰にも受け入れられない小説を書き続けていたその男とマルガリータが出会い、恋に落ちる。マルガリータは男を励まし「巨匠」と呼んで尊敬するが、すれ違いによって別離を余儀なくされ、「巨匠」は病院に送られ、マルガリータは悪魔ヴォラントの力を借りて「巨匠」と再会を果たそうとする。そして悪魔が語っていたと思われたピラトとイエスの話は、実は「巨匠」が書いていた小説の内容であることがわかる。
 このように大まかに二つの時代のストーリーが交互に描かれると同時に、二つがメタ的な関係で絡みあい、メビウスの輪のようにねじれて相互干渉しているという一歩間違えれば破綻しかねないような奇妙なストーリーである。小説としても非常に魅力的なこの作品を、マクバーニーはストーリーの骨格としてはほぼ忠実に再現した舞台を作り上げていたと思う。

 実際の上演に移ろう。筆者が観劇したのは上演期間の最終日と前日の二回である(7月15、16日)。法王庁の入り口に近づくと、「チケットを売ってほしい」と書いた紙を掲げた若者がたくさんいる。チケットはソールドアウト、当日券も手に入れられなかったのであろう。最終日なのですでに評判も出回っているのだろうが、コンプリシテの人気の高さがうかがえる。
 法王庁中庭の特設会場に入ると、まっさらの舞台には、ホリゾントに近い場所に木製の小さな椅子が横一列に沢山並べてある。ベッドや電話ボックスらしきセットや衣装が舞台袖に置かれているのも見える。コンプリシテらしいな、とわくわくし始める。見上げれば、鉄パイプで組み上げられた仮設の客席は甲子園のアルプススタンドのように高くそびえて満杯である。
 南仏アヴィニョンは緯度はそれほど高くないが、それでも7月の夜は午後9時ごろにならないと日が落ちない。法王庁中庭は高い石壁に囲まれているとはいえ、屋根がないため、開演が午後10時に設定されている。確かにこの「巨匠とマルガリータ」は大規模な映像プロジェクションを伴うので、会場が完全に暗くなることがどうしても必要だ。しかし上演時間は3時間20分。バービカンでの初演では、途中15分の休憩が入ったのだが、この法王庁公演では客席の設置状況やトイレの場所の問題などからか、休憩なしの上演であった。それでも、終演は午前1時半近い真夜中である。ホテルが歩いて帰れる城壁のすぐ外側だったからいいようなものの、もっと遠かったらタクシーを使うくらいしか戻るすべがない。そして日中は30度を越える気温だが、夜は冷える。ちょうど風の当たる席だったせいもあるが、上演中は寒さとの戦いでもあった。

 上演の特徴であるが、まずはやはり大規模な映像投影による表現をここまでやるか、というくらいであった。舞台上の大道具的なものは、椅子とベッド、古い電話ボックス風の窓付きの人が入れる箱(市電や、公園の売店などにもなる)、半透明のパーティションなど限られたものを移動し、見立てで使用する。道路や部屋の区画などは照明で表現され、そこにホリゾントになっている非常に高い、法王庁の実際の石壁への映像投影が加わり、前述の二つの次元を行き来するという場面転換をスムーズでダイナミックなものにしている。
 冒頭から何度か、モスクワ市内の特定の場所を表現するのに、背景にグーグルマップ風の航空写真を大写しにしてズームさせ特定させる手法は、スタイリッシュだったし、エルサレムのシーンでは、ホリゾントの壁だけではなく、舞台部分を挟むように建っている横の壁にも映像を映し出し背景映像としていた。またホリゾントの壁の高い位置には実際の窓がいくつかあるのだが、この窓を利用して、そこに実際は舞台に仰向けになっている状態のマルガリータの動く映像が映し出され、窓の内側で嘆いているように見える手法なども印象的だった。
 映像表現は多岐にわたり、切られた人間の首を持つシーンでは、3D映像を使用することもあった。「ルパージュライク」との言葉が初演のイギリスの劇評にあったが、まさに「映像の魔術師」と言われるロベルト・ルパージュの向こうを張るような「お金のかかった」映像技術が惜しみなく使われていたといえるだろう。この映像効果は最終部でもっとも効果を発揮したがそれについては詳述を避けることにする。

「巨匠とマルガリータ」公演写真2
「巨匠とマルガリータ」公演写真3
【写真は、「巨匠とマルガリータ」公演から。撮影=Robbie Jack 提供=Complicite 禁無断転載】

 次にキャラクターの印象深さを挙げよう。エルサレムのシーンでの、イエス(原作、劇中ともヨシュアと呼ばれる)は、囚われの身として登場するため、著しくやせて小柄で、ほとんどのシーンが全裸か腰布を巻き付けただけでどきりとさせられる。十字架にかけられ、その脇腹を兵士が槍でつくシーンはストップモーションとなり、視覚的に強い印象を与えた。
 それに対してピラトは、恰幅のいい男であり、現代風の白いジャケットを来ている(原作でも白い衣をまとっているとされる)が、そのことがモスクワのシーンで背景に何度か投影されるスターリンのおなじみの肖像と重なって、ピラトがどうやらスターリンを暗示しているのだとわかる。ブルガーコフは、スターリンの芸術統制に対しての批判もこめて、この小説を書いているという解釈に立っているのだろう。
 ピラトはヨシュア(イエス)の言葉に強い印象を受けながらもユダヤ人司祭たちの手前、死刑を宣告してしまう。弱さと慈愛とを持ち合わせるイエスと、権力を持ちながら自己欺瞞に悩むピラトが対比されていくストーリーである。

 一方、モスクワに現れる悪魔ヴォラントは、細身の長身で黒づくめ、サングラスをかけて甲高い声で話す。悪魔的な暗さよりも、ユーモラスな残酷さを持つ。マルガリータにとっては、ファウストのメフィストフェレス的な存在でもあり、ストーリー全体を進めて行く狂言回しのようでもある。ヴォラントは二人の男と人語を話す黒猫という手下を持つが、二人の手下はヒップホップ風の現代的な衣装を着た男たちで、とても当時のモスクワにいるとは思えない連中である。ヴォラントと手下たちは時に観客にも話しかけ、iPhoneを話題に出すなど、客席との媒介ともなる。モスクワの劇場の観客を映像で表現すると見せて、実際の客席に照明をあてアヴィニョンの観客たちを映して、現代と1930年代のモスクワを混合させることも行われた。
 人語を解する黒猫、のキャラクターは子どもくらいの大きさのパペットが使われる。「春琴」では幼少期の春琴がやはり人形で表現されていたし、同じブルガーコフ原作のオペラ「犬の心臓 A Dog’s Heart」(サイモン・マクバーニー演出、2010年オランダ初演)でも、犬のパペットが多数使用されていた。目が赤く光る不気味なネコのパペットを数人の出演者が背後で操り、セリフも肩代わりする様は、人形浄瑠璃を思わせ、その影響が感じられる。

 しかし最も驚くのは、悪魔ヴォラントが歌舞伎の「引抜」よろしく、その場で「巨匠」にすり替わってしまうシーンである。冒険の末にヴォラントのもとにたどり着いたマルガリータの「巨匠」に会いたい、という願いを聞き入れる際に、願いをかなえてやると言ったとたんヴォラントは「巨匠」に変身する。実はヴォラントと「巨匠」は前半同じ俳優が演じており(しかしサングラスやマウスピースなども使い、全く違うキャラクターに見える)、歌舞伎の「早替」のように隠れることもなく、周りの俳優によって衣装が引き抜かれサングラスやマウスピースがはずされて人相や声色さえも瞬時に変わってしまう。(もう一カ所別の場面でも別のキャラクターで同じ演出がある。)
 これは単に奇抜さを衒ったというだけではなく、ヴォラントは実は「巨匠」が自ら生み出した自分の小説の中のキャラクターであり、「巨匠」の分身であるという解釈も含まれている。
 このコンプリシテ風「引抜」は「エレファント・バニッシュ」の中で吹越満がパジャマからスーツになる際にもう少しあっさりと使用されてはいたが、これほど徹底的な驚きを伴うものは初めてだろう。明らかに歌舞伎の技術の援用に手を加えたものである。
 出演者には他にも、ロンドンでのThe Bee公演に出演していたクライブ・メンデスや「春琴」にも出演していた望月康代など、脇役ではあったが、この人も出ているのか、と注目したくなる出演者も含まれていた。

 さて、この複雑なストーリーの結末は小説と変わらないので、これ以上の「ネタバレ」は避けることにするが、終幕に至るまでには、青いクリームを全身に塗り空を飛び回るマルガリータのシーンなどまだいくつかの大掛かりなスペクタクルが用意されている。(マルガリータ役の女優も小柄でハスキーな声の持ち主でとても印象的だった。)
 これらの演劇的アイディアは、一種、子どもの遊び風の安っぽさも併せ持っていて、感心するものもあるが、そこまでやらなくても、と思わせるものもある。マクバーニーはそれら全てを、はずかしげもなく、外連味たっぷりに見せつけてくる。演出は原作の持つ深刻さや難解さを中和するように、ユーモアや観客への媚びを入れ、結末はやや陳腐とも思えるロマンティシズムに落ち着く。しかし全編を貫く、これでもか、という演劇的アイディアの数々によるスペクタクルの強度が、そうした欠点を補っている。これは日本との共同製作で長年関わった日本の伝統芸能からも多大な影響を受けて作られた、マクバーニー風の歌舞伎であると筆者は考えるに至っている。
 アヴィニョンでの上演は、法王庁中庭という特殊な場所での上演として映像などもチューンアップされていたと思われる。再演を重ねて、作品を練り上げて行くマクバーニーのことであるから、バービカンでの再演ではまた違った味わいが出されることだろう。さすがに筆者はもう見に行けないと思うが、今後もこの作品が進化することを願っている。

【筆者略歴】
 今井克佳(いまい・かつよし)
 1961年生まれ、埼玉県出身。東洋学園大学教授。専攻は日本近代文学。ブログ「ロンドン演劇日和&帰国後の日々
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/imai-katsuyoshi/

【上演情報】
コンプリシテ「巨匠とマルガリータ」Complicite The Master and Margarita(Festival d’Avignon 2012

アヴィニョン法王庁中庭:2012年7月7日-16日
原作:ミハイル・ブルガーコフ Mikhail Boulgakov
演出:サイモン・マクバーニー Simon McBurney
映像:フィン・ロス Finn Ross
配役(一部)
巨匠Master :  Paul Rhys
マルガリータMargarita:  Sinéad Matthews
総督ピラトPontius Pilate:  Tim McMullan
ヨシュア(イエス)Yoshua:  César Sarachu

「コンプリシテ「巨匠とマルガリータ」」への3件のフィードバック

  1. ピンバック: 黒田圭
  2. ピンバック: スギ
  3. ピンバック: 薙野信喜

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