第22回こどもの館劇団演劇発表会「タロウくんのユメ」

◎タロウくんのユメ、こどもたちの夏
 伊藤寧美

 今年もまたこどもの館劇団の公演がやってきた。姫路駅から車で20分あまりの山奥に建つ兵庫県立の大型児童館、こどもの館へと足を運ぶ。初めてこの劇団に関わった10年前から、出演者として、観客として、夏には毎年のように姫路を訪れている。

 こどもの館劇団は、1991年に当時の兵庫県知事貝原俊民氏と、こどもの館の設計者である建築家安藤忠雄氏の提案により、劇団NOISEの如月小春氏の指導のもと開催された、夏休み期間中の中学生を対象とした演劇ワークショップから始まった。当初は一回きりの企画の予定が評判を呼んで毎年の開催となり、リピーターの参加者が中心となって継続的に運営されるよう「劇団」を名乗るようになる。また5年目からはOB、OGや近隣の小中学校の教員を初めとした大人たちも加わり、翌年には彼らを対象とした演劇指導者養成講座もワークショップと並行して開催されるようになった。2000年の如月氏逝去までは彼女が指導者の中心として、2001年以降は柏木陽氏とNPO法人演劇百貨店が指導を引き継ぎ、現在もこのワークショップは行われている。

「タロウくんのユメ」公演ポスター
【写真は、「タロウくんのユメ」公演ポスター】

 今年の会場は、館内の円形劇場だった。劇場と言っても、円形の多目的スペースと言った方が近いような空間で、どこを舞台として作品を作るのかは作り手たちにゆだねられている。客席は中央部と正面奥にセッティングされたアクティングスペースを囲むよう三日月形に作られているが、椅子も座布団もなく一応はテープで区切られた階段状の段差があるだけだ。ステージと客席は地続きで、劇場全体に役者と観客の区別もないような一体感がある。お客さんには幼稚園児にも満たない年頃の子もいて、彼、彼女たちは立ったまま観劇する。そうすると彼らの目線はちょうど大人と同じ高さになった。

「タロウくんのユメ」公演から
【写真は、「タロウくんのユメ」公演から。提供=NPO法人演劇百貨店 禁無断転載】

 開演前のアナウンスは公演の手伝いにやってきたOB、OGの役割だ。舞台に勢い良く現れた彼らの顔を見て、あっ、と気付く。みな、去年は出演者として見た顔だ。漫才仕立てに飲食や携帯電話の注意を呼びかける様子は、去年までの元気はそのままに、より良い上演環境を作り上げるスタッフとしての大人の一面も映している。暗転の練習といった普通の舞台では見かけないアナウンスも終え(急に真っ暗になって、驚いて泣いてしまう小さなお客さんのためのものだ)、さて開演である。

 作品のタイトルは『タロウくんのユメ』、ストーリーはいたってシンプルだ。不眠症のタロウくんは夢の国に迷い込み、ひつじとともに世界をさまよう。一方、夢の国の王様はタロウくんを「夢フェスティバル」の審査員として選び、彼を探し出す。だが、審査員となって夢の国の住人になると、元の世界には戻れなくなってしまう。タロウくんはひつじに別れを告げ、夢の国を後にする。たったこれだけのストーリーの間に詰め込まれるのが、タロウくんがさまよいながら、また「夢フェスティバル」の中で見る様々な「夢」である。

 夢の国の人々がみな長い行列となって、歌いながら舞台や客席を縦横無尽に歩き回る「アリの大名行列」、時計の針と思しき人たちがぐるぐると円を描いて泳ぎながら不思議な時間を告げる「時計水泳」、耳が痛くなるほどがなり立てる勢いでどんどん鉛筆を削っていく「鉛筆削りコンパス」、など、私自身こうやって説明を試みるものの全く伝わった気がしない、ナンセンスな「夢」たちが次々に現れては消えていく。見た夢の意味を考えようとする次の瞬間には、もう別の夢のシーンが始まっていて、その唐突で断片的なイメージはまさに私たちが普段眠りながら見る夢のようだ。

 次から次へと現れる夢を眺めながら気づくのは、その多くが悪夢的であることだ。「蚊」の夢では、タロウくんの前に蚊の一群が現れ、彼を助けにやってきたスーパーマンたちが次々に蚊に変えられてしまう。まるでゾンビ映画のようだ。また「逆立ち」の夢では、少年が一人延々と逆立ちに挑み続け、そこには達成感もカタルシスもない。十代の溌剌としているはずのエネルギーが空転してしまっている彼の行為に、観客は奇妙なフラストレーションを覚えるだろう。
 しかし、タロウくんも、これらの「夢」の登場人物たちも、恐れや不安、動揺といった負の感情を見せない。蚊に変えられてしまったスーパーマンたちは、一度は悲鳴を上げるものの、次の瞬間には蚊の仲間としての楽しげな顔を見せる。逆立ちの少年は、辛さも禁欲さも見せず、淡々と逆立ちのための逆立ちを繰り返す。そしてそれを眺めているタロウくんもまた、目の前に起こることを恐怖や苦痛を与える事件ではなく、ただあるがままの出来事として受け止めている。
 これらの「夢」に悪夢であるとか、楽しい夢であるといった意味づけを行うのは目覚めている観客であり、夢の中の、つまり舞台の登場人物たちにとってはただ起こっていることが全てだ。

 象徴的なのは「時計水泳」の夢だろう。ぐるぐると円を描いて泳ぐ時計のパーツたちに、タロウくんが「いま何時?」と尋ねる。すると彼らは「4.5時(ヨンテンゴジ)です」と返すのだ。眠れないタロウくんにとって、それは朝方の、だが正確な時刻は判然としない、まどろみの中にいる頃だ。眠りと覚醒のはざまにいるからこそ、タロウくんは見ているのものが「夢」だと知りつつも、その世界に入り込むことが出来る。だから「夢フェスティバル」の審査員として選ばれるのだ。

 だがひつじは、審査員として夢の国の住人になれば、元の世界には戻れなくなるとタロウくんに告げる。眠りや夢といったモチーフに、目覚めないという死のメタファーが重なるのだ。その時、「夢」のシーンの合間に幾度か現れる夜の明かりを模した行燈が、死者を迎える盆提灯でもあるのだと気づかされる。眠れないタロウくんにとっては、たとえ死への誘いであっても夢の国の人々とともに暮らし、眠り続ける方が心地いいかもしれない。それでも、彼と行動をともにしたひつじは、元の世界へ帰れという。「まだやることがいっぱいある」からと。
 ひと夏をこどもの館で過ごしたこどもたち大人たちが、やがて9月から各々の暮らす家庭や学校や会社へ戻っていくように、この日作品を観劇した観客がこどもの館を離れ家へ帰るように、ひつじはタロウくんにも私たちにも目覚めろというのだ。永遠の眠りという安らぎを得られず、覚醒し現実に引き留められ続けられる苦しさを抱え、かろうじてまどろみの中で別世界へ行くことが出来る。このタロウくんの眠りの様こそ、極めて演劇的である。

 出演者たちの中で一際私の目を引いたのが、ひつじ役を演じていたもえのだ。彼女の声や体は非常にか弱く、壊れやすい。多少天井の高さがあるとはいえ、屋内のさして広くはない円形劇場の中で、客席からでさえ時折台詞を聞き取るのが難しい場面があった。威勢の良い他の出演者たちと並ぶと、彼女の存在はあっという間にかき消えてしまう。しかし、彼女の演じるひつじが、タロウくんに夢の国について告げるか細い声は、彼をまどろみから目覚めさせることのないように、だが大切なことを確実に伝えようと響くのだ。
 他の多くの出演者たちの持つ大きくてハキハキした声や、元気のいい仕草や身振りを、稽古場のもえのは得られなかったのかもしれない。だがその代りに彼女が持っている繊細な声や存在感が、夢の国と元の世界との橋渡しとなり、そしてその両方の世界のはざまにいるタロウくんの案内役となるひつじという役どころにぴたりとはまり込んだように見えた。そして、彼女がこの役を演じきったという点に、舞台上では往々にして技量不足と見なされる小さくか弱い声や体に、逆に価値が与えられ表現に活かされたことを見出せるだろう。
 このことは、こどもの館劇団からの観客に対する挑戦でもある。客席から聞こえ辛い声は表現として不足だと切り捨てるのか、聞こえないなりに許容するのか、それともこの点にこそ彼女が演じるひつじの魅力を見出すのか。観客は問われている。

「タロウくんのユメ」公演から
【写真は、「タロウくんのユメ」公演から。提供=NPO法人演劇百貨店 禁無断転載】

 こどもの館劇団は高校三年生で卒業ということになる。もちろんOB、OGとして参加する者も少なくないが、彼、彼女たちの扱いはもう大人だ。開催場所であるこどもの館はあくまで児童館であり、企画の中心にいるのはやはりこどもたちなのだ。終演後の打ち上げで、今年の卒業生が告げられる。その一人であるジェイクは、本番を終えた最終日とは思えないほどパワフルに部屋を駆け回っていた。最終バスの時間が迫る中、卒業生へのプレゼントを受け取り、記念撮影を大急ぎで終えると、彼は仲間たちと一緒にバタバタとこどもの館を後にした。寂しがる時間も惜しいのか、と苦笑してしまう。大学受験のために最後の参加となった高校二年の夏、その年の帰りの車ではこれが今生の別れかのように私はずっと泣き通しだったというのに。
 きっと彼は、夏休みこどもの館に来ればみんなに会えると当たり前のように信じている。また来年の夏に会おう、という約束は叶わないことがあるかもしれない。だがこの確信こそ、このワークショップが「劇団」として続いて行くための核であり、原動力だ。家や学校を離れたオルタナティヴな「こどもの館」という場が、劇団というコミュニティとしても現実の場所としても存在していることは、あらゆる参加者の小さな拠り所である。タロウくんが夢の国から元の世界へ帰るように、私たちもこどもの館を離れ日常へ戻らなければいけない。だが、この劇団の確かな存在は、私たちに別れを恐れることなくまたねと言って家へ帰る勇気をくれるのだ。

注:本文中の出演者の名前は彼、彼女たちのニックネームである。これは、ワークショップの初めに各々が決める「自分が呼ばれたい名前」であり、稽古中からカーテンコールの出演者紹介まで、ワークショップ中は一貫してこの名前を名乗り、呼び合う。当日パンフレットには出演者全員の「本名」も記載されているが、ここでは出演者たちのこどもの館劇団における名前の方を重視し、ニックネーム表記とした。

【筆者略歴】
伊藤寧美(いとう・なび)
 1988年兵庫県出身。国際基督教大学卒。東京大学大学院総合文化研究科修士課程在籍。専門はイギリス現代演劇、戯曲。2009-2010年、サセックス大学(英国)に留学。劇評に「避難所からの疎外-『完全避難マニュアル』考」(『シアターアーツ』46号)、「16年目の贖罪-『ピラカタ・ノート』考-」(『act』20号)など。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/itoh-nabi/

【上演記録】
第22回こどもの館劇団演劇発表会 『タロウくんのユメ
兵庫県立こどもの館 円形劇場(2012年8月18日-19日)

【出演】こどもの館劇団
【作・演出】こどもの館劇団、柏木陽
主催 兵庫県立こどもの館
指導 NPO法人演劇百貨店
協力 こどもの館劇団サポーターズ

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