ドルイド・シアター・カンパニー「西の国のプレイボーイ」(J.M.シング作)

◎分厚い下塗りの上に描かれる牧歌的笑劇
片山幹生(早稲田大学非常勤講師)

「西の国のプレイボーイ」公演チラシアイルランドの西北部の寂れた漁村を舞台とする牧歌的笑劇。『西の国のプレイボーイ』を見た印象を一言で表現すればこうなる。ダブリンでの初演時(1907年)にそのスキャンダラスな内容ゆえに暴動騒ぎになったことが不思議に思えるほど他愛ない話なのだ。観客の視覚に強く訴えるような斬新なスペクタクルもあるわけでもないし、意外性のある仕掛けが演出で用意されているわけでもない。しかしその古典的様相の穏やかさにも関わらず、この作品は私を大きな演劇的感興で満たすものだった。この芝居に私が感じた面白さと充実感は何に由来するのだろうか? 上演を企画した東京国際芸術祭(TIF)のウェブページ上の資料、芸術祭事務局から提供していただいた字幕原稿、および戯曲の原作および翻訳などを読んで上演舞台をじっくり反芻し、その魅力の源泉について考察してみたい。

作者のJ.M. シング(1871-1909)は、19世紀末から20世紀初頭にかけてのアイルランド文芸復興運動の代表的な作家の一人である。アイルランド文学史上の重要人物である彼の代表的作品の邦訳は戦前から存在する。しかし私はこの作家の名前を見聞きしたことがある程度であり、作品も未読、その上演を見るのも今回が初めてだった。
ドルイド・シアター・カンパニーは、アイルランド西部の大西洋に面した中心都市ゴールウェイを拠点に1975年から活動を続けている劇団である。
今回の上演は日本では滅多に上演されないシングの戯曲を、アイルランドの劇団が上演する貴重な機会である。『西の国のプレイボーイ』というポップなタイトルもこちらの好奇心を刺激する。《playboy》には「遊び人」「道楽者」といった意味のほかにアイルランド方言で「ペテン師、詐欺師、ほら吹き」と言った意味もあることに注意したい。「西の国」はアイルランド西部の大西洋に面した地域を指す。

現在の舞台公演ではむしろ珍しいくらい古典的なかたちの額縁舞台が客席前方に設置され、開演前には中央から分かれる黒い引き幕で舞台は覆われている。舞台脇に設置されているスピーカーからはアイルランド民謡が流れている。祭日に田舎町の広場の仮設舞台で上演される巡回劇団の公演のような雰囲気がどこか漂う。この「田舎ぶり」は劇団が意識的にとっている演出に違いない。

開演となり幕が両側に引かれると、居酒屋の薄暗い店内が現れる。天上からつるされたランプの光が、ところどころ漆喰のはがれた汚れた壁、壊れかけた家具調度、床を張っていないため土くれが堆積したむき出しの地面を、ぼんやりと映し出す。貧しい漁村の片隅にある、古ぼけた、みすぼらしい居酒屋の店内で物語は展開する。
薄暗く陰鬱な居酒屋の店内では、この店の一人娘のペギーンが商品の発注書を読み上げている。密造酒も扱っているらしいこの居酒屋は村人たちの社交の場となっている。

馴染みの人間ばかりが集まる居酒屋には、気安い雰囲気の中にもどこか殺伐とした日常の陰が感じられる。そんなところへ見知らぬ若者がやってくる。クリスティという名のその男は自分が犯罪人であることを告白する。しかし肝心の犯した罪の内容についてはもったいぶってなかなか明らかにしようとはしない。村人たちの好奇心がかき立てられる。果たして彼が犯した罪は、膨らんだ好奇心に十分応えうるだけのインパクトを持っていた。「父親殺し」。彼の答えに単調な田舎のくすんだ日々に飽き飽きしていた村人たちは歓喜した。この村の人間は鮮烈な刺激を待望していたのだ。村人たちはこの流れ者を英雄扱いし、歓迎する。本来はこの村の人間たちのように冴えない農民に過ぎないこの漂泊の青年は、魅力的な村娘であるペギーンが寄せる好意や村人たちの敬意に満ちた扱いに、次第に自分に対する自信を強めていく。

「西の国のプレイボーイ」公演
【写真は「西の国のプレイボーイ」公演から。撮影=Futoshi Sakauchi © 提供=東京国際芸術祭(TIF)】

彼はこの鄙びた西の国でプレイボーイとしてもてはやされるが、運命の悪戯はこの絶頂を長続きさせなかった。彼が鋤でたたき殺したはずの父親がこの村にやってきたのだった。父親は死んではいなかったのだ。父親により彼が実際には愚鈍で臆病な農民に過ぎないことが暴露されてしまう。村人たちは父親殺しのプレイボーイをその栄光の座から一気に引きずり下ろす。クリスティはもう一度父親を叩き殺して、栄光を取り戻そうとするが、夢から醒めた村人たちにとっては彼はもはや薄汚いよそ者に過ぎない。嘘つきの彼を縛りあげて警察に突き出そうとする。すると二度の打撃にも関わらず死んでいなかった頑強な彼の父親が戻ってくる。父親が息子の身柄を引き取ると、親子二人で村人たちをののしって酒場から出て行ってしまう。村には平穏が戻ってくる。そして退屈な日常も。プレイボーイの好意を寄せていた村娘ペギーンの悲痛な叫びで芝居は幕を閉じる。「ああ、彼はいなくなってしまった 西の国のプレイボーイはもういない」。

田舎の風俗に対する風刺的な視線が基調にある作品だが、その笑いの多くは定型的であり、単純で他愛のない筋立ては、喜劇よりもむしろ笑劇というジャンルを連想させる。登場人物の造形はどちらかといえば類型的で、粗野で素朴な農民というステレオタイプが強調されている。にも関わらず実際の舞台表現は、リアルな質感のある風俗描写の印象が強い。このリアリティは、この作品の素材がすべてシングのアイルランド西部地方の取材から抽出されたものであることに加え、ゴールウェイを拠点とするこの劇団の役者たちは、劇の舞台のすぐそばで生活しているがゆえに、類型の底にある現実を実体として捉え、再現することが可能であることによってもたらされたのだろう。

シングの紀行文『アラン島』の中には、この劇の骨格をなす父親殺しの若者の話が報告されている。南部の町から鋤で父を打ち殺した男が親戚をたよって島に逃げてきた。男の通報に報酬が出され、巡査がやってきたが、島の人間は男の居所を教えたりはせず、男をかくまった。数週間後、その男は、アメリカ行きの船に乗って逃亡した。罪人を保護する気風は当時の西部地方では一般的だったようだ。これは決して犯罪はしないが犯罪の可能性を常に持っている此の島の人たちの原始的な感情によるものだとシングは解説する。

「西の国のプレイボーイ」公演
【写真は「西の国のプレイボーイ」公演から。撮影=Futoshi Sakauchi © 提供=東京国際芸術祭(TIF)】

シングが島の老人から聞き取ったこの話はそのまま作品の中で生かされている。「父親殺し」という大罪が、村の活力・希望となるという逆説の背景には、西部地方の農村の貧困と厳しい現実を思い描く必要があるだろう。そして村人から祭り上げられるクリスティもやはり同じような厳しい風土を生きる農民である。彼の話はだんだんエスカレートしていくが、それは彼自身だけでなく村人たちもまた共同して作り上げた非現実的な夢物語なのだ。ファルス的な喜劇性の基底にあるアイルランド西部の現実の深刻さは、舞台美術や役者の細い表情の動き、そして断片的な台詞によって示唆されていて、これらが作品に微妙な陰影を与えていた。

シングの村人たちへの視線はシニカルであり、そこにはアイルランドのアイデンティティを批判的に眺める姿勢を読み取ることができる。こうした露悪性が初演当時の民族意識に燃えたアイルランド人観客の逆鱗に触れ、暴動騒ぎを引き起こしたのだが、『西の国』がアイルランド西部の田舎ぶりを都会的視点から単に嘲笑し、断罪しているだけの作品でないことは明らかだ。シングの屈折した表現の裏側にはゲール文化への深い共感と愛情が見いだされることは言うまでもない。『西の国』は田園牧歌劇でもある。しかしこの牧歌劇的場面においてもシングは肯定的側面を否定的側面に対照させることで描く。村人たちの異邦人歓待の様子や運動会という行事の場面で牧歌的な明朗さが表現される一方、未亡人の子・夫殺しの告白やクリスティの父親が醜く生々しい頭の傷口を自慢気に見せびらかすといった無邪気なグロテスクは、田舎のアンチ・ユートピア的側面を強調している。ドイルド・シアター・カンパニーは、現実の西部地方の取材から引き出されたこうしたアイルランド西部の風俗を、写実的な雰囲気を濃厚に残したまま、ある種の文学的・演劇的定型に沿った洗練された表現に加工した上で、劇中で提示していく。

田園牧歌的枠組みの他にも、いくつかの定型的モチーフがこの作品には取り入れられている。父親殺しの話がどんどん大げさになっていき、聞き手のみならず話者自身も虚構にとりこまれていく様子は古典劇にしばしば登場する「ほらふき兵士」という定型を想起させる。話の虚構的誇張はついには話者の現実を動かしてしまう。クリスティは滑らかな弁舌で美しい村娘と村人たちを魅了しただけでなく、競技会ですべての賞を総なめにすることでさらに英雄として祭り上げられるのである。民衆の気まぐれによって栄光の絶頂にあった人物が、ちょっとしたきっかけでその座から一瞬のうちに引きずり下ろされるという展開は、文学作品の中のみならず、現在の日本のマスコミでも頻繁に見られる普遍的な現象である。民衆の英雄に対する両面感情の残酷さがこの作品では典型的な形で示されている。

物語展開の場として居酒屋が選ばれていることも個人的に興味を引かれた。居酒屋は私の研究対象である十三世紀フランスの世俗劇の世界で特に好まれた場所だったからである。共同体の人間にとっての社交の場であり、外界からの訪問者を受け入れる場でもある居酒屋は勝れて演劇的な場である。もちろん何百年の時間、そして何千キロの距離を超えて、十三世紀フランス世俗劇の居酒屋と『西の国』の居酒屋が直接的な繋がりを持つとは考えているわけではない。しかしドルイド・シアター・カンパニーが再現した居酒屋の雰囲気、そこでの田舎人のやりとりの素朴さには、私がもっぱらテキストの形で接している中世劇の世界との近親性を感じ、デジャヴュに似た感覚を襲われたのだ。『西の国』の居酒屋の洗練とはほど遠い様子には、時代から孤立した村落の中世的な痕跡がはっきりと残っているように思えた。

閉鎖的共同体の中に異邦人が迷い込むというモチーフもよく見られるものである。異質の存在の侵入によって共同体が抱えている問題の本質があらわになる。時に異界からの訪問者は幸福をもたらすものとして歓迎されることもある。「父親殺し」の若者は、その行為の非日常性ゆえに、英雄となり、村に夢と活力を与えた。居酒屋の一人娘のペギーンにとっては「白馬の王子さま」となった。しかし英雄のメッキがはがれ、彼もまた自らと同じ現実を生きるみすぼらしい農民に過ぎないとわかったとき、村の高揚は一気に冷め、単調で退屈な現実へと速やかに回帰して行く。ペギーンの最後の台詞は、彼女ののみならず、共同体の落胆を代弁したものだ。そこにはつかの間の夢を喪失した虚しさに対する自嘲の笑いと悲痛な叫びが込められている。

『西の国』の中では、ヨーロッパ文学に普遍的に見られる文学的素材が、アイルランドの風土の中で発酵し、独自の風味を醸し出している。西アイルランドの田舎で見いだしたこうした素材を、シングは洗練された修辞的技術によって、劇文学として再生したのだ。

シングの演劇言語はゲール語訛りの民衆的英語を効果的に用いた詩的な言語だそうだが、字幕では敢て「疑似方言」を使った田舎っぽさを強調した訳を排し、軽快なリズムの口語的表現を効果的に用いた訳となっていた。原作の短い台詞のやりとりを生かしたなめらかな翻訳は、作品の「笑い」の面でも大きな貢献をしていたように思う。

『西の国』の表層は、田園牧歌を背景とする一編の他愛のない、定型的な笑劇にすぎない。しかしその簡素な演劇的絵画は、何層にも塗り重なれた分厚い下塗りの上に描かれているのである。その表面上の無邪気さと素朴さを支えるシングの文学とアイルランド文化の豊饒さをドルイド・シアター・カンパニーの公演では感じることができた。

ドルイド・シアター・カンパニーはマーティン・マクドナーの作品の上演も手がけているという。シングよりはるかに強烈な毒でアイルランドを諷刺するマーティン・マクドナーの芝居をこの団体が上演するとなれば、アイルランドの田舎の泥臭さが濃厚に立ち上る刺激的な舞台となったに違いない。この卓越した民俗性と洗煉された表現技術を持つこの劇団の公演を日本で再び目にする機会があることを強く望む。
(初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第37号、2007年4月11日発行。購読は登録ページから)

【上演記録】
ドルイド・シアター・カンパニー Druid Theatre Company「西の国のプレイボーイ 」The Playboy of the Western World (1907)
新宿 パークタワーホール(2007年3月22日-2007年3月24日)
http://tif.anj.or.jp/program/druid.html
http://www.druidtheatre.com/
http://www.druidtheatre.com/press.php?id=88

作:ジョン・ミリトン・シング John Millington Synge
演出:ギャリー・ハインズ Garry Hynes
美術:フランシス・オコナー Francis O’Connor
照明:ディヴィー・カニングハム Davy Cunningham
ムーブメント:ディビッド・ボルジャー David Bolger
衣裳:キャシー・ストラカン Kathy Strachan
音響:ジョン・レナード John Leonard
作曲:サム・ジャクソン Sam Jackson
舞台監督:小林裕二
字幕翻訳:目黒条
出演:Aaron Monaghan, Eamon Morrissey, Cathy Belton, Derry Power, Marie Mullen
上演時間:2時間15分(休憩15分含む)
料金:一般4000円、学生2000円 全席自由

【筆者紹介】
片山幹生(かたやま・みきお)
1967年生まれ。兵庫県出身。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。研究分野は中世フランスの演劇および叙情詩。現在、早稲田大学ほかで非常勤講師。ブログ「楽観的に絶望する」で演劇・映画等のレビューを公開している。

【関連情報】
・東京国際演劇祭(TIF)http://tif.anj.or.jp
・The Druid Theatre Company: http://www.druidtheatre.com/
・[原作]J. M. Synge / Ann Saddlemyer, ed., The Playboy of the Western World and other plays, Oxford, Clarendon Press, 1995, p. 95-146.(amazon.co.jp
・[翻訳]大場健治訳「西の国の伊達男」、ジョン・M・シング/木下順二他訳、『海に騎りゆく者たちほか』、シング選集[戯曲編]、東京、恒文社、2002年、138-222頁。


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