岡崎藝術座「隣人ジミーの不在」

◎個人とスタンダード(文脈)ということについての考え-「隣人ジミーの不在」再演を前に
  神里雄大

 今月再演する『隣人ジミーの不在』(※注)は、その製作の一部を韓国ソウルでおこなった。韓国人俳優が出るわけでもなく、韓国のことを直接的に扱った作品でもなく、また今のところ韓国での公演の予定もない(機会があればぜひやりたい)ので、なぜ? と聞かれることも少なからずあった。その経緯を書き記すことで、僕がいまどんなことを考えて作品をつくり活動しているかを紹介したいと思う。話は、2009年までさかのぼる。旅をするつもりで読んでもらいたい。

 2009年の『ヘアカットさん』の上演が終わった直後、2010年に予定していた新作『古いクーラー』のことを考え出したのは、11月くらいだったと思う。この作品をつくるうえで僕が考えていたのは、端的に「日本とはなにか?」だった。

 それまでつくった作品は、個人的なこと、身の周りのことを手放しではないけれど肯定するような作品で、それはそれでいいのだけど、年齢も20代後半にさしかかり、はたしてそんな演劇ばかりをつくっていていいのだろうか、と悩んでいたのだと思う。そもそも身の周りとはなにか、みたいなことを『ヘアカットさん』では考えながらつくったので、そのような悩みはもっと前からあったのだろう。
 くだらない悩みかもしれないが、同級生が家庭を持ったり、同窓会(飲み会)の予算が2,500円から4,000円くらいに上がりだして、「俺、大丈夫かな」なんて、取り残された恐怖を感じていた。僕は大学に入ってから小劇場の世界を知ったが、それまで演劇と言うと幼稚園のときにやった『三年寝太郎』のイメージだったので、どうも幼稚なものをやっているのではないかという印象がずっとあったのだろうと思う。つまり自分のやっていることは、子どものお遊びに過ぎないのではないか、という懸念である。
 また、自分の日常に見る、電車の中で少年週刊ジャンプをうれしそうに読んでいるサラリーマンとか、携帯電話を見つめている列が続く光景とか(自分もその中にいたりして)、挙げればきりがない子どもと同じような大人の行動を、あんまり格好いいものじゃないなあなんて考えていたのだが、それにどっぷり浸かっている自分を考えるとどうにもやりきれない気分になった。
 そういう意味でいったい大人の「同級生」とは誰をイメージしているのかだが、つまり僕が子どものころに憧れたり羨望のまなざしで見ていたりした大人―子を育み、良識に沿って物事をただし、力強く優しく、真剣に未来を考える大人を僕はイメージしていたのだと思う。書いていて気づいたのだけど、この大人のイメージはたぶん自分の親から来ているのかもしれない、うちの親が万能なはずはないが、僕は子どものころそう親を見ていたのだ。そして、自分の演劇は、彼ら(両親)を納得させたり唸らせたりするものだろうか、という懸念があった。

 だから、大人のための演劇をつくろう! と思い立ち、それで設定したテーマが「日本とはなにか?」だったのだ。発想が幼稚であるが、そうなのだ。大人なんだから国の現実を見つめ、未来につなぐ、みたいなことである。
 とにかくそうしてつくった『古いクーラー』は、堕ち行く先進国の一員として、これから先、どうやっていまどんどんパワフルになってる中国とかと付き合っていくよ? というテーマになった。のだが、さっぱりそれは伝わらなかった。誰にもそのテーマは伝わらなかった。というのも、当時の僕は「芸術とは政治とは切り離されるべきで、切り離されるとはすなわち直接的にそのようなことを言ってしまうのは格好悪い」ということを信じていたからだ。台本の段階で、すでに暗号のようにそのテーマは隠されてしまった。もちろん作品の質は、伝わった・伝わらなかった、だけではないと思うので、僕は『古いクーラー』が駄作だとは思ってない。が、正直、それじゃダメじゃん、と思ったのは事実だ。伝えたかったことがあって、それが伝わらなかったのだから、ダメなのである。

 …という、反省をもとに製作したのが、『古いクーラー』のあと、中3ヶ月くらいで発表した『街などない』である。これは4人の女の子たちが、セックストークをしながら端々に時事やら歴史、領土なんかの話題に言及し、自分と世の中の境界を探る、というような内容だ。これはとてもクールな作品にしあがった。
 ただ世界と自分のことだけではなくて、どうも僕が見る日本人像―大人になっても少年ジャンプを電車のなかで読んじゃうような、そんな社会への批判も反映できたのではないかと思う。伝わる・伝えるという点にはまだまだできることもある、が、とにかくクールだ。こういうのをどんどんアナーキーにやっていくべ、なんてことを思っていたら、地震が起きて原発が爆発しやがった。
 あの価値観がひっくり返るような思いは、ここで書く必要はない。ただ僕が思ったことの大きなもののひとつが、おそらく多くの人が感じたように、「ああ、ひとつの時代が本当に終わるな」というもので、それは『古いクーラー』でも扱った(つもりの)ものだったし、『街などない』でもアラブの春というものを介して乱暴に扱ったものだった。そして、芸術と政治は切り離されていなければいけない、なんて考えはかなり怪しいな、思いこみかも、なんて思うようになったのだった。

 そして、2011年のフェスティバル/トーキョーでは『レッドと黒の膨張する半球体』を発表した。これは『古いクーラー』からやってきたことが震災を経て暴発したような作品で、いまでも扱いに困っている。というか、ここで扱った内容はいまでも進行形のことだと思っている。作品は作り手としての問題意識やテーマにいったんの区切りをつける作用もあると思うのだけど、それがまるでつけられないから。
 僕は子どものときから、「日本ていい国だよね、日本はアジアって感じじゃないよね、技術がすごいよね、日本人に生まれたことは幸せなことだよね」みたいな、書くと怪しい新興宗教みたいな考えに慣れ親しんできたけど、どうやら日本、本当に落ち目らしい。でもテレビとか見てると、外国人が日本のこういうところがとてもいいって言ってるよ、温泉とかいいよね、ってなんだか、twitterでいい感想だけRTして評判がいいように見せてるみたい。でもダメじゃん。

 ところで、僕は海外生まれの影響か、中南米を飛び回る仕事をしている親父の影響か、昔から外国への憧れが強い。しかしながらこの「外国」の定義は、上で言及したような価値観だから、はっきり言って憧れはアジアとアフリカ以外にのみ感じていたのだった。高校時代はアメリカに留学していたし、いつか南米に帰ろう、などと思っていた。中国が伸び盛りということで、「これからはアジアだ」なんて、『古いクーラー』のときあたりから言ってたけど、正直あんまり興味を持てていなかった。海外で上演したいけど、やるならヨーロッパがいいな、みたいな。行ったことなかったのに。
 で、そんなとき、ベルリン、ブリュッセル、ヨーテボリの各都市で、若手芸術家の研修プログラムがあることを知り、行きたい行きたいと言って、セゾン文化財団に口をきいてもらい、参加できることになった。それぞれの都市で開催される演劇フェスティバルやビエンナーレ(美術展覧会)の期間に滞在し、作品を見て、各地から集まった参加者で設定されたテーマに基づいてディスカッションをする、というもので、僕はベルリンビエンナーレを選んだ。ベルリンのテーマは、”art and politics”、つまり芸術と政治はどのような線引きをするべきか、というものだったからだ。2012年5月、『アンティゴネ/寝盗られ宗介』の直後、ベルリンに飛んだ。

 ベルリンビエンナーレは、ウェブサイトを見てすでに感じていたが、とにかく政治問題と呼ばれるようなものに突っ込んでいる祭典だった(ロゴマークがなにかナチスの逆鉤十字を彷彿とさせるものだった)。ベルリンの壁を思わせる大きな壁を公道に建てて、ベルリンに住むアラブ系の移民たちが街から追い出されていることに抗議する作品、存在しないパレスチナの入国スタンプをパスポートに押してくれるという作品、イスラエルに渡ったユダヤ人たちをポーランドに帰そう!という決議を求めた議会形式の作品など、7日間に渡って、さまざまな作品を見て、ディスカッションをした。

ロゴマークパレスチナの入国スタンプ
【写真は、ベルリンビエンナーレのロゴマーク(左)パスポートに押されたパレスチナの入国スタンプ(右)
提供=岡崎藝術座 禁無断転載】

 すると、さっぱりわからない。イスラエルとパレスチナ、憎しみを憎しみで返したって解決にならないよ、なんていう日本人の俺はさっぱりである。中東の女の人は自由がなく、布で顔を隠すことを強要されてるんだ、なんて考えている日本人の俺になにがわかるのか。
 僕の参加したディスカッションのプログラム参加者は、ヨーロッパ北部(ベルギー、オランダ、スウェーデン)とギリシャからが8人、アルゼンティーナがひとり、あと神里。内容は簡単に言うと、アートと政治の関係性について、見た作品を元に、それぞれが意見を述べたり考えを強調したりするディスカッションだった。

 はじまって3日くらい経って、自分の耳もだいぶ英語に慣れてきたころ、明確になってきたのが、アートと政治が密接な関係を持っていて、その境界は極めて曖昧だということ。そしてそれが実感できても、そもそもの政治の言葉がさす意味(イメージ)が自分とヨーロッパの人々とで違う、ということ。ということは、つまりアートの言葉の持つイメージも自分の持つそれとは、認識も違うのだということ。
 言葉は翻訳できたとしても、それにまつわるイメージは翻訳ができない、翻訳された言葉についてくるイメージは、自分のいる場所や環境によって後付けされる、みたいな。考えれば当り前のことでわかっていたつもりだったけれども、それを実感し、自分の活動にも結び付けて考えることは、かなりの驚きを感じることだった。
 だいたい、このディスカッションでの「政治」という言葉は、あたりまえだが、おおざっぱにいってもヨーロッパの政治のことを指しているのであって、日本とかアジアとかのことはかなり後回し、ないしは考慮には入っていない。ならばそこに隔たりは大きいのが当然だ。だから彼らにとっても僕の活動や言葉やそのイメージは未知のようで、自分の活動についてプレゼンする機会があったのだけど、これまでの作品を紹介しながら、日本人のこれからの態度、未来、みたいなことを語った自分の話は、本当にぴんと来ていないらしかった。

 ところで、そのプログラムの話題の中で、ひとつ面白いなと思ったのは、日程もディスカッションも佳境に入った頃に飛び出した、ギリシャ人の言葉で、「アーティストが政治性を持ちすぎるのは、単に趣味なんじゃないの?」というようなもの。乱暴な話ではあるけど、そんなに政治的な訴えをしたいのなら、なんで政治家もしくは政治活動家にならないのか、ということ。そりゃそうだな、と思った。たとえば、かなり過激な思想を語って、クレームがついたとしても、「これアートだから」という言葉を免罪符のように使って逃げられるじゃん、ということだから。だから趣味。そしてアートっていったい何? みたいな原始的な問いに向かったのだが、もう疲れていた僕はこのとき自分がはまっていた罠に気づいていなかった。みんなディスカッション好きだな、なんて呑気なことを思っていた。

 このベルリン滞在のあと、僕はブリュッセルに向かい、クンステンフェスティバルデザールという演劇フェスティバルで、ようやく演劇を見ることができた。そこでは、たいしたのも、たいしたことないのもあって、演劇自体の質ということで言えば、そこまで日本の演劇と大差はないのではないかという印象だった。
 しかしここでもやはり先のベルリンで感じたような、わからないという感覚はあったと思う。何がわからないって、やっぱりトピックがわからない。劇中で問題とされていること、テーマとして重要とされていることがわからないと思ったのだ。でも、この時点でもやはり罠にはまっていることに気づけていない。
 僕はヨーロッパでの自分の作品の上演を望んでいたが、妙なジャパニズムで括られるのはごめんだ、と思っていた。和の心とかそういうもので謎に語られたくない。世界のスタンダードに乗っかるためにあの研修に参加したのだ。スタンダードってなんだかわからないけど、ヨーロッパ人のつくるものと肩を並べるぞ! みたいな感じで意気込んで、それで当のヨーロッパで語られていることがわからない。
 そこで、僕はアジアに目を向けた。そんなの、挫折でしかない。ヨーロッパでやってることの質はわかるんだけど、内容についていけない。でもきっと近場のアジアならわかるんじゃないの。ヨーロッパ演劇に対抗しうるスタンダードを、アジアで作るぞ、みたいな後退戦的考えで、僕はアジアに目を向けたのだった。そして、くどいようだけど、やっぱり罠にはまっているのに気づけていない。罠って何よ、については後で。

 挫折とともに、ヨーロッパ文化至上主義(という自分の中にある至上主義)を打破するため、アジアンスタンダードを目指すという完全に方向を見失っているような印象の神里は、ヨーロッパから帰国したあとの8月、タイミングよく台北で公演をすることになった。
 アジアンスタンダードを標榜する俺は、でも実はアジア諸国に旅したのは、これが初めてだ。のちに指摘されたように、海外オンチの俺は、その近さに衝撃を受けた。外国とは、飛行機を最低でも8時間は耐えないといけないものだという刷り込みがあったからだ。2時間でつきました。「なんだ近いじゃん」「国内と変わらない手軽さじゃん」「もっと早く気づくべきだった」「ご飯おいしい」
 そして、ホテルで日本語が通じたことに決定的な衝撃を受けた。外国で日本語が通じるという経験は日本人同士での会話を除いてほとんど初めての経験だった。
 公演は大成功と言っていいものだった。1回あたりの最高動員を更新し、客席は大いに沸き、単純に作品が通じている、という感覚。それはおこがましいけども、自分自身が通じている、という感覚に近いものだった。だからヨーロッパで感じた、「わからない」とは違うものだな、と思った。アジアに目を向けようという自分の方向転換は一気に強化された感がある。

 また、前後するが、ヨーロッパ研修で感じたことだが、とにかく彼らは隣国同士でのディスカッションをしていた。それは、うんざりするくらい長時間続くエネルギーのあるディスカッションだった。ビエンナーレという装置が、隣国を隣国として処理するのではなく、相互の交流、理解、衝突を喚起させるものにもなっていたのじゃないか。それに比べて自分は隣国に行ったことすらなかった。歴史的、境界的な認識も一方向で、それを飛び越して西洋諸国に憧れている。知らないままに、イメージだけで隣国に順位をつけている、ということを強く実感した。
 加えて台湾も韓国も映画一本見ているうちに行けるうえに、旅費もどんどん値下がりしている。これはチャンスなので、行けるだけ行ってやろう、と思った。日本という国を、内部だけで見るのではない、もしくは西洋との対比だけで見るのではない、日本を取り囲む国々を訪れて、そこでできるだけ彼らの生活を見てそこから日本という国を見てみようと思ったのである。

 以上が、僕が韓国でリハーサルをやろうと思いついた経緯であるが、去年を境に変化したことがある。それは、「生れたところや皮膚や目の色で、いったいこの僕の何がわかるというのだろう」という青空的感覚。思想として真新しいどころか、誰でも知っているようなことだ。ただ、これを言葉や考えとして知っているのと、実感するのではだいぶ違う。
 僕は台湾は親日だ、というイメージを持っていったので、台北では日本人の俺はかなりちやほやされるのではないか、と思っていた。でも行ったらそういうことじゃなくて、日本のテレビやアニメ、音楽、吉野家などざっくり言うところの文化が、日本におけるアメリカ文化のようによく根付いているという意味での親日なのかな、と感じた。
 個人は個人であって、必ずしも国家的イメージをまとっているわけではない。たとえば台北のスタッフと、一緒に温泉に行ったが、台湾では友人同士で同じ風呂に入る文化はないらしく、恥ずかしがって入ろうとしない人、いやいや何事も試しておきたいという人、などがいた。ソウルでは、日本の演出家としゃべりたい、というパン職人と会ったり、上野あたりによくいるおっさんと同じようなおっさんに道を聞かれたりした。

 そういう出会いは、ヨーロッパに行った5月にも何度も遭遇したけれど、顔の作りも服装も似ている隣国でのほうが、より鋭く迫ってくるのかもしれない。遠い国で親切な人に会うと、「ああこの国の人は親切だなあ」なんてことになる印象が、近場だといろんな人がいるんだな、みたいな感じ。情報やイメージが入ってきやすいからなのかもしれない。
 それ以来、「国」という概念は僕の中で怪しく光り出して、たとえばなんとか島を日本と韓国は争っているけど、それが僕とソウルで話したパン職人との間の何に影響しているのか、正直わからなくなった。もちろん、個人と国家は別物である、というのは考えとして知っていた。でも、僕が考えていた「日本人」は、つまりは「国家」ではなかったか。
 だから、僕は国家としての日本人を見るよりも、個人としての日本人を見ようと思うようになった。個人が背負わなければいけない歴史とはなにか、個人が背負わない国家とはなにか、という意識と言ってもいいと思う。そうやってつくったのが『隣人ジミーの不在』だった。

北京の神里雄大さん
【写真は、北京にも足を伸ばした神里さん。天安門にて。提供=岡崎藝術座 禁無断転載】

 最後に、僕がいま考えていることのひとつが、ヨーロッパスタンダード、アジアンスタンダードと言ったときの、スタンダードのことである。
 僕がこれまで考えていたスタンダードとは、共同体のなかにおける価値基準のことで、その共同体に所属する個人は、その基準に照らし合わせたうえで、自分の振る舞い方や考え方の是非を判断する、ということだった。
 その基準を前提に考えてしまうと、個人(である自分)は、自分の所属する共同体でどのように振る舞うか、何を考えるか、ということに終始してしまうのではないか。それでは自分の文化的・政治的背景を越え、越境して未知なるものに自分をさらすこと(作品をつくる者として言えば、価値観を共有しない人に作品が届けられること)ができなくなってしまうのではないか。行ったことのなかった土地に行き、これまで自分の一方的なイメージで考えていた人たちと出会いを続けて、僕はそんなことを実感するようになった。国の中に個人が埋もれていると。
 もし、スタンダードという言葉を、国家とか地域といったある共同体の中に見出すのであれば、それがどの国の、どの地域の、どんな共同体のスタンダードであっても、その中でしか泳げないことになる。ヨーロッパの政治的背景、文化的背景に規定されるスタンダードのなかで戦うことができるようになったとして、それが日本で有効に働くかどうかは別の話である。これはなにも国とかアジアとかヨーロッパといった土地に関することだけじゃなくて、政治だのアートだの、と領域として線を引くものにあてはまると思う。
 僕が先に罠だ罠だと言っていたものは、そういう見えないのになぜだかよく見える気がする線引きに、僕が囚われていたことだ。日本人としてどう振る舞うか、価値基準(スタンダード)をどこに設定するか、アートを政治からどう引き離して考えるか…。「世界を見る」という言い回しがもうそういう狭さを表している。そう言うとき、自分のいる場所と、「世界」とは線が引かれ、隔てられてしまっている。
 未知なる他者と出会うためには、言葉や国もそれ自体をアイデンティティと捉えるのではなく、それらをあくまでひとつの道具にすぎないと捉えることが重要だと思う。だから本当に意識するべきスタンダートとは、自己を規定するための軸ではなくて、共同体から解放され「個人」に飛び込むために越えるべき、最初のハードルのようなものなんじゃないかな、といまは考えている。

(※注)『隣人ジミーの不在』再演は2月17日-18日@横浜 赤レンガ倉庫。TPAMショーケース参加作品。

【文中にふれた公演の初演記録】
『ヘアカットさん』 2009年10月@こまばアゴラ劇場
『古いクーラー』 2010年11月@シアターグリーン BIG TREE THEATER/フェスティバル/トーキョー10公募プログラム
『街などない』 2011年2月@のげシャーレ
『レッドと黒の膨張する半球体』 2011年10月-11月@にしすがも創造舎/フェスティバル/トーキョー11主催プログラム
『アンティゴネ/寝盗られ宗助』 2012年4月@STスポット・早川倉庫
『隣人ジミーの不在』 2012年11月@あうるすぽっと/フェスティバル/トーキョー12主催プログラム

【筆者略歴】
神里雄大(かみさと・ゆうだい)
 1982年ペルー共和国リマ市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。演出家。岡崎藝術座主宰。


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