極東退屈道場「サブウェイ」(クロスレビュー挑戦編第12回)


真夏の極東フェスティバル公演チラシ
 極東退屈道場は2007年7月にスタートした演劇ユニット(主宰・林慎一郎)です。「サブウェイ」の初演は2010年11月。今回の再演は「真夏の極東フェスティバル」と銘打って、真夏の會「エダニク」と2本立ての交互上演でした。地元大阪だけでなく、8月25日から王子小劇場でも東京公演を開きます。同劇場代表/芸術監督の玉山悟さんの誘いで実現したそうです。クロスレビュー挑戦編に関西公演が登場したのは初めて。東京公演を見る予定の方、このレビューを読んで見るかどうか決めたいという方はご注意ください。舞台内容への言及があるかもしれません。知りたくなければ、万一を考えて、ここでストップ! レビューを読んでから舞台を見るか、見てから読むか、思案のしどころです。なにを読んでも大丈夫という方だけ、禁断の木の実(?)を食べてください。掲載は到着順。では、どうぞ-。(ワンダーランド編集部)
(真夏の極東フェスティバル公演チラシ=右)

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サンプル「ゲヘナにて」

◎哄笑のディストピア
 芦沢みどり

「ゲヘナにて」公演チラシ
「ゲヘナにて」公演チラシ

 会場に入って舞台を真正面から見た時、その存在感にまず圧倒された。住宅の屋根ほどの傾斜がついた八百屋舞台は、プロセニアムの中に造り込まれた八百屋ではなく、一個の構築物としてホールのスペースにどんと置かれている。したがってそこには袖もないし幕もない。その斜面の上に、布団、椅子、扇風機その他、細々とした家財道具が、どれも学生四畳半下宿ふうの安っぽさで散乱している。この舞台面を、下手客席側に設置された二段構えの照明の列がかっと照らし出しているので、席に就いた観客はいやでも舞台をまじまじと見ることになる。<こんな急斜面で芝居ができるのかしら。それにしても汚いなあ>と思って見ているうちに、そこには生活用具だけでなく土管ふうの物体や天窓のような開口部があることに気がついた。―この光景をどこかで見たような、という思いがふつふつと湧いて来る。そうだ! 3.11の大津波で流されてゆく家々の屋根と、津波が引いた後の瓦礫の中に残された靴の片方、おもちゃ、電気炊飯器などなど・・・あれそっくりじゃない? あの日以来繰り返し映像で見せられた光景なのにすぐに気づかなかったのは、たぶん、屋根は屋根、瓦礫は瓦礫として別々に見ていたからに違いない。もちろんこの装置と「あの日」を結びつけるのは早急すぎる。創り手はそんなことは考えていないのかもしれないから。でも、いったん抱いてしまった印象は、錯覚であれ妄想であれなかなか消えるものではない。そんなわけで筆者は「あの日」を引きずりつつ『ゲヘナにて』の舞台を見ることになった。
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MU「5分だけあげる」

◎素カレーは偉大
 小畑明日香

「5分だけあげる」公演公演チラシ
「5分だけあげる」公演チラシ

 『5分だけあげる』・上演時間55分、平台で舞台、一回り小さい平台を上に重ねて上演スペース、主に教室と、そこへ向かう廊下で起こる、学級崩壊した小学校(パンフレットに寄れば「ぶっ壊れた6年2組」)での物語。
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SPAC「天守物語」「野田版 真夏の夜の夢」

◎演劇は祝祭である-宮城聰小論
 中西理

ふじのくに⇔せかい演劇祭 1995年の阪神大震災とオウム事件以来の日本の現代演劇の流れを形成してきたのは平田オリザの現代口語演劇を中心とした「関係性の演劇」(*1) であった。この流れは2000年代に入り、代表的な作家としてポツドールの三浦大輔や五反田団の前田司郎らを生み、チェルフィッチュの岡田利規の超現代口語演劇へと受け継がれた。90年代半ば以降の日本の演劇を振り返るとそんな系譜が見えてくる。そのことはこれまでもいろんなところに折に触れ書いてきたが、実は90年代には「関係性の演劇」と並んで身体表現を重視するもうひとつ重要な現代演劇の潮流があった。それは「身体性の演劇」で代表的な作家がク・ナウカの宮城聰だった。

 「演劇は祝祭でなくてはならない」。都市生活を営む私たちに必要なのは祭りではなく、この世界がいかにあるのかを静かに見つめなおすような時間・空間であると「都市に祝祭はいらない」という著書で持論を展開した平田に対し、宮城は対照的な演劇=祝祭論を提唱(*2)。感情的な反発ではなく理論的な視座において平田の演劇を批判できる数少ない論客でもあった。
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イキウメ「散歩する侵略者」

◎センス・オブ・ワンダーの彼方に待ちうけるものの正体
 三橋曉

「散歩する侵略者」公演チラシ
「散歩する侵略者」公演チラシ

 見逃したことで悔やんでも悔やみきれない過去公演のワーストワンは何か、を考えてみるとしよう。わたしの場合、その最右翼にくるのは、もしかしてイキウメの『散歩する侵略者』初演(@新宿御苑サンモールスタジオ)かもしれない。
 2005年10月、その評判に気づいたときすでに遅く(確か楽日だった)、不覚にもその公演を目撃することはかなわなかった。しかし捨てる神あれば拾う神あり。その翌年2006年6月、演劇プロデュースのカンパニーG-upが、THE SHAMPOO HATの赤堀雅秋の演出でこの作品を上演してくれたおかげで(@新宿スペース107)、初演からわずか半年で、遅れて観ることができた。
 その後、本家イキウメによる再演(2007年9月@青山円形劇場)、さらに同再々演(2011年5月@三軒茶屋シアタートラム)と、上演されるたび足を運んでいるのだが、それでも初演を逃したことが、今も悔やまれてならない。『散歩する侵略者』という作品の、どこがそんなに気になるというのか?
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オクムラ宅「かもめ 四幕の喜劇」

◎二年間の休憩-いつか「かもめ」が飛ぶ日のために-
 宮本起代子

「かもめ 四幕の喜劇」公演から
「かもめ 四幕の喜劇」公演から

 「オクムラ宅」は俳優・演出家の奥村拓が主宰する演劇ユニットである。
 二〇一〇年年四月、『紙風船・芋虫・かみふうせん』で旗上げした。
 岸田國士の『紙風船』をまずは原作通りにきっちりと作ったものをみせ、江戸川乱歩の『芋 虫』をベースにしたオリジナル作品をはさんで、最後にオクムラ版『かみふうせん』を披露した。きちんと和服を着て端正に『紙風船』を演じた夫婦(横手慎太郎/発汗トリコロール、名嘉友美/シンクロ少女)は、『かみふうせん』では着くたびれたスウェット姿になり、場所は現代の都会、マンションの一室らしい。何らかの事情で引きこもり状態になった夫婦が現実と妄想のあいだを行き来しながら、妻は圧倒的な暴力で君臨し、夫は卑屈に耐えながら遂には妻を殺害してしまう。台詞はまったく変えていないのに、状況設定と俳優の造形によって劇世界がこうも変容するとは。予想外の演出に驚嘆しながらも「これはどうしたものか」という困惑があり、何に対してかはわからないが罪悪感のようなものも入りまじって、複雑で刺激的な夜になった。
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福岡と北九州の演劇・ダンススポットを訪ねて

◎福岡と北九州の演劇・ダンススポットを訪ねて
 大泉尚子

 6月末に、九州にある公共ホールで働いていらした栗原弓枝さんのご案内により、福岡と北九州で演劇やダンスにかかわっておられる方々を訪ねた。お会いしたのは、NPO法人「FPAP(エフパップ)」の高崎大志さん、「枝光本町商店街アイアンシアター」の市原幹也さん、「劇団こふく劇場」の永山智行さん、「北九州芸術劇場」の泊篤志さん、NPO法人「Co.D.Ex(コデックス)」のスウェイン佳子さんなど。2日間という短い日数ではあったが、地域の舞台創造を支える活動の一端にふれることができた。
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【レクチャー三昧】2011年8月

 7月は個人的な事情で休載してしまい申し訳ございませんでした。
 今年、大学の夏休みは、東日本大震災の影響により変則的なところがあるのですが、毎年秋期はどこもレクチャー花盛りになります。見つけ次第【レクチャー三昧】カレンダー版に入力していきますのでお楽しみに。土曜の午後は空けておかれることをお勧め致します。
(高橋楓)
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平山素子ソロプロジェクト「After the lunar eclipse/月食のあと」

◎自然と科学に向き合う生命体
 柾木博行

「After the lunar eclipse/月食のあと 」公演チラシ
「After the lunar eclipse/月食のあと」」公演チラシ

 あれはいつのことだったのか。もう二十年くらい前、たぶん日光あたりへ旅行に行ったとき、ちょっとした林の周りを散策していた。木々の根元はしっとりと水を含んだ苔が覆っている。そんなところを歩いていうちにふと、寝そべってしまいたい気になった。生い茂った緑の影に身を横たえて自然と一体になれるような感覚。ああ、いつか自分もこうした木々と一緒に朽ちて、大地に溶け出して拡散し、周りの植物や虫や鳥に取り込まれていくのだと。そんなことを思っていると、ふと意識までもが自分の体を抜け出して、美しい林の中へと拡散していくような気がした。平山素子のソロ公演『After the lunar eclipse/月食のあと』(以下、『月食のあと』と表記)を観た後に、そんなことを思い出したのは、まさに同じようなイメージの場面が出てきたからだけではない。それは侵食し合いながらも共生していかなければならない自然と人間の関係を、我われが3月11日以降、常に考えさせられているからだ。
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サンプル「ゲヘナにて」

◎進化する勇者たちの、革新に挑み続ける作法
 門田美和

「ゲヘナにて」公演チラシ
「ゲヘナにて」公演チラシ

 渦中にいると、変化の過程がよく見えないものですね。
 私は舞台芸術作品の字幕を作る翻訳者で、時々オペもします。ご存知とは思いますが「オペ」というのは字幕の操作 (オペレーション) のことで、舞台上の演者に合わせて、あらかじめ用意された字幕を表示させる作業のことです。今回、サンプルの『ゲヘナにて』という作品で、私は字幕翻訳とオペの両方を担当させていただきました。以下はその製作過程において、私がそれまで保持してきたポリシー的、信条的な概念を、演出家の松井周氏に、スタッフに、サンプルの皆さんに、がっくんと根底から覆された記録です。
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