東京デスロック「東京ノート」

◎2024年のジャパニーズ・ノート
  落雅季子

「東京ノート」公演チラシ
「東京ノート」公演チラシ

 靴を脱いで劇場に入り、白いムートン張りの床を踏む。作品の舞台である美術館のロビーを模したセットは同じ布地でカバーされており、既に観客らしき人が腰掛けている。椅子はそれ以外になく、後はめいめい床に座ったり、壁にもたれたりしながら開演を待っているようだった。東京デスロック4年ぶりの東京公演に多田淳之介が選んだのは、遠いヨーロッパの戦争を背景に、美術館につかの間集う家族、恋人たちを描く、平田オリザの戯曲『東京ノート』である。

 頭上にはどの方向からでも見えるよう、大きさの異なるスクリーンがいくつも掛けられている。開演前には、入場しつつある観客たちの姿がカメラで映されており、私は時折映る自分の姿を見つけては、それを眺めていた。天井付近にはスクリーン以外にも大きな鏡が取り付けられていて、観客たちはその中にも映り込んでいる。

 さて、本作を語る上でまず、東京デスロックが昨年9月に、東京国立近代美術館の60周年イベントで一夜だけ上演した『リハビリテーション』について触れたい。あれは、東京という都市が置かれている状況と、東京に暮らす人々の現在の心持ちを、鋭く問いかけていた作品だった。
 会場となった美術館の広いイベント空間じゅうには向きも位置もばらばらのパイプ椅子が所狭しと並べられており、その“自由すぎる自由席”の様子は圧巻ですらあった。開演時間になると、観客に紛れて座っていた俳優たちが立ち上がり、自身の故郷の話をしながら場内を周回し始める。密集した人々の合間を縫うように俳優が歩き、しばらくすると今度は上京してから自分が東京で味わった寂しさを語ってゆく。

 このオープニングの形式が、今回の『東京ノート』にも引き継がれていた。日本中から人が集まって出来ている都市。多くの人が互いに無関心である都市。この演出は、「東京」という単語から想起される上記のようなイメージを足がかりに、東京の構成員である人々の当事者意識に対する、多田の問題提起の宣言だった。
 俳優たちの語る「上京」の経験によって、観客一人一人は己れの来し方を振り返ったのではないか。東京暮らしが四半世紀余となり、上京という概念を持たずに生きてきた私も、親しい人の故郷のことや、東京に住み続けて来た自分の生活をじっと考えてしまった。

 作品主題が提示されたところで、それまでスクリーンに映されていた“2013”という数字が変わり始めたのが分かった。2014、2015、2016…。ひとつずつカウントアップされていく数字を見ながら、私は思わず自分の年齢を数えていた。30、31、32…。増え続けていた数字は“2024”で止まった。『東京ノート』は、近未来の日本を舞台にした作品であることを私は認識していたが、今回の設定は2024年ということらしい。
 げ、2024年ってことは私、41歳か、と天井を仰いだ。しかしそこから私はずっと、41歳の自分がひょっこりフェルメールを見にこの美術館に現れるのではないかという感覚を持ちながら作品を鑑賞することになった。2024年の美術館ロビーという時空間が2013年の延長上にあることを、身体で飲み込んだのだった。

 オープニング終了後に、多田がマイクを持って姿を見せた。「場内を自由に移動してよい」ということや、出口の説明に混じって多田は、繰り返し「ここが2024年の東京であること」「観客は2013年からやってきてそれを見ていること」を説く。
 聞いたところによると、初日時点ではこの多田のトークはなかったようなので、徐々に本作観劇について、理想的な観客の状態を補足する形態になっていったのだろう。そしてこれまで主人公の由美を演じ続け、『東京ノート』のたましいとも言える青年団の松田弘子と、義妹の好恵役の大川潤子が話しながらカットインし、本編の上演が始まった。

 平田オリザの戯曲は、作品中で今何が起きているのか(平田自身が何を問題とみなしているのか)をあからさまに書き立てたりはしない。しかし、何が起きたのか(何が問題だったのか)がわかるための仕掛けは、周到にその劇構造および台詞の中に施してある。
 作り込まれた引っかかりを観客たち自身に感じ取らせるようにするその作風は、たとえば嗅覚の記憶に似ている。日常に紛れて忘れていても、ふと匂いをかいだときに遅れて感情や記憶が呼び起こされるような、かすかだが確実な身体的感覚による観客の自発的な意識の動きが、あらかじめ組み込まれているのである。平田作品を演出する者は、その構造の取り出し方、問題の取捨選択と強調の手腕を問われる。

 今回、多田はそれに対して視覚化を用いたアプローチを選んだ。スクリーンや鏡という明示的な装置だけの話ではない。戯曲の中に内在する「見る」という行為へ、観客を注視させようとしていたという意味だ。当然ながら美術館というのは絵を「見る」場所であり、戯曲中でもたびたび見る行為への言及がなされている。「絵を見るっていうのは難しいね。ものを見ている画家がいて、それを、また、見ているわけだから」(注1)という、木下(ロビーで女子大生と再会した元家庭教師の男)の台詞があるが、「見る」ことに対するこの入れ子の感覚が、上演のキーとなっていたと言ってよい。

 内田淳子演じる学芸員が、カメラ・オブスクーラと言われる、画家がスケッチをする際に用いた光学装置の話を語る場面がある。その台詞を聞きながら、私は四角い劇場がまるでカメラ・オブスクーラであり、その中に閉じ込められているような、妙な居心地の悪さを感じていた。「世界を切り取るんですよね、たぶん、生活から」、「自分の見たいものしか見ないんだから。好きな構図で」(注2)と、畳み掛けられる台詞。居心地の悪さとは、演劇を今この瞬間「見て」いる観客に引きの目線を与え、自らの行為を客観視させようとする意志を感じたためだった。
 こうして、東京デスロック版の『東京ノート』について考えるとき、話の内容や俳優の様子とあわせて、見ながら自分が考えていた事が思い出されるのは、いかに私がその瞬間、自分の心の動きに自覚的であったかということの証にも思われる。

東京ノート1
東京ノート2
【写真は、「東京ノート」公演から。撮影=石川夕子 提供=東京デスロック 禁無断転載】

 作品中には、若者が平和維持軍に入ったり、武器を製造する会社が戦争特需に湧いているような描写がある。それに呼応するかのように、劇場の壁際にぶら下げられた赤いボールにカメラがズームしてゆき、白いスクリーンの真ん中でゆらゆら揺れる様子が映し出される。日の丸だ、と認識した頭で、昨年末の衆議院選挙での自民党圧勝と、右傾化しつつあると言われる日本の将来に思いを馳せた。たとえば2024年にこの国がどうなっているか、不幸な想像をしてぞっとする。

 思えば『東京ノート』が書かれた1994年当時、それまで世界中でもっとも戦争から遠い場所にいた日本の立ち位置は徐々に変わりつつあった。国際平和協力法(PKO協力法)が出来た年を調べてみたところ、1992年のことだった。当時、ニュースがこの法案一色だったことはよく覚えている。あれは、日本の自衛隊が世界の戦争とつながる可能性を持った最初のきっかけの一つだった。
 そして今、2013年。海を挟んで隣人たちと領土を争い、ミサイルやレーダー照射の危機が現実味を帯びて、憲法改正の判断を迫られている今、本作が1994年時よりも「自分自身」が何をどのように判断し、行動するかという主体性を問う上演となったのも必然のように思える。

 しかしそうした観客への主体性の要望は、熱く語られるというわけではなく、作品構造として淡々と示されていた。オープニングで、俳優たちは観客の中から次々立ち上がり、自分の故郷について語りながら観客の間を縫って歩いた。先述のとおり、その演出は観客自身の経験と記憶を揺さぶるものであっただろうし、開演前に自分の隣に座っていた人間が実は出演者だったという仕掛けは、俳優と観客の差異は紙一重であり、置換可能な存在であることの表れだ。
 一転して本編での俳優たちは、劇場中に座る観客の脇をすり抜けながら、「2013年からやってきた」観客たちを、そこにいないものと見なして演技をする。そこでは、俳優が観客に話しかけるなどの能動的なコミュニケーションは行われない。
 しかし、オープニングで喚起した観客の想像力を使役する仕組みは、随所に残されているのである。たとえば、由美が劇中で写真を撮るシーンでは、美術館セットの椅子に座って観劇している観客たちにも軽く声をかけて一緒に写す。2013年を生きる観客が2024年の写真に映り込み、しかもその写真は上演のたびに異なるというあのシーンは、俳優が今演じている人物は未来の私かもしれない、いつかのあの人かもしれない、という想像的代入を観客に行わせ、近未来の物語を他人事で終わらせない効果をもたらしていたのである。

 多田淳之介版『東京ノート』は、「東京」という都市の輪郭を拡大して、「日本」と同一視してゆくようなスケールを持つものだった。そう私が考えるのは『リハビリテーション』のラストシーンが影響している。あの作品では、スクリーンで何度か観客に指示が出され、観客はその都度椅子を持って移動しながら観劇をした。
 最後に出た観客への指示は、出身地別(東北、中部、関東、近畿など)に分けられたエリアに移動せよ、というものだった。外国も含めた全観客の出身地が可視化されたあのとき、私は故郷を異にする者たちが集まる東京の姿を改めて見せられた思いがした。

 「日本」という国を考えるため、多田はこの4年間で細分化してきた思考の道筋を、今一度「東京」に集約させている。このことは、公演期間中に劇場で販売されていたパンフレット、『拠点日本』についても言えるだろう。『拠点日本』は、東京を離れていた間に東京デスロックが出会った、各地方の演劇人との交流をまとめた冊子である。「地方の総体」を「日本」と呼ぶならば、東京こそがまさしく日本だ。その演繹的な発想から、本作で多田は観客の意識を、2013年の東京から2024年の日本へ、幅を持たせて拡張したのだ。
 そしてエンディングシーンにて、スクリーンの数字は“2024”から再び増加を始め、“9999”まで増えたところで終わった。西暦としてのリアリティを失った数字は、まるで茫漠とした未来に対する私の想像力と、当事者意識の限界を試すように、冴々と浮かび上がっていた。

(注1)(注2)平田オリザ戯曲集1 『東京ノート・S高原から』1995年、晩聲社

【筆者略歴】
落雅季子(おち・まきこ)
 1983年生まれ東京育ち。会社員。2009年、横浜STスポット主催のワークショップ参加を機に、本格的に劇評を書き始める。主な活動にワークショップ有志のレビュー雑誌”SHINPEN”発行、F/T2012BlogCamp参加、藤原ちから氏のパーソナルメディアBricolaQでの”マンスリーブリコメンド”執筆など。
ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ochi-makiko/

【上演記録】
東京デスロック「東京ノート」
こまばアゴラ劇場(2013年1月10日-20日)

作:平田オリザ
演出:多田淳之介

出演(〈 〉は出身地)
夏目慎也〈愛知県〉、佐山和泉〈東京都〉、佐藤誠〈青森県〉、間野律子〈埼出県〉(以上東京デスロック)、松田弘子〈長野県〉、秋山建一〈東京都〉、石橋亜希子〈岡山県〉、髙橋智子〈東京都〉、山本雅幸〈神奈川県〉、長野海〈神奈川県〉(以上青年団)、内田淳子〈石川県〉、大川潤子〈東京都〉、大庭裕介〈神奈川県〉、坂本絢〈神奈川県〉、宇井晴雄〈富山県〉、田中美希恵(贅沢な妥協策)〈山口県〉、永栄正顕〈千葉県〉、成田亜佑美〈神奈川県〉、波佐谷聡〈石川県〉、李そじん〈東京都〉

スタッフ
セノグラフィー:杉山 至
照明:伊藤泰行
音響:泉田雄太
衣裳:正金 彩
舞台監督:中西隆雄
演出助手:橋本清、杉 香苗
宣伝美術:宇野モンド
制作:服部悦子
企画製作:東京デスロック

協力
青年団、(有)レトル、krei inc.、(株)ユマニテ、(株)クリオネ、(有)エフ・エム・ジー、夢工房、渡辺源四郎商店
贅沢な妥協策、フォセット・コンシェルジュ、シバイエンジン、水天宮ピット、公益財団法人セゾン文化財団

助成:アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
提携:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
主催:東京デスロック、一般社団法人unlock

☆…アフタートーク
10日(木)『東京復帰記念トーク』…東京デスロックメンバー全員
11日(金)『地域と東京とこの4年の活動』…多田淳之介
16日(水)『地域と東京と東京ノート』…多田淳之介×平田オリザ氏

チケット
日時指定・整理番号付自由席
【一般】 前売・予約 3,000 円/当日 3,500 円
【学生・シニア(65 歳以上)】 前売・予約 2,500 円/当日 3,000 円
【中・高校生】 前売・予約・当日共 1,000 円
【小学生】 無料


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