カトリ企画UR「紙風船文様」

◎3人によるクロスレビュー

 今回の企画は、アトリエセンティオで2013年4月4-7日に上演されたカトリ企画UR「紙風船文様」を同時に観劇した3人の方のお申し出により、それぞれの視点から批評していただいたものです。3人は昨年フェスティバル・トーキョー(通称F/T)の関連企画「Blog Camp in F/T」で知り合い、F/T終了後も不定期に集まっては、各々が観た作品を話し、議論してきたとのことです。
 それぞれ違うバックグラウンドを持つ評者が一つの作品に関して書く事で、「紙風船文様」という作品の様々な側面が浮かび上がってきたことと思います。(編集部)

1. 泥の安らぎ
  山崎健太

 アトリエセンティオの真っ白な壁や床をポップに彩るのは種々雑多な衣服や生活雑貨である。白い背景から少しだけ浮いているように見えるそれらのモノたちは「結婚して一年が経った夫婦の生活」を具現しているようにも見える。渾然一体となって空間に溶け込むほどには馴染んでおらず、かと言って一つ一つのモノが輝いて見えるほどの目新しさはない。彼らはとりあえずは「そこ」を自らの居場所と見なしているようであるがどこか居心地が悪い。

 そう、居心地が悪いのである。だから夫は妻と二人きりの休日から逃げ出そうとする。もちろん本気の逃亡ではない。それは夕べには帰る家のあることを前提とした束の間の逃亡である。そしてそんな夫の態度を嗜める妻の態度もまたどこか遊戯めいている。本気ではないのだ。抵抗の身ぶりは全て無為であることを妻も夫も知っている。全ては戯れに過ぎない。

 戯曲を上演することが言葉に背景を与えることならば、岸田國士の『紙風船』という戯曲に演出の西尾佳織が与えた背景は諦念であるということができるかもしれない。妻も夫もわかっているのだ。居心地が悪くとも何とかやり過ごしていくしかないことを。諦めを共有する二人のやりとりは甘やかですらある。本気と遊戯。甘やかさと哀しみ。あるいはそのどちらとも分けかねる境界線上の心持ち。そして全てを包み込む諦念。夫婦を演じる黒岩三佳と武谷公雄は極めて巧みに場の空気を作り出してみせる。

 原作では最後に配されていた夫婦で紙風船を突く場面は今回の西尾演出ではカットされていた。退屈を紛らわす戯れで終わるのではなく、ジュウジュウとハンバーグの焼ける日常で終わるという選択。夫婦は鎌倉への旅の夢想から無為な休日へと帰る。肉の焼ける匂いが暗転の闇に立ち込める。それはこの上もなく退屈な日常の匂いである。そして退屈は安らぎでもある。それゆえ彼らの諦めは哀しくも甘やかなものとなる。

 戯曲を読んだ私が感じたのは緩やかな束縛に対する恐怖であった。それは妻に対する恐怖である。だが西尾演出の舞台に恐怖は感じなかった。舞台上の妻は退屈を生きる共犯者としてそこにいた。生温い空気の中で交わされるやりとりは睦言にさえ似て聞こえる。温かな泥にともに沈んでいくような安らぎ。私はそこに恐怖を感じるべきだろうか。肉の焼ける匂いの立ち込める闇の中でぼんやりと考えていた。

【筆者略歴】
山崎健太(やまざき・けんた)
1983年東京生まれ、早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系幻影論ゼミ1期卒業生。現在、同大学院文学研究科表象・メディア論コース所属。演劇研究。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ya/yamazaki-kenta/

 

2. 変われないまま維持される、夫婦の《日常》
  落 雅季子

 鳥公園の西尾佳織による演出は、しゃべらない時間の費やし方が美しい。俳優二人のあいだに流れる長い間が、そのあとに呟かれる台詞を磨く。登場する夫も妻も、本気で相手を疎んじているわけではなく、意識的に軽く見ることでちゃんと愛し合っている。武谷公雄演じる夫の偉そうな振舞いは妻に甘えているのだし、黒岩三佳演じる妻はそれを受け止めて“あげて”いることに自覚的な様子だ。しかし根底には、分かり合えないことへの緩やかな絶望がある。

 二人は、明日もその先も夫婦でなければならない。恋は後先を考えずに突き進めるものだが、結婚は遥か続く日常の維持を考えなければ立ち行かず、衝突するにも覚悟がいる。随所に表れる夫婦の閉塞感は、静かな愛情と表裏一体だ。二人の旅行を夢想するシーンで、エスカレートしていく夫のはしゃぎぶりをじっと見ていた妻は、序盤のある台詞を繰り返した。

「(しんみり)ほんとを云ふと、あたしは、黙つてあなたのそばにゐさへすれば、それで満足なの。」(注1)

 こうして、夫婦の愛と鬱屈は再び(いや、何度目か知れない)ループに入った。彼らが互いに、最終的にはため息まじりに譲歩するのも、相手にぶつけた苛立ちは自分に跳ね返ると分かっているからである。妻の、突き放したかと思えば少し優しくする声の調子は、夫のプライドではなく夫婦の平穏を守るためと思えばいっそう切ない。

 ところで、原作戯曲のラストシーンがカットされたことに気がついて、私は暗転の中で訝しんだ。本当なら、夫婦のもとに隣家の少女が遊ぶ紙風船が転がり込むシーンがあるはずだったのだ。アフタートークによると、岸田國士が“夫婦と子ども”という単位で家族をイメージしている点を疑問に思ったため削ったとのことだった。

 私は、あのラストを待っていた。妻が夫とともに紙風船をついてくれれば安心できたはずだった。夫婦の空虚さに子どもの不在という理由が与えられ、それが同時に救いにもなるあの場面。でも西尾はそこに安易な希望を描かなかった。しらっと紙風船のかわりに焼きかけのハンバーグなどを登場させ、夫に食べさせて上演は終わった。それを岸田の家族観に対する抵抗で済ませるわけにはいかない。彼女は、結局何をやっても子どもがいても、あの夫も妻も変われないということを示したのだ。女の視点で封建的家族制度に対して溜飲を下げてよしとする演出では、到底なかった。西尾佳織はもちろん、男たちに厳しい観察眼を向けるが、女にも、安易な逃げ道を作らない。どちらにとっても難しい道を、本能で選び取る演出家だ。それが心底おそろしく、頼もしかった。

(注1)岸田國士『岸田國士Ⅰ紙風船/驟雨/屋上庭園ほか』2011年、ハヤカワ演劇文庫

【筆者略歴】
 落 雅季子(おち・まきこ)
 1983年生まれ東京育ち。会社員。2009年、横浜STスポット主催のワークショップ参加を機に、本格的に劇評を書き始める。主な活動にワークショップ有志のレビュー雑誌”SHINPEN”発行、F/T2012BlogCamp参加、藤原ちから氏のパーソナルメディアBricolaQでの”マンスリーブリコメンド”執筆など。
 ・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ochi-makiko/

 

3. 身振りから型を読み解く
  宮崎敦史

 建築をはじめ、海外から様々な様式が輸入された時代に、「紙風船」は書かれた。 この戯曲には多くの型が登場する。「夫」は毎日やってくる「新聞」で、欧米の手法で開発された「住宅地」の記事を読み、一方「妻」は「編物」をして、たまの「日曜日」を過ごしている。これらの型の多くは戯曲が書かれた時代に導入されたものだ。一般的に型や構造はそれ自体変わらないものだと思うが、人の様な移ろいやすいものを内在する事で形骸化を起こしやすい。社会から半ば強制的に与えられた逃れ難い型の中にはめられる事の煩わしさと諦めを含みながら、物語はまるで紙風船を突き合うかの様に進んでいく。

 戯曲が書かれてから約90年が経ち、いまでもその型が存在している現代に、西尾佳織演出で上演された。西尾の演出は既にあるものを活かしながら、身体から空間を表出させる点が特徴だと考える。この様な手法は彼女が主宰する鳥公園の企画「小鳥公園(鳥公園が本公演とはまた別に、文学作品を舞台化していくシリーズ)」で上演された「女生徒」「すがれる」の時から実践されていた。西尾にとって場所とたゆみ無く付き合うアプローチは最も重要な時間であるかのように感じる。今回は企画として与えられた場所での上演であったが、小屋入りが早く、その長時間の過程で気付きの積み重ねが、舞台に深みを持たせている様に感じた。例えば、物語の中で夫がトイレに行くシーンでは、舞台上手の控え室を活用し、控え室側に取り付けられた照明スイッチを押してトイレへの移動を表現していた。

 しかし、この何事も無い操作をもう少し考察したい。通常、私達が住む家にはスイッチがあり、部屋に入る際には、スイッチを押すことで、パチンと音がなると同時に明かりが付き、部屋に入って行く。この一連の動作は、私達が既に刷り込まれた身振りであり、日頃から意識している事では無い。だが言い換えれば私達の振る舞いの多くは知らないうちに様々な型にはめ込まれているといえる。 当然戯曲が書かれた時代に昨今の様なスイッチは存在しない。 その場にあるものを使うという事は、必然的にドキュメンタリー性を持ち合わせてしまう。

 観劇を終えて空を見上げると、高層マンションが建ち並び、室内の明かりが点在していた。おそらくそこには「家族」がいるのだろう。今では新聞以外にも様々な情報が飛び交い、色々な物が見えづらくなっており、思考も停止しがちである。西尾は、そこで繰り広げられる「家族」という過去からの型を空間、身体、言葉というフィルターを用いて丹念に分析し、その存在自体を問いかけるきっかけを示していた。

【筆者略歴】
 宮崎敦史(みやざき・あつし)
 1985年三重県生まれ。建築をベースとし、執筆活動、都市リサーチ、自然と建築に関する研究会等を行う。 F/T2012BlogCamp参加。主な著書に「ル・コルビジュエの住宅と風のかたち(共著・新建築社)」

 

【上演記録】
 カトリ企画【 UR06 】シリーズ岸田國士「紙風船文様
 原作 岸田國士
 主宰・プロデューサー カトリヒデトシ
 脚色・演出 西尾佳織(鳥公園)
 出演 黒岩三佳 武谷公雄
 日程
<プレ公演>
3月30日(土)19:30
<本公演>
4月4日(木)19:30
4月5日(金)15:00/19:30
4月6日(土)11:00/15:00/19:30
4月7日(日)13:00/17:00
 料金 <プレ公演>1500円 <本公演>予約:2000円 当日:2500円
 会場 アトリエセンティオ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください