muro式「グラフ~その式を、グラフで表しなさい、~」

◎器用な客演役者と不器用な主演・演出・脚本家による3つのコント
  大和田龍夫

「グラフ」公演チラシ
「グラフ」公演チラシ

 着々と大きな劇場に移っていくmuro式。第1回は見ることができなかったが(チケットは買っていた)、第2回以降、欠かさず見に行くようにしている。今回で初回から4年が過ぎているとのことで、それなりの回をこなしているようだ。ムロツヨシなる役者の存在を知ったのは映画「サマータイムマシン・ブルース」だった。しばらくの間「ヨーロッパ企画」出身の役者だと勘違いしていた(それほど、当時は違和感がなかったというか、個性が薄かったというか)、次第にムロツヨシの存在は、濃いのか、薄いのかよくわからない謎というか、異様な役者という実感を持つようになっていた。

 冒頭の「プロローグ」を除いて「ロース」「デッドメンズ・ハイ」「そ」3作品により構成された舞台であった。このパターンはmuro式の定番である。ちなみに、ムロツヨシは自ら「プロローグ」と「そ」の脚本を書いている。

 「プロローグ」(脚本:ムロツヨシ)
 「お寺」に基地を作ってしまった宇宙人たちと若いお坊さんの話。昨今流行の技法だと思うけど、舞台は「いつの間にか始まっている」という感じでムロツヨシがギラギラ光った宇宙人を思わせるコスチュームで登場し、客席の爆笑(苦笑)から始まった。とぼけた役に抜群の味を持つ本多力がお坊さんというのは本当に似合う。似合いすぎる。実家がお寺ということを後で知ったが、どうりで、細かい所作がなんとなくお坊さんらしい。このコントのためにここまで動作を勉強するとは凄いと感心してしまったけど、備え持ったものだったのかと逆の意味で感心した。どうやら地下に秘密基地を作って、しばらく「滞在する」ことが決定した状態でこのプロローグは終了。

ロース」(脚本:ふじきみつ彦)
 暗転状態で、とんかつを揚げる音が流れてくる。大竹まこと(声だけの出演)の受けた注文を確認する声が響き渡る。ここで舞台は明るくなり、とんかつ屋であろう風景が登場。永野と本多がテーブル席に座っているところから芝居は始まる。

 ムロツヨシの(いい意味で)イヤらしいところが完全解放されたかのような秀作だった。人間関係の微妙な距離感・つきあいの感じについて3人の役者による舞台ということでとても巧く表現されている。「とんかつ屋」と思われるお店で、友人と思われる2人(本多力・永野宗典)に割り込んでくるムロツヨシ。ムロツヨシは、ロースカツとヒレカツを悩んだあげくにヒレカツを頼んでしまった。永野のロースカツを自分のヒレカツと「一切れ」とりかえっこして欲しいと突然、初対面の人に申し出てきたのだった。

 ムロツヨシと永野・本多の2人の関係が微妙な距離間を作りながら、友達…知人…他人…、食べ物をシェアする関係がどこからなのか、人間はどのような関係に心を開き、安心し、緊張するのか、3人という人間関係が作り出す、連帯感と疎外感。笑い話のはずが、どんどん人間性の根本にふりかかる大問題に発展してしまった。

 そもそも、とんかつ屋に来た本多・永野の関係は2人の認識にズレがあって、本多は永野を「友達」と思っているが、永野は本多のことをいつもスポーツジムで出会う「知人」で、一緒に飯を食いに行ってもいい程度の「知り合い」(後に「知達」とここでは命名される)。その永野のいう関係は友達と呼んでいいでしょうと本多は思っているが、永野はそんなに簡単に友達にはなれないし、ならないと、距離をおきたがる。

 ムロツヨシの申し出「ロースとヒレを一切れ交換してほしい」を、永野は「初対面の人(友達でもない人)とは出来ない」と断り、本多の「チキンカツ」は交換の対象外で、本多は2人の仲介をしようとしている。初対面の人になんでもズケズケと入り込んでいく「図々しい」性格のムロツヨシ。本人は決してそんなデリカシーのない人間ではなく、迷ったあげくに声をかけた。かなりの覚悟をもって望んでいるという一方、永野は人見知りの性格で、実はこのとんかつ屋に来るのもかなり迷って、しかも、一緒に行く本多を友達というほどの心を許した人間ではないと口に出していた。本多はあまり気に留めずにいたが、実はそのズレは最後に「大人泣き」をさせてしまうことになる。本多は誰とでも仲良くなれる性格ということで、とんかつ一切れ交換を申し出るムロツヨシのアシスト役を買ってでたり、ムロツヨシと(その場限りか・終生なのかは不明だが)友人であるかのような軽妙な会話を楽しんだり、ノリツッコミを入れてみたり、永野をムロツヨシに変わって説得してみたり…。縦横無尽の活躍をしている。残念ながらその活躍は全て空振りで却って永野を殻に閉じ込めてしまうこととなった。

 アフタートークでは、この「ロース」が評判になっているのが意外(もしくは心外)なようにムロツヨシは言っていた。自分の普段の姿はあんな人物ではないと。もっとナイーブな好青年であるかのような「そぶり」を見せていた。それを聞いて、私は、ひょっとしたら、ムロツヨシ本人は役者としての立ち位置をまだ見つけ出せていないのかもしれないと思った。もちろん、知ったからどうということもないし、アフタートークのサービスでそう言っているだけかもしれないのだが。

 そのズレを誤解したままでいるうちは双方幸せな関係だったのに、そのズレを確認してしまったときに悲劇は生まれる。しまいには泣き出してしまうという凄まじい光景へと話は転がっていく。別にどうということでもない些末なことから大問題に発展していく。まさに、物語の醍醐味というものだった。そして、結末はなんとも気持ちいいものだった。

 いずれにしても、本多・永野という8年来の役者仲間がいて成り立つ芝居なのかもしれないが、これを他の劇団の人(他の初競演の役者さん)とやったら、ムロはどんな演技ができるのか、見てみたいと思った。同じペースでどんどん突っ込んでいってくれるイヤらしさが爆発して、心地いいストレスを観客に与えてくれること間違いなしなのではないかと期待している。

デッドメンズ・ハイ」(脚本:ヨーロッパ企画)
 muro式.1で上演したものの再演。初演も、ムロツヨシ・本多力・永野宗典により上演された。

 昨今、社会問題として話題になっているものと、奇しくも同じテーマで、いじめられていた生徒が逆襲して、いじめた生徒2人を殺したのだが、殺されてしまった2人(本多力・永野宗典)が成仏できずにいるところに、やはり殺されてしまったもう1人(ムロツヨシ)がやってきて、成仏できずに「ハイ」な状態になっている3人のやりとりが続き…。

 まさに、3人のいいところを引き出した脚本だと思った。テーマはともすると暗い話になってしまうものだが、殺された側が殺した生徒を恨むでもなく、次の犯罪・事件の展開の予想をするやら、自らおかれている状況を「茶化して」遊んでいる様。奥深い問題意識はそのままに、なかなかブラックユーモア溢れるものでありながら軽いタッチで見られるように脚色されているところが「ヨーロッパ企画」脚本のなせる技なのであろう。

 もともと、第5回公演は永野、本多も脚本を書いていた。それが2人に大きな負担になったと感じたムロは今回、2人には役者に専念してもらい、役者の魅力を発揮してもらうことになったと、アフタートークで説明していた。

 同じ作品を再演する時には、役者は入れ替えてやってもらうと、2度目の人も、初めての人もそれなりに新鮮な気持ちになれるのではないか? 4年もたつとそれなりの年輪もあるので役者も違った演技ができるのかもしれない。muro式にはある意味定番となる、黄泉の国との対話ネタであり、その元祖であるから何度やってもいいのだろうけど、再演の時には是非メンバーを変えて(ムロツヨシにも)楽しんでいただきたい。

」(脚本:ムロツヨシ)
 若い僧侶(本多力)は夕食の準備を終えて、地下の基地にいる宇宙人(ムロツヨシ・永野宗典)に食事の声をかける。夕食はチキンカツ? キャベツのせん切りとご飯、味噌汁である。夕食の準備ができると、地下の基地にいる宇宙人を呼び、おもむろに夕食シーンとなる。

 この夕食は全然楽しそうな雰囲気ではなく、かなり殺伐とした情景が続く。見る側は「毎度のことなのか」「何か事件があったのか」何なのか不思議で仕方がない。すると、夕食後の芋焼酎を呑み交わし、和解。という日常の風景が続いているという軽い解説めいた小芝居の中で、どうやら、何か事件があったことがわかってくる。

 若い僧侶の悩み、そして、宇宙人の調査結果(侵略・友好・放置)はいかにというところを、ムロツヨシ、永野宗典が言いたい放題で本多力を困らせ、プロポーズに走らせるまでのショートコント。本多は、つきあっている彼女から「妊娠」したことを告げられ、プロポーズをしようかどうか、悩んでいて、その悩みが転じで宇宙人に対して「不機嫌」な対応を見せるようになっている。どうやら不機嫌な対応はいつものことらしく、晩飯後に晩酌しているうちに、心を開き、和解の乾杯をするということが定番になっていることも告げられる。

 エンディングについては、当初脚本にはなかったようで、その脚本を変更したきかっけは永野宗典の「画力」があってこそだったようだ。芝居には結末を解釈の余地のないかたちで観客見せつけるいわゆる「くどい」エンディングと、結末を観客の解釈に委ねて終わるタイプの「軽い」もしくは「ゆるい」エンディングがあると思うが、ムロツヨシの舞台の場合観客の多くは「くどい」舞台であることを求めているのかと思う。当初の演出プランでは軽い終わり方を考えていたようだが、永野宗典の「画力」で付け加えられた演出はほのぼのとさせるいい感じの終わりで安心した。

 舞台には特異な演出があった。舞台の大道具として「書き割り」は欠かせないものだと思うが、小劇場・欧米の現代劇などでは決してそのような「不自然」なものは使わない。しかし今回は特殊な書き割りを使っていた。描いたものはやがて消えていく。描いたものは水墨画のような(へたうま)絵があったり、グラフを描いたり、ムロ式らしい大道具にとても共感を持った。

 プログラムも(うっかり)作った(1000円)ようだけど、せっかくならば「ヨーロッパ通信」(非公式冊子700円)を見習うなり、真似るなり(知っているのだから)もう少し工夫はしてほしかった(とはいえ、劇団としてやっていないから、制作とかそんなに充実した状態ではないだろうし、色々難しいだとはおもうけど価格・ページ数・内容については、次回に期待が募る)。いっそ、両面コピーで4pのプログラムを無料で付けるでも充分だし、などと思ってしまっては元も子もないけど、3人の出会いと、本広克行監督との関係が明らかになる対談ページはファンならずとも一読の価値はある。小劇場系俳優をテレビ・映画に起用しつづける本広監督の気持ちがなんとなく見えてきたり、役者の生き様も少し見えてきた感じがする。

 第6回を見た感想としては、今までは、奇数回は「本多力・永野宗典」との舞台、偶数回は別の役者との共演となっていたことが、今回連続してしまったことに、観客はどういう感想を持ったのか気になった。客席は少なくとも私は笑わないようなところでも大きな笑いが出ていたムロツヨシファンなのか? もう少し演技に集中してもらいたいと思ったし、もっと厳しいところで経験を積んでもらってもっと大きな役者になってほしい(それだけのオーラを感じるから)のだが、今のまま続けていいのか? なんていう私の疑問に対して、舞台挨拶で次回は2013年夏「シアタートラム」で開催と発表していた。第1回から着実に座席数・上演回数を増やしている「劇団・ムロツヨシ」は着実に成長している。私などの考える数歩先を歩んでいるのには流石と感心した。劇団に所属することなくこうした「定期的舞台」を実現することは並々ならぬ苦労があるとは思うが、続けることだけでも大変だろうに、大きな舞台に発展していくその執念には敬服する。

 長編の演劇に向かうのか、もっと多くの俳優を配しての「大きな舞台」を望むのか、所属事務所Ash&Dの大先輩「シティボーイズライブ」を目指すのか、ミュージカル俳優を目指すということはないと思うが(スパマロットではミュージカル俳優デビューも果たしていたが)、ムロツヨシの次なる舞台は楽しみである。来年夏まで待たせることなく客演でどんどん他の舞台に登場して「持てる技」を駆使して暴れて欲しい。

【筆者略歴】
大和田龍夫(おおわだ・たつお)
 1964年東京生まれ。東京都立大学経済学部卒。現在は武蔵野美術大学・専修大学非常勤講師(メディア論)、ビッグデータの解析に従事。季刊InterCommunication元編集長。

【上演記録】
muro式.6 「グラフ」~その式を、グラフで表しなさい、~
【東京公演】ザ・スズナリ(2012年7月25日-7月31日)
【大阪公演】HEP HALL(2012年8月3日-5日)

脚本 ふじきみつ彦 ヨーロッパ企画 ムロツヨシ
演出 ムロツヨシ(http://murotsuyoshi.net/
出演 本多力(ヨーロッパ企画) 永野宗典(ヨーロッパ企画) ムロツヨシ

料金 前売 3,500円 当日 3,800円[全席指定]


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