PLAYMATE 「SWAP 2004」

 「休むに似たり。」サイトがPLAYMATE 「SWAP 2004」公演(10月5日-17日、新宿THEATER/TOPS)を取り上げ、珍しく長文を掲載しています。今回はメンバーの「近江谷と川上が出会うきっかけになった作 … “PLAYMATE 「SWAP 2004」” の続きを読む

 「休むに似たり。」サイトがPLAYMATE 「SWAP 2004」公演(10月5日-17日、新宿THEATER/TOPS)を取り上げ、珍しく長文を掲載しています。今回はメンバーの「近江谷と川上が出会うきっかけになった作品でもある『SWAP』(96年初演、97年再演)を完全リメイク」(PLAYMATEサイト)したバージョン。長くなったのは「『休むに似たり』(自転車キンクリート)をみるまで、あたしの中の芝居のベストはこれだった」というせいでしょうか。
 「濃密だが、どこかあか抜けなかった印象の会話劇だった初演に比べると、役者も演出もよりスタイリッシュで見やすくなっているしパワーも感じるのだけど、さらりとしすぎている感も。もしかしたら変わったのは、見ているこちら側や社会かもしれませんが。オススメ」とまとめています。

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銀幕遊學◎レプリカント、Riverbed theater

 アリスフェスティバル2004で、「Hedless」を共通タイトルにした2劇団の連続公演が10月9-10日の2日間、新宿タイニイアリスで開かれました。米国シカゴで創立されたRiverbed Theater(河床劇団)と、 … “銀幕遊學◎レプリカント、Riverbed theater” の続きを読む

 アリスフェスティバル2004で、「Hedless」を共通タイトルにした2劇団の連続公演が10月9-10日の2日間、新宿タイニイアリスで開かれました。米国シカゴで創立されたRiverbed Theater(河床劇団)と、大阪の「銀幕遊學◎レプリカント」です。「銀幕」は1988年に結成。「楽曲を視覚化するための演劇的コラボレーション集団」(Webサイト)で、音楽、ダンス、ことば、衣装(ファッション)などが一体となったパフォーマンスを長年手掛けてきました。
 このwonderlandサイトでも先にレビューを掲載しましたが、「うたうた」も目を付けています。特に「銀幕」のステージについて「人形のような動き。繰り返される動作。動かされずにいられない動き。流されずにいられない流れ。開けては閉ざされるドアから解放されず。人形に操られ、束縛されるモノたち。そんな閉塞的な状況もやがて変化していく」と印象的なフレーズで描写しています。

松平健 錦秋公演

※以下の文章は、公演内容にすごく言及しています。  新鮮な気持ちで公演をご覧になりたい方、これから劇場に行かれる方はご注意くださいますよう、お願い申し上げます。河内山より  新宿コマ劇場にはやはり、顔の大きな座長がふさわ … “松平健 錦秋公演” の続きを読む

※以下の文章は、公演内容にすごく言及しています。
 新鮮な気持ちで公演をご覧になりたい方、これから劇場に行かれる方はご注意くださいますよう、お願い申し上げます。河内山より

 新宿コマ劇場にはやはり、顔の大きな座長がふさわしい。
 三重の回り盆を従え丸く張り出したコマの舞台にあうのは、幅の広い顔だ。特に舞台前方で正面を向いて立った時、ワイドTV的(横に引き伸ばしたよう)に広がる舞台空間に負けない顔幅は、座長を座長たらしめる重要なファクターだといえよう。
 逆に顔が小さいと、コマ興行である必然性が希薄になってくる。そのことを確信したのが、昨年の氷川きよし座長公演であった。何かしっくりこないと思っていたら、顔が小さいのだ。もっとも客席へ視線を送る時、高齢の観客を確実に捉えゆっくりと微笑みを与える氷川の正確なアクト、また司会者を置き、氷川への賛辞とMCの段取りは任せる演出など、観るべきものはたくさんあった。

 さてブームになって久しい「マツケン」。梅田コマ劇場と博多座に続く今回の新宿コマ興行は、一部を芝居、二部を歌謡ショウに分けた近年の彼のスタイルは取られず、『暴れん坊将軍スペシャル 唄って踊って八百八町~フィナーレ・マツケンサンバ』という一つの作品を上演するかたちで行われた。

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維新派 「キートン」

 「n.p.d. blog」が維新派 「キートン」公演(10月8日-25日、大阪・ふれあい港館臨時第三駐車場野外特設劇場)を取り上げています。モノクロで統一した風景、走りに走る演技は「キートンと維新派の共通点」としたうえ … “維新派 「キートン」” の続きを読む

 「n.p.d. blog」が維新派 「キートン」公演(10月8日-25日、大阪・ふれあい港館臨時第三駐車場野外特設劇場)を取り上げています。モノクロで統一した風景、走りに走る演技は「キートンと維新派の共通点」としたうえで、「高さのある橋の上で、本物の夜空をバックに汽車に追いかけられるシーンには鳥肌がたった。話の筋も前回よりかは見えやすい。…海外に招聘されても、喝采を受けること間違いなしな傑作だった」と締めています。屋台村の写真も雰囲気が出ています。

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演劇集団円 『トラップ・ストリート』

 別役実は難しい。何がといって、戯曲の魅力に拮抗する舞台に出会うことが難しいのだ。職業的劇作家としての地位を確立し、多くの集団に作品を提供している別役だが、上演が戯曲を読んだときのおもしろさを超えることは滅多にない。「作 … “演劇集団円 『トラップ・ストリート』” の続きを読む

 別役実は難しい。何がといって、戯曲の魅力に拮抗する舞台に出会うことが難しいのだ。職業的劇作家としての地位を確立し、多くの集団に作品を提供している別役だが、上演が戯曲を読んだときのおもしろさを超えることは滅多にない。「作:別役実」という文字をチラシの上に見つけたわたしたちは、そっとほくそ笑みながら、誰にも気づかれぬように肩をすくめざるを得ない。ひとつの理由として、俳優の不在がある。別役文法は俳優を選ぶ。それも技術などではなく彼(彼女)の生理をだ。「その人である」ことが、必要絶対条件であるにもかかわらず、「その人」は決して多くないという悲しさ。

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新国立劇場 THE LOFT Ⅰ 『胎内』(演出:栗山民也)

 新国立劇場〈演劇〉芸術監督である栗山民也からの「THE LOFT」という提案は、小劇場「THE PIT」をさらに縮小し、客席に挟まれる形で劇場中央に設置された小空間の創造。三好十郎『胎内』を皮切りに、『ヒトノカケラ』『 … “新国立劇場 THE LOFT Ⅰ 『胎内』(演出:栗山民也)” の続きを読む

 新国立劇場〈演劇〉芸術監督である栗山民也からの「THE LOFT」という提案は、小劇場「THE PIT」をさらに縮小し、客席に挟まれる形で劇場中央に設置された小空間の創造。三好十郎『胎内』を皮切りに、『ヒトノカケラ』『二人の女兵士の物語』と、このところの栗山の仕事の根幹ともいえる「時代と記憶」という鍵言葉に沿った作品が上演される。御上のお膝元で行政と個人の演劇的欲求を統括してみせる、意欲的な活動の一環でもある。

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THE DEAF WEST THEATRE PRODUCTION OF『BIG RIVER THE ADVENTURES OF Huckleberry Finn』

 ◎ミュージカル『ビッグ・リバー』 アメリカの劇団、デフ・ウエスト・シアターに見た「違い」の意識   観に行こうと決めた最大の理由は、健常者と聾唖者が一緒に演じるこのミュージカルについて、手話が「いわばダンスの振付になっ … “THE DEAF WEST THEATRE PRODUCTION OF『BIG RIVER THE ADVENTURES OF Huckleberry Finn』” の続きを読む

 ◎ミュージカル『ビッグ・リバー』 アメリカの劇団、デフ・ウエスト・シアターに見た「違い」の意識 

 観に行こうと決めた最大の理由は、健常者と聾唖者が一緒に演じるこのミュージカルについて、手話が「いわばダンスの振付になっている」と紹介している文を読んだことだ。この文だけでなく、新聞のインタビューでも似た記事があったのを覚えている。手元に原文がないので記憶で書くと、「手話をダンスにしたのですか?」という趣旨の質問をされた公演のスタッフが、そんなつもりはないのだがと困惑していた。感動!!絶賛!!の声に包まれながら主催者が微妙に困っている様子を想像すると、それ自体演劇みたいだ。

 たしかに「手話がダンスの振付になっている」は、舞台をイメージしやすそうな例えなのだが、手話とダンスどちらから考えても、その言い方は雑ではないかと思う。まずアメリカ式手話(=American sign language)は、れっきとした言語(=language)の一つだ。「手をこういうかたちにしてこう動かしたら、こんな意味になる」というように、身体の動きは最初から具体的な、決まった意味を持っているはずである。さらにそのかたちは機械的につくられ組み立てられるのではなく、感情が伴う。
 一方、ダンスは基本的に「言語を使わないという制約」(DANCE CUBE)がある。踊る身体の動きはsignとは異なり、決まった意味を必ずしも持たない。それにダンスはとても幅が広いので、現代の観客は「ダンスだけを抽出し、感情を分離させた振付」(前出リンク先より)を観て、それぞれの感受性で自由に作品を理解するという体験もできる。例外といえそうなのは、バレエで用いられるマイムだ。自分の意志や状況を説明するマイムと、手話のかたちが似る場合はあるかもしれない。が、バレエはマイムのみでは成り立たないし、いわゆる「物語バレエ」と呼ばれる作品の中にも、物語の説明に従事することから身体が解き放たれる瞬間はたくさんある。
 このようにダンスは、言語で表現できない・言語から解放された領域に深く関わる。しかし手話は言語だ。ダンスと手話には根本的な違いがある。それを無視できてしまえるのは、もしかしていっしょくたに「どちらも身体の動き」と捉えているからではないだろうか。紹介文の説明に疑問を呈するだけでは仕方がないので、道徳教育的な狙いが強い公演だろうかと若干かまえるところもあったが、とにかく観に行った。

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Shang Yu 「萩家の三姉妹」

 女性だけの劇団・未来樹シアターが解散し、主だったメンバーがshang yu(シャンウィ)として再結集した第1回公演「萩家の三姉妹」(9月4-5日)が、エル・パーク仙台スタジオホールで開かれました。作:永井愛、演出:いと … “Shang Yu 「萩家の三姉妹」” の続きを読む

 女性だけの劇団・未来樹シアターが解散し、主だったメンバーがshang yu(シャンウィ)として再結集した第1回公演「萩家の三姉妹」(9月4-5日)が、エル・パーク仙台スタジオホールで開かれました。作:永井愛、演出:いとうみや。このステージのレビューを、佐々木久善さんが「a n o d e」サイトに書いています。「ある地方都市の旧家・萩家を舞台に鷹子、仲子、若子の三姉妹と、彼女たちを取り巻く人々とをめぐる物語が季節の変化とともに描かれるのがこの芝居」で、「今回の上演は見事な出来映え」でしたが、「演出やその他のスタッフがすべて外部の人間」という「課題」が残ったと述べています。

ポツドール「ANIMAL」

 東京・三鷹芸術文化センターで開かれたポツドール「ANIMAL」公演(10月8-11日)を、「白鳥のめがね」サイトが取り上げています。いつものように舞台の進行を丁寧に腑分けして、「仕草の連鎖によってゆるく描かれている」構 … “ポツドール「ANIMAL」” の続きを読む

 東京・三鷹芸術文化センターで開かれたポツドール「ANIMAL」公演(10月8-11日)を、「白鳥のめがね」サイトが取り上げています。いつものように舞台の進行を丁寧に腑分けして、「仕草の連鎖によってゆるく描かれている」構造や、「人物の関係性や、そこで起きた事件の背景は、想像を働かせればきちんと解釈できるように、周到に説明的な要素がちりばめられている」事実を指摘します。その上で「今時の若者風のリアリティーが確かにある水準で舞台に実現されてはいた。しかし、このリアリティーは、集団性の上に初めて成り立つものなのだろう、と思った」「集団性によって、擬似的に、ドキュメンタリー的なリアリズムを実現しているということではないか」と述べ、「結局、舞台へと逃げ込むことでリアリティを保障されているドキュメンタリー風劇映画、というのが、この作品の正当な評価なのではないか、と思われる」と結論づけています。

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G2プロデュース「痛くなるまで目に入れろ」

 G2プロデュース第8回公演「痛くなるまで目に入れろ」は、9月が東京、新潟、大阪、広島と回り、福岡が最終公演(10月1-3日)でした。「G2プロデュース」は、演劇プロデューサー・G2が主宰する演劇制作ユニットです。199 … “G2プロデュース「痛くなるまで目に入れろ」” の続きを読む

 G2プロデュース第8回公演「痛くなるまで目に入れろ」は、9月が東京、新潟、大阪、広島と回り、福岡が最終公演(10月1-3日)でした。「G2プロデュース」は、演劇プロデューサー・G2が主宰する演劇制作ユニットです。1995年、生瀬勝久、升毅ら関西系の小劇場の人気俳優を集めた「12人のおかしな大阪人」で活動開始。「エンターテインメント作品を、商業主義に走らない丁寧な作りで発表することをモットー」にしてきたそうです。
 「福岡演劇の今」はこのステージについて「基本的にはシリアスなのにエンターテインメントでもあるというこの舞台。なぜエンターテインメントなのだろうか。それは、観客にウケるために「ウケる技術」を多用しているからではないだろうか」と書いています。詳しくは「『ウケる技術』の、オンパレード」と題した全文を読んでほしいのですが、このステージに関する文章で、舞台の様子がもっともリアルに伝わり、評価に説得力を感じました。