◎アメリカ! アメリカ!-KYOTO EXPERIMENT 2011報告(第1回)
水牛健太郎
9月23日から京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT 2011)が始まった。23日~25日の三連休はKUNIOの「エンジェルス・イン・アメリカ」第1部と第2部、それにアメリカのアーティスト・ザカリー・オバザンによる「Your brother. Remember?」の上演があった。要するにどっちもアメリカもの、ということだ。
24日に「Your brother. Remember?」を見ようと会場のART COMPLEX 1928に向かったところ、この日はたまたまオバザンの体調が悪く、公演は中止になった。もっとも公演の主要部分である映像だけは無料で上映された。係員の説明によれば、これで上演のあらましはつかめる、ということであった。なるほど映像はそれだけで十分に完結した作品になっており、内容も素晴らしかった。
映像は三つの素材から構成されている。ジャン・クロード・ヴァンダム主演の格闘技映画「キックボクサー」や似非(えせ)ドキュメンタリー番組などのオリジナル映像、それを約20年前に、まだ十代のオバザンが兄や妹とストーリーやセリフをそのままコピーしたホームビデオの画像、そしてそれをさらに20年後に再び兄弟で撮りなおした映像である。同じ場面がこの三つのバージョンで繰り返され、快いリズムを醸し出す。
「キックボクサー」は、兄のボクサーのセコンドとして、無残な敗北を目の当たりにしたヴァンダムが、タイ人の師匠に弟子入りしてムエタイの奥義をマスターし仇を撃つという、絵に描いたようなB級映画だ。十代のオバザンは田舎の映画少年として、こうした映像の完コピに熱中していたという。家庭用ビデオを手に、兄や妹、自分を俳優として、手作りの衣装や小道具で撮影する。少年なりに精いっぱいの創意工夫を凝らした真剣な遊びであり、同時にパロディーの感覚もある。もともと突っ込みどころの多いB級映画の映像に、そんな少年たちのコピー画像が重なって笑いを巻き起こす。
さらに重ねられる20年後の画像は、陰影を伴っている。あえてする真剣な遊びの楽しさは変わらないが、そこに映っているのは少年たちではない。20年前に精悍な姿で映っていた兄ゲイターは、豊かな表情を持つ魅力的な人物ではあるが、しまりのない肥満気味の身体と上腕に入れた青いタトゥーという、アメリカ社会における典型的なloserの姿で現れる。妹ジェニーも可憐な少女ではなく、人生の重みを感じさせる風貌となっている。
三つのバージョンの繰り返しの合間に、きょうだいたちのこの20年の「再現映像」が挟み込まれる。アメリカのテレビ番組でよくある、当事者たちの出演による再現映像という趣。そこでは兄ゲイターがデニーズの従業員の態度に腹を立て、「店を吹っ飛ばしてやるぞ」と脅迫して逮捕され、刑務所に入ったこと、麻薬中毒になったことなどが明かされる。その後も何回か刑務所に入り、仕事らしい仕事もないまま実家暮らしを続けているらしい。アメリカではよくある、転落の物語だ。
わたしは1999年から2003年まで4年間アメリカに住んだが、帰国後8年経った今も、その年月を自分の中でどう位置付けていいかわからないでいる。アメリカの大学院で学んだ経済学はその後のキャリアには結びつかず、収入は留学前の何分の一かに落ち込んだまま、一生元の水準に戻ることはないだろう。英語が若干できるようになったし、いろいろと視野も広がり、後悔はしていないのだが、それでもその前後との結びつきがあまりに乏しいので、長い夢を見ていたような気がすることがある。いま、わたしが留学していたバファローという町に行っても、そこには何もなく、会ったはずの人も誰もいないのではないか? あの4年間はいったいなんだったのだろう。
十代のころからアメリカに憧れていた。留学したころ、わたしは、アメリカに行きさえすれば、人生を生きなおすことができると本気で信じていた。それまでの経緯を抹消して全く新しい人間として再出発できるのだと。行ってみて感じた自由の空気は実際、夢見た通りのものだった。日本のような制約は少なく、誰もが自分の生きたいように生きているように見えた。望みさえすればチャンスは無限にあるように思えた。
しかし、だからこそそこには熾烈な競争があった。夢は誰でも持っている。誰でも夢見る権利はある。でも、かなう夢はほんの少しだ。自分を厳しく律してたゆまず努力を続け、積極的に行動し、機会を逃さず自分をアピールし、その上で実力と運さえあれば、夢はかなう。どんなハンディを背負っていても、夢をかなえる人はいる。だから言い訳は許されない。ごく一部の勝者が華やかに賛美される社会で、ほとんどの人は敗者(loser)となった屈託を抱えながら、人生への期待値を下げ、何とか折り合いをつける。しかしうまく折り合いをつけられず、決定的に傷ついてしまい、転落への道をたどる人も少なくないのだ。
わたしも一人のloserとして、散々な思いを抱えて日本に逃げ帰ってきた。しかしどうしてだろう。今でも時折夢に見るのは、留学当初に感じた、アメリカの自由な空気だ。夢の中でわたしは、抜けるような青い空の下、広い芝生の上で寝転んで、ここでこそようやく、自分自身になれるのだと思っている。そして目覚めて、まどろみながら、もう一度アメリカで挑戦してみようかな、なんて夢想をもてあそぶのだ。もう無理だとわかっているのだけど。
「Your brother. Remember?」の最後、ゲイターが刑務所からザカリーに出した手紙が映し出される。弟の成功を喜ぶ手紙。そこには(確か)「お前がハリウッドに行ったら、俺に役をくれよ」と書いてあった。
「エンジェルス・イン・アメリカ」は、1980年代のニューヨークのゲイたちを扱った作品だ。その頃アンディ・ウォーホルに象徴されるような独自の文化的先端性を誇っていたニューヨークのゲイ・コミュニティは、突如蔓延し始めたエイズによって多くの死者を出す。自らの死に直面する中で、生の意味や愛を求めてあがくゲイたちの姿を、人種・民族・宗教などのアイデンティティ・ポリティクスと絡めて描き出した。
このように、この作品はかなりややこしい文化的背景を持っているのだが、演出の杉原邦生は、(わたしの見る限りでは)政治・人種・民族・宗教などの入り組んだコンテクストを正確に理解していた。先行の映像作品もあり、大いに助けになったと思うが、それにしても杉原の異文化に対する感受性の確かさは相当なものだ。
タイトルの「エンジェルス」(天使たち)はゲイたちのメタファーであることは確かだが、この作品には文字通り「天使たち」が登場する。主人公の一人プライアーがエイズで苦しんでいるとき、アメリカ大陸を担当する天使の降臨を受け、預言者に指名される。その場面が第一部と第二部の境目になっているが、第一部で現実をベースにしていた物語は、天使の出現により、第二部に入るとファンタジーを内包する世界観へと拡張される。
この拡張の意味は、作品理解の上では一つの難所であるように思う。作者が日本人であったと無理やり仮定すると、天使はあくまで象徴にとどめ、実際に舞台上に登場させることはないだろうと思われる。天使を登場させないと処理できないような要素は、この作品には特にない。どうして天使が出てくるのか。
アメリカは先進国の中では異例なほどの宗教国家なので、天使を出すことに違和感が少ないのは事実だ。そのことに加え、ゲイたちを「天使」や「預言者」に擬することは、同性愛者としてのスティグマに加え、たまたまエイズという難病の主要感染ルートになってしまったという苦難まで背負ったゲイたちに対する象徴的な救済の意味を持っている。ちょうど十字架の上で死んだ人を「救世主」に擬するのと同じような宗教的な想像力の働きがそこにはある。アメリカ人というのは、そういう宗教的な想像力を常に持っている人たちであり、天使の登場も、異文化の要素の一つとして理解していくしかないだろう。
杉原の演出は、そうした文化的・宗教的なコンテクストに十分な敬意を払いながら、天使の場面を演劇的なスペクタクルとして成立させるのに成功していたと思う。そこには天使を演じた森田真和の力が大きかった。人間らしからぬ存在感と、突き刺さるような美声で、ほんとうに天使のように見えたのだ。
この作品のもう一つのポイントは、「勝たなくてもいい」という、それまでアメリカにあまりなかった感覚の芽生えを表現しているところだと思う。
主要登場人物の一人ロイ・コーンは実在したユダヤ系保守主義者であり、1950年代のマッカーシズムの立役者の一人である。隠れゲイであり、だからこそ男らしく、強くありたいと願い、主人公の一人であるジョー・ピットに対しては「父」として振る舞おうとする。ユダヤ人でありゲイであるという、彼の生きた時代においては致命的な弱みを二つも抱えた彼は、「差別される弱者」と見なされることを敢然と拒否し、戦い続け、勝ち続けることで、誇り高く生きようとするのである。エイズにかかっても自分が「ゲイの病気」であることを否定し、肝臓がんだと言い張る姿には鬼気迫るものがある。(コーンを演じた田中遊の演技は素晴らしく、コーンの傲慢さと内に秘めた優しさを見事に表現していた。正味8時間20分に及ぶ上演時間の中で、コーンの登場が何よりの楽しみであった)
しかし、彼の息子の世代である三人の若いゲイたち(プライアー、ルイス、ジョー)は、ロイのマッチョな生き方を受け継ごうとはしない。それがもっとも明確に表されているのは、プライアーが天使から預言者として指名されながら、わざわざ天国に赴き、預言の書を返す場面であろう。彼らは「力」に淡白で、大きな責任を背負い込もうとはしないのである。
物語の最後に、ロイが権力を駆使してかき集めていた治療薬が、友達の助けによってプライアーの手に渡り、彼は生き延びる。このいきさつには、アメリカの底流における価値観の変化が、象徴的に表現されているように思われた。
【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
ワンダーランド編集長。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。大学卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。2011年4月より京都在住。元演劇ユニットG.com文芸部員。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/category/ma/mizuushi-kentaro/
【上演記録】
ザカリー・オバザン「Your brother. Remember?」
ART COMPLEX 1928(9月23日-25日)
上演時間:70分
構成・演出・出演:ザカリー・オバザン
映像出演:ゲイター・オバザン
照明・音響・映像:トーマス・バーカル
演出助手・制作:ニコール・シュッチャード
共同製作:クンステンフェスティバルデザール2010、ノーデルゾン・パフォーミングアーツ・フェスティバル、グランドシアター・グロニンゲン、ブルト・ウィーン
チケット:3,000円(一般) 2,500円(ユース・学生) 1,000円(高校生以下)
杉原邦生/KUNIO KUNIO09「エンジェルス・イン・アメリカ」
京都芸術センター 講堂(9月23日-25日)
【第1部 至福千年紀が近づく】12:00開演
【第2部 ペレストロイカ】17:00開演
上演時間:第1部 3時間50分、第2部 4時間30分
作:トニー・クシュナー
演出・美術:杉原邦生
翻訳:吉田美枝
出演:田中遊、澤村喜一郎(ニットキャップシアター)、坂原わかこ、田中佑弥(中野成樹+フランケンズ)、松田卓三(尼崎ロマンポルノ)、池浦さだ夢(男肉 du Soleil)、四宮章吾、森田真和(尼崎ロマンポルノ)
舞台監督:西田聖
照明:魚森理恵
音響:齋藤学
衣装:植田昇明
美術部:楠海緒 松本ゆい
票券:安部祥子
演出助手:三ツ井秋
制作:土屋和歌子
京都芸術センター制作支援事業
製作:KUNIO
共同製作:KYOTO EXPERIMENT(第2部)
助成:芸術文化振興基金(第1部)
主催:KUNIO(第1部)、KYOTO EXPERIMENT(第2部)
チケット:3,000円(一般) 2,500円(ユース・学生) 1,000円(高校生以下)
※16歳未満入場不可
「KUNIO「エンジェルス・イン・アメリカ」
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