範宙遊泳「さよなら日本 瞑想のまま眠りたい」

◎喪失がもたらした転回
 落 雅季子

「さよなら日本」公演チラシ
「さよなら日本」公演チラシ

 これは「喪失」を描いた物語なのだと、観ている途中でわかった。舞台上には、かつて私が誰かを失ったときの情景があり、これから失うものがあるとすればこうだという予言があり、ではいったい現在地では何を所有しており、何を確かだと思って暮らしているのか、という問いがあった。息をするのも忘れるほど見入っていたが、同時に、どうしようもなく怖い、という感覚におそわれた。水が欲しいと思ったときには、すでに身体の水分は枯れていると聞いたことがある。深層心理の認識はいつも遅れるので、自分では渇いていることに気づいていなくとも、思いもかけない水流を前に、久しく覚えがないほど惹きつけられたのかもしれない。どうしてこんなに怖いと思うのか、それなのにどうして惹かれたのか、考えているうちに二度も観に行ってしまった。
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忘れられない一冊、伝えたい一冊 第24回

◎「日日雑記」(武田百合子著 中公文庫)
 小野寺修二

 映像の現場へ行ったことは数える程だが、先程撮ったものの確認を大の大人が画面の前にひしめき合い、ぎゅうぎゅう集まってじっと見ている。いろんな立場の人が各々、それぞれ高くなって低くなって見ている。見終わって、ああだこうだ言うでなくまた散って、じっとり形になる。見るって、こういうことだと納得する。
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カトリ企画UR「紙風船文様」

◎3人によるクロスレビュー

 今回の企画は、アトリエセンティオで2013年4月4-7日に上演されたカトリ企画UR「紙風船文様」を同時に観劇した3人の方のお申し出により、それぞれの視点から批評していただいたものです。3人は昨年フェスティバル・トーキョー(通称F/T)の関連企画「Blog Camp in F/T」で知り合い、F/T終了後も不定期に集まっては、各々が観た作品を話し、議論してきたとのことです。
 それぞれ違うバックグラウンドを持つ評者が一つの作品に関して書く事で、「紙風船文様」という作品の様々な側面が浮かび上がってきたことと思います。(編集部)
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ハイブリットハイジ座「ジャパニーズ・ジャンキーズ・テンプル」

◎ひねくれものの祝祭に乾杯!
  梅田 径

 一月頃に酒を酌み交わした某出版社勤務の友人がデタラメに酔っ払いながら「ハイジ座、面白いっすよ!」と強くオススメしていたものだから、劇団名は強く印象に残っていた。なんでもシアターグリーン学生演劇祭の最優秀賞を受賞しているとか、今回劇評の対象とする「ジャパニーズ・ジャンキーズ・テンプル」でおうさか学生演劇祭にも乗り込み(こちらは最優秀劇団賞を逃した)、二都市公演を行うとかで、その名前がほんのり小劇場界にも轟きはじめたころ、本作の一作前、早稲田大学学生会館で公演された短編オムニバス「天然1」を観劇した。
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忘れられない一冊、伝えたい一冊 第22回

◎「日常生活の冒険」(大江健三郎著 新潮文庫)
  市原幹也

「日常生活の冒険」表紙
「日常生活の冒険」表紙

本の紹介からしよう。出版元のデータベースに、こうある。

『たぐい稀なモラリストにして性の修験者斎木犀吉―彼は十八歳でナセル義勇軍に志願したのを手始めに、このおよそ冒険の可能性なき現代をあくまで冒険的に生き、最後は火星の共和国かと思われるほど遠い見知らぬ場所で、不意の自殺を遂げた。二十世紀後半を生きる青年にとって冒険的であるとは、どういうことなのであろうか? 友人の若い小説家が物語る、パセティックな青春小説』

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雲南市演劇によるまちづくりプロジェクト実行委員会「水底平家」

◎「市民演劇」のさらに先へ
  小川志津子

「水底平家」公演チラシ
「水底平家」公演チラシ

 島根県雲南市で今回3回めとなる「雲南市演劇によるまちづくりプロジェクト」が、回を重ねるごとに注目度を増している。雲南市在住の県立高校教師で演劇部顧問、亀尾佳宏の作・演出で、今年は『水底平家』が上演された。もとは演劇部員向けに書かれた60分の物語に、大幅なリライトとアレンジを加えて2時間の作品へとブラッシュアップ。出演者とスタッフは公募により集められ、総勢60名の大所帯となった。昼間は会社や学校に通う、演劇初心者から現役演劇人までが顔を揃える。普段はコンサートや映画上映に使われる公共ホールの1階席が、計3ステージとも、ほぼ埋まった。
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マームとジプシー「あ、ストレンジャー」

◎太陽が貧しい
  岡野宏文

 「マームとジプシー」の『あ、ストレンジャー』は、ノーベル賞作家アルベール・カミュの代表作『異邦人』を換骨奪胎した公演であった。

 恥ずかしいのでいままで「ジュール・ヴェルヌです」とかいってつつましく隠し通してきたが、私の卒論はしょうみなところカミュである。フランス語なんか全然できないくせに、ブランデーじゃない方のカミュを恐れ多くも扱ったところが実に罪作りな私らしい。
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集団:歩行訓練「不変の価値」

◎500円の価値
  伊藤寧美

「不変の価値」公演チラシ
「不変の価値」公演チラシ。
デザイン=松見真之助(Morishwarks)

 会場に入ると、『資本論』の次の一節がスクリーンに表示されている。

「商品は、自分自身で市場に行くことができず、また自分自身で交換されることも出来ない。したがって、われわれはその番人を、すなわち、商品所有者を探さなければならない。商品は物であって、したがって人間に対して無抵抗である。もし商品が従順でないようなばあいには、人間は暴力を用いることができる。(『資本論(一)』マルクス・エンゲルス編/向坂逸郎訳、岩波文庫、1969. p. 152)」(註1)

 開演前の諸注意のアナウンスに続き、司会が短いデモンストレーションを行う。彼女が舞台上の俳優のもつグラスに500円硬貨を入れると、彼は少しポーズをとって見せるのだ。次いで司会は今回の公演費用の内訳を聞き取れないほどのスピードで読み上げ、その最後に、以上の決算の結果本公演の値段(すなわち入場料と経費の差額を観客数で割った金額)は500円である、ついては観客に500円を返金する、と述べる。作品は、ここから始まる。
 作品は、観客と舞台上のインタラクションに重点を置く前半部、俳優間のインタラクションを見せる後半部に分かれる。この媒介になるのがこの500円である。
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松岡綾葉「D.D. Digital Dust」

◎のどごしを求めない、おいしさ。
  安達真実

福岡ダンスフリンジフェスティバル チラシ

 この人たちのダンスときたら、まさに門外漢には(門外漢である、と自らを規定した者には)どうでもいいような無意味なディテールに溢れかえっているのだ。一方で、どうでもよくないような何かが、いい加減にほったらかされているように思える。それがかえって、どうにもクセになる感じなのだ。というのは、その愚直さが筆者の目には誠実さと映るからであって、もし、納得という“のどごし”の良さを求めてみるなら、はっきり言って気持ち悪いことだらけ、ということにもなり得るだろう。
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東京デスロック「東京ノート」

◎2024年のジャパニーズ・ノート
  落雅季子

「東京ノート」公演チラシ
「東京ノート」公演チラシ

 靴を脱いで劇場に入り、白いムートン張りの床を踏む。作品の舞台である美術館のロビーを模したセットは同じ布地でカバーされており、既に観客らしき人が腰掛けている。椅子はそれ以外になく、後はめいめい床に座ったり、壁にもたれたりしながら開演を待っているようだった。東京デスロック4年ぶりの東京公演に多田淳之介が選んだのは、遠いヨーロッパの戦争を背景に、美術館につかの間集う家族、恋人たちを描く、平田オリザの戯曲『東京ノート』である。
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