◎応用可能なフォーマットとしてのゲーム
伊藤亜紗(ダンス批評)
ふだんダンスばかり見ているせいか、たまに音楽のライブにいくと楽器が武器(ウェポン)にみえる。なにしろステージ上の人間が体に尖ったものをくくりつけていたり、バリケードみたいにドラム缶状の物体に囲まれているのが新鮮だ。しかも、それらの物体は発砲する。弾丸ではないから安全なのではあるが、あちこちで人が人に向かって対人シューティングしてる。「音」という玉を、どんなリズムで、どんなタイミングで、どんな強さで、発砲するか。最適な解は刻一刻と変化し、すべては相手の出方次第だ。もちろん隙をついて攻撃もしかける。楽器という武器をかまえた演奏者が、「音楽」というシューティング・ゲームのプレイヤーにみえてくるのだ。
気配の演劇だなと思った。
宮沢賢治の作品を3つの団体がそれぞれの演出でリーディングするこの企画、その中で大岡淳演出による『セロ弾きのゴーシュ』を観た。リーディング公演。しかも超メジャーな作家の作品ということもあって、あまり楽しい公演ではないだろうと思っていたのだが(失礼)、観てみると予想に反し、面白い発見のある舞台だった。
この3月31日をもって、演出家・鈴木忠志が(財)静岡県舞台芸術センター(SPAC)芸術総監督を退任した。彼の監督時代の最後の演出作品となったのが、この『別冊 別役実 ―「AとBと一人の女」より』である。若干のテキレジと、演出上の工夫が施されているとはいえ、基本的には、戯曲『AとBと一人の女』をストレートに演出した作品である。
アイルランドの西北部の寂れた漁村を舞台とする牧歌的笑劇。『西の国のプレイボーイ』を見た印象を一言で表現すればこうなる。ダブリンでの初演時(1907年)にそのスキャンダラスな内容ゆえに暴動騒ぎになったことが不思議に思えるほど他愛ない話なのだ。観客の視覚に強く訴えるような斬新なスペクタクルもあるわけでもないし、意外性のある仕掛けが演出で用意されているわけでもない。しかしその古典的様相の穏やかさにも関わらず、この作品は私を大きな演劇的感興で満たすものだった。この芝居に私が感じた面白さと充実感は何に由来するのだろうか? 上演を企画した東京国際芸術祭(TIF)のウェブページ上の資料、芸術祭事務局から提供していただいた字幕原稿、および戯曲の原作および翻訳などを読んで上演舞台をじっくり反芻し、その魅力の源泉について考察してみたい。