サンプル「ゲヘナにて」

◎進化する勇者たちの、革新に挑み続ける作法
 門田美和

「ゲヘナにて」公演チラシ
「ゲヘナにて」公演チラシ

 渦中にいると、変化の過程がよく見えないものですね。
 私は舞台芸術作品の字幕を作る翻訳者で、時々オペもします。ご存知とは思いますが「オペ」というのは字幕の操作 (オペレーション) のことで、舞台上の演者に合わせて、あらかじめ用意された字幕を表示させる作業のことです。今回、サンプルの『ゲヘナにて』という作品で、私は字幕翻訳とオペの両方を担当させていただきました。以下はその製作過程において、私がそれまで保持してきたポリシー的、信条的な概念を、演出家の松井周氏に、スタッフに、サンプルの皆さんに、がっくんと根底から覆された記録です。

 といっても「あーそうですか」とスルーされてはナンなので、比較的マイナーなトピックである字幕についてまずは少々説明します。字幕とは、ざっくり、ある映像に対して補足的に文字で提供される情報のことです。映画等の字幕や、テレビ番組のキャプション、主に耳の不自由な方向けの字幕放送(文字放送の一種)などなどありますが、舞台芸術では多くの場合、その場で実際に行われている動作と話されているセリフに合わせて文字情報を提供する点が大きな特徴です。ヒトが文字を読む速度は1秒間に数文字程度で、話す速度よりかなり遅いため、当然ながら語られるセリフをすべて文字表示しても読み切れません。したがって、ある規則に基づいて情報を掬い取ることになります。映画等の字幕で「言ってることと字幕が違うよねー」と指摘される方がいらっしゃいますが、明らかに誤訳の場合をのぞき、字幕の特徴はそこにあります。というようなウィキ的な情報を共有したところで、ここからは舞台芸術の字幕に焦点を当てて話を進めます。ではまず、ズバリ、

 最高の字幕、とはどんな字幕であると思いますか?

 私の考える最高の字幕は、大きく2つあります。1つは最少文字数でわかりやすく表現されていること、もう1つは舞台上の動作に合っていることです。まず、文字数が少なくわかりやすければ、お客様はサッサと読み終え、素早く視線を舞台に戻せるので、より長時間舞台を観ることが可能です。また、動作に合わせることについては、ナマで合わせていくことになりますので、字幕はもちろん、役者さんの発話速度や立ち位置、間の長さをあらかじめ頭に入れておきます。すると、例えば役者さんがセリフを飛ばしてしまった場合に、字幕の表示内容を調節して対応できる場合があります。具体的には、飛んだセリフの前でプロジェクターのシャッターを閉じて字幕が写らないようにし、次のセリフの1つ前まで送ってから再びシャッターを開きます。所要時間としては、セリフが飛んだことを認識してからだいたい3秒ほどで行い、お客様からは、文字のない状態がずっと続いているように見えます。作業のための時間が取れるかどうか、あらかじめ頭に入っていないとこういった対応は難しくなります。他にも、役者さんの演技が長めになり、次のセリフまで数秒かかると判断し、間を作りたいという場合にも対応できます。立ち位置については、英語字幕の場合は指示代名詞 (this、that、these、those など) が変化しますので、役者さんが距離を変えて演技する場合はお客様が混乱しないよう配慮する必要があります。

 『ゲヘナにて』ではセリフが1,100個ほどありますので、その1つ1つについてこれらを考慮して字幕を作成していきました。稽古に参加した初日のことは忘れられません。そこにはパウル・クレーの「地獄の公園」を想起させるような舞台美術が広がり、私のテンションは一気に上がりました。そして、直後、どうもこれまでの自分のやり方がそぐわないことに気づきます。それは私が初めて体験する「壊す」というサンプルの製作手法でした。

「ゲヘナにて」公演から
【写真は、「ゲヘナにて」公演から。撮影=青木司 提供=サンプル 禁無断転載】

 演劇人の多くは、作品はどう創られるべきか、かなり明確な持論のもとに製作に臨みます。私はこれまでの経験から、演出家が目指す到達点や完成像に向かって製作していくものだと信じていました。たとえそれが視覚化できず、イメージも共有しにくい初期段階であっても、あたかもそれが見えているかのような信念で、演出家に寄り添って作品を創って行くものと思っていました。だからこそ字幕は公演初日に近づくにつれ安定していき、オペはより習熟されるのです。ところが、そうして作ったものをあえて「壊し」革新し続けるのがサンプルなのであり、具体的には、舞台美術は日々変化し続け、セリフも常に削られたり加えられたりしました。稽古場では、その日新たに変更となったセリフが読み上げられ、役者はそれをメモってすぐに体現します。セリフを覚えてから稽古に臨み、想定した演技を繰り返す稽古とは異なり、新しい文字情報を受け取って直後に表現し、その感覚を再現して習得するという方法は、役者さんたちの高い柔軟性、順応性、表現力が求められます。当然ながら、稽古中途切れない高い集中力も要求されます。私は初めのうち、何時間もかけて翻訳したセリフや、深く感動したお気に入りのセリフがばっさりと削られ、更新されていくことに落胆を覚えましたが、次第により完成度の高い舞台を創ることに専念していくようになっていきました。なんだかすごいことがフツーのように行われている稽古場だったのでした。

 ところが、サンプルの革新はそこに留まりませんでした。本番も間近に控えたある日「今回舞台に即興性を取り入れたいと思います」という演出家の提言がありました。字幕付きの公演では、内容が変わらないように配慮される場合が多いので、私はあらかじめ用意周到に準備するものだと思っていた字幕というシロモノにおいて、即興性に対応できる状態がそもそも存在するのか? と悩み始めました。役者さんの動きが予測できない場合、それを確実に表現することは不可能なのではないかと思ったのです。台本は連日変化していきます。字幕付公演があるにも関わらず、です。私は初日を迎えてからも、セリフの英訳を変え、スライドを変え、それを覚え、練習し、舞台袖で本番に合わせては調整し、ということを毎日繰り返しました。こうなるともう、翻訳力とか英語力とかはもはやどれほど必要なのか疑問にすら思いました。ですが、よくよく考えてみると、舞台とはそもそも即興性に満ちた空間なのです。舞台は常にナマであるはずで、その場その瞬間をお客様と共有することで得られるパワフルな体験なのです。いつのどの時点かに到達した完成形を辿り再現するような公演を繰り返すのではなく、あえて緊張感を課し、進化しながら作品を届け続ける手法は、実は非常に理にかなっているように思えました。私は悩むことを止め「今回の舞台では何が起こっても何でもありなのです」という松井氏の言葉を信じることにしました。

 ここで誤解しないでいただきたいのは、じゃあガンガン好き放題変化させていけば、おのずといい作品ができるのか、ということです。サンプルでは演出家の求めるある世界観をスタッフがかなり早い段階から共有し、それぞれの専門分野で成熟させ、発展させていきます。ドラマターグ、舞台美術、照明、音響、制作、インターンの方にまで意見が求められ、その場で共有し、それを包容する松井氏の演出は、一見オープンでありながら、実はかなりの責任が問われます。この形態は、演出家を頂点としたピラミッド型、あるいは演出家と各スタッフが双方向コミュニケーションを取るというよりは、ある種会社組織に近い気もします。すべての責任を演出家が持つという潔く深い包容力をベースに、それぞれ専門的な立場からの意見が発展し続けるサンプルの舞台は、結果として突き抜けないわけがなく、発展し続ける舞台作りには今後も目が離せません。

【筆者略歴】
 門田美和(もんでん・みわ)
 翻訳者。2009年より海外公演の制作と海外アーチストの日本公演の制作も手がける。これまでに PARC(国際舞台芸術交流センター)、ITI(国際演劇協会)、五反田団、チェルフィッチュ、リミニ・プロトコル、ビリー・カウイー、エイドリアン・ハウエルズ、など。今後は、ハイバイ韓国公演、五反田団フランス公演などが予定されている。

【上演記録】
サンプル+三鷹市芸術文化センターpresents
太宰治作品をモチーフにした演劇 第8回『ゲヘナにて
三鷹市芸術文化センター 星のホール(2011年7月1日-10日)

[作・演出]松井周
[出演]辻美奈子 (サンプル・青年団)/古舘寛治 (サンプル・青年団)/古屋隆太 (サンプル・青年団)/奥田洋平 (サンプル・青年団)/野津あおい(サンプル)/渡辺香奈(青年団)/岩瀬亮/羽場睦子

[舞台美術]杉山至
[照明]木藤歩
[音響]牛川紀政
[衣裳]小松陽佳留 (une chrysantheme)
[舞台監督]谷澤拓巳
[演出助手]郷淳子
[ドラマターグ]野村政之
[英語字幕]門田美和
[宣伝写真]momoko matsumoto(BEAM×10inc.)
[フライヤーデザイン]京(kyo.designworks)
[WEB・総務]マッキー
[制作]三好佐智子(有限会社quinada)/森川健太(三鷹市芸術文化振興財団)
[企画] 森元隆樹(三鷹市芸術文化振興財団)
[製作]サンプル/quinada
[協力]岩井秀人/古澤健/三浦直之/青年団/レトル/M★A★S★H/至福団
[助成]アサヒビール芸術文化財団/公益法人 セゾン文化財団
[主催]公益法人 三鷹市芸術文化振興財団
[料金]一般前売 3,000円 一般当日 3,500円 高校生以下1,000円
[劇団ホームページ]http://www.samplenet.org/

[ポストパフォーマンストーク]
ゲスト:
 7月1日(金) 19:30 岩井秀人(ハイバイ主宰)
 7月2日(土) 19:30 古澤 健(映画監督・脚本家)
 7月3日(日) 14:30 三浦直之(ロロ主宰)
※以下は、松井周のみのトーク
 7月2日(土) 14:30
 7月5日(火) 19:30
 7月6日(水) 14:30
 7月9日(土) 19:00

「サンプル「ゲヘナにて」」への6件のフィードバック

  1. ピンバック: イダゲン
  2. ピンバック: 河村書店
  3. ピンバック: 門田美和 (Miwa Monden)
  4. ピンバック: ナミカワサヤ。
  5. ピンバック: 伊藤寛隆(Hirotaka Ito)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください