◎福岡と北九州の演劇・ダンススポットを訪ねて
大泉尚子
6月末に、九州にある公共ホールで働いていらした栗原弓枝さんのご案内により、福岡と北九州で演劇やダンスにかかわっておられる方々を訪ねた。お会いしたのは、NPO法人「FPAP(エフパップ)」の高崎大志さん、「枝光本町商店街アイアンシアター」の市原幹也さん、「劇団こふく劇場」の永山智行さん、「北九州芸術劇場」の泊篤志さん、NPO法人「Co.D.Ex(コデックス)」のスウェイン佳子さんなど。2日間という短い日数ではあったが、地域の舞台創造を支える活動の一端にふれることができた。
地域で表現者を育てるために
梅雨の晴れ間の福岡空港に降り立った後、旅の口切りに足を向けたのは、博多と中洲の間にある「ぽんプラザホール」。ここに、事務局を置くNPO法人FPAPの高崎大志さんに会うためだ。ホテル・アミューズメントビル・ショッピングセンターなどを擁する複合商業施設キャナルシティ博多にもほど近く、それがアクセスの目印にもなっている。で、そのホールに向かった…はずなのに、自動ドアにはなぜだか大きな「げすいかん(=下水館)」の文字が(!?)。というのも、この小ホール(席数108)は、下水道のしくみや役割を紹介して、福岡市の下水道局のPR活動を行うげすいかんの上階にあるから。FPAPは、ぽんプラザの指定管理者。FPAPの職員は、無給の事務局長の高崎さん以外に、有給の常勤4名、非常勤5名だという。
FPAPは、福岡の演劇の振興のために、2003年に設立された。演劇祭・セミナー・ワークショップの企画運営や、他地域との交流事業も行っている。例えば、九州演劇人サミットや札幌福岡演劇交流プロジェクトと、その活動ぶりは幅広い。高崎さんによると「劇作家を育てることにも、力を注いで」いて、九州戯曲賞の主催者でもある。中でも2007年から行っている、劇作家・演出家のための観劇ディスカッションツアーは、地域の演劇人が数日間行動をともにし、舞台作品を深く語り合う場を設けるというユニークな企画だ。
ところで栗原さんからは「福岡は、エンターテイメント性重視の華やかなお芝居の上演はかなり盛んなんですが、いわゆる小劇場の演劇などは、街の規模の割には創り手の層の厚みが、なかなか見えない印象」と聞いていた。
そんな街にあって、ぽんプラザホールでは、地元劇団や大学の演劇部の公演もあれば、青年団の「革命日記」(今年6月)なども上演されていて、貴重な存在と言えるのだろう。福岡で最も利用されている、地域劇団の利用も多い小劇場だそうだ。
高崎さんに、問題点や今後の課題はとうかがうと「九州大学をはじめとする大学や、各地の高校で、劇団や演劇部の数が少なくなり、若い演劇人口が減少していることですね。それもあって、2007年には、大学演劇部合同公演を行いました」とのこと。8月にはぽんプラザで、照明・音響・舞台監督について学ぶステージスタッフワークショップも開かれるそうだが、そうした機会を得て、演劇に出会う若い人たちが増えることを願いたい。
かつて栄えた「鉄の街」の小劇場
次に訪れたのは、北九州市八幡東区にある枝光本町商店街アイアンシアター。ここについては、以前掲載した、芸術監督・市原幹也さんの紹介文を参照していただけると有難い(市原幹也「地域演劇の未来形を求めて 枝光本町商店街アイアンシアター」)。この文章の中では、少子高齢化が進んだ街のシャッター通りに、2009年に劇場が開館し、周囲にも実にすんなり溶け込みつつ、着実に街の活性化の源になっていく経緯が書かれている。だが、正直言って、本当にそんなにうまくいってるのかな? という気持ちがなかったわけではない。今回は限られた時間の中での駆け足旅、移動は比喩でなく「走って」もいた。それでも、アイアンシアターが、現実の街の中で確かに機能しているということを、どうしてもこの目で確かめたくて枝光に立ち寄り、多忙な市原さんにも、夕方のひとときを割いてもらったのだった。
【写真は、アイアンシアター(上)と枝光本町商店街(下) 撮影=筆者 禁無断転載】
さて、枝光本町商店街のそばには「スペースワールド」という宇宙テーマパークがあり、その名前のついたJRの駅まである。ここの観覧車は、高さ100m、直径80m、ゴンドラ数48基で九州最大級だという。その威容ともいえる姿とは対照的に、ひっそりと佇む町並み。市原さんに連れられて、栗原さんと商店街を歩いてみた。閉まっている店が半分くらいもあるだろうか。だが、そのレトロさ加減は、まさに昭和の面影満載、惹きつけられるものがある。酒屋さんにはカウンターがあり、立飲み屋ならぬ座り飲み屋、常連さんが顔を並べている。八百屋さん、花屋さん、肉屋さん、お惣菜屋さん…。
市原さんが「東京からのお客さん」と言うと、口々に「東京はどこから?」「いつまでおると?」と親しげに声をかけてくれる。「ちょっと食べていきなさいよ」と差し出される、野菜天(=さつまあげ)、海苔巻きにお稲荷さんが、やたらと美味しい。手抜きをせず、丁寧に作ってある。この街は信用できると、直感的に思う。
「鶴亀」という縁起のいい名前のお蕎麦屋さんの暖簾をくぐる。店の中には、大きな写真が数枚。店主のおじさんの説明によると―。ここには、八幡製鉄所(現・新日鉄、1901~)の本事務所があって、街も栄え、芝居小屋まであった。写真の1枚では、小屋の前で、人力車に乗った日本髪の女性がズラリと並んでいる。真ん中あたりにいるのは、当代人気随一の女義太夫の名手。人力車は数が多過ぎたため、事故を防ぐためにクラクション的なものまでつけていたのだそうだ。「本事務所じゃあ、蕎麦屋の出前も守衛所で止められて、中には入れてもらえんかった。守衛が一番えばっとって、守衛長を務めれば、家が一見建つと言われた」なんて話も飛び出す。
そんな街の栄枯盛衰を見てきた人々が、アイアンシアターの周りにいる。小さいけれど、新しい劇場ができて、若い人や子どもたちが出入りし、稽古を重ね、芝居を打ち、他の地方からも海外からも、作り手や観客がやってくるのを、温かく見守り、楽しみにもしているのだろう。この劇場の資金は、自治体の助成金のほか、地域の企業や商店の寄付などによってもまかなわれているという。
地元の小学生が自主的に立ち上げた子ども劇団が生まれたり、韓国の劇団と交流したりと活動は広がっている。秋には、「柿喰う客」や「Ort-d.d」も出演する、えだみつ演劇フェスティバルが開かれる予定だ。
子どもたちに手渡したい演劇的なもの
2日目の朝、栗原さんと私は、北九州市郊外の赤崎小学校の視聴覚室にいた。前夜の宿は、滔々と流れる紫川の川面を見下ろす小倉のホテル。先にもいったように、スケジュール満杯の欲張り旅行、栗原さんに頼りっぱなしで、振り返ってみても移動の行程の記憶が定かではない。ただこの小学校に来る途中、洞海湾を横切るために、戸畑から若松まで若戸渡船(わかととせん)に乗ったことが印象的。この渡し船は「ポンポン船」の名でも親しまれ、若戸大橋が架かる前は、唯一の交通手段だったそうだ。旅情にひたる間もなく、あっという間に対岸についてしまうのが心残りなほどだったが。
赤崎小学校には、こふく劇場(http://www.cofuku.com/)の永山智行さんと劇団員の皆さんが、ここで小学生対象のワークショップを行うのを、見学に来たのだった。こふく劇場は宮崎県都城市に本拠地を置くが、これは、北九州芸術劇場のアウトリーチ活動のひとつ。担当の学芸係・泊篤志さんや他のメンバーも同行している。
ワークショップは、午前の部・午後の部に分かれ、5年生の1クラスずつ行われた。まず、こんないくつかの遊びをする。
・1人の生徒が前に出て、何か動物を思い浮かべると、永山さんや他の生徒が質問をして、その動物を当てる。誰かの頭の中にある何かを、言葉の遣り取りをしながら、想像力を使って発見する
・6人組で1個のボールを投げたり受けたりするが、しゃべってはだめ。ボールを落としてはいけない。ボールの数を2個、3個と増やしていく。30秒間落とさないというトライアルにもチャレンジ。アイコンタクトをフルに活用しなくてはならない
・2人組で向かい合って「おはよう」「おはよう」と言い合う。まずは普通に、次に声の大小、高低、間の空け方を変えて、どんな感じがするか、さらには、2人がどんな関係か(「仲、悪!」とか)を感じ取る
・「ありがとう」を、永山さんの指定に従って言ってみる。たとえば「固い『ありがとう』」「砂のような『ありがとう』」「風のような『ありがとう』」「泥のような『ありがとう』」「白い『ありがとう』」「紫の『ありがとう』」…。イメージすることで、確実に、声音や表情が変わっていく
これらの遊びをしながら、コミュニケーションとは、対話をしながら(あるいは対話がなくても)双方で考えていくこと、気持ちの遣り取りをすることだということが説明される。また、話し言葉には「言葉」「音」「表情・身振り」の3つが含まれており、その中でも、表情や身振りがとても大事だということも。ボール遊びでは、相手の立場に立って物を考えることは、意外に難しいことに気付かされる。普段交わされるのは、ボールではなく言葉であり、言葉は目に見えないから、落としてもぶつかっても一方は気付きにくく「一層心を配らなければいけないよね」と永山さんに言われると、子どもたちも「なるほど~」という顔でうなづく。
実はこれらの遊びは、前夜、北九州芸術劇場の一室で、メンバーの方々に私たち2人も入れてもらって、大人ばかりで予行演習してきたのだった。頭・目・口・手・足のすべてを使った上で説明を受けると、納得の仕方が実にスムーズだと、身をもって感じた次第。「積極的な子どもの後ろで、じーっと黙って見ているような子どもに注意を払う」という永山さんの言葉も心に残った。
さて、赤崎小学校に話を戻そう。子どもたちの、特に男の子たちの反応は、実にいい。打てば響きすぎ!という感じである。「やってみたい人」と声がかかると「はい!」「はい!」「はい!」と勢いよく手が上がるし、聞くべきところはしっかり聞いている。
遊びの後は、こふく劇場の面々による「カチカチ リンカリンカ」が、その場で上演された。新見南吉『手袋を買いに』の現代版を思わせる、明日から無人になる駅の駅員と子狐の話。宮崎から運んできた大道具・小道具が幻想性を支え、若い朴訥な駅員(濱砂崇浩)と、人に化けることに慣れていない子狐(大浦愛)の遣り取りが、楽しく初々しくて、子どもたちもじっと見入っていた。とりわけ、学校でやる劇に、宴会でぐでんぐでんになった、それでも人のよい(狐のよい!?)お父さん狐(あべゆう)が出てきたのが痛快。
終了後、担当の泊さんにうかがうと、北九州市には小学校が100余り。北九州劇術劇場では、こういう活動に力を入れているが、人手の関係もあり、去年行ったのは20校ほどだったという。小学生でも6年生くらいになると、女子が大人びてきて引いてしまうので、4、5年生がちょうどいい時期。また、街中の学校より、郊外の学校の方が、比較的ノリがいい傾向にあるらしい。今回は、ワークショップとともに、本物の演劇をぜひ見てもらいたいという想いで、こふく劇場に依頼したとのこと。確かにそうだ、もしかしたら、この後は一生、劇と名のつくものを見ない子どももいるかもしれないのだから。
そのまなざしは海の向こうへも
北九州市を後にして、最後に向かったのは福岡市の中心部、中央区大名の紺屋町。周りにはブティックも多いおしゃれな一角に「紺屋2023」という、これまたレトロな趣をもつ築45年の雑居ビルがある。ここでは、2008年から2023年までの15年間、古い建物の再生プロジェクトが進行中。全17部屋で“新たな価値と文化の醸造をめざす”さまざまな活動が繰り広げられている。
そのひとつが、スタジオ・カフェ・稽古場・ミニシアターなどの顔を持つ多目的スペースCODEX505。ここを拠点とする、NPO法人Co.D.Ex(コデックス代表のスウェイン佳子さんにお会いした。スウェインさんは、シンガポールから帰ったばかり(そのわけは後述)。活動に協力する、九州大学大学院生の二宮聡さんも同席してくださった。Co.D.Exは、「福岡フリンジフェスティバル」という国際的なダンスイベントを主催している。アドバイザーは、ダンス批評家の乗越たかおさん。
このフリンジを立ち上げたのは―。ダンサーでもあるスウェインさんが、JCDNの「踊りに行くぜ!」などに出ていて、それ自体は素晴らしいイベントなのだが、そういうところで審査に漏れた人に、もっと敷居が低くて自由に踊れる、実験の場を提供したかったから。「人が何と言おうと『これが私の表現だからいい!』といえるものを出せるような環境が必要だと思ったんです」
最初の頃は、費用もある程度援助し、5日間ステージを押さえて、ライティングや音響の技術者との打合せや、リハーサルができるように手配した。すると、福岡ばかりではなく、名古屋や東京からも応募が。今年2月のvol.4では、宇野萬・川野眞子・白井さち子・吾妻琳など多彩な顔ぶれが揃った。一方で、参加希望者も増え、レベルが上がって、地元勢が出にくくなったのをどうするかが課題でもある。
「演劇やダンスをやる人には、特にここ10年くらい、東京に行かなきゃだめという気持ちがあるように感じるんですが…」という問いかけには「私にはないですね。東京の方がうまい踊りは多いでしょうが、もう、そういうのは、見てて飽きちゃうし寝ちゃったりする(笑)。むしろ『何やってるんだろう、これ!?』っていうくらいの方がいい。ダンサーという枠組みからじゃなく、“今の体”から出てくるもの。フリンジでは、韓国の素晴らしいものから、もう『アホか!』って言いたいくらいのまで見られる。そこに面白さがあるんですね」と。
さて、フリンジが5年目を迎えた今年、これをアジア版として広げるという企画を「Asia on The Edge 2011」という国際イベントに応募したところ、思いがけず一時審査を通過。スウェインさんは急遽、開催地のシンガポールに出向いてきたのだという。この企画書作りは、ボランティアとして参加したルーマニアのシビウ国際演劇祭から帰って間もない二宮さんが、大車輪で手がけた。
スウェインさん、その2週間前には、釜山国際ダンスフェスティバルやソウルのポケットダンスフェスティバルにも赴き、釜山には、海外からのパネリスト、審査員として参加。「ここくらいの街では、自信の持てる作品が作れたら、海外に持っていって評価を受ける方がいいかもしれませんね。福岡はアジアに近いんです」と、その視線は国内だけに留まっていない。そうか、玄界灘を超えれば、もうそこは韓国、そして中国大陸、アジア諸国へと道は通じている。Co.D.Exを続けている目的のひとつは、ダンスと社会との新しい関係の構築とおっしゃるスウェインさんの精力的な動きは、まだまだ続きそうだ。
東京中心の観劇で、とかく狭くなりがちな視界を広げるための入口を、垣間見せてもらった2日間。これからも、各地で展開される動きに注目し、その土地に根ざした独自の活動にふれる機会が持てればと願っている。
【著者略歴】
大泉尚子(おおいずみ・なおこ)
京都生まれ、東京在住。70年代、暗黒舞踏やアングラがまだまだ盛んだった頃に大学生活を送る。以来、約30年間のブランクを経て、ここ数年、小劇場の演劇やダンスを見ている。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/category/a/oizumi-naoko/
先日は遠路お越しいただきありがとうございます。
使いにくい写真ばかりになったようで申し訳ないです。
育成の単語については、リンク先のような趣旨で使っております。
たいへんお世話になりました。
写真は、いいのが撮れなくてごめんなさい。
イナバ物置くらいは人が乗れるとおっしゃってた巨大エレベーターも印象的だったんですけど(…残念)。
演劇人育成のさまざまなプログラムも、今後、一層充実されるよう期待しております!