イキウメ「散歩する侵略者」

◎センス・オブ・ワンダーの彼方に待ちうけるものの正体
 三橋曉

「散歩する侵略者」公演チラシ
「散歩する侵略者」公演チラシ

 見逃したことで悔やんでも悔やみきれない過去公演のワーストワンは何か、を考えてみるとしよう。わたしの場合、その最右翼にくるのは、もしかしてイキウメの『散歩する侵略者』初演(@新宿御苑サンモールスタジオ)かもしれない。
 2005年10月、その評判に気づいたときすでに遅く(確か楽日だった)、不覚にもその公演を目撃することはかなわなかった。しかし捨てる神あれば拾う神あり。その翌年2006年6月、演劇プロデュースのカンパニーG-upが、THE SHAMPOO HATの赤堀雅秋の演出でこの作品を上演してくれたおかげで(@新宿スペース107)、初演からわずか半年で、遅れて観ることができた。
 その後、本家イキウメによる再演(2007年9月@青山円形劇場)、さらに同再々演(2011年5月@三軒茶屋シアタートラム)と、上演されるたび足を運んでいるのだが、それでも初演を逃したことが、今も悔やまれてならない。『散歩する侵略者』という作品の、どこがそんなに気になるというのか?

あらすじ①
 さて、その『散歩する侵略者』とは、こんなお話である。日本海に面する小さな漁港の町が舞台。夏祭りの晩に行方の知れなくなった夫のシンジが、三日経って帰ってきた。曖昧になった過去の記憶を精神科医から脳の障害と診断された彼は、会社を休み、散歩を日課とするリハビリの日々を送るようになるが、なぜか以前とは別人のように優しくなっていた。介護にあたる妻のナルミは、そんな夫を心穏やかな気持ちで見守りはじめる。

 日常と非日常が表裏一体のものであるとするならば、イキウメという劇団は、絶妙のバランスをもって、その細い境界線上を歩き続けていると思う。よくも足を滑らせないものだと感心するが、わたしが最初に出会った短編オムニバスの『図書館的人生 vol.1』(2006年3月@サンモールスタジオ)以来、作品ごとの出来、不出来はあっても、書割りの風景が取りはらわれたあとに、異界の景色が鮮やかに広がるような一瞬が、必ずどの作品でも待ち受けていた。

 『PLAYER』の死者との交信、『眠りのともだち』における夢と現実のシンクロ、そして現代の座敷童伝説を描く『見えざるモノの生き残り』など、大胆な虚構をリアルな輪郭で描き出す彼らの真骨頂は、座付きの前川知大という作・演出の力に負うところが大きい。しかし、そのパターンは一様ではなく、2003年の旗揚げから8年、アイデアは一向に尽きる気配がないというのもすごいと思う。

「散歩する侵略者」公演から
【写真は「散歩する侵略者」公演から。撮影=田中亜紀 提供=イキウメ 禁無断転載】

あらすじ②
 しかしあるとき、異変が起きる。失踪以来、まるで幼子に帰ったようにさまざまな言葉に好奇心を抱くシンジは、道で行きかう人ごとに、奇妙な頼みごとをしていた。ひとつひとつ言葉を挙げては、相手にそれをイメージさせることを繰り返す彼は、ある日訪ねてきた義理の姉アスミにも同じことを乞う。気楽に応じ、その言葉「血縁」の意味するところを心に浮かべた彼女だったが、シンジが「それを貰うよ」と呟くや、たちまち激しい動揺に襲われてしまう。それ以降、親しかった妹のナルミに対して、アスミはなぜか冷たい態度をとりはじめる。

※ここから『散歩する侵略者』について大きくネタバレします。ご注意ください。

 この作品のタイトルにある「侵略者」とはエイリアン、すなわち宇宙人のことだ。『散歩する侵略者』は、地球外生命体による地球侵略の物語なのである。だが、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』やジャック・フィニィの『盗まれた街』など、〝侵略テーマ〟のSFはおなじみの筈なのに、この『散歩する侵略者』は過去に散々読んだり、観たりしてきた〝侵略テーマ〟の小説や映画とは、明らかに別物だった。
 まさに「地球侵略会議はファミレスで」というコピーどおり、舞台はどこにでもある町に過ぎないし、出てくる人々も人懐こい。しかし、言い知れぬ恐怖と戦慄がそこには潜んでいるのである。

あらすじ③
 シンジが帰ってきたのとほぼ時を同じくして、ひとりの少女が病院で昏睡状態から目を醒ました。彼女の名は、アキラ。老婆が引き起こした猟奇的な一家無理心中事件で、たったひとりの生き残りだった。アキラは、彼女を訪ねてきた謎の少年ミツオの手引きで病院を抜け出し、やがてふたりは町を徘徊するシンジと合流する。実は彼ら三人は、地球を征服するために遠い星からやってきたエイリアンだった。シンジ、アキラ、ミツオの三人は、彼らに肉体を乗っ取られていたのだった。

 例えば、『関数ドミノ』や『プランクトンの踊り場』といった彼らの代表作からは、どことなく理系の雰囲気が漂ってきた。しかしそれとは対照的に、『散歩する侵略者』には文系の香りがある、といったらやや穿ち過ぎだろうか?

 というのも、このオフビートな地球侵略の物語で、先発隊としてこの星にやってきたエイリアンたちの目的は、地球人の〝概念〟の収集なのである。個体としての人間ではなく、人類全体を効率的に把握するために、思考や行動のもととなるさまざまな概念を集めてしまおうというのが彼らの作戦だ。

 アブダクションでエイリアンに支配されたシンジが、散歩の途中に繰り返し行っていたのもこの〝概念を奪う〟という行為なのだが、ある〝概念〟を盗まれた人間は、同時にそれにまつわる一切を喪失してしまう。シンジから「血縁」の概念を奪われた姉のアスミが受けたショックやその後の変貌もそのルールどおりで、血の繋がり(すなわち家族)というものをアスミがまったく理解できなくなってしまったからなのである。そして、この喪失という現象は、物語の後半にかけてさらに大きな意味合いを帯びていくのだ。

あらすじ④
 折悪しく隣の敵国からのミサイル誤射が引き金となって、軍事施設もおかれるこの町では開戦への緊張感が一気に高まっていく中、エイリアンたちのメンタルな略奪行為は着々と進み、〝概念〟を奪われて精神の平衡を失った人々が町にあふれていく。やがて異星人たちの作戦終了が目前に迫るが、失踪以来、夫との絆の回復を願うようになったナルミにとって、それはシンジとのつらい別れの時でもあった。

 常に背景から聴こえてきて、観客の不安をかきたてずにはおかない戦争の足音は、本作の不穏なBGMとして重要な役割を果たしているが、のほほんと生きる無責任な男が、「所有」という概念をシンジに奪われるや、反戦運動へと突っ走るエピソードが絡んでくるあたりも面白い。地球が侵略の危機にさらされ、人類が滅亡の危機に瀕しているというのに、当の地球人たちはつまらない仲間割れに余念がないという皮肉の効いた料理法は、戦争というテーマにとって、きわめて効果的だと思う。

 アブダクションを受けたことにより、かえって人間性を取り戻したかのように見えるシンジ。一方ナルミは、それがありえないことという事実に目をつむってまで、シンジに夫婦の愛情をつのらせていく。別れのタイムリミットを目前に、そんな二人の間には短くもきわめて濃密な時間が流れていくが、多くの観客にとって、この『散歩する侵略者』が愛をめぐる物語でもあったという事実に胸をつかれるのは、終盤のこのくだりだろう。

 そして、さらにそのあとに待ち受けるラストシーンは、そこに至るまでのすべての物語が、単にこの幕切れのためにだけ存在したのでは、と錯覚してしまうほどに強烈な一瞬だ。シンジがナルミから奪った、いやもといナルミからシンジに手渡された〝愛〟の概念が、果たしてどういうものであったのか? 観る者のひとりひとりで答えが異なるに違いないこの問いかけは、幕が降りたあとも観る者の心を捕らえて離さない。

 そういえば、この作品のどこがそんなに気になるというのか? という自らの問いかけに対する答えがまだだった。それはおそらく、こういう事かもしれない。
(初演は未見なので想像の域を出ない部分もあるが)元々はシンプルなセンス・オブ・ワンダーの物語に、人間ドラマとしての血と肉を与えたのが赤堀雅秋演出版だとすると、役者たちの成長もあって、円形劇場という格好の舞台上でドラマとしてひとつの完成をみたのが再演版だろう。そして、初めて舞台装置を導入し、3・11と言う時代の苦難を反映した再々演版と、上演を重ねるたびに、この『散歩する侵略者』は変貌を遂げてきた。

 それはラストシーンにも言えることで、赤堀雅秋演出版(シンジ=寺十吾×ナルミ=猫田直)では、人間の性をのぞかせる虚無感漂う終わり方だったし、再演版(安井順平×岩本幸子)は、恋愛劇の悲痛な幕切れと同時に、オチとしての切れ味の鋭さが印象に残った。また、最新の再々演版(窪田道聡×伊勢佳世)では、シンジの延々とつづく叫びと身もだえが、愛という感情の無限の可能性を暗示しつつの幕だったと思う。(ちなみに、わたしが未見の初演は、有川マコト×岩本幸子のふたりが演じている)
 演じられる時代により、また役者や劇場によっても、変化していくのが演劇であるとするならば、人間の普遍の姿がのぞく本作とても、その例外にはなりえないことは十分に承知している。しかし、人にとってかけがえのない何かを思い起こさせる強靭さが、この『散歩する侵略者』にはある。したたかに、そしてしなやかに変化し続けていくこの芝居にこだわり、観続けたいと願うのは、そんな理由からなのだろうと思う。

※登場人物の表記は、すべてカタカナとしました。

【筆者略歴】
 三橋 曉(みつはし・あきら)
 1955年、東京都生まれ。ミステリ・コラムニスト。「波」「ミステリマガジン」「このミステリーがすごい」「新刊展望」他に書評コラムや映画評を、また海外ミステリの新刊に解説を寄稿。(近刊はクリーブス「野兎を悼む春」、フリマンソン「スリープ・イン・サ・ウォーター」など)共著書に「海外ミステリー事典」(新潮社)がある。書評ブログ「ミステリ読みのミステリ知らず」更新中
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/category/ma/mitsuhashi-akira/

【上演記録】
イキウメ「散歩する侵略者
横浜プレビュー公演 KAAT 神奈川芸術劇場大スタジオ(2011年4月23日-24日)
東京公演 シアタートラム(2011年5月13日-29日)
大阪公演 ABC ホール(2011年6月4日-5日)
北九州公演 北九州芸術劇場中劇場(2011年6月12日)

作・演出:前川知大
キャスト:
加瀬鳴海(真治の妻)…伊勢佳世
加瀬真治(鳴海の夫)…窪田道聡
桜井(記者、元警察官で船越浩紀の後輩)…浜田信也
船越明日美(鳴海の姉)…岩本幸子
船越浩紀(明日美の婿、警察官)…安井順平
丸尾(フリーター)…森下創
長谷部(丸尾の友達)…坂井宏充
天野光夫(中学生)…大窪人衛
立花あきら(看護学生)…加茂杏子
車田(医師)…盛隆二
スタッフ:
舞台監督 谷澤拓巳
美術 土岐研一
照明 松本大介
音楽 かみむら周平
音響 鏑木知宏
衣装 今村あずさ
ヘアメイク 西川直子
演出助手 石内エイコ
演出部 棚瀬巧
美術助手 大泉七奈子
制作 中島隆裕 吉田直美
宣伝美術 鈴木成一デザイン室
宣伝写真 高橋和海
舞台写真 田中亜紀

(東京公演)
提携 公益財団法人せたがや文化財団 世田谷パブリックシアター/後援 世田谷区 TOKYO FM/運営協力 サンライズプロモーション東京(大阪公演)運営協力 サンライズプロモーション大阪
(北九州公演)
提携 北九州芸術劇場/協力 公益財団法人セゾン文化財団/ 助成 文化芸術振興費補助金(トップレベルの舞台芸術創造事業)

主催イキウメ/ エッチビイ(東京・大阪・北九州公演)、神奈川芸術劇場(横浜プレビュー公演)

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