KUNIO「エンジェルス・イン・アメリカ」
ザカリー・オバザン「Your brother. Remember?」

◎アメリカ! アメリカ!-KYOTO EXPERIMENT 2011報告(第1回)
  水牛健太郎

※以下の報告で取り上げるKUNIO「エンジェルス・イン・アメリカ」はフェスティバル・トーキョー(F/T)での上演が予定されています(10月20日-23日、池袋・自由学園明日館講堂)。

 9月23日から京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT 2011)が始まった。23日~25日の三連休はKUNIOの「エンジェルス・イン・アメリカ」第1部と第2部、それにアメリカのアーティスト・ザカリー・オバザンによる「Your brother. Remember?」の上演があった。要するにどっちもアメリカもの、ということだ。

 24日に「Your brother. Remember?」を見ようと会場のART COMPLEX 1928に向かったところ、この日はたまたまオバザンの体調が悪く、公演は中止になった。もっとも公演の主要部分である映像だけは無料で上映された。係員の説明によれば、これで上演のあらましはつかめる、ということであった。なるほど映像はそれだけで十分に完結した作品になっており、内容も素晴らしかった。
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劇団しようよ「茶摘み」

◎方言と人形と閉塞感
 水牛健太郎

「茶摘み」公演チラシ 腿ぐらいの高さで、幅1.5メートルぐらいの細長い舞台。両側を客席に挟まれ、その背後の壁に一枚ずつ白いシーツが、スクリーン代わりに垂れ下がっている。役者が一人出てきてビデオカメラを構えると、スクリーンに映るのは田舎の風景。見渡す限り茶畑が広がる。カメラがある家の居間に入っていくと、夫婦とその娘らしい三人が四角いちゃぶ台に座ってざるそばをすすっている。ちゃぶ台のもう一辺にも一人前ざるそばが置いてあって、どうやらそれが撮影者の分なのだ。すると、舞台の上で、ビデオ画面同様にちゃぶ台を囲んで座っている家族の中の母親が、ビデオを構えた俳優に「はよ、食べてしまいなさいよ。もう、そんな撮ってんと」と声を掛けてくる。うまい導入だ。
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G.com 「実験都市」

◎天才になれなかったぼくたちのために-文芸部員としての最終リポート
 水牛健太郎

「実験都市」公演チラシ
チラシデザイン=栃木香織
イラスト=池田盛人

 七月三十日、土曜日の夜の回を見終わった後、主宰の三浦剛にG.comからの脱退を申し出た。二〇〇九年の一月から二年半、わたしはG.comの文芸部員だった。舞台化された作品は遂になかったし、実態はご意見番+雑用要員のようなものだったけど、内部の人間であったことは間違いない。しかし今年の三月下旬に京都に引っ越して、今回の公演は全くかかわることができなかった。
 今回の作品はなかなかよいと思った時、ワンダーランドに評を書こうと思いついた。それだけの価値がある公演だった。内部関係者が劇評を書いても信用されないから、けじめとしてG.comは辞めることにした。それでも、もちろん、ふつうの劇評とはかなり違ったものになるだろう。いい置き土産になればと思う。
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イキウメ「散歩する侵略者」

◎センス・オブ・ワンダーの彼方に待ちうけるものの正体
 三橋曉

「散歩する侵略者」公演チラシ
「散歩する侵略者」公演チラシ

 見逃したことで悔やんでも悔やみきれない過去公演のワーストワンは何か、を考えてみるとしよう。わたしの場合、その最右翼にくるのは、もしかしてイキウメの『散歩する侵略者』初演(@新宿御苑サンモールスタジオ)かもしれない。
 2005年10月、その評判に気づいたときすでに遅く(確か楽日だった)、不覚にもその公演を目撃することはかなわなかった。しかし捨てる神あれば拾う神あり。その翌年2006年6月、演劇プロデュースのカンパニーG-upが、THE SHAMPOO HATの赤堀雅秋の演出でこの作品を上演してくれたおかげで(@新宿スペース107)、初演からわずか半年で、遅れて観ることができた。
 その後、本家イキウメによる再演(2007年9月@青山円形劇場)、さらに同再々演(2011年5月@三軒茶屋シアタートラム)と、上演されるたび足を運んでいるのだが、それでも初演を逃したことが、今も悔やまれてならない。『散歩する侵略者』という作品の、どこがそんなに気になるというのか?
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オクムラ宅「かもめ 四幕の喜劇」

◎二年間の休憩-いつか「かもめ」が飛ぶ日のために-
 宮本起代子

「かもめ 四幕の喜劇」公演から
「かもめ 四幕の喜劇」公演から

 「オクムラ宅」は俳優・演出家の奥村拓が主宰する演劇ユニットである。
 二〇一〇年年四月、『紙風船・芋虫・かみふうせん』で旗上げした。
 岸田國士の『紙風船』をまずは原作通りにきっちりと作ったものをみせ、江戸川乱歩の『芋 虫』をベースにしたオリジナル作品をはさんで、最後にオクムラ版『かみふうせん』を披露した。きちんと和服を着て端正に『紙風船』を演じた夫婦(横手慎太郎/発汗トリコロール、名嘉友美/シンクロ少女)は、『かみふうせん』では着くたびれたスウェット姿になり、場所は現代の都会、マンションの一室らしい。何らかの事情で引きこもり状態になった夫婦が現実と妄想のあいだを行き来しながら、妻は圧倒的な暴力で君臨し、夫は卑屈に耐えながら遂には妻を殺害してしまう。台詞はまったく変えていないのに、状況設定と俳優の造形によって劇世界がこうも変容するとは。予想外の演出に驚嘆しながらも「これはどうしたものか」という困惑があり、何に対してかはわからないが罪悪感のようなものも入りまじって、複雑で刺激的な夜になった。
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平山素子ソロプロジェクト「After the lunar eclipse/月食のあと」

◎自然と科学に向き合う生命体
 柾木博行

「After the lunar eclipse/月食のあと 」公演チラシ
「After the lunar eclipse/月食のあと」」公演チラシ

 あれはいつのことだったのか。もう二十年くらい前、たぶん日光あたりへ旅行に行ったとき、ちょっとした林の周りを散策していた。木々の根元はしっとりと水を含んだ苔が覆っている。そんなところを歩いていうちにふと、寝そべってしまいたい気になった。生い茂った緑の影に身を横たえて自然と一体になれるような感覚。ああ、いつか自分もこうした木々と一緒に朽ちて、大地に溶け出して拡散し、周りの植物や虫や鳥に取り込まれていくのだと。そんなことを思っていると、ふと意識までもが自分の体を抜け出して、美しい林の中へと拡散していくような気がした。平山素子のソロ公演『After the lunar eclipse/月食のあと』(以下、『月食のあと』と表記)を観た後に、そんなことを思い出したのは、まさに同じようなイメージの場面が出てきたからだけではない。それは侵食し合いながらも共生していかなければならない自然と人間の関係を、我われが3月11日以降、常に考えさせられているからだ。
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サンプル「ゲヘナにて」

◎進化する勇者たちの、革新に挑み続ける作法
 門田美和

「ゲヘナにて」公演チラシ
「ゲヘナにて」公演チラシ

 渦中にいると、変化の過程がよく見えないものですね。
 私は舞台芸術作品の字幕を作る翻訳者で、時々オペもします。ご存知とは思いますが「オペ」というのは字幕の操作 (オペレーション) のことで、舞台上の演者に合わせて、あらかじめ用意された字幕を表示させる作業のことです。今回、サンプルの『ゲヘナにて』という作品で、私は字幕翻訳とオペの両方を担当させていただきました。以下はその製作過程において、私がそれまで保持してきたポリシー的、信条的な概念を、演出家の松井周氏に、スタッフに、サンプルの皆さんに、がっくんと根底から覆された記録です。
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東京芸術劇場「20年安泰。」(芸劇eyes番外編)

◎二十分と二日間と
 水牛健太郎

「20年安泰。」公演チラシ
「20年安泰。」公演チラシ

 そう言や水天宮ってどんな神社だろう。東京に住んでいた時には考えたこともなかったそんなことが気にかかり、劇場に行く前に立ち寄ってみれば、妊婦さんや、無事に生まれた赤ん坊を連れたお礼参りの家族の姿、折からの雨にけぶっていた。水天宮はつまり安産の神社で、祭神は安徳帝。「なみのそこにもみやこがさぶらふぞ」。なるほど水天宮とは水底の宮城の意味に違いあるまい。にしても壇ノ浦、祖母に抱かれて海中に没した悲劇の幼帝が安産の神様とは。
 きらきらおべべの六歳児が、サンゴきらめく海の中、赤ん坊の手を引き引き泳ぐ様子が目に浮かぶ。母の内なる羊水の海を、あの世からこの世へ赤ん坊を引率する。頼りになるお兄ちゃんぶり。「こんな骨折り仕事を千年も続けちゃ、さすがのおれっちも肩が凝る」と言ったとか言わぬとか。紛れもない惨劇の被害者に安産をお願いする人間の図々しさ、いや強さ。
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劇団ヘルベチカスタンダード「星降る夜」

◎古くて新しい、そして贅沢なお芝居
 水牛健太郎

「星降る夜」公演チラシ
「星降る夜」公演チラシ

 その日、京都市内で朝から二つも芝居を見て疲れていた。あと一つ予約があるけどどうしようか。チケット代千円の学生劇団。はっきり言って期待値は低い。帰って小説を読んでもいい。
 しかし根がマジメにできてる私は、京都大学構内での演劇公演の雰囲気を知るのも悪くないと心を奮い立たせ、会場へと向かった。探し当てた西部講堂は文化財級の見事な瓦屋根。テンションが高まるも、上演時間百三十分と聞き、見る前からげんなりもした。そんな長丁場、乗り切れるだろうか。
 しかしいざ芝居が始まると百三十分は長くなかった。それどころか、京都に来てからみた芝居の中で、(今のところ)一番の当たりだったのだ。
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燐光群「推進派」

燐光群「推進派」
◎「現実」を豪腕で舞台化したジャーナリズム演劇の成果
 森口秀志

「推進派」公演チラシ うーむ、こういう芝居はどう評していいものかと、思わず腕組みしてしまう…。欠点を論(あげつら)えば、いくらでも挙げることができる。
 まず、状況説明のために、登場人物が突然饒舌となりやたら詳しい解説を語りだす。〈解説〉が始まると役者は一歩前に踏み出し、声を張り上げるといった古くさい新劇テイスト。2日目の舞台のせいか、はたまたそのセリフの多さのせいか、役者がしばしばセリフを噛むこと。そして、話を詰め込みすぎて、十分に整理されていないこと…。
 しかしながら、そうしたさまざまな〈欠点〉を補って余るほどの迫力と剛力(ごうりき)をもって、本作『推進派』はワタシたちの前に提起された。今ニッポンで進行している事態を、一つのエンターテイメント性ある〈物語〉として結実させた芝居として。

 こうした豪腕の要るホン(脚本)を書き、舞台化(演出)できる演劇人はそうそういないのではないか?  そうした意味で、その〈取材力〉も含めた坂手洋二氏の芝居ヂカラには改めて、敬服するしかない。
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