◎転々とする感想
川光俊哉
朝の7時から、観劇に出かけました。自分で公演をやるときは、7時に劇場集合なんてよくやったと思うが、なかなかこの時間に公演はやらない。15時、19時の回もあったが、せっかくなので、という気持ちで7時の回に予約した。せっかくなので、と思った人がほかにもたくさんいたのでしょう、どの日も7時の回から予約が埋まっていったようです。
鴬谷駅から、ラブホテル街をぬけて、会場の平櫛田中邸に到着した。おじいちゃんおばあちゃんの家を思い出すような、ただの民家です。
「平櫛田中邸アトリエ」パンフレットより。
彫刻家・平櫛田中。
谷中霊園のほとりに
ひっそりと建つ平櫛先生の旧居宅は
大正当時のアトリエ付住居の姿を
現代に伝えてくれます。
この平櫛田中邸、ぼくは4回目でした。事前ミーティングの第0回をふくめて、これまで3回(公演当日8月28日の時点で)、平櫛田中邸で開催されている「構造茶話会」という講座に、スタッフとして参加している。
「構造茶話会」シラバスより。
「そもそも構造ってなに?」ということを、その「そもそも」から、みんなで考えよう、という場なのだと、ひとまずぼくは理解しています。アートプロジェクト、もっともせまく考えれば、ある舞台の公演のことですが、さまざまな事物の「構造」をアナロジーとしてつかったり、あらゆる角度から「構造そのもの」をねちっこく考える。コーディネーターのひとり、佐藤慎也の表芸は建築だが、建築における「構造」も、「構造そのもの」を見なおす枠組みとして有効だ。
この「構造茶話会」のコーディネーター、長島確と佐藤慎也のふたりが中心となってのプロジェクトが、『三宅島在住アトレウス家』だ。『墨田区在住アトレウス家』、『豊島区在住アトレウス家』とつづいてきたシリーズの第3弾とも言うべきポジションで、また、「昨年度『豊島区在住アトレウス家』の内部で構造に関するゼミをやってい」たという経緯もあり、「その発展形として」の「構造茶話会」であるから、「構造茶話会」と『アトレウス家』は切り離して考えられない。「構造」についてねちっこく考える「構造茶話会」が、座学であり、入門編、理論編のようなものだとするなら、「三宅島在住アトレウス家」は、いまここの時点での実践編なのだろうというつもりで、ぼくはいつもの平櫛田中邸に行ったわけです、朝7時に。ちなみに、ぼくは、一連の「アトレウス家」プロジェクトのほうには関係していないのです。
しつこく繰り返しますが、まったく、おじいちゃんおばあちゃんの家だ。少し奥まったところにあるので、はじめての人はけっこう通り過ぎてしまうのではないでしょうか。入口、つまり玄関で受付をして、チケットを手渡される。公演のチケットではない。「希臘汽船」と書いてある、東京から三宅島への、架空の「ご乗船票」だ。これは、じきに意味が分かる。
二階で、開演時間を待った。やがて、「構造茶話会」でおなじみ、佐藤慎也が登場し、おもむろにテーブルに地図をひろげる。三宅島の地図だ。三宅島と山手線内の土地では、ほとんど面積が同じだ。地図で、そのふたつをかさねてみたという。なるほど、かさなっている。なるほど、とは思ったが、出されたルーペなどでじっくり見るほどでもないと思ったな。じっくり見ている人は何人もいましたが。
「アガメムノン」をつれてきて、これも出演者のひとりだろう、若い女性が開演のあいさつのようなことをしました。これから、どこにいてもいい、なにをしてもいい、でも、いちおう人の家だからたんすのなかを見たり、そういうことはしないように、そうして、たまにどこかで会話があるかもしれない、という意味のことだった。
ぼくは、おもに一階で、玄関のあたりにすわっていました。どうも、玄関から入って右側の部屋に出演者がたまっていて、そこで会話を聞くことが多いような印象を、途中で持ったからです。
なにも起こらないのですね。ときどき、会話は聞こえるようだ。内容は、三宅島のうわさみたいなものだった。どうでもいい内容だったが、島ではこんなことがある、こっちとはぜんぜんちがう、という話をしていたようだ。
右側の部屋から、なにか音が聞こえる。見に行ったら、パソコンにスピーカーをつないで、船の音や島の環境音を流しっぱなしにしているらしい。なるほど、と、二階で聞いた地図の話とつながって、ここでなにを感じればいいのか分かった気がした。
【写真はいずれも、三宅島在住アトレウス家《山手篇》公演から。撮影=冨田了平
提供=三宅島在住アトレウス家 禁無断転載】
約一時間で、終わりの知らせがあった。しばらくいてもいいということだったが、ぼくは、すぐに帰った。帰りぎわに、例の地図をおみやげとして渡された。
「三宅島在住アトレウス家」パンフレットより。
《三宅島篇》では、そんなことを考えながら、アガメムノンとともに山を登ることになります。
なるほど、と思った。ぼくが行ったのが「山手篇」で、「三宅島篇」もひかえているという。「you can be here and there at the same time」ともパンフレットにある。さらに引用するなら、「墨田区在住アトレウス家」のパンフレットには、「ギリシャ悲劇に登場する一家が暮らした家だと思えば、いろいろなものが見えてくる」、「彼らが暮らしたまちだと思えば、いろいろなものが見えてくる」とある。さらにさらに、「墨田区在住アトレウス家」の「最後の公演が震災の影響で中止に」なったことを受けての「豊島区在住アトレウス家」のパンフレットには、「アトレウス家のプロジェクトは、ギリシャ悲劇の一家の物語を手がかりに、家やまちを再発見していくものです。劇場公演とくらべ、場所への依存度がものすごく高いので、場所が変われば一から作りなおすことになります」と、端的に「アトレウス家」のテーマが説明されている。そう言われれば、平櫛田中邸で起こったことは、まったくそのとおりだと思う、よく分かるのだ。なるほど、と思います。
帰りは内回り。山手線の電車のゆれに、身をまかせていた。かばんのなかの「希臘汽船」のチケットのことを考えながら、目を閉じて、もしもいま、三宅島へむかう船に乗っていたら、と、鴬谷から池袋までのあいだ、眠気をがまんしながら想像していた。
などと書いておけばうまくまとまるが、まとめない。なるほど、と思いますが、ここで一転、そういうものではないだろうとも思う。ぼくのもっとも素直な批判。ところで、ぼくは、島根県生まれの田舎者なのです。演劇が芸術だということさえ、東京に来るまでは知りませんでした、と自信を持って言えます。ぼくもここ最近、ずいぶん東京じみてきましたので、「アトレウス家」でこういうことをやりたいんだな、ということも分かるような勘がちゃんとはたらいてしまう。が、ときどき東京にやってきて、ぼくの公演を観劇して「すごかったねえ」「出番たくさんあったねえ」「おまえが出てたところが一番おもしろかったよ」などと繰り返す両親のことを思うと、たまに、やりきれない思いがいたします。そんなぼくの両親に、積極的な想像力を強要して、なにも感じなかった場合、それは想像力が貧困だからだ、と言ってしまうのは、あまりに酷だと思うのです。仮に、ぼくが「アトレウス家」プロジェクトに関わっていて、両親がはるばる来てくれたとします。きっと、「なんだか分からないけど、すごかったねえ」としか言えないんだろうな、と、ぼくはやりながら憂鬱でしかたがなかったと思います。よくコンセプトを練りあげ、煮つめて、しかし考えこみすぎて、二回転半くらいしてしまい、ぼくの両親のような人を置き去りにしているような気がしてならないのでした。
が、ここで再転、つい先日(9月4日)の「構造茶話会」で話題になった、「官僚のアートプロジェクト」というものがあります。いわゆる「官僚の作文」とは、美辞麗句をつらねた空虚な文章、言っていることはただしいのに、なにも伝わってこないような、つっこみどころを排除しつくしたようなつまらない文章とでも言いましょうか。公平・平等をうたうのが、行政のスローガンだとすれば、アートはそれとは逆なところにあるものであり、かたよった、とんがったものがアートとしての価値なのではないか、という話でした。
地域・行政とかかわりながら進めていくべきアートプロジェクトで、いかに、そのふたつの立場が折り合いをつけるか、明確な目的を終始維持できるか、ということですが、もちろん最終的な結論など出ませんでした。ぼくの両親だけを基準にして作品はつくれないのですよ。あるかたよりは、当然、意識しているし、つくりながらどんどんかたよっていくものでしょう。
朝7時にわざわざ鴬谷に来る人があんなにもいたのは、「アトレウス家」のコンセプトにシンクロする人がそれだけいたわけで、ちゃんとキャッチしてもらえた、このことがすでに「アトレウス家」の、ある成功と言ってもいいような気がする。しあわせなことです。問題提起は、おそらく空振りではなかったでしょう。こんな演劇もアリだ。
が、さらに反転、演劇とはなにか。ぼくは表芸が書くことなので、どうしてもストーリーのことを考えます。演劇で言えば、セリフ、会話ですね。「アトレウス家」は、全体的な雰囲気をじっくり味わうべきなのだろうな、と頭では分かっていましたが、どうしても、会話が起こると、そちらに耳が行ってしまいます。そして、それを拾おうとして、いろいろな会話を組み立てて、ひとつのストーリーをつくってしまいそうになるのです。時間の流れそのもののような、そこにものがあるということだったり、そこに人がいるということだったりを表現しているのでしょうが、さあ、どうなのでしょう。
積極的な想像力をつかって、断片的な会話、家のなかにちりばめられた三宅島の雰囲気を拾い集めて、頭のなかで再構成する、というのは、その再構成される背景、世界、とでも言うべきものは、やはりストーリーのことじゃないかと思うのです。ストーリーのないパフォーマンスは、ストーリーがあることの裏面でしかなく、安直に申し上げれば、あるストーリーを解体して分かりづらく、パズルのようにごちゃごちゃにしただけなのではないのか。見えづらく隠しただけではないのか。どうも、難解とは、そういうことのような気がしているのです。とすると、分かりやすく、ふつうに見て感心してもらえるようにストーリーをがんばって構成しないのは、ただ単に横着していると言われかねないので、安易に難解にすることはないだろうと思うのですね。横着していると言われかねないのは、書く人であるぼくなので、これは本当に個人的なことです。
そして逆転、それは、ストーリーにかぎった「構造」のことなのでしょう。語弊をおそれずに申し上げれば、なんだって、おもしろければそれでいいので、ストーリーという「構造」を解体することによって、すばらしいものができれば、それはぜんぜんかまわない。どうも、ぼくはむずかしい気がする。時間が流れる、人がいる、それを見る、これだけでもう頭のなかでストーリーを探りはじめそうだ。いわゆる起承転結をバラバラにしたものは、起承転結よりおもしろいのかどうか。粉々に解体したストーリーは、それでも起承転結的に読まれることをこちらに求めるのではないか。要は、ふつうにストーリーを構成するより、「アトレウス家」的なものが有効だと、確信したいのです。ある場合には、ある対象には、などというめんどくさい言いかたではなく、絶対的な確信がほしいのですが、それはやはりぼくの横着なのでしょう。
迷いっぱなしで、ずいぶん書きました。実験の結果がどうなるか、未来に判断をのばしたり、この揺れのなかで、あたらしい、第三の道を探さねばならない、としめくくってみたり、実にだめなことだと思います。ただ、こんなことを悩めるのはアーティストの特権であり、あるいは、ふつうの人が考えないようなことを、わざわざ人のぶんまで考えて、考えこむというのは、ある意味ではアーティストの義務であります。安直なこたえはないのです。つらいです。
【筆者略歴】
川光俊哉(かわみつ・としや)
島根県生まれ。劇作を川村毅に師事。人形創作を清水真理に師事。小説『夏の魔法と少年』が第二十四回太宰治賞で最終候補作に選ばれる。小説、劇作、作詞、俳優、音楽劇脚色など、幅広く活動中。ポストハードコアバンド hymhym の初音源『Imhymhym』を発売予定(Voice & Lyrics)。ブログ『川光俊哉日記』。
【上演記録】
「三宅島在住アトレウス家《山手篇》」
日時:2012年8月27日(月)19時、28日(火)~30日(木)7時(朝)/15時/19時
会場:旧平櫛田中邸(台東区上野桜木2-20-3)
料金:1,000円(当日・前売共通)
※入場料300円(旧平櫛田中邸保存活用協力金)別途
各回定員約20名
スタッフ・キャスト
東彩織/池上綾乃/石田晶子/稲継美保/佐藤慎也/須藤崇規/武田力/立川真代/冨田了平/長尾芽生/長島確/西島慧子/福田毅/堀切梨奈子/山崎朋/和田匡史
ロゴデザイン:福岡泰隆
制作協力:戸田史子
地図「MIYAKEJIMA METROPOLITAN – you can be here and there at the same time」(三宅島と山手線を合成した地図)
concept:長島確+佐藤慎也
design : 近藤一弥
map : 堀切梨奈子 長尾芽生 堀内里菜 馬渕かなみ 箙景美 平野雄一郎 紋谷祥子 森
山実可子 田崎敦
主催:東京都/東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)/一般社団法人ミクストメディア・プロダクト
共催:NPO法人たいとう歴史都市研究会/一般社団法人谷中のおかって
協力:日本大学佐藤慎也研究室/東京藝術大学市村作知雄研究室/三宅島大学プロジェクト実行委員会/カフェ“691”/上野桜木旧平櫛田中邸/岡山県井原市/中野成樹+フランケンズ
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