東京・三鷹芸術文化センターで開かれたポツドール「ANIMAL」公演(10月8-11日)を、「白鳥のめがね」サイトが取り上げています。いつものように舞台の進行を丁寧に腑分けして、「仕草の連鎖によってゆるく描かれている」構造や、「人物の関係性や、そこで起きた事件の背景は、想像を働かせればきちんと解釈できるように、周到に説明的な要素がちりばめられている」事実を指摘します。その上で「今時の若者風のリアリティーが確かにある水準で舞台に実現されてはいた。しかし、このリアリティーは、集団性の上に初めて成り立つものなのだろう、と思った」「集団性によって、擬似的に、ドキュメンタリー的なリアリズムを実現しているということではないか」と述べ、「結局、舞台へと逃げ込むことでリアリティを保障されているドキュメンタリー風劇映画、というのが、この作品の正当な評価なのではないか、と思われる」と結論づけています。
ポツドールのステージはこれまで見ていないし、今回も見られませんでした。そのため「白鳥のめがね」の評価が妥当かどうか分かりません。ただ、チェルフィッチュとの対比で、ポツドールの舞台に触れている点がとても興味を引きました。「いま」の風景がどう見えているかによって、歩き方も方向も随分違うような気がします。
ポツドールのWebサイトによると、東京公演の後、10月15日(金)-17日(日)に大阪公演(in→dependent theatre 2nd)が予定されています。
追記(10/12)
このほかいくつかのサイトが東京公演に関して言及しています。「佐藤治彦公式ホームページ『H』アッシュ」の10月8日に公演を見た後の感想がかなり長く書かれています。「台詞があろうがなかろうが、ドラマがあってもなくても、ストーリーがなくてもいいのですが、そこに観客の心に伝わる何かがあるかを期待するだけでなんです。ところが、それがない。それが問題なんです」という個所がポイントでしょうか。(いきなり.cgiページで戸惑い、さらに行間なしの読みにくいレイアウトで参りました)
「こんなものを買った。-ムダ遣い日記-」は「チーマー系の若者たちが群れるなか、ヒップホップが大音量で流れる。普通に自然な会話がなされているのだろうが、観客にはほぼ一切聞こえない。ダイアローグは全く聞き取れないまま、演劇は幕引きとなる。客電がつくが音楽は鳴り響き、客席は若干戸惑いながら、時計を見て終演と認識し席を立つ。なるほど。見る者が注目する物を決めないといけない芝居というのは、面白い手だ」と書いています。
「雑記」サイトは「自分の中で何かが確実に変わった作品」の一つに挙げています。
ポツドール vol.12「ANIMAL」@三鷹市芸術文化センター 星のホール
芝居はどうしてもドキュメンタリーが出来ない。それを逆手にとって演出してきたのがポツドールの路線なのだと思う。 WEBサイトには 今回は「風景」で見せるということに挑戦しています。 と言っても、こ難しいことは一切やっておりません。 ポツドールの今までのど…
ANIMAL、レビューリンク(10月11日現在)
■vol.12『ANIMAL』について書かれているレビューです。
@白鳥のめがね
@Wonderland
@こんなものを買った。
@えんげきのぺーじ一行レビュー
@鳥篭日記
@雑記